コールマン邸
「でかい……」
俺は馬車の窓からそっと屋敷の方を見て、思わず呟いた。
俺は今、リリアンのお見舞いに、コールマン伯爵家のタウンハウスを訪れていた。
コールマン家のタウンハウスは、王都の貴族街にある。
ここに来るのは、リリアンとの見合い以来二度目だ。
当たり前だけど、コールマン邸は、庶民とは比べものにならないほど立派な庭付きの大きな屋敷だ。
敷地の周りには鉄柵がぐるりと巡っていて、大きな門の所には門番がいる。
教会の馬車で訪問したからか、ほぼ顔パスで敷地内に通してもらえた。
父上は、馬車やコールマン家への連絡だけでなく、見舞いの際に持って行く花束も手配してくれていた。昨日も今日もとんでもなく忙しかったはずなのに、至れり尽くせりで、本当に感謝の言葉しか思い浮かばない。
白い壁の屋敷は小洒落ていて、どこもかしこも綺麗に手入れが行き届いている──庶民として生まれ育ってきた俺にとっては、気後れしてしまうほどに立派だ。
リリアンのことも心配だったけど、お貴族様の屋敷で何か粗相でもあったら大変だと、俺は緊張しまくっていた。ドキドキと胸の鼓動はやけに早い感じがするし、手に少し冷や汗もかいて冷んやりしてる。
リリアンの容態は、父上から少し話は聞いていた。
聖女昇格試験の最中に、いきなり魔物があらわれて、ショックを受けてかなり落ち込んでいるらしい。
冒険者時代にも、同じような状態になってしまった新人は何人も見てきた。でも、彼らは魔物と戦う覚悟を持って冒険者になった奴らだったから、気づけば、魔物に怯えるどころか、依頼報酬や魔物素材欲しさに、積極的に戦うようになっていたのがほとんどだった。
でも、リリアンは違う。貴族令嬢として育てられ、魔物とは縁遠い世界で生きてきた。
だから、新人冒険者たちを慰めるみたいに、「そのうち慣れるさ」、「ルーキーの頃はみんなそんなもんさ」なんて、口が裂けても言えない。
リリアンに、何て声をかけていいのかは分からない。
でも、知らせを聞いてものすごく心配になったし、見舞うことで何かしらリリアンを元気づけられたらと思う。
俺は背筋をぐっと伸ばして、花束をキュッと持ち直すと、コールマン邸に入って行った。
***
「お嬢様、失礼します。ご婚約者様がお見舞いに来られました」
「どうぞ」
俺は案内の侍女に続いて、リリアンの部屋に入った。
猫脚の物書き机やチェスト、小花柄のソファ──リリアンが好きそうなものがたくさん置かれたとても女性らしい部屋だ。
今日は天気がいいからか、窓が少し開けられていて、白いレースのカーテンがふわりと揺れている。
リリアンは、窓際の大きなベッド上で、上半身を起こして本を読んでいた。
俺が部屋に入ってくると、少し恥ずかしそうに微笑んで、顔を上げてくれた。
ただ、リリアンの、いつもは凛としている淡いラベンダー色の瞳は、今日は力なくどこか沈んでいるようだった。
──それだけで、俺の胸はなんだか締め付けられるような感じがした。
「リリアン、お見舞いに来たよ。はい、どうぞ」
「まぁ、ありがとう。どうぞ、座って」
俺が薄紫色の花のブーケを手渡すと、リリアンは薄く微笑んで受け取ってくれた。
リリアンのその笑顔も、席を勧めてくれた声も、今日はどこか弱々しい感じがした。
俺はベッドサイドにあった椅子を引き寄せると、遠慮なく座らせてもらった。
受け取った花束は、リリアンが侍女に言って、花瓶に移し替えてもらうようだった。
俺がなんて声をかけたらいいか迷ってるうちに、先にリリアンが口を開いた。
「昨日、教会の方も大変だったのでしょう? あとから聞いたわ」
「うん。でも、騒動は落ち着いたし、誘導した犯人も捕まったみたいなんだ」
「そう。それは良かったわ」
「その、リリアンの方は……?」
俺の質問に、リリアンは俯いてしまった。
マズい! いきなり無遠慮に踏み込みすぎちゃったかもしれない!
ふと視線を下げると、リリアンの拳が握られていて、微かに震えていた。
「ごめん! そうだよな、怖かったよな!」
俺は慌てて、リリアンの拳を両手で握った。ほのかな振動が、手を通じて伝わってくる──もしかしたら、魔物が出た時の恐怖が、ぶり返してるのかも……
普段は凛と背筋を伸ばして、いつも気丈に振る舞っているリリアンから、ポタポタと大粒の涙がこぼれてきた。
俺は慌ててポケットをまさぐって、ハンカチを取り出して渡すと、リリアンの背中を撫でた。リリアンの背中は、触れたら壊れてしまいそうなほど華奢で、俺は壊さないように、痛くならないように、そっと注意しながら撫でた。
「……グスッ……うっ……」
「…………」
リリアンの押し殺すような、出すまいとして溢れ出てしまう声が、静かに部屋に響いた。
俺はただ、そんなリリアンに、無言で寄り添うことしかできなかった。
しばらく経ったあと、リリアンはポツリポツリと言葉にしてくれた。
「本当に、怖かったの……私、は……テントの端の方に、いたから……いきなり、大きな何かが……テントに……他の子たちが、潰されてくのが見えて……地面が赤く、なって……」
リリアンは我慢しようとして、でも抑えきれなくて、小さくしゃくりあげながら話してくれた。
「無理に話さなくていいよ。俺も魔物と戦ってきたから、怖いって気持ち、よく分かるよ」
俺はただ、震える肩をそっと抱きしめることしかできなかった。
しばらくそうしていると、リリアンはまた落ち着いてくれたみたいで、「ノア、ごめんね」と小さな声でなぜか謝られた。
「えっ? 何が?」
「私、あの時は本当に怖くて、全く動けなかったの……そしたら、神官の一人が、私がつけてたバレッタを見つけて『貸してくれ』って言われて……つい貸してしまったの」
リリアンは、ベッド脇の小テーブルに置いてあったバレッタを見せてくれた。俺が以前、プレゼントしたやつだ。
魔石の周りに金細工が施されたバレッタで、聖女の制服に合わせても違和感がないように、緑と白のボーダー柄のリボンも付いている。
「あ、魔石の色が透明になってる」
魔石は、元々は空だったものを、俺が癒しの魔力を注いだものだった。だから、俺がプレゼントした時は、魔石は緑色をしていた──きっと怪我人の治療に使って、込められていた魔力がすっからかんになったんだろう。
「ごめんなさい……」
「リリアンが謝ることじゃないよ! 魔石が空になったなら、また魔力を込めればいいだけだし! それに、俺にとっては、リリアンが無事だったことの方が何よりも大事だから!!」
「私、癒すべき患者さんがいたのに、脚がすくんでしまって、全く何もできなかったの……お母様みたいな立派な聖女を目指してたのに……こんなのでは、聖女失格だわ……」
リリアンの目に、また涙が浮かんできた。
リリアンは真面目で努力家で、いつも聖女見習いの仕事を頑張っていた。でもその分、自分自身に対して要求するものが高くて、己を厳しく律しているところがある。
俺はそんな凛としたリリアンの姿勢が格好良くて好きだけど、この時ばかりは悪い方に作用して、自分で自分を責めてるみたいだった。
「急に高ランク魔物が出たんだ。冒険者をやってた俺だって、不意を突かれたら、上手く立ち回れるかどうかなんて分からないよ。それに、リリアンがバレッタを持ってたから、より多くの人を救えたんだ。決して無駄じゃないよ」
「ノア……」
「それに、リリアンは俺のことも救ってくれたんだよ」
「えっ……?」
ぽかんと呆気に取られてるリリアンの目の前に、俺はラベンダー色の魔石が付いたペンダントを見せた──以前、リリアンがプレゼントしてくれたものだ。
「実は最近、教会内で魅了の香が焚かれてたんだ」
「!?」
「でも、このペンダントが魅了の香の効果を跳ね除けてくれたおかげで、俺は何ともなかったんだ」
「……どおりで……このペンダントが使われたってことは、何かがあったとは思ってたの……」
「ごめん。大事な試験前だったし、心配かけたくなくて言わなかったんだ。それに、魅了の香のことは父上に口止めされてたし」
「そうだったのね……」
俺は、リリアンの手を握った。
ハッとリリアンが顔を上げて、俺の方を見つめる。
「リリアンは、立派な聖女になれるよ。リリアンの力で俺は守られたんだから。今回のことはすごく辛かったと思う。でも、自信だけは失わないで欲しい」
俺が真っ直ぐにリリアンを見つめて言うと、リリアンの瞳には、さっきまでの弱々しい迷いのようなものは、もうどこにも無かった。
「ノア……ありがとう……」
リリアンがやっと、はにかむような柔らかい笑顔を見せてくれた。




