10 供覧した
『もしそうだとすると――まったく根拠のない推論なんですけどね――もしハル殿がそのように魔素を利用して動いているのだとすると、その利用範囲を広げて魔法が使えても不思議ではないと思います』
『そうだろうか』
『ぜひ確かめてみたいですね、魔法研究者として、大いに興味があります』
『夜が明けてから、確かめてみることにするか。しかしこの夢らしいものから抜けてしまうと、おそらくあんたと言葉のやりとりはできなくなると思う。その辺は不自由だな』
『そうですねえ』
『それでも何とか、身振りだけでも通じるようにしたいな。言葉が通じるかは分からないが、あんたは何とか話しかけてみてくれ。こちらは上の窓から棒のようなものを出して動かすことならできる。それを縦に振ったら〈はい〉という肯定の返事、横に振ったら〈いいえ〉の否定、ということにしよう』
『分かりました』
『もう一つくらいはあってもいいかな。それを斜めに傾けて止めたら疑問、理解できない、という意味にしよう』
『はい。ああ、私はこの後の夜中、護衛に起こしてもらって二アーダ(時間)ほど見張り番をすることになっています。そのときにいろいろ試してみませんか』
『なるほど、分かった』
夜間の見張りを護衛三時間、エトヴィン二時間、もう一人の護衛三時間、と交代で担当しているらしい。だいたいの時間を砂時計で計るという。
なお今のエトヴィンの発言で、『アーダ』という音が聞こえて同時にあたしの頭に『時間』という意味が浮かんだ。こちらで使われている名称ととほぼ完全に一致する日本語があれば、このように伝わるのか。
さっきの『ムマ』という動物名は日本語に一致するものがないので、音だけで伝わってきたのではないだろうか、と思う。
『ああそれで先のことをお伝えすると、我々は夜明け頃に起床して朝食をとり、また森の奥へ進む予定にしているのです』
『その、薬草探しか。まだ日数がかかる予定なのだろうか』
『予想される生息地まで、あと三日ほどはかかる予定なのです。先ほど、ハル殿を希望する地までお送りすると言いましたが――』
『ああ、もちろんその当初の目的を最優先してもらって構わない』
『恐縮です。ハル殿にはこの辺りで我々の帰還をお待ちいただいても、同行してくださっても構わないのですが』
『邪魔にならないようなら同行の線で考えたいのだが、少しその辺は可能なものか確かめてからだな』
別にこれからの目的も何もないのだから、本来なら同行でも待機でも構わないんだけどね。
森の中の道行きや、おそらく困難を伴うのだろう薬草採取というものに興味惹かれるものがあるので、できるなら見学してみたい。ただこの人たちの面倒を増やすのは本意ではないので、進行を遅らせない程度にこちらも移動できるかという条件の下、ということになる。
もう一つ理由として、せっかくこの人と夢の中限定にせよ意思を通じることができた。おそらく相手が睡眠をとっている間だけと思われるし、この後目が覚めてその次の睡眠でも同じことが可能なのか分からないんだけど、できれば今夜だけで終わらせずに今後もこの世界の情報収集に協力願いたいと思うんだ。そのためには、このまま同行させてもらう必要がある。
『ところでエトヴィンさんはこうして話していて疲れるとか、寝不足になるとかはないのかな』
「初めての経験なので正確には分かりませんが、何となく肉体の方はしっかり眠って休んでいる感覚ですね。あくまで、夢を見ているだけのようです。たぶん何アーダ(時間)こうしていても、寝不足ということにはならないのではないでしょうか』
『そうか。明朝からも体力を使うのだろうから、気をつけて』
その後はまた、この世界の基礎知識を教えてもらった。
時間の単位はさっきも出た『アーダ』。一日は24アーダで、時刻も同じ1アーダ~24アーダで呼ぶ。分に当たる『ミーダ』という単位もあり、当然60ミーダが1アーダになる。秒は『ミン』で、60ミンが1ミーダ。
この辺は日時計で時間を計ることから始めると一日を12か24で分けるのが自然で、偶然地球と一致していても不思議ではないのか。よく分からないけど。
一年は三百六十六日。これを四つの季に分けている。季の名前は何か神の名によるらしく音は長ったらしくて覚えられそうにないけど、自動翻訳で『冬』『春』『夏』『秋』と変換されたので、それで問題ないんだろう。
さらに『冬』の92日分を31日、30日、31日に分け、『冬の一の月』『冬の二の月』『冬の三の月』と呼ぶ。以下同様に31日の月と30日の日が交互に並び、『春の一の月』から『秋の三の月』まで続く。
月の中では『冬の一の月の1日』~『冬の一の月の31日』のように日付を呼ぶ。曜日のような名称はない。
なお『冬の二の月の1日』が最も昼が短い日、つまり地球で言うところの冬至で、これを一年の始まりの日としている。同様に『春の二の月の1日』が春分、『夏の二の月の1日』が夏至、『秋の二の月の1日』が秋分になるようだ。
なお今は春先、夜が明けると『春の二の月の14日』になるという。
あと長さの単位は、正確に一致ではないのかもしれないけど、およそメートルに一致する単位が『ガター』、ミリメートルらしいのが『ミター』と呼ばれる。つまり千ミターが一ガターになる。
この辺は本当にガター=メートルという保証はないんだけど、まあだいたいということで納得しておく。とにかく自分のサイズが以前と変わっているのだから、正確に一致する必要も少ない気がするし。
そう考えていると、その後の自動翻訳で『ガター(メートル)』と頭に浮かぶようになった。何この、御都合仕様。
そんな説明を聞いているうち、エトヴィンの声が乱れ、周囲のぼんやりした薄闇がさらにぼやけてきた。
『あ、起こしに来られたようです。この会話は終了ですね』
『了解』
そのまま、ぼんやりの世界は消滅した。
あたしの周囲は元のように、闇に包まれた焚き火の近く、というものに戻る。少し離れて横になっていたエトヴィンが身を起こすところだ。
時刻を確かめると、23時を過ぎたところだ。
見張り番を終えた緑騎士が、空いた場所に寝そべる。
エトヴィンは周囲を見回してからちらりとあたしを見て、焚き火から少し離れた平らっぽい石に腰を下ろした。護衛たちを起こさないように、距離をとるようだ。
その護衛たちの寝静まりを確認して、やおらあたしは動き出した。小石のでこぼこが多い地面を、キャタピラで踏みしめ移動する。
近づくと、エトヴィンが目を瞠っているのが分かった。その足元まで進み、停まる。
「本当に、動けるのですね」
焚き火方向を気にする様子ながらもはっきり音声として発した言葉は、意外なことに意味が聞きとれた。
もしかしてさっき夢の中で会話したことで、言語認識の回路が通じたとかなんだろうか。さっき使った単語を覚えたという感覚でなく、言語全体を理解して聞きとれるという手応えがある。
一方で試みてみても、さっきのようなテレパシーみたいな会話はできない。やはり夢の中限定みたいだ。
仕方なくあたしはマジックハンドを出して上に立て、一度縦に動かした。頷きの動作だ。
「おお、目が覚めてもこちらの言葉は理解できますか」
頷く。
「失礼ですが、その動く車輪部分を見せてもらうことはできますか。好奇心が抑えられません」
頷く。
そっと手を伸ばして、科学者は金属模型を抱え上げた。
目の高さに持ち上げられたところでキャタピラを動かしてみせると、その口から抑えた驚嘆の声が漏れた。
「何と、こう動くのですか」
それからしばらく、全身をひねくり回して好奇の観察を受けることになった。
それこそ元女性の身として耐えがたいものはあるんだけど、もうそんなことを言ってはいられない。ここでこの科学者貴族を味方につけておく価値は大いにあると思われるんだ。
水中で活動する都合だろう、マジックハンドを突き出した上窓はその支柱をきっちり包んで閉じている。外部の観察はできても中を覗いたり分解を試みたりは難しいはずだ。
「なるほど」ややしばらくして、エトヴィンは深く息をついた。「あなたが不可思議な存在だということは、理解しました。確かに外から何の力も借りずに動くことができているようだ。まちがいなくこの世で、そんな不思議な力は魔法の作用しか思い当たりません」
そうして、あたしをそっと地面に下ろす。




