バレット商会本店
祝祭期間前のある日、俺は父上とグラントさんと一緒に、バレット商会本店に来ていた。
バレット商会本店は、王都の中心街の一等地にある。
赤煉瓦造りの立派な建物で、ショーウィンドウには、今年流行りのコートやマフラーなどが魅力的に飾られていた。
お店に入って行く人達は皆、綺麗でおしゃれな富裕層や貴族らしきお嬢様やご夫人方ばかりだ。
俺はこういったお店に来るのは初めてで、緊張しすぎてどうしようもなかったから、グラントさんにお願い倒して一緒に来てもらった。
父上だけでなく、リリアンを知っているグラントさんと、その場で相談できた方がいいし……決して、おしゃれすぎる店に行くのが気後れするだとか、心細いからじゃないぞ!
俺達が入り口の大扉に近づくと、フッと音も立てずに開いた。
ピシッと折り目正しく着飾った店員さん達が、開けてくれたようだ。
「ようこそいらっしゃいました。クラーク伯爵、ノア様、エイミス様。バレット商会本店へようこそ」
パリッとスーツを着こなした絶世の美貌の御仁が、艶麗に微笑んで出迎えてくれた——ニール・バレット商会長だ。
商会長さんの艶やかな黒髪は襟足だけが少し長くて、色鮮やかな黄金色の瞳の中には、小さな星々が煌めいていて、とても綺麗だ。
通った鼻筋に、薄い唇。パーツも配置も整いまくった顔立ちだ。
商会長さんは普段は店のホールに顔を出さないのか、ざわざわと他のお客さん達の間で少し騒ぎになっていた。
そりゃあ、これ程の美貌なら、ご令嬢やご夫人方には人気だろう。
「こちらのお部屋へどうぞ」
商会長さんが、先導して歩き始めた。個室に案内してくれるようだ。
俺達の後ろからは、「商会長自らが案内されるだなんて」「よほど重要な取引なのかしら」「『ノア様』って、もしかして教会の聖者様のことかしら?」なんて、ヒソヒソとおしゃべりしている声が聞こえてきた。
俺達が通されたのは、一番奥の広々とした部屋だった。
部屋の真ん中には、大きくて立派な革張りのソファと、脚に凝った彫りが施されたローテーブルが置かれていた。テーブルの天板は、優美な柄を描く大理石だ。
壁には、どこかエキゾチックで美しい女性の絵が飾られている。大きくて高級そうな花瓶には、常緑のモミの木の枝が青々と生けられていて、松かさや雪のように真っ白な冬菊でアレンジされていた。
どれもお高そうで、怖くてあまり近寄りたくないな……傷つけちゃったら大変だし!
店員さんが紅茶を出して下がっていくと、俺は早速、以前いただいた武器防具一式のお礼を言った。
「そういえば、武器防具をありがとうございました。軽くて丈夫で、とても扱いやすかったです。先日の遠征でも、活躍しましたよ」
あの時の俺は、冒険者パーティーから追い出されて行き倒れていたところを、たまたま通りかかったバレット商会のキャラバンに拾われた。
商会長さんからは武器防具だけじゃなくて、水や食事、果ては王都にまで送ってもらって、本当に何から何までお世話になった。感謝してもしきれないぐらいだ。
「いえ、こちらこそ、ありがとうございます。おかげさまで、あの治癒師用の杖とローブが、聖者様ゆかりの品として人気商品になっているんです」
商会長さんが、非常にいい笑顔で答えた。
武器防具一式をもらえたし、他にもいろいろお世話になったから、俺には何も言う権利はないんだけど……なぜかしてやられた感が……!
俺は「アハハ……」と苦笑いで相槌を打つしかなかった。
その時、コンコンッと扉がノックされ、店員さん達が次々と商品を部屋の中に運び込んできた。
マフラーや手袋、ブーツなどの冬物の小物類から、指輪や髪飾りのようなアクセサリー、それから、とてもいい香りがする綺麗な瓶など、いろいろだ。
店員さん達は、ローテーブルの天板に、丁寧に商品を並べていった。
「あれ? これって……」
俺は、冬らしいベルベットのリボンが付いたバレッタが気になって、手に取った。……リリアンがよく付けてる髪飾りに雰囲気が似てる……?
「ええ、ノア様のご婚約者様は、コールマン伯爵令嬢だと伺っております。コールマン伯爵家で実際にどんな物をお買い上げされたかは顧客情報になるため、お伝えできませんが、近しい物やお気に召しそうな物などはご提案させていただきます」
商会長さんが、ニコニコと説明してくれた。
す、すげぇ……
俺がグラントさんの方を思わず振り向くと、さりげなくサムズアップされた。
「これは?」
俺は、気になっていた藍色の小さな瓶を手に取った。
手のひらに乗るサイズで、持ち上げると、ふわりと何かの花とハーブの清々しい香りがした。
「そちらは水竜の水クリームですね。ここ最近再入荷した人気商品です。肌のキメを整え、水々しさを保つ化粧品ですね。ちょっとした擦り傷や切り傷にも効きますよ。特に美容に気を遣われる女性のお客様に人気ですね」
商会長さんが、簡単に説明をしてくれた。
瓶の蓋を開けると、淡い水色のクリームが入っていた。
さっきよりも花とハーブの香りが、ハッキリと香る。いい匂いだ。
「へぇ〜、リリアンはこういう香りが好きそうだな」
普段薬草を扱っているためか、ハーブ系の香りは好きだと言っていたな。この花の香りも、女性らしいし、さりげなくていいんじゃないかな。
リリアンの手もカサカサしてたし、丁度いいかもしれないな。
「そちらの容量で五万オーロとなります。その倍の容量のものは、九万オーロとなっており、お得ですよ」
商会長さんが、ニコニコと笑顔で推してきた。
「ごっ……」
俺は、驚愕の値段に慄いた。言葉も、これ以上出せなかった。
そして、俺の脳裏に瞬時にいろいろな計算が巡った——冒険者の初心者用装備なら、中古で武器防具一式が揃えられる金額だし、食堂なら数十回飯が食える。ポーションだって、何本いける……?
……やけにみみっちくて現実的な計算に、なんだか貧乏くさい気持ちになってしまい、俺は頭を振って余計な思考を飛ばした。少しだけ冷静になる。
決して、払えない金額じゃない。普段から仕事を真面目にやってるし、毎月給金もちゃんともらってるし、何ならしっかり貯蓄だってしてる。でも——
なんだか釈然としない……!!
この小ささで、この値段……!!?
コスパが全っ然仕事してないじゃないか……!!!
それに何よりも、化粧品だから継続しないと意味がないのでは……??
俺が戦々恐々と、水竜の水クリームと睨めっこをしていると、両隣でも父上とグラントさんが、水竜の水クリームをガン見していた。
「水藤草に綾壺草か……扱いが難しい薬草のはずなのに、見事なものだな」
「さすが水竜……魔力の込め方が繊細だ……」
父上とグラントさんが、何やらブツブツと呟いていた。
……って、あれ!? それ、調薬目線じゃない!?
「ノア様。何かお探しの物はございますでしょうか?」
俺が水竜の水クリームにはあまり乗り気じゃないことに気付いたのか、商会長さんが尋ねてきた。
「……そうですね、手荒れに効くようなものってありませんか? 最近、教会内でポーションを作ることが多くて、カサついてしまうことが多いんです。ヒールだと傷は治せるんですが、肌のカサつきは流石に治せなくて……」
商会長さんなら丁度いい商品を知ってそうだし、正直に話してみた。
「ふむ。それでは水竜の水クリームでは、強力すぎますね。お客様の中には全身に使われる方もいらっしゃいますが、ご婚約者様はあまりそのような使い方は好まれないでしょう。そうですね、ハンドクリームをいくつかお持ちしましょうか」
商会長さんはそう言うと、呼び鈴で店員さんを呼んで、何やら指示を出していた。
「このクリームを全身に……」
俺も父上もグラントさんも、水竜の水クリームの瓶を見て、ごくりと喉を鳴らした。
一回使うだけで、いくらかかるんだ……!!?
少しすると、店員さん達がハンドクリームを持って来てくれた。
ローテーブルの上に、ずらりと並べられる。
「こちらは、花と妖精の国フロランツァから取り寄せたものですね。妖精魔術がかかってますので、使用する度に光ります。特に女性に人気ですね」
商会長さんが、女性が好みそうな色とりどりの可愛らしい瓶を手に取って、説明してくれた。
花と妖精の国から取り寄せたってこともあるのか、バラや白百合、ブーケなど、どれも華やかで甘い花の香りが漂ってくる。
女性はやっぱり、こういうのが好きなのかな……???
でも、リリアンにはちょっと甘すぎる気が……
「こちらは、北のアイスガルド領の伝統的なクリームですね。肌を温める薬草が使われてますので、使用後に血行が良くなり、手が暖かくなるのが特徴です。見た目は少々無骨ですが、特に水仕事や手先を使う職人や魔道具師などに人気です。ポーション作りで荒れた肌のケアに良いですね。お試しされますか?」
商会長さんが、大きめな木の容器に入ったハンドクリームを手に取った。
逆にこっちは飾り気がないけど、効能重視なんだろうな。
俺達三人は、早速、お試しさせてもらった。
妖精のハンドクリームは、クリームを手に塗ると、キラキラッと細やかな妖精魔術の光が現れた。光が消えた後、ブワッと甘い花の香りが広がる。
北領のハンドクリームは、クリームを塗った所からジンジンしてきて、だんだんと手が温まってきた。こちらは少し独特な香りがする。
「この香りの強さは妖精魔術だな。我々には真似できないな……」
父上が、ピンク色の可愛らしい瓶と睨めっこをしている。
「こっちのハンドクリームには、生薬が入ってますね。う〜ん、何十種類入ってるんだ……???」
グラントさんは、北領のハンドクリームの香りを嗅いで、難しい顔をしている。
……父上もグラントさんも、感想が相変わらず調薬目線なんだが……お願いだから、一緒にリリアンへのプレゼントを探してくれ……!
「あの、こちらは?」
俺は、何の変哲もない木箱を指差した。黄金色のオイルが入ったガラス瓶と、真っ白なクリームが入った瓶が入ってる。
「そちらは、ハンドクリームの手作りキットです。手作りでしたら、好みの香りや効能、魔術を付与できますよ」
商会長さんが、ニコニコと説明してくれた。さらに声を潜めて、「特に、癒しの精霊でしたら、傷の回復効果を付与することも簡単でしょう」と言われた。
俺は一瞬ドキッとしたけど、この商会長さんなら、気付かれててもおかしくはないな、とも思った。
さらに商会長さんは、淡いラベンダー地に、植物や小動物の繊細な絵柄が描かれた瓶を取り出した。
「こちらの瓶には、劣化防止魔術が付与されています。この中に作ったハンドクリームを入れれば、魔術式が壊れない限りは、ずっと新鮮なまま長持ちいたします。ハンドクリームが使い終わりましたら、綺麗に洗って乾かせば、再度ご使用になられますよ」
……あ、この柄。なんか、リリアンっぽいかも……
さらに商会長さんは、さっきの瓶と同じ柄の手のひらサイズのポーチを取り出した。
「こちらのポーチは、空間収納付きです。そこそこ大容量ですし、ポーチ自体は小さいので、聖女様の制服のポケットにも入れやすいでしょう」
……うっ、こっちもリリアンが好きそう……むしろ、セットにしたらいいかも……
俺はぐるぐると考え込んだ。
正直、手作りキットだけなら、安い。でも、瓶やポーチまで購入すると、むしろ妖精や北領のハンドクリームを買うよりもトータルで高くなる。
でもでも、使い終わったらまた手作りすれば、安く長く使えるんだよな……妖精のハンドクリームも、北領のハンドクリームも、若干リリアンの好みからはズレてるし……
「せっかくの年に一度のプレゼントです。恋人の喜ぶ顔を見たくはありませんか?」
商会長さんの一言で、俺は踏ん切りがついた。
***
「ありがとうございます。またのお越しを」
商会長さんと店員さん達に笑顔で見送られ、俺達は店を後にした。
「手作りのハンドクリームか。せっかくだから、精霊のレシピが何か無いか、調べておこうか」
帰りの馬車の中で、父上がぽつりと口にした。
「えっ!? そんなのがあるんですか!?」
俺がびっくりして尋ねると、
「調薬スキル持ちの癒しの精霊が、教会内には多いですからね。誰か知ってるでしょう」
グラントさんもあっさりと教えてくれた。
「後で皆に訊いてみよう」
「おお……ありがとうございます!!」
力強い味方が教会内に……!
俺は今日購入した手作りキットと瓶とポーチを抱え、ホクホクとあたたかい気持ちで帰った。