10000人レース ー41
死の表現があります。
ご注意下さい。
細い水が岩肌を蛇が這うように流れていた。
魔素が薄くなり、太陽を呼吸して息を吐く植物の匂いを含んだ風が吹き抜ける。
出口が近い。
4人は入ってきた入口とは違う場所を探して、洞窟から出た。
「夕日の光が眩しいよぅ」
「ほぼ2日間、洞窟にいたものね」
「光が褪せた夕方でよかった。ピカピカの真昼なら目が~目が~ってなっていたかもよ」
「さて、問題はここがどこかってことだ。桐島高校に行くつもりで別の学校付近に近づいていたら危険だ」
「俺が空歩で上にあがって、空中から方角を確認するよ」
「頼む、高広」
朱色の濃い紫陽花色の夕空へ高広が駆けのぼる。
空中で高広は鳥のように油断なく周囲を見回し、すぐに降りてきた。
「祐也、グッドタイミング。水原さんを発見した」
「水原さん? 誰かと一緒だった?」
「いや、一人だったよ。大きな白いシーツみたいなものを持っていた」
祐也は深く眉間に皺を刻んだ。不安か膨らむ。
「水原さんが一人でこんな場所にいるなんて、何かマズイことがあったとしか考えられない。あの責任感の強い清廉な人が、この異常な事態の中で学校から離れるなんて」
「祐也、水原さんの所へ行こうよ。理々、水原さんの妹の夏帆ちゃんとクラスメートで仲良しなの。夏帆ちゃんはお兄さんのこと凄く自慢していて、お兄さんの水原さんも夏帆ちゃんを凄く大事にしていた。こんな殺戮レースの中で、夏帆ちゃんがお兄さんの傍らにいないなんて変だよ。夏帆ちゃんは、世界で一番お兄さんを頼りにしているんだから」
理々の表情は焦燥に駆られている。理々も不安なのだ。
おそらく、確実に桐島高校で何かがあったのだ。
4人は走った。
森の湿った土の匂いが足下からせり上がってくる。剥き出しの太い木の根を踏み、草や落ち葉を踏み、道なき道をひたすら急いだ。
そして。
人の形をした白い布を抱き抱えた、青ざめ、今にも崩れ落ちそうな水原を見つけた。瞬間、祐也には理解できた、その白い布の下にあるものが。
理々にも。
彩乃にも。
高広にも。
その白い布の正体が苦しみと悲しみとともに、気がついてしまった。わかってしまったのだ。その人の形をした白い布が何を包んでいるのか、を。
「あれ、花園君? 公也の弟の花園祐也君だよね?」
水原の顔には感情がなかった。棒立ちになっている4人に向ける眼差しも、ガラスのように無感情だった。その双眸は暗く、底無しの黒い穴みたいな深淵であった。
「こんな場所で会えるなんて。僕は君に礼を言いたかったんだよ、君が高瀬高校の生徒たちを助けてくれたから、壊滅寸前だった桐島高校は高瀬高校の庇護下に入ることができたんだよ。感謝している、ありがとう」
人形のように無表情な水原は、桐島高校の生徒会長の責務としての言葉を綴る。奈落の底から響くみたいな声で。
理々が怒りを失くしたように、水原は感情を無くしてしまっていた。
生きていてよかった、と言ってくれる人もいるだろうが、生き残った者はその喪失と絶望を身に刻み忘れることはできない。
ましてや水原はその手に妹の骸を抱きしめている状態なのだから、なおさらに。
「桐島高校が、壊滅……?」
「他校から幾度も襲撃を受けて、もう桐島高校の生徒は100人残っているかどうか。最初の2日間はみんな混乱していたけれどもマシだった。ちらほらと魔獣を討伐して適応化した生徒やスキルを得た生徒もいて、でもそれが正しいことなのか判断できずにいた。体調不良を訴える生徒も多かったし」
水原は記録を読むみたいに淡々と語る。
「女神が2度目にあらわれた3日目以降が地獄だった。桐島高校は適応化した生徒が少なくて、つまりスキル持ちの生徒が少なくて、単純なことだ、弱かったんだよ。なのに非常用の物品は豊富にある。まさにカモネギだったんだよ、スキル持ち相手に逃げることもできずに情け容赦なく皆、みんな、草を刈るみたいに。学校に張られた結界は魔獣は通さなかったけど、人間の出入りは自由だったからね」
「昨日、高瀬高校が手を差し伸べてくれるまでに900人が、900人が、殺された。学校から逃げ出せた者も少数はいるが、900人が無慈悲に殺されたんだ」
「僕の妹も」
理々は胸を押さえて、背中を丸めた。息が苦しい。喉が痛い。夏帆ちゃん、とポツリと雨が一粒降るように声が落ちた。夏帆ちゃん、夏帆ちゃん、と大粒の零れる涙とともに理々が繰り返す。
祐也が震える理々を抱きしめた。
「非常用備蓄倉庫は2ヶ所略奪されたが、クラブ棟の倉庫は単なるクラブ室と勘違いされたらしく無傷だった。それを丸ごと高瀬高校に差し出して、生き残った100人を保護してもらえたんだよ。高瀬高校は他校のように、略奪なんてしなかった。奪おうと思えば簡単なのに、僕たちを救ってくれた。それもこれも祐也君たちのおかげだ」
水原は、祐也たちに頭を下げると踵を返して立ち去ろうとした。もう生徒会長としての仕事は終わりとばかりに。
「水原さん。待って下さい、何処へ行かれるのですか」
「何処かへ。静かな場所へ。僕の妹は酷いめにあって、なぶられて、命を奪われたんだよ。僕は頭を鈍器で殴られて、血がたくさん出たから死んだと思われたんだろうね。妹は、夏帆は「お兄ちゃん」と叫んでいたのに、僕は意識を失なってしまって。気がついた時には、夏帆は、惨たらしい姿で、抵抗したのだろう、手足も潰されていて。夏帆は「お兄ちゃん」と僕を必死で呼んだのに、僕は、僕は、夏帆を助けることができなかった」
「夏帆だけじゃない。900人の生徒たちを、僕は救えなかった」
後悔と名づけることすらできないほどの絶望に水原は染まっていた。
スキルの有り無しという圧倒的な力の差に、個人の力しか持たない水原に何ができたというのだろう。話し合いを放棄して、殺すために襲いかかってきている相手に。
祐也が初日に、数の力を恐れたように。
水原は力の差を天災のようにぶつけられて、弱さを罪とされたのである。
「日本でも、厳しい人や強い人に逆らう人は少なかった。でも、優しい人や愛情深い人の方を傷つける人はそれなりにいた。優しいから慈しみの心がある人だから、許してもらえると思うのかな。弱い相手に対しても。踏みつけても反抗できないと、自分の方が立場が上だと陶酔して驕り、見下しても反撃されないと。ここは力のない者は、力がないという理由で軽視されて貶められる世界なんだ」
水原の声は何かの箍が外れてしまい、血を吐くような色を纏っていた。
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