19 捕獲された
わああああーーーー!
声にならない悲鳴。
何とも言えない浮遊感。
力任せに蹴り上げられたらしく、あたしは数秒間宙に舞っていた。
それでもすぐに、下降が始まり。草の上に打ちつけられ、転がる。
止まった格好は、推定百三十五度程度横倒しになったというところか。出したままのマジックハンドで転倒が支えられている。どうも、ハンドのシャフトに折れたような箇所はないようだ。
後ろを窺うと、魔獣から二~三十メートル距離をとったことになりそうだ。彼奴は足を負傷したせいだろう、尻餅をついてじたばたしている。
急いで、逃げなければ。
こちらの方が力がありそうだ、とマジックハンドを引っ込めながら潜望鏡を伸ばす。長い支柱を突っ張らせて、かたんと車体は正常姿勢に戻った。
相手が追ってくる前に、と全速前進。
見ると、林の前に三人の男が立ち止まってこちらを窺っている。
――さっさと逃げればいいのに。
マジックハンドを何度も林奥方向へ振ってみせると、頷いて三人は動き出した。
後ろを見ると、大熊はのそのそとこちらへ歩き出している。
目と片方の後ろ足をわずかに損傷した程度で、まだ走るくらいはできるだろう。それでも、本来の全力疾走にはならないんじゃないか、と思う。
それきり、全速で木々の間に飛び込む。
少し前を走る三人は、もう振り返らず木立の隙間を縫っている。
とりあえずは、それを追うだけだ。幸い、キャタピラ走行が妨げられるほどの悪路にはなっていない。
しばらく直進、やがて左折し、走り続ける。やや迂回することになるけど、元の道筋に戻るつもりなんだろう。
かなり進んで、男たちは足どりを緩めた。
「もう、追ってこないか?」
「気配はありませんな」
「大丈夫と思われます」
とりどりに膝に両手を当て、荒い息をついている。
追いついていくと、エトヴィンが汗まみれの顔に笑みを浮かべた。
「助かりました、ハル殿。またあなたに、命を救われました」
何の何の、とハンドで頷く。
「よく見えませんでしたが、また水魔法で目を攻撃したのですか。風魔法も使った?」
頷く。
「凄いです、あの凶悪な魔獣相手に。最後反撃を受けていましたが、怪我などはないのですか」
頷く。
「そのハル殿の身体、頑強なのですね」カルステンが声を上げた。「蹴られて、三十ガター(メートル)ほどは飛ばされたのではないですか。それで無傷とは」
「確かに、見た目傷などはありませんな」ヘルビヒも唸っている。「なるほど、その頑強さがあるので無茶もできるのですな」
「その小さな身体であの魔獣に向かっていくとは、肝を冷やされましたが、本当に助かりました」
エトヴィンが頭を下げ、護衛たちもそれに倣う。
気にするな、と手を振ってやる。
カルステンが後方遠くを見やる仕草になった。
「まだ姿は見えませんが、匂いを辿ってしつこく追ってくる可能性もあります。今のうちに先へ進んでおくべきでしょう」
「そうだな」
息を整えて、一行は速歩の進軍を再開した。
ほぼ道のない林の中をしばらく進み、やがて細いながらも踏みしめられた跡を見つける。
これが元の進路ということで、辿る径路に戻った。
行く手と後方、両方向から気を急かされる格好で数時間進み、少し開けた岩場で休息をとることにする。
午をかなり過ぎたが食事をということで、腰を下ろして三人は干し肉を囓った。
「あの大王熊については、もう大丈夫でしょうね」
「そもそも奥地に棲みつく魔獣で、こんな辺りに出ることは珍しいはずだからな」
「本当に運が悪いというか、ずっと思いがけない不運続きですね」
「それも、もういい加減終わりにしてもらいたいものだ」
この採取のための旅に出て以降、信じられない不運が続いているらしい。特に薬草採取に成功した後、大雨に遭ったり魔獣に襲われたりということがくり返されている。
ふつうに考えてこれ以上貧乏くじを引くような羽目になるなどあり得そうにないわけだけど、万が一を警戒していかなければならないということのようだ。
これから三日ほどかけて森を出、ラングハンス伯爵領に入る。それから王都まで徒歩で半月ほどの旅程、まだ患者の治療に間に合う予定だけど、この不運さを思うと楽観もできない。
一人ヘルビヒだけでも伯爵領からミーマという騎乗できる動物を調達し、先行しようという話になっている。
ミーマというのは、どうも馬のようなものらしい。走らせると速度は出るが、持久力に乏しい。途中短時間休ませながらでも、一日走り続けるのが限度だという。
王都までの街道の途中で別のミーマを都合して乗り継いでいけば、七日ほどで走り抜けられる。しかし途中の領ではそうした協力を得るのが難しいところが多く、今回のヘルビヒは一度の乗り換えが限度、二頭のミーマを利用した後、徒歩に切り替えなければならない。結果、少し短縮されるとはいえ十日以上を要するとみなければならない。
「日数短縮はわずかとはいえ、別行動をすることで全員分の薬草を失うような事態はほぼ防げるだろうしな。残った私たちは要請してある伯爵家の騎士を護衛に加えて、万全の態勢で王都に向かうことにする」
「はい、それで目的は果たせると思われます」
「これ以上の奇禍はないと願いたいものです」
「だな」
真剣な顔で打ち合わせ、三人で頷き合っている。目的の薬草採取に成功したという安堵は、その表情にまったく窺えない。
よし、と気合いを入れてエトヴィンが腰を上げる。
とにかくもこの危険がひそむ森を、できるだけ早く抜けなければならない。
護衛二人も袋を背負い直して、顔を引き締める。
そうして歩き出した、直後だった。
休憩していたやや広い岩地が、いきなり暗くなったのだ。
続けて、強風が吹きつける。
「な、何だ――?」
「あ、これは――」
見上げて、驚愕した。
ほぼ頭上を覆いつくすほどに巨大な羽が、急降下してきている。伸ばした鋭い爪が、猛速で迫りくる。
「うわ、暴風鷲か!」
「避けろ!」
護衛二人が剣を振るい、エトヴィンか地面に伏せ転がった。
次の瞬間、大きな爪がエトヴィンとカルステンの背負い袋を掴んでいた。
たちまち大鳥は上昇に転じる。
「袋を捨てろ!」
「は!」
もう一メートルほども宙に浮いたところで、二人は慌てて背負い袋を解いて転げ落ちてきた。そのまま両足に袋を掴んで、鷲は上空に小さくなる。
「林に逃げ込め!」
「はい!」
安堵の暇もない。一度上昇した農灰色の鷲魔獣は、すぐに向きを戻して降下を始める姿勢なんだ。
すぐに超高速で、また殺到してくる。見ると一度奪った二つの袋を片足に集め、空いたもう片方の爪でさらに獲物を狙う構えのようだ。
次が袋だけで済む保障もない。必死の形相で、三人は木立目がけて疾駆する。あたしも全速でそれを追う。
しかし魔獣の急降下は、想像を超える猛速だ。一瞬でまた、周囲が暗くなり、暴風に覆われ――。
――わあ!
避ける暇もあらばこそ。
ガシ、とあたしの身体は大きな爪に握りしめられていた。
「あ、え?」
「ハル殿!」
わああああーーーー!




