出発
ウィリアムさんから空間収納の拡張方法を教えてもらった後、一度、特別治癒の日があった。
その日は特に魔力不足を感じることもなく、無事に二名の患者さんの治療が終わった。
その後、グラントさんとも相談して、空間収納をさらに少し拡張した——元の空間収納よりも、二割ぐらい収納量が増えた感じだ。
「後方支援では、治癒院での治療と違って怪我人も多いし、いろいろ入り用になるからな。魔力切れにならないよう魔力回復ポーションの予備を入れておこうか」
グラントさんが魔力回復ポーションを三本、渡してくれた。
俺はお礼を言って、それを空間収納にしまった。
「あ、そういえば! グラントさん、この前ウィリアムさんから預かった武器なんですが……」
「ああ、アレか……」
俺が例の武器について口にすると、珍しくグラントさんが難しい顔をした。
ウィリアムさんから渡された武器は、あれからずっと空間収納に入れっぱなしだった。
俺はきょろきょろと周りの様子を窺って、他にひと気が無いことを確かめると、空間収納から武器を取り出した。
ウィリアムさんから預かったのは、金属製の立派なハンマーだ。
ハンマーの頭部分はかなり大きくて、何でも押し潰してしまいそうな迫力がある。頭部分の側面には複雑な紋様が彫り込まれていて、真ん中には真っ赤な魔石も嵌め込まれている。
武器の見た目自体はかっこいいんだけど……
「この武器を使う人は珍しいですよね。冒険者でもほとんど見かけなかったですよ」
俺は、冒険者時代のギルドメンバーを思い浮かべて言った。
ハンマーはかなり筋力が必要になるし、あまり小回りが利かなくて扱いが難しい。
特定の魔物——特に岩系のロックリザードやロックゴーレムなど——を狙う場合以外は、あまり使われない印象だ。
何よりも、ハンマーの衝撃と重みで獲物が潰れてしまうから、魔物素材の買取価格が低くなってしまうことが多い——なかなか冒険者には制限が大きい武器だ。
「俺はあまり武器には詳しくないが、教会の貸与品は本当にヤバいものの可能性が高い。やけに聖属性の魔力が強いから、相応の業物だと思う……何よりも、教皇猊下専属の聖騎士が持ってた物だしな」
グラントさんが、まじまじとハンマーを観察して言った。
「俺にそんな立派な業物を渡されてもな……」
俺には『怪力』スキルがあるから、一応このハンマーを振り回すことはできるけど……
——正直、後方支援タイプの回復役の俺としては、こんなに立派な武器を持たされても扱いに困るだけだ……
「まぁ、他の人には絶対に見られるなよ? ウィリアム騎士の言う通り、本当にピンチの時にだけ使った方がいい」
グラントさんが、やけに真剣な表情で俺に言ってきた。
俺も全くそのつもりだから、こくりと頷く。
ウィリアムさんからは「ここぞという時に使ってください」って笑顔で言われたけど、俺はその時が来ないことを祈ってる。
それに、俺の空間収納の大部分をこのハンマーが占拠してる……できれば、ウィリアムさんには早めに回収してもらいたいな……
***
今日は、結界張り部隊の後方支援キャンプに向かう日だ。
今回結界を張るのは、レスタリア領にあるグリムフォレストだ。
レスタリア領は、ドラゴニア王国の北東部にある山や森林が多い土地だ。
グリムフォレストは、レスタリア領の大部分を占める森で、別名『妖精の森』と呼ばれている。そこには古くから力の強い妖精がたくさん住んでいて、独自の妖精自治区を築いているらしい。
ドラゴニア王国の初代国王様が無理矢理グリムフォレストを国に併合したから、妖精自治区に住む妖精達はあまり人間を良くは思っていないらしい。
だから、グリムフォレストで人間が立ち入れる場所は、妖精自治区との話し合いで、厳密に決められている——要は、「その境界線を越えたら命の保証はしない」ということらしい。
また、妖精自治区には空をも飛べる機動力に優れた妖精騎士団があって、妖精騎士達がグリムフォレスト内をよく見回りしてるって噂だ。
現地にはすでに、聖属性の神官と聖騎士から構成される結界張り部隊が行っているらしい。
今回は魔物が多くて、結界を張るのにかなり苦戦していると連絡が来たため、俺達は追加のポーションや物資を持って行くことになった。
普通だったら、追加の支援物資を運ぶのには何日もかかるけど、今回は一瞬だ。これも転移のスクロールのおかげだ。
俺は冒険者の時の癖で、冒険者時代の装備を一通り引っ張り出した。バレット商会の商会長さんからいただいた物ばかりだから、ほぼ新品なんだけどね。
空間収納の方は例の武器や予備のポーションなどの物資でいっぱいだから、盾やら杖やら泊まり用のキャンプ用品なんかは、背中のリュックに突っ込んでいる。
「……ノア、随分荷物が多いわね」
リリアンが目を丸くして、俺のリュックを見ていた。
「魔物も出るって言うし、念のため冒険者の時に使ってた物を持って行こうかと思って」
俺は苦笑いするしかなかった。
おそらく後方支援キャンプにも物資はあるだろうけど、冒険者の時に「念のため」にいろいろ持って行って命拾いしたことは一度や二度だけじゃないからな。
「いつでも戦える準備があるのはいいことですよ」
ウィリアムさんが集合場所にやって来た。
小ぶりなリュックと、布で巻かれた細長い武器を背負っている。
「それでは、グラント上級神官チームの方は、こちらをお持ちください。転移のスクロールです。それから、こちらは支援物資です。初級と中級の傷回復ポーション、解毒薬、魔力回復ポーション、それから食糧と救急キットですね」
事務局の女性神官が、支援物資と一緒に転移のスクロールを渡してくれた。
「じゃあ、俺がこれとこれを持ちますよ」
俺は、ポーション類が入った箱と食糧の箱を重ねて、肩に担いだ。『怪力』スキルがあるから、このぐらいはどうってことない。冒険者時代は荷物持ちもやってたしな。
それに、「たまにはリリアンの前で頼れるところを見せたい」っている下心もちょっぴり——いや、実は結構ある。
「大丈夫か? かなり重いだろ?」
グラントさんがびっくりして目を丸くした。
でも、グラントさんもすでに支援物資を一箱抱えていた。
「何もノアさんが持たなくても。こういうのは体力がある騎士が持つものですよ」
ウィリアムさんが俺を手伝おうと、彼のリュックと武器を背負い直した。
「へーきですよ! さぁ、行きましょうか! 大変な状況なら、少しでも早く持っていった方がいいですよね?」
俺はせっかくの荷物を奪われまいと、さっさと転移のスクロールに魔力を流し込んだ。
スクロールは、封を切って開くか、魔力を流し込めば発動するんだ。
「……あ、ちょっと待っ……」
事務局の女性神官が血相を変えて何か言いかけてたけど、俺はすでに転移のスクロールを発動させた後だった。
俺の足元に魔術陣が現れ、白い光が立ち上る。
——次の瞬間、バリバリバリッと赤黒い稲妻のような魔力が、俺の転移の魔術陣に干渉した。
「!? ノアさん!!?」
「うわっ!?」
一瞬、魔術の光の向こう側に、ウィリアムさんが血相を変えて、こっちに手を伸ばしているのが見えた。
彼の後ろでは、グラントさんとリリアンとエラが、驚愕の表情で俺を見つめていた。
次の瞬間には、俺はポーションと食糧を抱えたまま転移していた。
場所は——
「なっ!?」
俺は急な魔力変動でガンガンと頭が痛む中、空中に放り出された。状況把握しようと周囲を見渡す。
「なんだ!? 応援か!?」
「隊長! 空から神官が!!」
「ハァッ!? まぁいい!! お前も戦え!!!」
眼下では、返り血を浴びて騎士服や神官服が赤黒く染まった人達が、魔物と激しい戦闘を繰り広げていた。
結界を張ろうと集中する神官達
それを阻止しようと次から次へと襲い掛かる魔物達
その魔物達を切り伏せていく聖騎士達
——そこは、むせ返る程に血生臭い戦場だった。