16 切断した
『一方で風でものを斬るというのは、物理的に不可能ではないように思う。実際に風はものを押したりする力を持つわけだし、これを細くしたり薄くしたりすれば斬る力になる想像ならできる。別な原理になるが空気の操作で真空を作れば接しているものを弾けさせることもできるんだから、そういう作用が非現実と思う必要もないだろう』
『そう――なのですか』
『昼間見せた水魔法――水鉄砲と呼ぶことにするが――あれで分かったように、とにかく魔法の発現はそれができると信じ込めるかどうかにかかってくるらしい。実際には穴のない銃身を通したかのように水を発射できるということは、現実にそれが可能かどうか関係なく、信じ込んでいれば実現できるかもしれないわけだ。だから、風の刃のようなものも実現可能かもしれない』
『なるほど――これも試してみる価値はありますか』
『そうだね』
『目が覚めたら、やってみましょう』
そんなことをいろいろ話して、前夜と同じくエトヴィンは見張り番に起こされた。
夢から抜けて、エトヴィンの背を見送る。
そのまましばらく待って、あたしは横たわったヘルビヒが眠り込むのを確かめた。そうしてこちらの夢の中にもお邪魔して、挨拶しておく。
同僚と同じ程度のやりとりをして、現実に戻る。
そうしてから、焚き火に少し距離を置いたエトヴィンの方を窺うと。ドス、バサ、という物音が聞こえてきた。
近づくと、剣を握った男の足元に白っぽいものが倒れていた。額に角を生やした小ぶりの獣、どうも前日こちらにちょっかいを出してきた兎の魔獣らしい。
寄っていくと、エトヴィンが振り返る。
「ああ、直角兎が近づいてきたので、狩ったところです。この一匹程度なら、水魔法を当ててから剣を振るえば、そこそこ楽に狩れるので」
そうなのか、と頷く。
「こいつは食用になるので、血抜きをして解体しますね。ちょっと待っていてください」
言って、薄茶色獣の後ろ足を束ね持ち上げる。首を斬ったらしく、そこから赤いものが滴り落ちていた。
少し離れた低木に近づき、その枝に吊り下げる作業をしている。
その間に、あたしは近くの草の茂みに寄っていった。さっき夢の中で話していた風魔法を試してみたいと思うんだ。
こちらはマンガで見た画像、手を横に払って離れたものを斬る形が強い印象なので、マジックハンドでそれを再現してみたい。
水魔法のときはどうしてもマジックハンドが非力だという先入観が邪魔して上手く飛ばせなかったんだけど、風ならそれほど力が要らないんじゃないかと思う。何にせよくり返し言っているように、イメージを固めてできると信じ込むことが重要だ。
風なら力は要らない。それより、薄く固めて横に払うイメージ。
このマジックハンドは、横に速く動かすことならできる。
そうして手先に意識を集中し、魔素を送り。
草に向けて、手を振るった。
スパリ。
草の葉が、両断されて落ちた。
――成功!
やっぱり、イメージの勝利だ。
そう思い、嬉しさが膨れ上がってくる。
そのまま、何度もくり返し試してみる。スパ、スパ、と草の葉ならほとんど抵抗なく切断できる。
手の先どの程度の距離かは調節可能だけど、最大五十センチくらいが限界みたいだ。魔法の発現としては物足りない気がしないでもないけど、今まであり得なかった手元に刃物を持つことができたと思えば十分な進歩だ。
スパ、スパ、とくり返していると、エトヴィンが寄ってきた。
「何と! できたのですか、風魔法で」
振り返り、頷き返す。
「ああ、その程度離れた先の葉を斬ることができたのですね。凄い成果です!」
草の前に屈み込んで、科学者は興奮の声を上げている。
発現が確認できたら、あとは強度だろうか。あたしは周囲を見回した。
目を留めて、低木の方をハンドで指さしてみせる。
「え? ああ、あの肉ですか。あれを切断して試してみたいと?」
頷く。
「ええ、ぜひやってみてください。どの程度切断可能か、見てみたいものです」
低木に近づき、吊された肉相手にハンドを振るってみた。
すでに剣で刻んだ首の斬り痕近く、新たな切断面が開いた。
興味津々の様子で、エトヴィンが寄ってくる。
「斬り込んだ深さは、五十ミター(ミリメートル)ぐらいですか。こうしたふつうの獣を狩るには、十分のようですね。このように首の血管を切断すれば、止めを刺せそうです。もっと表皮の硬い魔獣など相手にはどうなのか、検証が必要でしょうが」
うん、とあたしは頷く。
これで、魔獣などに対する攻撃法を二種類手にしたわけだ。水鉄砲で相手の動きを止め、風の刃で傷を与える。うまく頸動脈辺りに命中すれば、命を奪えるかもしれない。
ただ要注意なのは、水鉄砲の射程距離は二十メートル程度あるけど、風の刃は五十センチくらいだということか。遠距離攻撃で足止めしたとしても、次の攻撃のために距離を縮める必要があるということになる。
まあそこは、一人で戦う場合、水鉄砲も近距離で使うようにするべきか。人間の身体と違ってこの身は、おそらく剣や獣の牙などを受けても損傷を負わない。つまり近距離で不利だという要素はあまりないんだ。その辺の利点を上手く使うべきだと思う。
そんなことを考えていると、エトヴィンがぬっと顔を寄せてきた。
「この風魔法でしたら、私も適性があるので使えるかもしれません。ハル殿、ぜひ教えてください!」
――いや、教えろと言われても……。
起きている間は言葉が使えないので、細かい説明は不可能なんだよ。
せいぜい、目の前でお手本を見せるしかない。
仕方なく、草に向けてくり返しマジックハンドを振ってみせる。
「なるほど、こうですか。横に手を振るのですね」
喜び勇んで、挑戦してみる。
しかし何度くり返しても、エトヴィンの手の先に切断は実現しない。
躍起になって、何度も何度も手を振るけど。
――力を込めても仕方ない。イメージが大切なんだって、分かっているだろうに。
そう宥めてやりたいのはやまやまなんだけど、何にしろ言葉にできないんだ。
「ああ、上手くいかない。悔しいなあ」
成功のないまま、エトヴィンは魔力残量が不安になって石の上に座り込んだ。しばらく休み残りの睡眠をとれば、朝には回復しているはずだと言う。
あたしは改めて、同じ風の刃を岩に向けて放ってみた。
わずかに表面が削れたかどうか、やっぱり岩を斬るのは無理なようだ。
もしかするとイメージの問題なのかもしれないけど、とにかく現状、この魔法で無制限に何でも斬れるわけではないことになる。
その後もいろいろ試したところ、木の幹なら一センチかそれくらい斬り込むことができる。兎の毛皮と肉ならやっぱり五センチが限界、という辺りで検証は落ち着いた。
「それにしても本当に、ハル殿は際限なく魔法を繰り返せるのですね。羨ましい限りです」
ここでもエトヴィンは、しみじみと羨望の目を向けてきた。
最初の水球を作るだけしかできなかったときはどうでもいいレベルだったけど、こうして攻撃方法として確立してみると、自分でもこの無限に近い連発能力はありがたく思える。
水鉄砲にしても一発だとたいした効果がないかもしれないけど、連発で結果を出せるということも考えられるんだ。
その辺を考慮して、連続射撃の練習を積んでおくべきだろう。
この森には、まだまだいろいろな危険が潜んでいるらしいから。




