養子縁組
「……あれ? 魔力量が増えてる?」
魔力切れで倒れた次の日の朝、起きると自分の魔力に違和感があった。
実感としては、昨日までの三割り増しな感じだ。
「魔力切れを起こしたからか? それでも、ここまで増えるって聞いたことないな……」
魔力切れを起こすと少しだけ魔力が増える、というのは有名な話だ。
増えるといっても微々たるもので、流石に三割り増しは増えすぎだ。
「俺、何かやったっけ???」
ぐーーーっ……
とりあえず、お腹の要求には応えないとな。昨日の昼から何も食べてないし。
俺は、職員用の食堂に向かうことにした。
「ノア、おはよう!」
「ノア、おはよう。もう起きても大丈夫なのかしら?」
「おはよう、リリアン、エラ。おかげさまで、もう大丈夫だよ」
俺は、朝食が載ったトレイを持って、リリアンとエラが座っている席の隣に腰掛けた。
本日の朝食は、トースト、ゆで卵、野菜スープ、ヨーグルトというシンプルなものだ。
ホットコーヒーも付いている。
とにかく腹ペコだったから、トーストとゆで卵は多めに貰っといた。職員には無料だからな、ここの朝食。
リリアンとエラと楽しくおしゃべりして、食事をとっていたその時、
「ノア様ぁ〜!」
「うわっ!!?」
いきなり突撃して抱きついてきたのは、イザベラだ。
やけに鼻にかかった甘えた声を出してて、気色悪い!
「ご無事ですかぁ? 倒れたって、お聞きしましたのぉ」
「ぎゃっ!」
俺の制服にしなをつくるな!!
この前まで「平民」とか罵ってたくせに、手のひら返しが酷すぎるっ!!!
あからさますぎて、俺どころか、一緒に食事をとっていたリリアンもエラもドン引いている。——いや、リリアンに至っては、イザベラを睨みつけてる!!?
イザベラも負けじと睨み返していて、俺には、女同士の睨み合う視線が激しい火花を散らしているのが見えた気がした……
「ノア! クラーク司教がお呼びだ。至急来てくれ!」
グラントさんが俺を呼びに来てくれた。
グラントさん!!!
あなたは救いの神かっ!!!
俺には、グラントさんの後頭部から後光が放たれているような幻覚が見えた気がした。でも、きっと、それは嘘じゃない!
俺はさっさとイザベラを引き剥がすと、「呼ばれているので、失礼します」と努めて冷淡に言った。もう関わりたくないからなっ!!
「……朝から災難だったな……」
「……はい……」
何とまでは最後まで聞かないグラントさんの優しさに、俺の胸は打ち震えていた。
***
クラーク司教の執務室の前まで行くと、「ここから先は、ノア一人で」とグラントさんに言われた。
案内のお礼をグラントさんに言うと、俺は背筋を正して、気合を入れて、扉をノックした。
「どうぞ」
クラーク司教の柔らかい声が、扉越しに聞こえた。
執務室に入ると、クラーク司教がにこやかに出迎えてくれた。
「急に呼び出してすまないね」
「いいえ。おかげさまで助かりました」
「?」
話が長くなるからと、応接スペースの方に場所を移した。
クラーク司教と向かい合わせに、ソファに腰掛ける。
「早速だけど、ノア君、私の養子にならないかい?」
「えっ? クラーク司教の養子、ですか? ……その、司教のご家族の許可は……」
「ああ。私は独り身だから、気にしなくていい。本当は急かしたくないんだが、早めに回答をもらえないかな? おそらく、教会関係の貴族がすぐに同じような話を君に打診するだろう。娘を持つ親からは、婚約の話もくるだろう。……クラーク家は伯爵家だ。私も司教の位をいただいているから、貴族としても、教会内でも防波堤になれるはずだ」
クラーク司教の提案に、俺は今朝のことを思い出した。
おそらく、イザベラは親のウィンザー司教から俺に近づくよう言われてきたんだろう。そうでなければ、あんな風に手のひら返しをするわけが無い。
俺はずっと平民の冒険者をしてきたから、お貴族様の事情には疎い。
それでも、爵位ぐらいは耳にしたことがあるから、なんとな〜く、分かる。
伯爵位は、確か、低すぎず高すぎない爵位だったと思う。
司教は、教会内ではかなり高い地位だ。
——俺を利用しようとする奴らを退けるには十分だと思う。
俺は、クラーク司教を見つめた。
淡い緑色の瞳は、俺を案じるような優しい光を湛えていた。
そんな瞳で見つめられると、なぜだか俺の気持ちも安心して落ち着いていった。
クラーク司教は俺を悪いようにしたりしないし、大事にしてくれそうだ——ただの、カンだけど。
それに何より、とても懐かしい感じがするんだ……
「……そのお話、受けさせていただきます」
「おぉ、そうか。よく決断してくれたね。君が聖者として活躍できるよう、最善を尽くさせてもらうよ。今後ともよろしく、ノア。私のことは、父上でも父様でも、好きなように呼んでくれて構わない」
「はい。父上!」
俺達はにこやかに笑い合った。
「さて、ここからの話は、他言無用でお願いするよ」
「?」
クラーク司教——父上が、少しだけ声を潜めて話し始めた。
「先日会った時と、魔力の雰囲気が変わったようなんだが……」
「それは俺も不思議に思ってました。今朝起きたら、魔力量が昨日の三割り増しぐらいに増えていたんです。魔力切れを起こしたから増えたのかとも思ったんですが、それにしても増えすぎなんです」
「そうか……ノアは両親とも、分からないんだよね?」
「そうですね」
「もしかしたら、ノアは祖先に人外の血が流れていて、先祖返りなのかもしれないね」
「先祖返り?」
聞いたことない言葉だ。
それに、俺に人外の血が流れているなんて……両親とも分からないから、否定も肯定もしようがないな。
「人間に妖精や精霊の血が混じっても、その子孫が人間と子をなしていけば、魔力や能力はどんどん人間に近づいていく」
「そうですね」
「先祖返りは、たとえ人間同士の子供だとしても、遠い祖先に妖精や精霊が混じったため、元の先祖の妖精や精霊に近いぐらいの魔力や能力に目覚めた者なんだ。私の見立てでは、ノアの魔力の質的に、癒しの精霊の先祖返りかもしれない」
「癒しの精霊……」
この世界にはいろいろな種類の生き物がいる。
そのうち「人族」として扱われるのは、人間、エルフ、ドワーフ、妖精、それから精霊だ。
その中でも特に「人外」と呼ばれるのは、妖精と精霊だ。
精霊はそのほとんどが玉型の生き物だ。結構、そこら中に浮かんでいる。
親指と人差し指でつくる丸ぐらいの大きさで、属性によっていろんな色をしていて、淡く発光している。ごく稀に人型に変化した精霊もいるらしいけど、滅多にいないという話だ。
……え、俺のご先祖様って、あの玉なの? 癒し属性だから、緑色のピカピカでフワフワ???
俺がなんともいえない気持ちで遠い目をしていると、父上がさらに話し始めた。
「かくいう私も、実は癒しの精霊なんだ」
「へっ?」
思わず変な声が漏れた。
よっぽど間抜けな顔をしていたのか、俺を見て父上がククク……と笑っている。
「でも、教会には人間しかいないのでは……?」
「表向きはね。癒しの精霊は多いよ。グラントもそうだし、ユリシーズ様は癒しの精霊女王様のご姉弟だ」
「エェッ!!?」
俺の驚きをよそに、父上は「だから他言無用な」と、シーッと人差し指を一本、唇の上に置いた。
……俺、知っちゃいけないこと、聞いちゃったよね? 消されたりとかは……流石に無いよな??
「とはいえ、人型で癒しの精霊は限られてるからね。ノアの先祖だと思われる男も私は知っている」
父上の、思い詰めるように真剣で、そして少し寂しそうな表情に、俺はごくりと唾を飲んだ。
それにしても、父上は一体おいくつなんだろう……
「その人は……」
「もう亡くなったよ。でも、ノアはよく似ている。姿も、魔力の質も」
「そうですか……」
父上の雰囲気的に、ちょっとこれ以上は訊けなそうだ。
それにしても、いろいろ衝撃的なことが判明しすぎて、なんだか気持ちの方がもういっぱいいっぱいな状態だ。
「ああ、それから『聖者』についてだね」
父上のその一言で、俺は現実に引き戻された。
「癒しの精霊は、よっぽど力の弱い者以外は、基本的に欠損ぐらいは治癒できるんだ」
「えっ……じゃあ、欠損を治せる『大聖女』や『聖者』って……?」
「元々人間で、癒し属性の魔力適性が高く、治癒魔術が得意で、魔力量が多くて、力技で欠損も治せる者だね」
「……そう言われてしまうと、なんだかありがたみが無くなりますね……ですが、教会所属の癒しの精霊も欠損は治せるんですよね? もっと大々的にやっても……」
「昔はそういう時代もあったよ。だけど、人間は欲深い生き物だ。『人族』の中でも特にだ……」
父上の話だと、過去にも、欠損を治せる癒しの精霊達が、その能力目当てに誘拐されたり、嫉妬から殺されてしまったりという悲しい事件がいくつも起こったらしい。
「癒しは施す方にも施される方にも、互いに善意があるから成り立つ関係性なんだ。どちらかに悪意があれば、善意は悪意に利用されてしまう。そうなるともう癒しを続けていくことはできない。だから、教会所属の癒しの精霊は、人の欠損を治さないことにしたんだ。人間の悪意から自分達の身を守るためにね。それが、人間と癒しの精霊の、丁度良い付き合い方なんだよ」
「……全てを治すことが良いことだとは限らないんですね」
「そうだね」
「でも、そうしたら、俺はどうしたらいいんでしょう?」
治癒院で、たくさんの人の前で欠損を治してしまった。今更、あれを無しにすることはできないだろう。
「人間で欠損が治せるようになった者を、教会では保護して守るようにしている。表沙汰になったものを隠しきるのは難しいからね。幸い、昔に比べて教会組織もしっかりしてきたし、大聖女や聖者の数人なら、きちんと守れるような体制も整ってきたしね。まぁ、君はあまり深刻に考えすぎずに、癒しを求めてきた人々の手をとってやって欲しい。君はきっと、目の前に困ってる人がいるなら、自分が治せるなら、治したいだろう?」
「……はい。そうですね……」
確かに、そうだ。
自分ができることで助けられるなら助けたい、って思うのは自然なことだろう?
「それなら、私達は君の後押しをしよう。君が聖者として活動しやすいようにね」
「ありがとうございます」
真っ直ぐ俺を見つめる父上の淡い緑色の瞳は、あたたかいだけじゃなく、信念のような力強さがあった。
俺は「この人となら、大丈夫だ」となぜだか自然と思えた。
「ただ、一つだけ約束して欲しい」
「何でしょうか?」
「『一人で戦わないこと』だ。何かあったら、逐一、相談してくれて構わない。一人で抱え込んで良いことなんて、一つもないからね。善意を貫きたいなら、自分の身を守る術も身につけなさい」
「分かりました。何かありましたら、ご相談させてください」
俺の回答に満足してくださったのか、父上は力強く頷いてくれた。
——俺も、まさかあんなことですぐに相談させてもらうなんて、この時は夢にも思わなかった。