体調不良
今日は治癒院でのお勤めの日だ。
俺は綺麗なタオルや魔術薬なんかを持って、治癒院へと向かっていた。
治療するためにはいろいろ準備が必要だからな。こういった備品や消耗品を補充するのも、大切な仕事の一つだ。
治癒院へ向かう廊下を渡っていると、不意に甘ったるい香りがしてきた。
教会では、業務中の香水は禁止されている。
匂いで患者さんの具合が悪くなる可能性があるし、治療に支障が出ることもあるからだ。
教会内でも、治癒院の近くには香りの強い草木は植えられていない。
ポーションや魔術薬に必要な香りの強い薬草の場合は、薬草園には植えられているけど、さすがに治癒院の方にまで香ってくることはない。
まだ治癒院が開く前の時間帯だけど、早朝に礼拝に来られた信徒さんか、気の早い患者さんが香水でも付けて来たのかなと、俺は軽く流してた。
「おや? 君はもしかして、聖者のノア君ではないかな?」
廊下の前の方からやって来た恰幅の良い中年男性に、声をかけられた。
でっぷりとしたお腹は前に突き出していて、両手にはジャラジャラと癒しの魔石付きの指輪をいくつもはめている。服装からして、癒し属性の司教様みたいだ。
初めて見た顔だけど、一体誰だろう???
「え、ええ……そうですが」
俺はできるだけ失礼がないように答えた。
「わしはジョン・ウィンザー。ベラン支部の教会で司教をしておる。ガシュラ支部には、聖女見習いをしとる娘のイザベラがいてな。親のわしが言うのもなんだが、結構な美人でな……」
初対面なのに、やけに親しげな雰囲気でしゃべりながら、ウィンザー司教が近寄って来た。
近づいて来た瞬間に、いやに甘ったるい臭いが鼻につく──このおっさんのせいだったのか、廊下の臭いは!! 似合わなすぎだろう!!!
内心「うげぇ……」としか言いようがなかったけど、相手は司教様だ。中級神官の俺の方が、階級的には下だ。
引きつる顔をなんとか誤魔化して、どうにか返答した。
「そ、そうなんですね……。すみません! これから業務が詰まっているもので! 失礼します!」
俺はすぐに断りを入れて、治癒院の方に急いだ。
おっさんなのに甘ったるい臭いを漂わせてるのもなかなかにキツいが、それ以上に、あのイザベラの父親だ。彼女のアグレッシブでねっとりとしつこい感じは、父親譲りだな……
「???」
去り際に、追ってこないか横目でウィンザー司教の方を確認すると、なぜか不思議そうに首を捻っていた。
***
今日の治癒院での治療は、いつも通りだった。
治療は、チームごとにカーテンで区切られたブースに分かれて、メンバーが交代制で行う。
魔力切れなんか起こしたら、患者さんにも、他のメンバーにも迷惑がかかるからな。
今日も患者さんはそれなりに多くて、忙しかった。
俺は、同じチームのリリアンやエラと交代しながら、回復魔術や解毒魔術を患者さんたちにかけていった。
ただ、いつもと少し違うのは──
「ゴホッ、ゲホッ」
カーテンで区切られた隣のブースから、咳込む音が聞こえてきた。
「まぁ、大丈夫? 風邪かしら? 患者さんにうつしたりしたら大変よ?」
「すみません……なんだか急に喉の調子が……それに少し怠くて」
「少し下がって、安静にしてなさい」
「すみません。後をお願いします……」
隣のブースで、別のチームの聖女たちが話しているのが聞こえてきた。
「……風邪が流行ってるのかな? リリアンとエラは大丈夫?」
俺はふと気になって、二人の方へ振り返った。
「私は大丈夫よ?」
リリアンが優雅に微笑む。
「う〜ん、私はちょっとこめかみのあたりがズキズキするかも……」
エラは少し顔をしかめて、手でこめかみを押さえていた。
「エラも少し休むか? あまり無理はしない方がいいぞ」
「私も少し後ろに下がりますね……」
グラントさんがエラを支えて、治癒院の奥にある職員の控え室の方に連れて行った。
「風邪かしら……?」
「急に寒くなったからかな?」
俺とリリアンは、そんな二人の背中をただ見送った。でも、グラントさんがついているなら、大丈夫だろう。
「あ。次の方、どうぞ!」
俺は前の方に向き直ると、次の患者さんを呼んで治療を始めた。
***
昼休憩になると、俺はリリアンと一緒に奥の控え室に向かった。
奥の控え室には、大きなテーブルが真ん中にドンッと置いてあって、その周りにはいくつも椅子が置いてある。
壁際には、備品のストック用の棚が、いくつも並んでいる。
テーブル周りには、エラの他にも何人もの聖女や神官が、どこか体調が悪そうにテーブルに突っ伏したり、上着を重ね着したりして休んでいた。
「エラ、調子はどう? お昼は食べられそうかしら?」
リリアンがエラの近くの席に行って、声をかけた。心配そうにエラの方を覗き込むと、リリアンの長い綺麗な金髪がサラリと流れる。
「まだ少しズキズキするけど、さっきよりは良くなったかも。お昼は食べられそうよ」
エラがリリアンに、「大丈夫よ」と微笑み返す。
「少し食事をとって、様子見だな」
いつの間にか俺の隣に来ていたグラントさんが、腕組みをして言った。珍しく、ちょっと難しそうな顔をしてる。
「ノア。俺はクラーク司教に報告することがあるから、みんなで先に昼食をとっててくれ」
「分かりました」
グラントさんに言われて、俺はリリアンとエラと一緒に食堂に向かうことにした。
……グラントさん、なんだかいつもと様子が少し違ってたけど、大丈夫かな……?
昼食後、少し休んだ後に、エラは業務に復帰してきた。
まだ本調子じゃなさそうだったけど、治癒魔術はかけられるみたいだった。
それから少し経った後に、グラントさんも治癒院に戻って来た。
その時は、普段通りのグラントさんだったから、俺は患者さんの治療に専念することにした。
***
「今日はなんだか職員に体調不良が多かったな〜。俺も気をつけないと…………ん?」
夕食後、俺は自分の部屋に戻ると、神官服を部屋着に着替えていた。
上着を脱いで、備え付けのクローゼットにしまった後、俺は違和感に思わず鏡の方を二度見した。
「なんじゃこりゃぁああっ!!?」
俺はいつも神官服の下に、リリアンからもらったペンダントを付けていた。
ペンダントトップに、リリアンの魔力が込められた魔石が付いているんだけど、それが……
「ラ、ラベンダー色だったのが、無色になってる!!?」
何コレ!? 今までずっと色が付いてたし、普通だったよね!?
「ノア、どうした? 何かあったか?」
コンコンッと慌ただしく俺の部屋の扉が叩かれて、向こう側からグラントさんのくぐもった声が聞こえてきた。
「うぅっ、グラントさん……」
俺が扉を開けると、グラントさんが心配そうにこっちを見てきた。
「何があったんだ? 俺の部屋にまで声が聞こえてきたぞ」
「リリアンからもらったペンダントの魔石の色が、抜けちゃったんです……」
俺は、グラントさんにも見えるように、ペンダントトップを手のひらに載せて見せた。
せっかくリリアンからもらった物なのに……まだもらって一ヶ月ぐらいしか経ってないのに、こんなことになるなんて、ショックだ……
「……それ、魔石の魔力が空になってるぞ」
「へ?」
グラントさんに冷静に指摘されて、俺は間抜けな声を漏らした。
「リリアンがどんな魔力を込めたかは分からないが、今日、急に色が変わったなら、何かしら魔術が発動したんだろう」
「確か、リリアンの魔力って……」
グラントさんの言葉に、俺は頭が急に冷えて冷静に思い返した。
このペンダントをもらった時、リリアンには、コールマン家の癒しの力は少し特殊で、身体についた傷の回復よりも、精神の方に効くと言われたんだった。「精神に効く」ということは──
「確か、魅了や混乱みたいな魔術やスキルに効くって……」
俺がぽつりと呟くと、グラントさんの顔が一気に強張った。
「すぐにクラーク司教に報告しよう。教会内で、精神阻害系の術か何かを使った奴がいるんだ」
グラントさんの言葉に、俺の背筋にヒヤッとしたものが走った。
※リリアンからのプレゼントについては、カクヨムの近況ノートにサポーター限定SSを載せてます。




