疑われて、お可哀想に。
2023-11-17
日間183位ありがとうございます。
短編に絞ったら週間の方も入ってました。嬉しい〜
2025-06-16
他作品の芋づる式だと思うのですが、閲覧ありがとうございます!ランキング入ってました!
2年経ってから伸びるとかそんな事もあるんですね。
「いいか、貴様のような悪女であっても公爵閣下を無下にはできないという陛下のご厚情が理由でこの婚姻は結ばれた。だから私たちの間に子は儲けず、他の貴族家から養子をとる。まあ兄上がいるのでさほど問題ではないな。それから君はあくまでも監視のためにここにいる。努々忘れるな」
そう冷淡に告げた男はエルフィン侯爵家の次男のアイザックで、来月にも辺境伯になることが決まっていた。
彼の兄が侯爵家を継ぎ、飛び地である辺境は代々次男や三男に継承される。文武両道を謳う侯爵家ではあるが、アイザックはどちらかというと武に優れた男であったし、国境を守る辺境領の軍の将校としての役割を期待されていた。
さて、輿入れしてきた彼女が誰かというと筆頭公爵家の長女であるハリエットである。本来は次期王太子の予定であるアーサーの婚約者だったが、その“友人”であったエリィ・マクミラン伯爵令嬢と揉めてその立場を追われた。芝居がかった断罪劇があったがそれはこの際置いておく。
大切なのは「人間関係で信用を失った高貴な女性を辺境伯が引き取って結婚した」……この一点であった。
そう、そうだった、はずだったのだ。
◆◆◆
「此度の件は、マクミラン伯爵家子息であるデイヴィットを筆頭に、当時の公爵令嬢ハリエット及び王子アーサーたちの行動に勇気ある証言をした者たちからの再調査の嘆願である」
文官が訥々と当時の罪状や断罪劇の有様を説明し、読み上げる。
それを聞いた「証言した者たち」、男も女も関係なくだれもが悔しそうに歯噛みして、涙を流し、拳を握りしめて震えていた。
アイザックには誰しも見覚えがあった。ハリエットよりもいくらか年長である自分は関わりのあるのは彼彼女の兄姉であったりするけれど、直接話したことがなかったとしても貴族家のこどもたちだ。いずれ仕事で世話になる相手もいるだろう。誰しも、見たことのある顔ぶればかり。
「エリィ・マクミランと王子アーサーに関して、再調査をいたしました」
当時の共通認識としてはこうだ。王子の“友人”となった伯爵令嬢に嫉妬などという言葉では済まない行いをしたとハリエットが糾弾された。その悪逆非道な行いのひとつひとつをつまびらかにされ、彼女は王子に婚約破棄を告げられたのだ。
この時点で王子が“友人”と言っていたのをもしかして、と思ったものはいたかもしれない。距離が近いだとか理由は様々あるがはたから見てお手付きなのではと思わせるだけの親しさがあったからである。
とはいえ王子はこの婚約破棄の場で特にエリィを愛しているだのなんだのは言わなかった。さすがに大衆小説のロマンスのようにはいかないものだと噂になっていたのも覚えている。
「先に結論から申し上げます。王子アーサーを含む当時、ハリエット嬢に対立した五名全員の告発内容はすべて虚偽のものであったと認められました。これにより王子は王位継承権を剥奪され謹慎となります。その後の処分に関しては現在審議中です。貴族家関係者の者は各家から追って通達がありますが、王家からは賠償命令として一部領地の返上及び貴族籍の降格などを予定しております。この件の主犯であったエリィ・マクミランに関しては貴族籍を剥奪しマクミラン家からは除籍。顔と喉を焼いたのち、北の流刑地に移送が決まりました」
顔と喉を焼いて流刑。それは死刑とほぼ同等の最も重い刑罰のひとつである。アイザックは背中に嫌な汗が流れていくのを感じた。どういうことだ、自分の結婚したあの女は、断罪され悪女と呼ばれたあの女性は、まさか本当に冤罪だったというのだろうか。
「証言した者たち」のほうからさめざめとした声が聞こえる。ささやくような小さな声だ。そのどれもが「ハリエット様、こんなになるまで」「長いことお一人で抱えてらして」「疑われて、お可哀想に」とハリエットの冤罪に泣いていた。
そうだ、彼女が辺境に輿入れという名の追放でやってきたのはもう3年も前のことだ。3年間、彼女は「悪女」の汚名を着せられたまま、あの辺境に押し込められていたのだ。
思えば不思議だった。婚約者を失ったとはいえ、アーサーの立太子の儀が行われる様子がまるでなかったことが。文官の当時の虚偽とやらを聞きながら納得する。この3年間ずっと彼らは監視され、調査されていたのだ。この証言者たちの必死の嘆願によって。
立証までに3年もかかるような内容らしく、複雑で悪辣な手口には吐き気を催した。その立案のほとんどがエリィ・マクミランであったこともほかの関係者たちが乗ったことも、追随するようにより最悪の手段を提案したことも細かく明らかにされていく。
彼女は嵌められたのだ。純然たる悪意によって。
その高貴な立ち位置を、追いやられた。
「王子アーサーはエリィ・マクミランとの不義密通を黙秘しておりましたが先日自供がありました。また彼女はほかの男性とも関係を持っており、高額な金銭と引き換えに何度か堕胎を」
うっ、と子女たちが口を押さえる。当然だ。貴族の女性として聞くに堪えない現実がいま説明されている。それでも手を握り合って、肩を支え、彼女たちは前を見た。誰もがぼそぼそと「ハリエット様」「ハリエット様に比べれば」などと口にして。
「よってハリエット・フォン・ロートリンゲンの罪は全くの冤罪であったことをここに証明いたします」
わっ、とその場が沸いた。立ち並んでいた貴族たちは呆然とそれを聞いていたし、国王陛下に一番近いところに立っていたロートリンゲン公爵はいつもの鉄仮面を崩してうつむいているようだった。
娘の無実が証明されたのだ。当然だろう。
他人事のように聞いていたが急に実感が波のように押し寄せた。自分はどうなるのだろう。彼女と結婚したとはいえ、特に虐げるような真似はしていないけれど命令もあったために白い結婚である。つまり無実が証明された今、彼女は自分と離縁する権利を与えられたといっても過言ではなかった。
再度背中に悪寒が走る。まずい。まずい。まずい!!
「では本日はこれにて閉会いたします」
文官の言葉が言い終わるや否やアイザックは部屋を飛び出した。
ハリエットが一人残されたタウンハウスへ戻るためである。
◇◇◇
「ハリエット!」
使用人たちがいるはずだ、本当の意味で一人だったわけではない。おかえりなさいませ、という言葉もそこそこに手近なドアを開けていく。けれどもアイザックは今たまらなく不安だった。ハリエットが無実だとするといろいろ事情が変わってくるからだ。
「おいハリエットはどこだ」
「お嬢様でしたらお二階のご自室かと思いますが……」
彼女は自分の使用人を連れてこなかった。だからこの家にいるのは全員エルフィン家の使用人だ。私が妻と認めない、監視であることを常々言っていたからか使用人たちはハリエットを「奥様」ではなく「お嬢様」と呼んでいた。
ハリエットはそれに異を唱えなかったし、素直にそう呼ばれて返事をしていた。
「ハリエット! どこだ!」
「ひっ、だ、旦那様……」
「レベッカ、ハリエットはどこに行った?」
「お、お嬢様は、奥のお部屋でお休みになられています。だ、だれも通さないようにと言われております」
「緊急事態だ、どけ」
「ど、どきません、お嬢様の……ハリエットお嬢様のご命令です……!」
「雇い主はこの私だ! いいからどかないか!」
メイドを突き飛ばして二間続きの奥の部屋に入る。彼女とアイザックはずっと部屋が別だった。辺境伯でも、そこから出る必要があった場合も。王都に一緒に来たのは結婚後は初めてだったがいつものように部屋を別にした。なんの違和感もないまま。
「ハリエット、話が」
ごつ、と足元にかたいものを蹴った感覚があり下を見る。彼女の部屋には似つかわしくない無骨な短剣が、血にまみれて落ちていた。
「なっ、こ、これは」
思わず拾い上げベッドの上を見る。大人が5人は寝れそうな上等な広さの絹の上で腹から血をあふれさせたハリエットがかひゅー、かひゅー、と空気の抜けるような音で弱弱しい呼吸をしていた。
「だ、旦那様、……ひいっ! いやああああ! ハリエットさまああああ! だれかあ! 誰かきてえ! ハリエット様が殺されるううぅ!」
◆◆◆
最初は全員が困惑していた。なんせ「悪女」である。しかも王族に並び立つほどの高貴な身分だった令嬢だ。何人かは下級貴族の出身とはいえ貧乏・斜陽である家の三女とか四男とかで使用人をやっているのがほとんどの中、筆頭公爵家のご令嬢なんて雲の上とか御簾の向こうのおいそれと「人」だなんて呼べないような存在だったのである。
まず雇い主が言っていた。白い結婚であること、引き取って監視という意味合いが強いこと。陛下のご温情であること。これを受け入れたのは公爵家とのつながりのためであるから結婚してしまえばもうこちらのものだとも。
たしかにアイザックはハリエットに何もしなかった。文字通り何も。虐げることはなかったけれど、彼女と話すことも気遣うこともなく、彼女の生活も顧みず、独身の時と変わらず軍の中に身を置いてめったに帰ってこなかった。
そうなると彼女はいろいろ困るはず、というのは使用人たちでもわかる。家を取り仕切るとか金勘定とかそういうのは一応執事長がやっていたけれど本来は「奥様」の仕事になるものだ。けれど彼女は自分は妻ではないらしい、と弱弱しく笑っていた。そのとき誰もがこの人は本当に悪い人なのだろうか? と疑ったのだ。
旦那様はこんなふうに奥様と話したことはない。輿入れの日、一方的に言いたいことを言ってまた砦のほうに行ってしまった。
「簡単な商売でもしようかしら」
穀潰しではいられないもの、とほほ笑んだ彼女は出入りの使用人に相談して自分の刺繡やレース編みを委託するようになった。一人で手作業でやるものだから収益なんて微々たるものだったけど、それでもどうやらしばらく続けたら固定の客が付いたと商人が言っていた。
たまにしか仕入れられなくて、なんて言っていたようだが辺境領の住民たちはその美しい刺繍などに心を奪われたようだった。
そうして稼いだわずかな金を、ハリエットがなにに使ったかというと使用人への還元であった。もちろん給料はエルフィン家から発生しているがそういうのではなく、例えばすこしいい果物を買ってみんなで食べようだとか、庶民ではためらう金額の軟膏を惜しげもなく使ってくれるとか、そういうものだ。
「さあ、今日のみんなの食事にはブドウをつけましょう。1人3粒程度でごめんなさいね」
「まあ、手を怪我したの。洗い物はしばらく誰かと代わったほうが良いわ。この薬はよく効くからすぐ治るわよ」
彼女が罪人なわけはない。
よしんばその罪が本物であったとしても、悪女だと言われ続けるほどひどい人間であろうか。そんなはずはない。音に聞く悪逆非道を、この女性ができるはずがない。ハリエットお嬢様の人生をどうにかするほどの罪だったと本当にそういうのだろうか。
3年という日々の中で使用人たちはすっかりハリエットと仲良くなったが、案の定アイザックは帰ってこない。やれ訓練だ、やれ遠征だと辺境伯だか前線の軍人だかわからない有様であった。
だからどうにか主人に帰ってきてもらえないか、と使用人たちが思案してもハリエットはそれをやんわりたしなめた。お国のために国境を守っておられるの、悪女と過ごすにはもったいない方だわ、と。
そうして仲良くなった彼らは、最初戸惑いがちであった「お嬢様」という呼び方もまるで愛称のように親しみを込めて使い続けた。帰ってこない雇い主へのほんのささやかな反抗心も込めて。
加えてアイザックには愛人がいることを全員が知っていた。本邸には戻ってこなくてもはなれに戻ってくることはあったし、そこに女がいるのも何度もあった。
女は三人か四人いて、毎回同じではなかったがそのうちの一人が特に親しかったようだ。
ハリエットは「お国のために」なんて言っているけれど、この主人の女癖の悪さは目に余るものがある。そもそも彼が辺境に追いやられたのだって、武に秀でているついでにこの女癖を侯爵が懸念したからだったのだ。
だれしも悔しかった。ハリエットを侮られていることが。それとなく伝えてみてもアイザックは聞く耳を持たなかった。
そんな日々が3年続いた。
その彼女が、過去の罪に関連して王都に呼び出された。
それだけでも不安だった。なのに、まさか、腹を切られるなんてことが。
◆◆◆
そう証言した使用人たちは一様にさめざめと泣いた。あの日の証人たちと同じように「ハリエットお嬢様」「痛かったでしょうね」「お可哀想に」と。
文官は記録をしたためながら、命に別条がなくてよかったですね、と月並みな言葉しかかけることができなかった。
怒涛の2日間でハリエット・フォン・ロートリンゲンという女性の噂と評価が一転した。当初は王子とエリィがまるでシンデレラのように語られて、ハリエットはそれを邪魔し、引き裂く魔女もかくやという存在で断罪された後もいわれのない誹謗中傷が王都に流布していた。
陛下のご厚情というのは、嘆願によって調査が再開されたために完全に悪であると断じることが出来なくなった彼女を王都から遠ざける目的もあったようである。結婚させたのも王命で監視、というふうに伝えればなにをどうとらえたのか辺境伯は悪女の収監というように考えていたようである。
「結果としてあなたがたの雇い主が犯人ではありませんでしたから」
「ええ、はい、それは本当にもう。取り乱して恥ずかしいですし、旦那様にどうお詫びしたらいいか」
「レベッカのせいじゃないよ」
「そうですよ」
下手人の正体はアイザックの愛人の一人だった。懇意にしていたいつもの娘ではないが、まあ複数のうちの一人である。都合よく連れてこれるのがたまたまその娘だったのではないか、と執事の一人は言った。
タウンハウスの、ハリエットから一番遠い部屋ではあったもののまさか女を連れ込んでいたなんて誰が想像しうるだろう。
状況を分かっていた使用人たちはハリエットの警護を固めてひとりにならないよう注意したし、そもそも愛人がいるのだということもあらかじめ伝えていた。
ハリエットは申し訳ないと謝罪しながら、「追い出さなくていいのよ、そんなことをしたらお二人がお可哀想でしょう」なんて言ってそれさえも許してしまったのだ。
が、不測の事態は起こりうるものだ。なるべくしてなったとしか言いようがなかった。その短剣は宝飾品もついていて、アイザックが女へ贈ったもののひとつだった。鞘は、愛人を滞在させていた部屋から出てきたそうだ。
「でも本当によかった、ハリエット様御無事で」
「でももう帰ってきてはくださらないわね、きっと離縁なさるわ」
「あーあ、寂しいな。ハリエット様にずっと奥様でいてほしかったのに」
心底残念そうに言う彼らを見て文官は思った。
本当に、ハリエット様は疑われてお可哀想だったのだ、と。
◇◇◇
「傷の具合はもういいのか」
「ええ、なんともありませんわ。ありがとうお父様」
王都の自宅……生家であるロートリンゲン邸に運び込まれたハリエットは自室のベッドの上で優雅にほほ笑んだ。彼女の腹にはほんの少し、爪でひっかいたような傷があるばかりだ。
「それにしてもよくもまああんな大芝居、ばれないかとひやひやした」
「そんなわけないじゃありませんか、だって私たちにはお芝居でも彼女たちは本心から必死なんですもの」
ハリエットは善人に見えるし実際その行いは善人であるが、会話術には昔から長けていた。
だから別に彼女が直接的に望まなかったとしても周囲が彼女の言葉を曲解してそうだと信じればそれはその中では真実であったし、正義感の強い者たちは頼まれなくたって行動したのだ。
今回の「証言した者たち」もそういう人間たちだったというだけ。
「腸が煮え返る思いでしたわ、伯爵家の娘風情が殿下の唯一であるなんて」
だから彼女は会話の端々で願い続けた。「あの子は可哀想なのね」「私からなにかを言うなんてできないわ」
それを聞いた彼女の“信者”たちがどうするかは明白だった。当然のようにエリィは怪我をしたしひどい目にあった。それは本当だったのだ。
「それを受けて殿下たちが調査に乗り出したときも、ご助力して差し上げるようにいろんな方にお話ししましたの」
それをどういう意味で彼らが受け取ったかまでは知らない、とハリエットはほほ笑んだ。まさか自分たちの「協力」でハリエットが犯人にされるとは思いもよらなかったようだが結果としてそれは「王子たちが偽証をした」という方向にケリがついた。
「デイヴィットにだって私から特にどうこう言ってませんの。あそこの家は男女問わず長子に継がれる財産があるでしょう。エリィの学校での立場を考えると…ってこぼしただけですわ」
マクミランはエリィの実弟だがあそこの家は家庭環境が少々複雑で二人は非常に険悪だった。血のつながった姉弟であるにも関わらずデイヴィットはエリィがいなくなればいいとずっと思っていたらしい。
ハリエットがそれを知ったのは偶然だった。仕込みではない、本当の意味で偶然だった。だからこそ本心で言ったのだ。「姉が王家に嫁ぐにしろ愛妾になるにしろ、デイヴィットの手元には何も残らないのだ」と。
正直言って伯爵家の娘が正妃になるのは無理ではないがとても難しい。ハリエット一人蹴落としたとてより高貴な身分の娘がほかにいるからだ。たとえ年齢がハリエットやエリィより若くても場合によってはそちらを選ぶであろうことは想像に難くない。
そうなったとき、伯爵家はどうなるか。
いろいろ天秤にかけた末、姉を貶めることを決めたのはデイヴィットである。
「それにね、べつに私殿下たちにご友人とのことをお勧めしてませんわ。理解を示せる、受け入れて差し上げることも私はできる、と言っただけ」
不義密通の話のそれである。正妃になったらそういうこともあるかもしれない、と王妃に言い含められていた。実際現国王の若いころ、王妃は火遊びに散々悩まされたそうである。浮気は遺伝ではないけれど、と王妃は困ったような顔をしていた。義娘になる少女にこんなこと言うなんて、といろいろ恥じていたようである。心優しい王妃だけが本当の被害者ではないのかとハリエットは思った。
「結婚は想定外でしたけれど悪くなかったですわ。それに閣下に恋人がいるのだって知ってましたよ。ですが高貴な身分でお国を守っている方なのですから侍らせる女性の2人や3人、いてもおかしくないでしょう?」
愛人の存在を知ってなお、彼女は使用人たちに特にどうこうしろと言わず、はなれのことも知らぬ存ぜぬで通し続けた。彼らが良かれと思って食事にいろいろ混ぜ物をしたり故意に何かを壊してもハリエットは知らないことになっているのだから、使用人たちはそのあたりをうまくやっていた。
「屋敷のみんなは親切でした。ただ面倒で話さないだけの私を気遣っていろいろ聞かせてくれましたの。閣下のあれこれですとか、辺境軍の事情ですとか。このあたりは私よりお父様に価値があるのではなくて?」
「ああ、そうかもしれん」
「おなかの傷だって、湯あみの際に自分でひっかいただけですわ。それを見た子が誰にどうしたんだって聞いてきたから怒らないでちょうだいね、と言っただけ。あの夜だって、ただすこし具合が悪くて熱があったから湯を入れた革袋を抱えて休んでいただけなのに」
その中の湯に色を付けたのは故意じゃないのか、と言いかけて公爵は口をつぐんだ。わが娘のことながら恐ろしい。普通に聞いてるだけなら、聞いてる側がそんな勘違いするものかと思う。ふざけた話に聞こえるのにどういうわけか娘は昔から人と仲良くなるのも、人に好かれるのも、人に崇拝されるのも、珍しいことではなかった。
世が世なら聖女にでもなってただろうな、と顎鬚を捩じる。儚げな花のような様相の風貌と覇気のない話し方が余計にそうさせるのだろうか。
特異な能力なんかではない。怪しげな占い師たちのそれとも違う。ただなぜかは知らないが、娘は人から特別視されがちである。ただそれだけの話だった。
「そうしたら愛人の方が捕まってしまったわ。閣下が無罪だということがわかってよかったですわね。侯爵家からはお手紙がたくさん来ているようですけれど対応はお父様にお任せしてよろしいの?」
「ああ、お前は外でいろいろと……大変だろう。ゆっくりしなさい」
縁談は結婚していたって死ぬほど来たのだ。縁談というか、入信希望書というか。
抱えの医者もその一人だ。腹の傷を見て狂ったように取り乱したし、特にハリエットが証言することなんかないだろうといってどっさり薬を置いて帰っていった。
「ああ、そうだお父様。辺境伯邸のみんなにお手紙をお送りしたいの。紙とペンが欲しいですわ」
「わかった、あとで手配させる。すこし寝るといい」
「ええ、ふあぁ……。それにしても、ぜんぶぜんぶ不幸な勘違いですのに、私、いろんなことに勘違いだと思うと証言もしましたのに……」
うとうとしながらハリエットが言う。断罪されたときも、それが覆ったという話を聞いたときも、誰かに切られたのではと聞かれたときも彼女はあくまでも「勘違いである」と言っていた。自分がどういう発言、行動をしていたかもきちんと証言したし、したことはした、していないことはしていない、と素直に言い続けた。
が、信仰されるとはそういうものだろうな、と娘の持つひとつの才能に公爵はため息をついた。
「ああ、みなさま……勘違いされて、疑われて、お可哀想に」
教祖の才能、というものがあると断言はできないが。
可愛い娘はそういうものを持って生まれた化け物の一人なのだろうと公爵はそっと部屋を出て行った。
ニュースとか見ていて「なんでカルトにハマっちゃったんですか?」って思ったことないですか。
そういう人間が一定数いるんだそうです。なぜでしょうね。
そんな人のせいで人生が狂ってる人らが大勢いるかもしれないな…そういうの書きたいな…と思って書きました。
正義感は独善性と癒着してるそうなので狂っちゃった人らのそういう気持ち悪いかんじが出ていたらいいなと思います。
お付き合いくださりありがとうございました。