10000人レース ー31
残酷な描写があります。
ご注意下さい。
喘ぐ呼吸音が聞こえた。
それは自分のものなのか、祐也か高広か彩乃のものなのか、理々には判断できなかった。
最初に見たのは、折られた枝が落ちきれず逆さに吊り下がっているような腕の折られた男子生徒だった。その生徒だけではない。手足がよじれた生徒もいれば胸から背中へと大きな穴の空いた生徒も焼け爛れて這いつくばる生徒もいる。
多数の生徒が、男子も女子も血まみれで倒れていた。そして倒れている生徒たちに躊躇もなく咀嚼するように襲いかかる生徒たち。
血が、木々を染めて真っ赤な花を咲かせて。大地を震わす打楽器のように苦痛の叫びが乱反射していた。
「……どうなっているんだ!? ためらいもなく殺しにいっているぞ。人間相手にだぞ、魔獣ではなく!」
高広が恐怖ではなく不安で顔を強張らせる。
「数日前までは普通の高校生だったんだ。なのに! たった5日で、いや、顕著な兆しは女神が再び現れた2日前からか。どうして恐れもなく気後れもなく、人間の命を奪えるように誰も彼もがなっているんだよ!?」
4人は空中にいた。
祐也が透明な板のように風壁で足場を固定した上に、祐也は理々を、高広は彩乃を抱き上げて立っていたが、4人ともに慄き青ざめている。肌が粟立つ。背に冷たい汗が滲む。口からは苦鳴のような息がもれた。
眼下には、かつては非日常であったものであり今は日常となってしまった、血の匂いが満ちた光景がひろがっていた。
「人を殺してはいけない、という法律はない。人を殺せば罰する法律があるだけだ。その法律さえもなくなったからと言って、これほど急速に無法地帯となるものなのか?」
低く唸る獣のような声で祐也が言葉を継ぐ。
「精神耐性のせいか? みるみる能力が上がって、もっともっとと麻薬みたいに力の万能感に取り憑かれたのか? 命を軽くあつかうゲーム感覚なのか?」
確かに悪気のない悪意はどこにでもあって、それは容易く傾きやすいものだが、しかし、と祐也は思案した。
昨日までは使うことができなかった魔法が今日は使えるようになり、スキルによって瞬時に3メートルもジャンプできるようになり、今までの自分とは違う自分になって。責任感も信念も悪気すら曖昧な高校生に、この急激なレベルアップによって変化する自分に酔うな、と言う方が無理があるのかも知れない。
欲求解消や自己保身や現実逃避が入り交じり、ましてや根底に、死にたくない、という強い思いがあるのならば、なおさらに。
そして法律や道徳のない世界に台頭するものは、たいていは純粋な力である。自分は正しいと思うことは大事だが、自分だけが正しいと思う心は危険性か高い。
「高広、祐也、理々、お願い……お願いがあるの」
彩乃が、顔を真っ青にして声を震わす。
「助けたい人がいるの。私たちだって命の危険があるこんな時に甘いことを、偽善を言っているってわかっているけど、私が通う塾の仲良しの友達があそこに」
彩乃の視線の先には、紺色のジャケットに地球儀のスクールエンブレムをつけた30人ほどの集団がいた。
現在、団体戦1位の高瀬高校の生徒たちだった。
個人戦は名前の表示はなくポイントと顔だけだが、団体戦は学校名とポイントと制服やスクールエンブレムが表示されていた。
「あっ、あの子!」
高広も声をあげる。
「俺からも頼む。あの子は以前、彩乃が同じ塾の男子生徒たちに絡まれていたところを先生に知らせて救ってくれたんだ」
高瀬高校の生徒たちは、70人以上の他高校の男子生徒たちに囲まれて、必死に善戦をしているがすでに半数は負傷をしている状態だった。が、とびぬけて能力の高い生徒が2人いて戦線を維持している。とは言え多勢に無勢。高瀬高校が崩れるのは時間の問題であった。
祐也は、辺りいったいに視線を走らせて口元だけで笑った。コンマ1秒。祐也は脳内で戦闘の流れを展開する──観察、分析、記憶、予測──場面の上下左右を想像して目を細めた。
「助けよう。魔力を濃厚にして風壁を張り巡らせば、10分か上手くいけば20分は高レベルの攻撃を完璧に防げるだろう。その間に彩乃は治癒を。高広は彩乃の護衛を。助けに入っても高瀬高校の生徒から背後から斬られる可能性もある、油断はできない。念のため理々は魔衣の結界を僕たちにかけてくれ」
ゾリリ、とヤスリをかけるみたいに不敵に笑う祐也に、理々が頷いて3人に手をかざす。
「魔衣結界!」
「ありがとう、祐也、理々」
「サンキュー、祐也、理々」
「お礼なんか不要だよ。助けられそうだから助けるだけだ。だが、僕たちの顔を見て周りから人が集まるだろう。空中に逃げても僕の風壁は10メートルが限界だ、足場も側面も風壁で囲って防ぐにしても、魔法も矢も届く範囲だから逃走ルートを考えないと」
理々が、はい、と手をあげた。
「精密探査で、東に魔素がとっても濃い場所があるの。一般的なレベルやスキルでは近寄れないような。理々たちは、環境適応とか魔力制御とか状態異常の耐性とか色々あるから大丈夫だと思うの。そこはどうかな?」
祐也が、高広と彩乃に眼差しを向ける。
「賛成」
「行こう」
と、高広と彩乃が声を揃えて応えた。
「よし、では高瀬高校の生徒たちを助けよう」
ブワリ、と祐也から高密度の魔力が溢れた。周囲の空気が息苦しさを覚えるほどに一変する。
感知能力のある者たちが一斉に空を仰ぐ。驚愕に目を見開いた。
「空中に人がいるッ!」
「あの顔は個人戦1位だッ!」
高瀬高校の生徒たちも、高瀬高校の生徒を襲撃していた男子生徒たちも、祐也たち4人を見た。
魔法や槍や矢が次々と4人へと飛んでくるが祐也の風壁は強固だ。全てを弾き返す。太古の巨大な羊歯植物のように祐也の魔力を纏って風が渦巻き、ビョオオォオォと唸り牙を剥く。
祐也は片手に理々を愛おしげに大事に抱き、残る片手を空気を裂くように大きく振った。
「風壁!!」
読んで下さりありがとうございました。