21 通信した
森の中を歩き出して――五日が過ぎた。
いきなり時間をすっ飛ばして申し訳ない――誰に謝ってる?――のだけれど、仕方ない。何しろ特筆すべきことがないというか、何日過ぎても代わり映えがしないというか。
――本当に先へ進んでいるのかどうかさえ、確信が持てないんだよね。
何か森の魔女とか狐狸の類いとかに化かされて同じところをぐるぐる回っているのだとしても、自覚できないんじゃないか。一応少しずつ、周囲の景色は変わっているんだけどさ。
それにしたって、子どもより低い目線からの観察で、どうにもしっくりこない。
ずっと、木々と草の茂みばかりが続く。
何となく地球の日本で入ったことのある森林とそれほど違和感がないので、南へ来たとは言っても熱帯のジャングルとかじゃなく温帯のそれじゃないかという見当。とは言え『鑑定』してみても、覚える気も起きないカタカナ名称とともに【雑木】【雑草】と出るばかりなんだもの。本当に、何の興味も向けようがない。
たまに【食用可】という表示の出る木の実なんかが見えることもあるけど、あたしには関係ないしね。ラノベに頻出の着の身着のまま森に追放された主人公なんかだったら、食料発見と狂喜乱舞するとこなんだろうけど。
――飲食不要ってのはメチャクチャ助かるけど、物足りなくもあるよねえ。
森でのサバイバル定番、木の実やキノコを見つけたり、獣を狩ったりの冒険が必要ないわけだ。ついでに言うと、寝床や雨よけの場所の確保も必要ない。その辺の点だけなら、万能魔法使い手でヒャッハーする主人公に負けていないかも。
また今までのところ、凶暴な魔獣などにも遭遇していない。
小さな鼠や兎みたいなのとは、時たま出くわす。それでもこちらが停止していれば、何の関心も見せずに通り過ぎていく。
一度だけやや大きな直角兎が立ち止まって、こちらを突いてきた。前の兎野郎といいこいつといい、餌にもならない物体に興味を示す種族なんだろうか。
前回の忌々しさもあったので、いきなり水鉄砲を顔にお見舞いしてやると、キャンキャン尻尾を巻いて逃げ出していった。いや、犬に喩える見てくれじゃないんだけどさ。
その他今のところ、進行を妨げられる出来事はない。ただただ草木の茂る低地をひた走るばかり。一回出くわした川はそれほど大きくもなく、水中走行でことなく渡河できた。
この潜望鏡なのか何とかスコープなんて命名されるかもしれない機能のせいなのか、人間の肉眼より暗闇での視認度は高く、場合によって火魔法で照明を作れるので、夜間走行もあまり不自由がない。
――気をつけるのは、方向をまちがわないことと、充電不足に陥らないこと、かな。
それだって、たいして悩むこともない。
以前から試してきたように、充電満タンで二十時間超走行を続けられる。そこから二~三時間の充電で満タンに戻る。森の中であれば強弱の差はあれ、どこでも充電は可能なようだ。
ということであたしは、ほぼぎりぎり充電切れまで動いた後、うまく身を隠す場所を見つけて充電することにしている。そうして毎日、午前0時を目処に走行再開する。たいした理由はないけど、一日の区切りを曖昧にしたくないからね。
そうして今夜も、21時過ぎに充電に入った。
この時間は大人しく動かず、ぼうっと考えごとをするだけ。
あの鷲野郎の誘拐に遭うまでの数日の習慣で、ぼんやり念じてはみる。
これまでの四夜は、何も起きなかったんだけど。この夜は――驚いた。
周囲が、馴染みのぼんやり薄闇空間に変わったんだ。
見ると、こちらも見覚えのあるローブ姿の男が座っている。
『エトヴィンさんか?』
『おお、ハル殿。無事でしたか?』
『まあ、身体は無事だが。あんた今、何処にいるんだ?』
こればかりは、不思議でならない。
今までのこの夢会話は、近くでないと成立しなかったんだ。一度、やっぱりそうした実験の好きなエトヴィンの協力で離れて試してみたんだけど、推定一キロメートルほど距離をとると念じても通じなかった。
昨夜までの四夜も、エトヴィンにというよりたまたま近くに人間がいて通じることはないか、と試してみたものだ。
『私たちは昨日森を出て、伯爵領で護衛を追加して王都へ向け旅立ったところです。予定していたように、ヘルビヒはミーマで一人先行させました』
『そうか、そちらは予定通りか。よかった』
『ハル殿は今どちらに? 暴風鷲からは逃れられたのですか』
『ああ。逃れることはできたが、森の中に落下して場所が分からずにいるところだ。そちらからはかなり南方に来ていると思われるので、とりあえず西へ向かって森を出ることを目指している』
『ああ、確とは言えませんが、それがいいと思われます。森の西へ出て街道を見つけて北へ向かえば、王都に通じるはずです』
『その径路で、王都を目指そうと思う』
『ぜひ、そうしてください。何も助力はできませんが、王都でお待ちできればと思います』
『こうして話ができて、何か情報がもらえればありがたい』
『そういうことでしたら、何なりと。しかし今、何故こうして話ができているのでしょう』
『まったく、訳が分からない。昨夜までは何度試してもうまくいかなかった』
『今現在、私たちはおそらく数百ケター(キロメートル)離れているはずなんですよね。以前の実験では一ケター(キロメートル)程度が限界だったはずで』
『そうだったな』
『前回話してから五日ですか。もしかしてこうして五日程度の間を空ければ、遠距離でも可能だとか?』
『ああ――以前話したことのある相手限定で、とかか。まったく分からないが、可能性としてはあるかもしれない』
とにかくこの夢の中での会話機能、詳細についてはまったく分からない。これを搭載してくれたのが神なのか他のものなのかも一切分からず、説明もなければ、いわゆるラノベみたいなのに前例も思いつかない。結局、一つ一つ機能を試していくだけだ。
その意味では不満もないではないけど、他に意思疎通の手段を持たない身としては、この上なくありがたいということになる。
――いや、もし神様がこの能力を授けてくれたんだとしたら、何でスピーカーとか搭載してふつうに会話できるようにしてくんなかったの、と一言言いたくもなるけどね。
それでもこうして何百キロ離れて通信ができることを知ると、ありがたいなんてもんじゃない。全能ヒャッハー主人公にもなかなかできることじゃなかんべ、と自慢したくなる。
まあその辺は、置いといて。
当面気になる薬草運搬について、突っ込んで訊いておくことにする。
エトヴィンたち一行は、薬草を十枚ずつ六つに分けて運ぶことにしていた。
先日の鷲魔獣の襲来で、背負い袋に入れていたその二つ分を奪われた。あの鷲野郎の種族は、そうした人間の荷物を奪う習性があるんだそうな。
もしかすると鷲の二度目の攻撃は残ったもう一つの背負い袋を狙ったのかもしれないけど、何の弾みかまちがいか、あたしがその爪に捕まってしまったことになる。
結果エトヴィンたちは、薬草十枚組四つを携えて森を出た。
そのうちの二つをヘルビヒに持たせてミーマで先行させ、護衛を増やしたエトヴィンが二つを所持して徒歩で王都に向かう途中、というわけだ。
王都まで徒歩で半月程度。およその目安で、その四つのうち一つでもひと月以内に運搬できれば、病気の少年を救うことができるという見当だ。
かなり状況は楽観できる見通しになったけれど、これまでの彼らの異常な不運さを思えば、まだまだ安心できない。
とは言え数百キロ離れたあたしとしては、無事その使命が完遂されることを祈るしかできない。
『無事を祈っている』
『ええ、ありがとうございます。ハル殿も是非無事にその森を抜け、王都に到着できますように』
ということで、こちらの行く末に関しても情報を得ておくことにする。
もちろん正確な場所は分かっていないのだけど、およそ中ツ森の南西部一帯には、大きな川や深い谷などの存在は知られていない。何にせよまだ人に知られていないところの多い秘境なのだから確かなことは言えないが、ある程度平地を辿って西へ抜けられる公算が高いということだ。
西側で森に接する領地は、南からティルピッツ侯爵領、キュンツェル伯爵領となっていて、その北は森から離れて王都のある王領に至る。もしティルピッツ侯爵領の中央部付近で森を出たとしたら、王都まで徒歩で二十日程度の道のりか。
その侯爵と伯爵の領はどちらも国内有数の小麦の生産地で、農村が多い。森に近い辺りの街道を辿る限り、大きな町に寄ることなくいくつかの農村を抜けるだけで北上できるだろう。
そういった現状これ以上望むべくもないな情報をもらい、頭に焼き付けておくことにする。




