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第四話「語り手が変わるってメタ視点」

第二章 アルト

 入学式は桜の花びら舞散る中で。

 あたし、小樽鈴香にしてみれば入学式に桜が咲こうが、槍が降ろうが大した違いは無かった。

 入学式では、私は最初から最後まで爆睡してたからだ。

 入学式後の教室は、我が校の若き理事長様の話題で持ちきりだった。クラスの女子たちが「かっこいいよねー」とキャーキャー騒いでいる。それを横目でちらりと一瞥して、あたしは放課後に見学に行く予定である合唱部のことを考えていた。

 今日は放課後になったら速攻で音楽室に行く! それだけを楽しみに、入学式後の面倒なイベントをこなしていった。

 放課後のまだぎくしゃくしている出来上がったばかりのクラス。みんなが新しい集団になじむために、全力を費やしている。

 そんなぎこちない喧噪から外れた隅っこに、あたしと富良野空美は陣取っていた。

 あたしはワイシャツのボタンを二つ外して、その上にブレザーをひっかけたラフなスタイル。せっかく高校生になったんだから、ということで髪もちょっとだけ茶色くした。スカートも新入生にしちゃ短いし、ちょっとガラ悪いかなって自分でも思うね。

 片や空美は、淡い髪色のショートカットにメガネ、それプラス、ハムスターのような小さな体。きっちりと着込んだ制服に、逆に昔の不良みたいに見えなくもないくらい長いスカート。

 一目見ただけでもあたしと空美が同じタイプの人間ではないことがわかるだろう。クラスメイトの隠しきれない野次馬的な視線をあちこちから感じる。

 空美とは同じ中学の出身だった。この比較的地味な空美とあたしは中学時代からなぜか不思議と気があったのだ。

 共通点は音楽が好きなことくらい。空美は吹奏楽部所属、あたしは合唱好き。別段音楽の話ばっかりしてたわけではなかったけど、趣味が合うってのはやっぱりあるんだろうね。

「鈴香ちゃん、やっぱり今日は合唱部の見学に行くの?」

 空美がとてもかわいらしい声で話しかけてくる。小首をかしげたその様子は、思わず抱き枕にしたくなるような保護欲をくすぐる風貌だ。

「そうだねー。動くならできるだけ早い方がいいでしょ! とりあえず練習聞きに行って、どれくらい実力があるか見てやることにするよ」

「す、すごいね。私はどうしようかなー。合唱、ちょっと興味があるけど吹奏楽も気になってるから……今日は吹奏楽に行ってみようかな……」

 空美は二本の人差し指をつつき合わせてくねくねさせながら言う。お互いに意中の部活は別にあるようだ。

「あたしが今日行ってみて、面白そうだったらまた一緒に見学行けばいいじゃん。とりあえず吹奏楽の方に行ってみたいんでしょ?」

「う、うん……なんかごめんね」

 申し訳なさそうにしている空美は本当にかわいい。思わずほっぺたを人差し指でつついてやることにする。

「別に謝る必要は無いでしょー。でもまあ空美はコーラスやっても絶対うまいと思うけどね!」

「あ、あううう。そんなのわかんないよ。音楽は好きだけど……歌はあんまり歌わないもん。カラオケとかも恥ずかしくて……」

 ぷにぷにとあたしがつつくのに合わせて形を変える空美のほっぺた。あたしは意地悪をやめて席を立つ。

「じゃあ行ってくるわ! 吹奏楽部の話も後で聞かせてね」

「う、うん! いい部活だといいね、合唱部!」

 学生鞄を肩にかけて教室をでるあたしの後ろで、空美がちょこちょこと手を振っていた。


「新入生はそっちの席に座って! お菓子もあるから自由に食べてね」

 たどり着いた音楽室は、ステージの様な段がついた立派な部屋だった。

 段の下のほうにはグランドピアノが置いてあり、段の上のほうには器楽室である隣室へとつながるらしき扉があった。

 なかなかに大きな部屋で、音楽活動を行うのに必要な設備は一通りそろっているようだ。入口の上に飾ってある木製の大きなスプーンとフォークには何の意味があるのだろうか。

 そんな音楽室の段の上、高名な音楽家たちの肖像が見下ろすステージでは、これから始まる演奏会に向けて合唱部員たちが奔走していた。

 新入生は15,6人くらい来ているようだった。この全員が入れば人数的には申し分がなくなる。みんな設けられた観客席で少し緊張した面持ちで座っていた。

 対する部員の人数は30人くらいだろうか。まあまあの規模の合唱団にあたしは少し安心する。

 どこの学校でもそうだと思うけど、文化部員ていうのは比較的地味なメンツが集まる。

 ところが不思議なことにこの合唱部は比較的派手というか、まあ少しチャラい印象の部員が多いような印象を受けた。

 まあ別に見た目で歌を歌うわけではないわけだし。まじめに活動していてさえくれたらそれでいい。

 そんなことを考えているうちに、部長らしき女の人が、二列に並んだ部員の前に一歩出て話始める。

「それでは合唱部の新歓ミニコンサートを始めます! 合唱部はご覧の通り結構な大所帯で、人数は32人います。部室はこの音楽室なので、昼休みとか休み時間にでも来てみてください。必ず誰かはいますから!」

 そんな前置きはいいから早く演奏始めろ! と思っているのはあたしだけみたいで、他の新入生はどうしよう、来ちゃう? みたいなそんな感じで話を聞いていた。

 高校の部活なんだから、そりゃあ楽しさも必要だとは思うんだけど。

「まずはじめの曲は……」

 この後のことは、まあどうでもいい。


 子供のころ、日曜日は教会に行くのが習慣だった。

 あたしのお父さんは日本人だったが、バリバリのカトリック信徒でもあった。正直神さまがいるかどうかなんて知ったこっちゃ無かったし、子ども心に面倒だなあと思ったことも多かったんだけど。

 それでも一応教会に通っていたのは、そこで歌わされた賛美歌のおかげだ。

 教会の高い天井いっぱいに響く歌声を初めて聞いた時には、自分の体の中までも透き通って音が抜けていくような、体になじんでいくような、とても不思議な感覚に襲われた。

 たった30人そこそこの一般人。せいぜい週に一回くらいしか歌を歌わない人たちだ。

 それなのに、あたしの心は大きく動かされた。

 昔の人はきっとあの荘厳な調べに包まれることで、神がいるに違いないと考えたのだろうなと、そんな風に思えるくらい。

 その歌声は美しかった。

 信心のあるなしはともかくとして、自分もここで歌を歌いたいと思った。

 思ったのだが……。

 結局のところ、あたしがその教会で歌を歌っていたのはほんの僅かな期間でしか無かった。

 歌を歌うことに飽きたわけでも、日曜の朝のテレビが見られないから嫌になったわけでもない。

 単純に教会がなくなってしまったのだ。不景気が宗教法人にも影響しているとは思わなかった。お布施の減った教会は、より地価の低い下町に引っ越してしまったのだった。

 信心では土地は買えなかったらしい。もちろん当時あたしは小学校に上がる前の子供だったから、それを知ったのはもっとすっと後のことだったけど。当面問題だったのは歌を歌える場所がなくなってしまったことだった。

 一言で言うと、あたしはアホだった。合唱ができる場所として、教会以外を全く知らなかったのだ。

 親に合唱がやりたいから合唱団に入れてくれとねだる頭もなかったらしい。教会で聞いたあの歌は、幼いあたしに強烈なイメージだけを残してしばらくの間封印されることになる。

 小学校時代は、別段自分が音楽を好きだという自覚も無いままに過ごすことになった。

 結局封印された思いが解凍されたのは、中学校に入学してからだった。

 中学校に入学して、あたしは初めての音楽の授業を迎えた。

 音楽の先生はいかにも行き遅れの女の先生だった。男子ひいきするし、変なところでおしゃれとかしてこぎれいな自分アピールするし……。

 以上が女子全員の意見。私としてはあんまりその先生には興味がなかった。

 ピアノの前に座った先生を囲んで、放射状に並ぶあたしとクラスメイトたち。その中央で、音楽の先生は仰々しく、大げさに、とても楽しそうにピアノを弾いていた。

 しかし、中学に入学して最初の授業だったせいだろうか。発声練習が始まっても、あたしを含めたクラスメイトは声をろくに出さなかった。

 先生はピアノを弾く手を止めて、周囲の生徒たちを見据えると、突然に大声で叫んだ。

「なんでもいいから声出しなさい! ……そこのあんた! 音楽ってどういう字を書くか知ってる!?」

 先生はあたしを指差していた。しょっぱなから絡まれるとはついていない。あたしはむっとして少し反抗的な声色で、端的に返答する。

「音を楽しむ、です」

 この先生は『そうだ楽しむものだ。楽しまなければ音楽じゃないんだよ』とかテンプレート的な発言をするつもりなのだろうか。

 そんなこと言われたって、恥ずかしいものは恥ずかしのだ。

 ところが、その次の先生の言葉は私の予想とは少しだけ違っていた。

「そう通り。だからよく、『楽しまなければ音楽じゃない』って言うんだ。でもあたしにいわせりゃ、そんなのきれいごとだよ。その前に音がなきゃ音楽になんないだからね! だから声は出さなきゃいけないんだ!」

 当たり前のことを名言のように言う先生に、あたしは少し吹きだした。

 まあでも、その通りだよな、と納得してしまったのだ。

 先生のそのセリフに、クラスのみんなもなんとなく声を出し始めた。

 少しずつ音楽室に声が響き始める。その中にはあたしの声も混じっていた。

 成長期の男女の喉から出る、音程もろくにあっていない音が音楽室の真ん中に漂う。

 その音符が、あたしの中の封印の鍵穴にがっつりハマる。その時先生が急にあたしを指差した。

「さっきのあんた! いい声してるね! もっとガンガン声出していいんだよ!」

 その一言で、刺さった鍵がくるりとまわされたのを感じた。

 目から鱗ではなく、心から錠前が落ちた。

 あたしは歌が好きだったんだと、そう思い出した。

「……ありがとうございます!」

 授業中なのにピアノを弾く先生のところにつかつか歩いて行って、あたしは大きく頭を下げながら大声で言った。

 クラスのみんなも何事かと大注目する中、あたしはなんとなくすがすがしい気分でいっぱいになった。

 ちなみにこの時あたしに大注目していた観衆の中には、空美も含まれていた。一年の時から同じクラスだったのだ。

 授業が終わった後も、クラスメイトたちはあたしを遠巻きにしてこそこそと話し合っていた。

 まだクラスの地盤も固まっていない4月だ。目立つことをする人間は良くも悪くも、通常より余計に目立ってしまう。

 少しは仲良くなりかけていたクラスメイトも、その日は誰も話しかけては来なかった。

 あたしが少し早まったかなー、と反省して頭をかいていると、目の前に小さな人影が割り込んできた。

「あ、あのー……音楽、好きなんですか?」

 その小さな人影は、メガネをかけた小さな女の子、空美だった。

 入学式からその日まで、同じクラスにいながら全くタイプの違う空美とは会話をしたことがなかった。

 だから、急な展開にあたしは面くらった。それは周りのクラスメイト達も同じだったようで、さっきまでひそひそと話していた連中がにわかに色めき立つ。

 そんなことは全くお構いなしに、空美は話を進めていった。

「え、えっと急にごめんなさい! さっきの音楽の授業で、とっても歌が上手だったから……。小樽さん、なにか楽器とかやってるの?」

「……いやー特に何も。音楽は好きだけどね」

「そそそ、そうなんだ。私は吹奏楽部に入ろうと思ってて……」

 あたしと空美はこんな感じで出会った。

 出会い自体は中学に入学してこのクラスになったその日なのかもしれない。だけど、初めて会話をしたこの日に、あたしたちは出会ったんだとあたしは勝手に思っている。

 今思うと、空美は別にあたしが音楽に興味がありそうだから話しかけたわけではなかったのだろう。

 あたしがクラスのみんなを引かせるような行動を取り、距離を置かれそうになっていた状況をどうにかしようとしてくれたに違いない。

 人が困っているのをほっておけない性分なのだ。自分は年中困ってばかりいるというのに。

 そんな一見小心者なのに、とても勇気あるクラスメイトの空美と、あたしは中学校三年間で一番長く同じ時間を共有することになるのだった。

 空美や音楽の先生との出会いは非常にありがたいことだったんだけど、一つだけ問題があった。

 中学校で初めての音楽の授業は、あたしがバレー部に入部した後に行われたということだ。

 どうせあたしの中学には合唱部が無かったから、もっと早く歌の楽しさを思い出していれば

合唱部に入れたのに! ということは無かった。でも、かなりまじめな部活だったバレー部に入ってしまったせいで、学校外の合唱団に入る時間を完全に奪われてしまった。

 それでも本当に合唱やりたいならバレー部やめろよ! とは言わないでほしい。一度やると決めたことは最後までやる。それもあたしの心情の一つだ。

 中学時代には、ひたすら好きな合唱団のCDを聞いたり、ミュージカルのDVDを見たりして過ごすことになった。

 賛美歌から始まったコーラスへの興味は、中学の時にはあらゆるジャンルに広がっていた。

 合唱曲の横へ流れるようなメロディーライン、不意に決まって響く縦の和音。自分もそんな音の一員になってみたい! そう強く思ってここまで来た。

 そんなわけで、あたしのコーラスへの思いは幼少のころに芽吹き、諸々の事情から3年の熟成を経て、高校入学を迎えたというわけだ。

 ミニコンサートの後 には部員との懇親会が予定されていた。だがその頃には私のテンションはマイナス方向に振り切れていたから、当然さっさと切り上げた。

 あたしは少し薄暗くなった廊下を肩を落として歩く。

 完全な期待外れ。あたしが勝手に期待していただけとはいえ、このままではまた合唱をやる機会を失ってしまう。

 まあ、合唱部の見学は決して無駄ではなかった。あたしが入りたい合唱団ではないということがよくわかったのだから。

 ポップスをみんなで歌うのも楽しいかもしれないけど、あたしがやりたいのはそんな曲じゃない。

 ……。

「……部活、作るしかないか」

 我ながら短絡的な思考だと思う。でも、あたしが歌いたい団体に身を置くためには、それが一番いいような気がした。

 そのために何をすればいいか。それを考えるのは、意外にもわくわくして楽しかった。

 肩を落としていたあたしは、歩きながらどんどんと上向きの姿勢になっていく。

 これは、あれだ。横から見たら人類の進化図みたいに見えるんじゃないだろうか。

 あたしはまだまだ進化する。

 頭の中には、中学の音楽の先生に頭を下げた時の光景が思い浮かんでいた。


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