相手を思いやる気持ち自体が幸せの一つ
祝祭日のパーティーの準備が整うまでは、俺達はエイダン殿下のお見送りと、教会関係者の挨拶回りをしていた。
エイダン殿下は帰り際に、一言二言、言葉を下さったけど、俺は緊張しすぎてて、何を言われたのかほとんど覚えてなかった。
どうにかこうにか殿下を笑顔でお見送りすると、今度は挨拶回りだ。
ユリシーズ様と父上が間に入って、たくさんの教会関係者を紹介してくださったけど、名前を覚えるだけで精一杯で、顔までは結構あやふやだ……後で父上にお願いして、おさらいしておこう……教会関係者なら、今後会う可能性が高いからな……
「お疲れさま、ノア」
一通り挨拶回りが落ち着くと、リリアンの澄んだ声がした。
「グラントさん! リリアン! エラ!」
振り返ると、三人が苦笑いを浮かべて待っていた。
「聖者様は大変ね〜」
エラがじと目で見上げてきた。小動物的な可愛らしい雰囲気に似合わず、随分と冷めた表情だ。
……ゔっ。やっぱり、せっかくリリアンを誘ったのに、仕事優先になっちゃったからかな……
「……ハハ……ちょっと顔を出すだけでいいって言われてたんだけど、まさか、ここまでいろいろやるとは……」
俺も正直、想定外だったし、苦笑いしか出ないよ……
「まだ何も食べてないでしょう? あっちに料理があるから、行きましょうか?」
リリアンから、いつも通りのスンと澄ました感じで言われた。
……これはこれで、多少はなじられた方が謝りやすくて、気がラクなんだけど……
「うん、行こうか」
丁度お腹も空いてきてたし、なんとなく謝れる雰囲気でもないし、とりあえず俺は相槌を打った。
グラントさんは、俺達の様子を見て始終苦笑いだった。
長テーブルの上には、パーティー料理がたっぷりと並べられていた。いつも宿舎の食堂で食べているものよりも豪華だ。
ローストビーフに、ロールキャベツ、きのこと挽き肉のパイ、マッシュポテト、サラミとチーズが載った薄焼きのピザ等々、ご馳走がいっぱいだ。
スライスされたバケットには、ハムやチーズやスクランブルエッグ、オリーブやピクルスなど、色とりどりの食材が載っていて、すごくおしゃれだ。
それに、ケーキやクッキーなんかのお菓子は、聖堂に来ている子供達に配っているようだ。
年に一度の祝祭日だから、信仰に関係なく、近所の人達や子供達も多く訪れていて、テーブル周りはすごく賑わっていた。
「リリアン、少しいいかな?」
ある程度お腹を満たせたら、俺はリリアンにこっそり話しかけた。
「いいわよ。どこか行く?」
「そうだね」
俺はリリアンの手をとって、神官の宿舎の前にある小さな庭まで連れて行った。
外に出るとすっかり真っ暗になっていて、夜空には、冬の澄んだ空気に、小さな星々が煌々と輝いていた。
皆、聖堂の方に集まっているためか、庭には他に誰もいなかった。
ここは普段は神官や聖女の憩いの場、というか、自由奔放に使われまくっている。
誰が育てているのか分からない小さな菜園には、ほうれん草なのか雑草なのかよく分からないものが植えられている。
庭の端っこには、誰かの作品なのか、小さな木彫りの像が置かれている。
ずんぐりむっくりで、だいぶユニークな形をしていて、よく言えば味わいがある——たぶん聖神アウロンや他の神々を彫りたかったんだと思う……ユーフォリア様が見たら、ショックを受けてしまうかもしれないけど……
宿舎の前にある古びた木のベンチは、夜の外気で冷えきっていたから、俺は空間収納から冒険者の時から使っていたマントを取り出した。
そんなに上等なものじゃないけど、あったかいし、急に外に出た時には今だに重宝してる。
そっとリリアンの細い肩にかけると、「ありがとう」とはにかんで言われた……なんだかちょっと、可愛いな……
「来年の祝祭日のパーティーは、私も挨拶回りに付き合うわよ。たぶん、来年も引っ張り出されるでしょう? 私の方が教会にいる時間が長いし、顔見知りの方も多いし。それに、貴族が来ても、私がサポートできるわ」
ベンチに二人して並んで腰掛けると、リリアンが提案してきた。
「リリアン……! うん、お願いできるかな?」
婚約者が、頼りになる……!
俺が頼りになりすぎる彼女に感動していると、リリアンはにこりと微笑んで「もちろんよ」と言ってくれた。
「そ、そうだ! リリアンにプレゼントがあるんだ!」
俺は空間収納からプレゼントを取り出した。
ハンドクリームが出来上がった後は、ちゃんと箱に入れてラッピングしておいた。
「開けてもいい?」
「もちろん!」
「わぁ……!」
赤色のリボンを細い指先で引いて、丁寧に箱を開けると、リリアンは小さく感嘆の声をあげた。
リリアンの淡いラベンダー色の瞳は煌めいていて、頬も桜色に上気している。
……良かった。気に入ってくれたみたいだ。
「その、最近ポーション作りが多かっただろう? どうしても外で作業したり、水で洗ったりして手が荒れやすいから、ハンドクリームを作ってみたんだ。この容器もポーチも、なんだかリリアンっぽいなって思って……」
「かわいい……! ありがとう、ノア! 大事にするわね!」
俺が説明すると、珍しくリリアンがテンション高めにお礼を言ってきた。キラキラとした満面の笑みだ。
なんかもう、この笑顔を見られただけで、胸の辺りがほこほこと暖かくなって、今日はもう十分な気がしてきた。
「どうぞ、使ってみて」
俺が促すと、リリアンは恐る恐るハンドクリームの瓶の蓋を開けた。
薄く緑がかった白いクリームを指先でちょこんと取って、細い手にスッと塗り込む。
妖精のフワラーオイルを使ったためか、キラキラッと火花のような光が散って、甘すぎない優しいライラックの香りが広がった。
「いい香り……私の好きな香りだわ」
リリアンが、自分の手をうっとりと見つめながら、スルリとその甲を撫でた。
「ライラックのフラワーオイルと、実は薬草が入ってるんだ。これで、多少指先に傷ができても、すぐに治せると思うから」
「ありがとう、ノア」
リリアンに真っ直ぐに見つめられて微笑まれ、俺の胸がドキンッと大きく動いた。
いつも凛と澄ましてる表情が多いからか、こんな風に柔らかく微笑まれると、本当に俺は弱いな……
「私からも、ノアに」
リリアンが、空間収納付きのポーチから、箱を取り出した。
こっちはネイビーの包み紙に、淡いラベンダー色のリボンがかかっている。
「ありがとう。開けてみていい?」
俺が尋ねると、リリアンは笑顔で「どうぞ」と答えてくれた。
「これは……?」
箱の中には、ポーションホルダーと、ポーションがいくつも入っていた。
瓶の形やサイズ的に、中級以上のいいやつだ。
「中級の魔力回復ポーションよ。グラントさんに作り方を教わったの。特別治癒の日は、ノアはよく魔力切れを起こすし、この前の遠征の時みたいに必要になることも多いと思うの……」
「そうか、ありがとう! 大切に飲ませてもらうよ!」
俺がにかっと笑ってお礼を言うと、リリアンはもじもじと小声で「どういたしまして」と呟いた。
「…………」
「どうしたの、ノア?」
俺がまじまじとリリアンからもらったプレゼントを眺めていると、リリアンが俺の方を覗き込んで尋ねてきた。
「なんだか俺達って結構似た者同士かもな、って思って。俺もリリアンも手作りの物だし」
「手作りのものは嫌だったかしら……?」
「ううん。俺のことを考えて作ってくれたものだから、すっごく嬉しい!」
リリアンのことを思ってハンドクリームを作ってた時も楽しかったし、実際に渡して、すごく喜んでもらえたことも嬉しかった。
それだけじゃなくて、リリアンも俺と同じような気持ちで、このポーションを作ってくれたのかと思うと、嬉しさも倍増だ。
俺が、至近距離でリリアンを見つめ返して笑顔で言うと、リリアンは大きく目を見開いて固まっていた。じわじわと、リリアンの頬と耳が赤らんでいく。
「……ばか」
「えっ!? 何で!?」
いきなり暴言吐かれた!?
「秘密」
「エェッ!? 俺、何かした!?」
ますます気になるじゃん!!!
「早く戻りましょ。エラもグラントさんも、私達が急にいなくなって、心配してるかも」
リリアンがサッとベンチを立って、聖堂の方に向かって歩き出した。
「ゔっ……うん」
何だか気にはなるけど、これ以上は何も教えてくれなそうだし、仕方なく俺はリリアンの細い背中を追った。
ちなみに、エラ先生から後日、「ムードがなってない!」と怒られた。
エラ先生曰く、「教会にはもっと恋人達の逢瀬に合うような綺麗な庭園もあったのに、何でよりにもよって、そんなしみったれた庭で渡したのよ!?」とのことだった……
…………女の子って、難しいなぁ…………
***
ドラゴニア王国の王都ガシュラにある聖鳳教会では、祝祭期間中に特別なハンドクリームが販売される。
このハンドクリームは、数百年前、当時の聖者が、婚約者の聖女の手荒れを気遣って贈ったことから広まったものだ。
聖者夫妻の仲睦まじい昔話にあやかり、教会のハンドクリームを大切な女性に贈ることが、恋人達の間で流行した。
ハンドクリームは数量限定で、肌荒れによく効き、評判も良いためか、毎回飛ぶように売れてすぐに完売してしまう。
運よくこのハンドクリームを手に入れた男性は、祝祭日当日に、恋人にプレゼントするのだ。
もちろん、プレゼントをする場所は、王都で有数の観光名所でもある聖堂前の庭園だ。
この美しい庭園で聖者が婚約者にプレゼントしたと、現代では言い伝えられている。