18 採取した
その後も直接遭遇するのは兎か鼠程度で、午過ぎまで大きな戦闘をすることなく森の中を進んだ。
林を抜けて小さな草地に入るところで『鑑定』の報せがあり、あたしはエトヴィンの前にハンドを伸ばした。
「え、何ですか?」
足を止める男の前から、左手に向けて指し示す。
高い木々の根本付近に『鑑定』が光り、字幕を見せるものがあるんだ。
覗き込んで、エトヴィンは「おお」と歓声を上げた。
「白夢草だ!」
「え!」
「本当ですか?」
主に続いて、護衛たちもそちらへ駆け寄っていく。
しゃがみ込んで、エトヴィンは低い草の葉を手に取っていた。
「まちがいない。予定の群生地にはまだ達していないが、これだけ採取できれば用途に十分だ」
「予定より早く持ち帰られることになりますね」
「まったくだ」
「ハル殿、報せてくれてありがとう。お前たち前回と同様、採取してくれ。必要な薬のためには葉が四~五枚あれば足りるが、三人で二十枚ずつ持つことにする。十枚ずつ、懐と背負い袋に分けて入れよう」
「はい」
「分かりました」
それぞれ小刀を取り出して、ハート型の葉を茎から切り離している。
集めた葉を油紙のようなもので包み、丁寧に荷物に収める。前回までの失敗に鑑みて水濡れ対策に努めるのと、三人分担して運ぶことで紛失や盗難被害を抑える意図なのだろう。
さっき『鑑定』が【白夢草。体内の魔素を安定させる効果のある薬草】と報せてきたのだから、本物でまちがいないはずだ。
そう思いながら、あたしは何となく傍に近づいて眺めていたんだけど。
いきなり、
“収納”
と、頭の中に響く声があった。
――え?
耳を澄ますけれど、それきり何も聞こえない。
――いや、『収納』って?
あたしはそんな能力を持っていない。もし無自覚に持っていたのだとしても、使い方が分からない。
そもそも何だ、今の声は?
何の意味だ?
傍の三人は何事もなく作業を続けているのだから、今の声を聞いたのはあたしだけらしいんだけど。
――収納――。
今のあたしにできそうなそれに近いことで、思い当たるのは一つだけだ。
上面のスライド窓を開くと、中にレーザー砲と潜望鏡とマジックハンドが収納されている。覗いてよく見ることはできないけど、それらの周りにわずかばかりにも隙間はあるはずだ。
――この葉っぱの十枚くらいなら、入るか。
薬草は三人が採取した後にも十分残っているので、興味半分試してみることにする。
風の刃で葉を切り取り、マジックハンドで摘まんで中に入れる。予想通り、十枚は入れることができる。
この薬草は水に弱いんだそうだけど、水中活動もできるこの車体は防水に優れているはずだ。
まあそんなこんなを合わせて、このささやかな収納運搬機能の是非を確かめるということで、無駄ではないだろう。
そういうことで自己満足に浸っていると、三人は作業を終えて腰を伸ばしていた。
「それでは、急いで戻ろう。これを、一日でも早く王都に届けたい」
「はい」
「帰り道も、くれぐれも気をつけて、ですね」
「当然だ。ハル殿も、ここから引き返すでいいですか?」
頷きを、返す。
「よし、出発だ」
それでもやっぱり気が逸るようで足どりは速められ、その夜は昨夜と同じ場所まで戻って休むことになった。
夢の中でエトヴィンからいろいろ知識を得。
見張り時間にエトヴィンの風魔法練習につき合い――かなり、草の葉を斬る精度は高められてきた――。
夜明け前に起き出して、帰行を再開する。
本当に気が逸るらしく、今まで以上に会話も少ないまま、山行は続いた。
そのまま午近く、前々日に狼魔獣と遭遇した草叢に差しかかる。
まだそのまま、七頭の死骸が転がっていた。
「今までにも増して、周囲に警戒して進もう」
「は」
「はい」
正面や左右の林を見回し、足速に草叢を進む。
と、カルステンが声を上げた。
「正面、何かいる!」
「む」
足を止め、行く手を窺うことになった。
バリ、バリ、と木が折れるような音が聞こえてくる。
「何か大きい――拙い、大王熊だ!」
「何だと!」
「逃げろ! 右手だ!」
エトヴィンの指示に、一斉に右の林目がけて駆け出す。
しかしその間に正面から焦茶色の巨体が躍り出し、即座にこちらをロックオンしたようだ。
グワアアアーー。
ひと声咆哮し、四つん這いでこちら目がけて駆け出す。
速い。
大きさ速度ともに、軽トラックを連想させそうなほどだ。
これが、林の中でも木々をなぎ倒して緩まないのだという。
図体が大きく、肉食で凶暴。その鋭い爪も牙も、食らったら生身の人間はまず助からない。
表皮が硬く、剣も槍もほとんど通じない。
森などで向こうに見つかったら、人間はほぼ死を覚悟するしかないと言われている。
という相手なのだから、三人の男は必死で足を速める。
他に、打つ手はない。
あたしは前進を止め、後ろを振り向いた。
「ハル殿?」
走りながらエトヴィンが振り向くけれど。
構わず先に行け、とあたしはハンドを振った。
――別に、ヒーローを気どる柄じゃない、んだけどね。
今の場合、颯人かもしれない少年の命が懸かっているんだ。
颯人を救うためなら、何でもやってやる!
幸いというか、命を懸けて、という必要もないんだから。おそらく、この巨大魔獣の牙でも爪でも、何なら踏み潰されても、あたしは壊れない。
あの三人が逃げる時間だけでも作ってやろう。
グワアアアーー。
そのまま正面から近づくと、こんな見たこともないだろう地を這う小さな運動物に、怪訝そうに大熊は二本足で立ち上がった。
両前足を振り上げて、威嚇の格好だ。
その持ち上がった顔、両目目がけて、いきなり水鉄砲をお見舞いする。
グワアアアーー。
首を振って、熊は咆哮した。
さすがに狼に比べて、身体のバランスを失うほどじゃない。けれど、まちがいなく効いている。
二発、三発、続けて射撃すると、前足で目の前を覆って吠え続ける。
次には、その大きく開いた口目がけて水鉄砲を連射した。
一発で拳二つ分程度の水では、あの大口にたいした打撃はないだろうけど。
連射、連射、で十発ほども続けると、口脇から水が溢れ出し。ガハガハ、と巨体を屈めて噎せ始めていた。
すかさず、あたしは前進。地団駄を踏む後ろ足に駆け寄り、風の刃を放つ。
右足首付近に、切れ目は入れられたか。しかし、血が流れる気配もない。
表皮が硬い予想の相手に、効果が小さいのは先刻承知。それでも少しでも切れ目が入るなら、これをくり返すのみ!
斬る!
斬る!
斬る!
グワアアアーー。
次の瞬間、狙う足が持ち上がり。
あたしの全身に衝撃が走った。




