第二話 「それって青春なんじゃねえの」
結構なスピードで走る原付にはねられておいて、特に体調に異常もなく元気に登校してしまった。
強いて言えば頭に相当大きなたんこぶができていたことくらいか。某海鮮家族アニメの坊主のキャラが、姉さんにひっぱたかれて作るくらいの大きさのたんこぶだ。
他には目立った外傷もない。自分の体の丈夫さに若干の寒気を覚えながらも、俺は結局その日の授業を何事もなく終えた。
まあこれならあの女、小樽とか言ったか。彼女に連絡を取る必要はあるまい。……かわいかったから多少残念ではある気もするが。
そんな風に考えていた俺だったが、災難は向こうからやってきた。
放課後。俺が野球部の見学に行くべくせっせと学校指定ジャージに着替えていると、あんまりしゃべったことのないクラスの女子が話しかけてきた。
「利根君。なんか他のクラスの子が会いに来てるみたいだよ。『サザエさんがカツオをひっぱたいたときくらいの大きさのたんこぶがある男子』って言ってたから……多分利根君のことだよね?」
せっかく俺が某なんたらアニメとごまかしたのに気の利かない女子である。
俺が女子に礼を言って、クラスの入口まで足を運んだ。
はたしてそこには今朝の女の子、小樽鈴香がいた。
改めて落ち着いて見てみると、その美貌にはやはり目を見張るものがある。俺は微妙に紅潮する自分の頬を感じながら、そんなことを考えた。
そんな俺に向かって、気まずそうな表情の小樽がようやく口を開く。
「あの……今朝はホントにごめんね! ちょっとぼーっとしながら原チャ乗ってたから……。体はあれから大丈夫? どこか痛くなったりしてない?」
小樽の声は心から心配している声だった。やっぱりこういうのにはどうにも弱い。
「いや、今んとこ特になんも無いよ。鼻血も止まったし」
「そ、そう? よかったー……」
心底安心したようにそう言うと、小樽は眉間に寄せていたしわを伸ばした。同時についた深いため息が、俺の胸のあたりにかかる。
「さすがにこの年で前科持ちはきついなーと思ってたんだよねー」
ため息とともにぼそりと本音も出ていたが、春の妖精の仕業と思うことにしよう。
「いや何事も無くてよかった! まあでも迷惑かけちゃったし、なんかお詫びするよ。何がいい?」
小樽は緊張が解けたのか、少しフランクな感じになって訪ねてきた。おそらく元々こんな感じのしゃべり方なのだろう。先ほどまでの暗い雰囲気よりもずっと自然に感じられた。
「ん? ああ、えっと……」
お詫びって言われてもなぁ……こんな体験そうそうあるもんじゃないから何を頼んだらいいのかわからない。普通に考えたら食べ物でもおごってもらえばいいのだろうか。
腕組をしてそんなことを考えながら俺が少し呆けていると、小樽は何も話さない俺が怒っているのだと勘違いしたのかだんだんとそわそわしてきた。
「あ、あのー。だ、大丈夫? なんかすごい怖い目してるけど……。や、やっぱり怒ってる? 怒ってるのね? うあああああああ。そりゃそうだよね! いくら私みたいなかわいい女の子と知り合えるきっかけとはいえちょっと刺激が強すぎたよね! こ、これはいったいどんなお詫びをしたら許してもらえるんだろう……だ、だめだからね! あんまり青少年に刺激が強いようなお詫びは! いくら私がフジコちゃんもびっくりのセクシーさだからって……!」
どうやらこいつはテンパってくるとこのつぶやきを始めてしまうようだ。
「悪いんだけど、俺部活の見学に行くから……。お詫びとかもう別にいいからさ」
今朝がたと同じツイートモードに入りつつあった小樽が、俺の言葉を聞いてピタッとつぶやくのをやめる。
「……ブ・カ・ツ?」
小樽の目がじろりとこちらを向く。
「う、ああ。そうだよ。これから野球部の見学に行こうと思ってんだ。俺中学から野球やっててさ。だからもうほんとにお詫びとかいいから行ってもいい……」
そこまで言うか言い終わらないかのうちに小樽の顔が急に100ワットの明るさでピカッと光った。さっきまでの沈んだ感じがウソのような満面の笑顔である。
なんとなく見覚えのある表情に俺が面くらっていると、小樽は大声でまくし立てるように話し始めた。
「そうだ……お詫び! 思いついた! 見学に行くってことはまだ部活決めたわけじゃないんだよね!?」
「あ、ああ。そうだけど……でもまあほぼ野球部で決定だけどってうわあああ!」
俺がそこまで言うと小樽は俺の後ろにするりと回り込んで背中をぐいぐい押し始めた。その力が妙に強くて俺は強制的に教室から追い立てられていく。
「おい! なんだよ! どこに行くんだ!? 俺は野球部に行きたいんだって言ったろ!」
俺が抗議している間にも小樽は俺の背中をぐいぐい押してくる。ついには廊下に飛び出した俺たちに周囲の好奇の目がぐさぐさと刺さっていく。
そんな視線も小樽の勢いが止めることに関しては何の役にも立たないようだった。
「お詫びを思いついたの! 私が今考えつく最高のお詫びだと思うんだよねー」
一階にある俺の教室から、保健室の隣の階段を上がって二階へ。廊下にいた二年生たちも一体何事かと教室から顔を出す。
それもつかの間。そのまま三階に上がった俺たちは、3年生たちが教室から顔を出す間も与えず四階へ。元運動部の俺でもちょいと息が切れる速さでの上昇だ。
「お、お詫びってなんなんだよ!」
俺が息を切らしながら尋ねると、小樽は俺の背後で息一つ切らさずに一層うれしそうな声を上げた。
「あんたに最高の学校生活をプレゼントしてあげるんだよ!」
ああ、さっきの見覚えのある顔はなんだったのか思い出したよ。
それはうちの飼い犬がいたずらを思いついた時の顔に、すごくよく似ていたのだ。
背中に小樽の手形がついたんじゃないかと思うくらいにぐいぐい押されて、俺たち二人がたどり着いたのは普通の教室と同じサイズの空き教室だった。
四階の校舎の突き当たり。まさに学校の端っこだ。
もともと何かの資料室だったのか、狭い室内の壁は本棚で埋め尽くされていた。本棚の中にはびっしりと分厚い本が詰まっている。ほこりに覆われたそれから判断するに、今はあまり頻繁には使われていないに違いない。
恐らく物品の保管庫のような部屋なのだろう。本棚のせいでただでさえ狭く感じる室内には、机やいすが積み重ねられて次の使用者が現れるのを待っていた。
「こんなところに連れてきて一体何をしようって言うんだ……?」
俺はボヤキぎみにそう尋ねる。すると小樽は相変わらずさっきの満面の笑みを崩さずに堂々と言い放った。
「さっきも言ったよね? あんたに最高の学校生活をプレゼントしてあげるって! まだ部活決めてないんだよね?」
「俺もさっき言ったよな……。まだちゃんとは決めてないけど多分野球部に入るよ。大体部活と、この教室に連れてくることに何の関係があるんだ」
俺は右手を頭の後ろにやり、目を細めて呆れながらそう言った。
そんな様子の俺を見据えて、小樽は片手を上げ教室をあおぐ。
「この部屋は、あたしが部長の部活の部室なの」
俺はその言葉を聞いて、もう一度この小さな空き教室を眺めた。そうしてみても、こんな小さな部屋でどんな部活を行っているのか俺には想像もつかなかった。
「そして……感謝しなさい! あんたをこの部活に入れてあげる!」
小樽は俺の返答も待たずにそう言い放った。
「だから、何の部活なんだって聞いてんだよ。何だとしても俺は入らないけどな」
小樽の身勝手さにかなりイライラ来ていた俺は思わず声を荒げる。これには無神経の小樽も少し驚いたようで、目をまんまるくして口を半開きで固まっている。
「あ、あんた……」
「……なんだよ。説明しないなら俺はもう行くぞ。野球部、遅刻して行ったらイメージ悪いだろ」
「あんた! いい声しているじゃん! よかったー入れてあげるとか言ったけど、もしも全然声出せない奴だったら困るな―と思ってたんだよねー」
固まっていたはずの小樽はまたしてもうれしそうにしゃべり続ける。
さっぱり話が見えない。声? 部活に関係あるのか?
「わかった! 説明してあげるよ! この部はね……コーラス部なの!」
腰に手を当てて胸を張る小樽と何も分からずにフリーズする俺。こいつは今何て言ったんだ……?
コーラスって……あの、いっぱいで歌を歌うやつだよな?
「コ、コーラス部はわかったけど……、なんでこんな小さい教室でやるんだ? 音楽室でやればいいじゃねーか」
「あ、そっかー。あんた体育会系だから知らないんだね。この学校には合唱部があって、音楽室はそこが使ってるんだよ」
色々と話が急すぎてさっぱりわからない。合唱部とコーラス部ってのは同じ意味じゃないのか? 俺は頭の中をそのまま言葉にする。
「コーラス部と合唱部って何が違うんだ?」
「うーんとね……」
小樽はあごに人差し指を当てて考えるようなしぐさをしてから、その指をそのまま俺に向けて言った。
「基本的には、同じです!」
とりあえずこいつは突飛なことを言って俺を困らせるのが楽しいみたいだ。
「じゃあなんで合唱部があるのに、お前はコーラス部を作ったんだ?」
当然の疑問だ。同じ内容で別の名前の部活があるなんて迷惑でしかなかろうに。
俺のテンションとは裏腹に、小樽は俺に突きつけていた指をさらにぐいっと押しつけて言った。
「よくぞ聞いてくれました! そりゃそう思うよねー。あたしだって最初は合唱部があるんだから合唱部に入ればいいって思ってたんだよ! だけどさー行ってみてびっくり! あんた合唱部って言ったらどんな歌を歌うもんだと思う?」
「え!? えーと……なんか堅苦しいやつだろ? なんか例えば教会で歌うようなやつとか……」
小樽の剣幕に目を白めつつも、俺は答える。
「そうっ! それは賛美歌ね! それ以外にも普通コーラスでは作曲家が一つ一つの和音を計算したいろんなジャンルの曲を歌うわけよ!」
「ん、ああ。それはわかったんだけどさ、この学校の合唱部は何を歌ってるんだ?」
小樽は俺のこの問に、すぐには応えなかった。思い出すだけでイライラする! と体中で表現するような動きをひとしきりして、ようやく口を開いた。
「……J-POP! 別に歌として否定する気は無いんだけどさ。それでもあたしが合唱としてやりたいのはそんなんじゃないんだよ! 4個以上の音がそれぞれの役割を変えながらきっかりハマっていく和音! ガンガン切り替わる複雑なテンポ! そんなレベルまで計算されたJ-POPがあるのか! いやない! 好きなように翼広げてろ! 瞳閉じてろ! って感じ?」
がっつり反語で否定した小樽。言ってることはよくわからないが、とりあえず小樽はこの高校の合唱部で歌っている曲目が気にいらないらしい。
「合唱部の先輩たちも、曲目を変える気はないらしいし……もうこりゃー自分で部活作るしかないかな、みたいなさ。先生に聞いてみたら4人以上いれば部活にしていいって言ってたからさ。頑張ればなんとかなるかなーって思ったわけよ」
「あー……大体言いたいことはわかった。要はお前は自分で作るコーラス部に俺を勧誘して、人数合わせにしたいんだな? ……まあ別に名前貸すくらいならいいけどさ」
俺が右手で頭をかきながら言うと、小樽は急にしんと黙ってしまった。
一体何事だ。何か感に触るようなことを言ってしまっただろうか。
俺がそんな風に考えていると、小樽はバッと顔を上げてこちらに詰め寄ってきた。
眼前に近づいた顔がこれまでの朗らかなものとはずいぶん違っていたので、俺は少し気押されてしまった。
「……あんた。人数合わせとか名前貸すとか、そんな適当な気持ちであたしが勧誘してると思ってんの?」
「……な、なんだよ。だって俺歌なんて歌えないぞ? カラオケもあんまり好きじゃないくらいだし……」
小樽の顔がさらにぐいっと俺の顔に近づく。憮然とした表情ではあるが、こんなに整った顔が目の前にあると平静ではいられない。
「すでにあるのと同じような部活をわざわざ作ろうとしてるあたしが、そんな半端な気持ちで勧誘すると思うの? どんな経緯だろうとなにが原因だろうと、あたしはあんたが欲しいからここに連れてきたんだよ!」
小樽の微妙な言い回しに、ますます俺の心拍数が上がる。もちろんこの部活に俺が欲しいって意味なのはわかるが……あんたが欲しいなんて目の前で言わないで欲しい。心臓に悪い。
「わ、わかった。要はコーラス部への入部について真剣に考えればいいんだよな?」
正直コーラス部に入る気なんて毛頭なかったが、これ以上こいつに付き合っていると野球部の見学に行けなくなってしまう可能性がある。
そんな俺の心情とは裏腹に、俺の言葉を聞いた小樽は一歩下がって
「そういうことっ!」
と言って顔をほころばせた。
ほこり臭い空き教室で、その笑顔だけが別世界のモノのように浮かび上がっていた。
「あんたに最高の高校生活をあげるっていうのは嘘でも、誇張表現でもない。成長期ののどから出せる声って言うのは、ホントにこの時期しか出せないんだよ。後悔はさせない」
小樽の口から出るそれらの言葉には一点の曇りもなかった。
色々と強引な面もあるが、こいつはこいつで自分のやりたいことに一所懸命にがんばれるやつのようだ。
要は、小樽鈴香はそんなに悪い奴ではないようだった。
「あー……わかった。あんま期待はしないで待っててくれ」
そういったところで腕時計に目をやると、野球部の見学に行くにはかなりギリギリの時間になっていた。
「っと……悪いな。やっぱり野球部の方にも顔を出してみたいんだ。見学に行ってもよろしいでしょうか……?」
なぜか低姿勢になってしまう俺。さっきから何か言うたびに小樽の予想外の発言に制止されるからな……。
「んっ。まあ仕方ないかな。あたしの言いたかったことは全部言ったしね! 今んとこ、まだあたしともう一人しか部員見つかってないから、焦ってるのは事実だけどさ。あんまり無理矢理でもねー」
予想に反してにやにやしながらそんなことを言う小樽。お前、ここに俺を連れてきた手段は無理矢理ではないというつもりなのか。
「もしもコーラス部に入りたくなったら、放課後いつでもいいからまたこの教室に来て! もう一人の子と一緒に、しばらくはこの教室で活動してると思うから」
そういう小樽の声が背中から離れていく中、俺はひらひらと後ろに向けて手を振った。
俺の望んでいた面白い高校生活。入学前に想像していたそれの姿が、なんだかはっきりしなくなってしまっていた。
妙な当たり屋に絡まれたもんだ。
「か、霞ヶ浦東中出身! 利根遼平っす! ポジションは……ショートやってました!」
隅っこの方で新緑が控えめに主張しているグラウンド。野球部の見学に来た新入生は俺を入れて3人だった。
地面に腰を下ろした先輩方の見守る中、こうして一列に並ばされた俺らは新人にありがちな自己紹介をやらされているのだった。周りにちらちら目をやると、ほかの運動部も似たようなことをやっているのがわかる。
野球部の場合、先輩方と言っても人数は新入生と大差なかった。二年生が4人、三年生が2人……おいおい、おれら全員一年からレギュラーってことか? 指折り数えてなんだかげんなりする。
来ていた新入生はみんなジャージ姿。迎える先輩方はなぜかみんな制服だった。
この後部室に移動して着替えたりするんだろうか。ただ単にわかりやすい集合場所としてグラウンドを選んだだけなのかも知れない。
「はいみんな拍手ー。よろしくなー」
俺がぼーっとしていると主将らしき人がまとめに入っていた。気付かないうちに俺以外の二人の自己紹介は終わっていたようだ。
「じゃあこれから部室行って歓迎会やるから! みんなこっちついてきてくれ」
そう声がかかると他の先輩方も腰を上げて、土で汚れたズボンを払いながらめいめいに移動していく。俺がすこし緊張しながらついていくと、先輩のうちの一人が話しかけてきた。
「今日は来てくれてありがとねー! 部活はもう野球部に決めてくれる感じ?」
話しかけてきた先輩は長めの茶髪で、あまり野球部らしい感じはしなかった。まあ、強くない野球部ならこんなもんなのかな、と思った。
「あ、えーと、まだちょっと悩んでる感じで……。今日はとりあえず見学に来てみました!」
俺はそう言ってから自分が言った内容に驚いた。今日の朝までは野球部でほぼ決定と思っていたというのに、このときの俺はそれを即答することができなかった。
「そーなんだ。他にはどんな部活見てるの?」
「……えっと、そもそも部活やるかどうか迷ってるみたいな……」
さすがにコーラス部から勧誘を受けているとは言えずに、俺は適当なことを言ってごまかす。
「あーバイトやりたいとか、あんましんどいことやりたくないみたいな感じ? それならうちは結構あってると思うよ♪ このあと歓迎会で色々聞いてみて!」
「そ、そうなんすか? それはどんなふうに……」
先輩の言った意味がわからなかったので詳しく聞こうとするが、そうこうしているうちに部室についてしまった。
野球部の部室は色々な部活の部室が入っている部室棟の一角にあった。
運動系の部活の部室なら当然といえば当然だが、決して衛生状態が最高なわけではない。要はかなり汚い。それは野球部に限らずのようで、部室棟全体からなにやら邪悪なオーラが噴出しているようにさえ見えた。
主将が野球部の部室の扉を一気に開く。すえた空気が流れ出てきて、少しむしむしした屋外とは違うひんやりした空気が漂った。
なんとなく中学の時使っていた部室を思い出す。
「ここが野球部の部室だ! まあくつろいでくれ! 椅子とかはその辺にあるから……、おい! 新入生の分出してやれよ!」
主将が他の部員に命令をしながら部屋の電気をつける。パッと明るくなった室内に、薄暗かった先ほどまでは見えなかったものが次々と浮かび上がる。
部室には野球部室のイメージとはかなりかけ離れたものばかりが置いてあった。
隅には大型のテレビが置いてある。それにつながった4人で遊べる古い型のゲーム機には、大乱闘できるゲームのカセットが刺さっていた。
汚れた床にはカーペットとこたつがおいてあり、「土足厳禁」と書いたコピー用紙が置いてある。なんとご丁寧にもこたつの上にはみかんまで乗っていた。
なんというか……ひどく生活感のある部室だ。
先ほどの茶髪の先輩がにやにやしながら他の新入生に話しかけている。
「結構いい部室でしょ? 昼休みとか授業サボるときとかいくらでも来ていいからさ!」
高校生は授業サボるもんなんだなーとぼんやり考えながら、俺はなんとなくこの部室に違和感を覚えていた。
ふと主将が立ち上がって、飲み物の入った紙コップを掲げる。
「じゃあみんな飲み物も渡ったみたいなんで、歓迎会始めます! カンパーイ!」
かんぱーい……! と、あたりに乗りきらない声が漂う。特に何か催しが決まっているわけでも無いようで、みなめいめいに歓談している。
新入生よりも上級生の方が人数が多いので、余った上級生はテレビのスイッチを入れてゲームを始めていた。
俺は渡された紙コップの中のぬるいオレンジジュースを一口飲んだ。じわりと広がる甘ったるい味をかみしめていると、先ほどの茶髪の先輩が話しかけてきた。
「利根君だっけ? どうよ野球部は。割とこんな感じでいつもだらだら部室にいるからさー。ゲームとかもやり放題だし。利根君はどんなゲームやんの?」
俺はさっきから感じていたすっきりしない気持ちを解消するために、先輩の質問に質問で返した。
「あ、あの……先輩。野球部って、練習とかはどんな感じでやってるんですか?」
俺の質問に、楽しそうに話していた先輩の口が閉じる。先輩は少しの間気まずそうにして、それから口を開いた。
「あー……えっとね。練習は……やってるよ? ただ、うちって人数少ないじゃん。もともとうちの高校って男子少ないしさ」
先輩は少し声のトーンを落としつつも、全体的に楽しそうなオーラは消さないまましゃべり続ける。
「だから……練習しようと思っても、まず人数集まらないんだよねー。一応うちって進学校だから補習とかも結構あるしさ。紅白戦もできないようじゃ、やっぱりつまらないでしょ」
「そう……すか。じゃあ対外試合とかは……」
「……助っ人呼ばないと人数足りないことが多いからさ。うちの学校じゃ助っ人もろくに集まらないし。だからまあ……」
先輩はそこで一回言葉を切ると、言いにくそうに次のせりふをつなげた。
「基本的な活動は、この部室で野球について語りあって、時々キャッチボールやるくらいの感じかな」
ある程度予想はついていた事実が俺の耳に届く。
別に甲子園を目指すために高校に入ったわけじゃない。ただ野球部があるなら入ってもいいかと思っていた。
その程度の意志だったはずなのに、思ったよりも落胆している自分に少しだけ驚いた。
一生懸命やってない部活って、こんなにかっこ悪かったっけ。
そんな台詞が頭に浮かんだ。
その後は先輩が発する野球に対する後ろ向きな言葉が、右耳から入っては左耳に抜けていった。何か適当に相槌を打っていた気もするが、あんまり覚えていない。
「何をまじめな話をしてんだ! 利根君だっけ? お前もこっち来てゲームやろうぜ! 知ってんだろ? スマブラくらいさー」
急に会話に主将が割って入ってくる。俺は無理矢理靴を脱がされてカーペットの上に上げられる。
「俺カービィ使いだからカービィはダメな!」
心底楽しそうな主将の操るカービィに、俺のピカチュウはぼこぼこにやられた。このゲームは好きだし、大勢でやると本当に面白い。
だけど俺の心のどこかには、しこりが残ったままだった。
「またいつでもゲームしにこいよー」
と言いながら満足そうに手を振る主将を背にしながら、俺は家路についた。
楽しかった。うん。楽しかった。そう心に言い聞かせつつもやはり消えない違和感はどこから来ているのか。
俺の中で野球部と天秤にかけられているものはいったい何なのか。
本当はそんなことはもう全部わかっているのに、俺はそれを認めたくなくて全く別のことを考える。
『あの部は主将をゲームの腕で決めている。そうにちがいない』
考えれば考えるほど、本当はそんなことを考えたいわけではないことが余計に実感出来るだけだった。
帰宅した後も、どうにも上の空だった。
布団に入ってからも色々と考えてしまい寝付けない。どうにか眠りに落ちたのは、多分午前4時過ぎだったと思う。
そんな晩を経て、俺は次の日の朝を迎えた。
明らかに睡眠が足りておらず、まぶたはシャッターのように重い。
なんとなく気分が悪いのは、睡眠不足のせいなのか、それとも精神的な問題なのか分からなかった。
幸い二日連続で原付にはねられるようなこともなく、きれいな体のまま学校にたどり着いた俺は、寝る以外なにもやることのない授業中にひたすら考え込んだ。
当然ながら議題は部活動についてである。
中学での経験もあるし、好きでも嫌いでもない野球を高校でもだらだらやれればそれでいいと思っていた。
思っていた、はずなのだが。




