エピローグ〜教会内サロン〜
教会本部には、教会上層部の者だけが使用できるサロンがある。
温室のようなガラス張りの建物で、教会本部の敷地の奥にひっそりとある。
室内には珍しい植物が植えられていて、一年中何かしらの花が咲き、常に芳しい香りが漂っていた。
テラス席も用意されていて、そこで休憩を取ることもできるが、賓客をもてなすために茶会が開かれることもある。
──本日の賓客は、精霊女王ユーフォリアのようだった。
ユーフォリアは、ウェーブがかった柔らかい緑色の髪をリボンでハーフアップに結び、温室内の色とりどりの花にも負けないような、鮮烈な緑色のドレスを着ていた。星々を宿した黄金色の瞳は、これから何が始まるのかワクワクと楽しむように、参加者たちを見回していた。
白いガーデンテーブルの真ん中には、鳥籠のようなアフタヌーンティースタンドが置かれていた。三段重ねの皿には、一口サイズのケーキやフルーツタルト、マカロンやフィナンシェ、チョコチップの入ったスコーンなどが、可愛らしく盛り付けられていた。
「わざわざ来てもらって、すまないね」
「うふふっ。フェリクス様のお誘いですもの。私にはお断りなんてできませんわ」
聖属性の大司教フェリクスが声をかけると、ユーフォリアはころころと笑った。
同席している教皇ライオネルは、ユーフォリアの言葉の棘にピクリと頬を動かしたが、淹れられた紅茶ごとぐっと飲み下した。
「私だけが呼ばれたということは、いろいろと説明してもらえるのかしら?」
ユーフォリアは、桃のコンポートが載ったタルトをサクリと一口で食べると、真意を探るように真っ直ぐにフェリクスを見つめた。
フェリクスのはちみつのように深い黄金色の瞳は、全く揺るがずに穏やかなままだった。
「そうだねぇ……主犯のウィンザー元司教とその一味は、王国側に引き渡したよ。彼らは、国で禁止されてる薬物に手を出してたみたいだからね」
「ええ、それは聞きましたわ」
フェリクスの説明に、ユーフォリアはパッチリと大きな目を伏せて、小さく相槌を打った。教会内で公表されていた情報は、すでにチェック済みだった。
「それから、彼らは魅了の香の密売ルートを通じて、非友好国に国の情報を漏らしていたようです」
「まぁ、国家反逆罪だね。それに、密売ルートを潰すために、王国側からも厳しい取り調べを受けるだろうね」
ライオネルが横から追加説明をすると、フェリクスものほほんと相槌を打った。
「あらあら。そんなこともしていたのね」
ユーフォリアは、優雅に紅茶を口にした。ふぅ、と小さく息をこぼす。
「つまり、教会は、ドラゴニア王国に恩を売ったということかしら?」
「そういうことになるね」
ユーフォリアがズバリ尋ねると、フェリクスもさらりと肯定した。
「魅了の香は他国でも問題視されていてね、結構被害が出てるみたいなんだ。でも、各国に支部を持つ聖鳳教会から対抗薬が世に出回れば、魅了の香も、そのうち下火になっていくだろうね」
「あらあら、まあまあ! 教会から解毒薬と中和の香を売り出そうというのね? 相変わらず、教会は商魂たくましいのね。それで、私には、レシピの提供料はいただけるのかしら?」
フェリクスが告げると、ユーフォリアは目を細めた。じっとフェリクスを見つめ返す。
「もちろんそのつもりです」
回答は、ライオネルの方からあった。
「それなら、かまいませんわ」
ユーフォリアは、ぽいっと春色のマカロンを口の中に放り込んだ。甘酸っぱい蜜の味に、頬にキュッと小さなえくぼができる。
「そういえば、襲撃事件の方は、公表ならさないのかしら?」
「襲撃事件? はて……?」
ユーフォリアの質問に、フェリクスはきょとんと首を捻った。本当に全く心当たりがないようで、純粋に彼女を見つめ返していた。
「王都の二次試験会場でのことですわよ?」
「ああ、襲撃といっても、たかだかサンドワーム一体だからねぇ……あれを襲撃と言われてもねぇ……」
フェリクスはすっかり困惑しきった表情をしていた。穏やかだった微笑みに、ほろ苦いものが混じる。
フェリクスやライオネルのサロン内に控えている護衛の聖騎士たちも、苦笑いを浮かべていた──本気でサンドワームを、羽虫程度にしか考えていないのだろう。
「まぁ、さすがフェリクス様。豪胆ですこと……うちのユリシーズは、急な襲撃でしばらく震えがおさまらなかったと言っていたのに……」
ユーフォリアは、おっとりと口元に手を添えると、目を丸くして言った。
「そもそも本気で僕を倒したいなら、魔王種ぐらいは召喚してもらわないと」
「フェリクス様。それは、もはや誰も召喚できませんよ」
ほとほと困ったような顔でフェリクスが呟くと、ライオネルが横からこっそりとフォローを入れていた。
「それも、そうだねぇ」
フェリクスは、のほほんと微笑むだけだった。
茶会が終わると、ユーフォリアは帰りがけに、ふとフェリクスの方を振り返って見上げた。
まじまじと何か訊きたそうに、その瞳を覗き込んだ。
「フェリクス様は、今回の犯人たちから、祝福は取り上げなかったのかしら?」
「おや? そのことかい? 僕が直接祝福を与えることは無いから、取り上げることも無いよ。でも、部下たちが祝福与えている場合には、取り上げるかどうかは彼らに任せているよ」
「……そう。私、今回のことにはかなり怒っているの。癒しを与えるべき教会で、逆に人を傷つけるなんて……とてもじゃないけど、許せないわ」
ユーフォリアは悔しそうに俯くと、小さく唇を噛んだ。
「君は癒しが本分だからね。それは堪らないだろうね」
フェリクスが、納得するように深く頷いた。
「そう! だから、私、もう犯人の子たちからは、祝福を取り上げることにしたの! あとで、癒しの祝福持ちの犯人のリストを、見させていただいてもよろしいかしら?」
「かまいません。のちほど準備してお渡ししましょう」
ユーフォリアのお願いには、ライオネルが回答した。
「お願いしますわね」
ユーフォリアは、ライオネルに微笑みかけた。
ただその笑みには、人外特有の狂気をはらんだ酷薄さが滲んでいた。
「かしこまりました」
ライオネルは、片手を胸元に当て、教会式の礼の姿勢をとった。
ユーフォリアがガラス張りの建物から出て行き、その背中が見えなくなると、ライオネルがボソッとフェリクスに囁いた。
「……珍しく、ユーフォリア様は本気のようですね」
「あとで部下たちに言って、今回の犯人たちの祝福を取り上げるように言っておくよ」
「よろしいので?」
「元々、僕としてはどちらでもかまわなかったけど、彼女の協力が得られなくなるなら、教会は立ち行かなくなってしまうからね」
「確かに。彼女は、女神サーナーティア様でもありますからね……」
フェリクスの言葉に、ライオネルは小さく頷くだけだった。
***
ユーフォリアが帰った後は、フェリクスもライオネルも、そのままサロンで仕事をしていた。
今回の暴動事件で、教会から永久追放となった者のリストを侍従から渡され、二人とも確認していた時だった。
「それにしても、今回は追放者がかなり多いねぇ。後任を探して任命するのも、骨が折れるようだねぇ」
十数枚にも及ぶリストに目を通しながら、フェリクスがぽつりと感想を述べた。
「レスタリア領での騒動で一度降格処分を下した者たちが、今回の事件にも加担していたようです。彼らには、さすがに二度目はありません。まとめて王国側に引き渡してます」
ライオネルも同じ資料を見て、説明をした。
「それは、ずいぶんスッキリするねぇ……おや? サリス司教もかい?」
フェリクスは、ふと気になった名前に目を留めた。聖属性の部下のものだった。
その時、一瞬だけ不自然に音一つ無い瞬間がおとずれた。
誰かの微かな呼吸音も、衣擦れの音も全く起こらない、不思議と無音な瞬間だった。
「……そうですね。彼は、今回の事件でのウィンザー元司教の協力者ですが、現在行方不明になっております」
最初に無音を破ったのは、ライオネルだった。ただただ淡々と事務的に、事実だけを伝えるような言い方だった。
「彼の自宅近くで遺体が見つかったそうですよ。魔物に食い荒らされていたそうです」
ライオネルの背後から、専属護衛のウィリアムが口を挟んだ。彼は、片方の口角だけを微かに上げて、やけに皮肉げにほくそ笑んでいた。
「そうかい。それじゃあ、彼が担当していた支部にも、新たに司教を任命しないとだね」
フェリクスは、何事もなかったかのように話を進めた。まるでいつもの業務を普段通りにこなしていくかのような、そんな穏やかな対応だった。
ガラス張りの建物内では、ゆったりとした時間が流れていた。
青々と茂る草木は、陽光に向かって力強く枝葉を伸ばし、赤、オレンジ、黄色などの色濃く瑞々しく咲く花々は、その絢爛さを競っていた。
そんな中で、ページをめくる音と、紙の上をペンがカリカリと滑る音だけが静かにこだましていた。
──本日も、聖鳳教会本部は穏やかで良い日だった。




