10000人レース ー2
泣き声がきこえた。
誰かが、こらえきれなかったのだろう。
何人の生徒が今の女神の話を現実のものとして理解しているのだろうか? だが、時間がたてばたつほど女神の言葉が浸透して、ガン細胞のようにドンドン増殖していくことになる。その時、身も心もアクセルが踏まれたままの状態でなすすべもなくジェットコースターのように高所から落ちるのか。それとも自分でブレーキを踏んで、状況判断ができるのか。
今はまだ呆然と床にうずくまっている生徒が多い。
立っている生徒は少数で、その少数の生徒のなかに4人はいた。
「よし。まず準備だ」
4人はかたまって走り出した。
強制転移の衝撃で窓の多くが割れてガラスが散乱していた。ロッカーや備品も倒れていて、まっすぐに進みづらい。
「生徒会室に行くぞ」
祐也の兄の公也は副会長で祐也は有能さ故に、しょっちゅう兄の手伝いに駆り出されていた。
「クラブ室や特別室の鍵があるんだ。高広と彩乃は、クラブ室に行ってくれ。野球部からバット、調理部から包丁、園芸部からシャベルと猫車を。僕たちは、災害備蓄庫から必要なものをとってくる」
毎日ランニングしている祐也は、走っていても息をきらせず声を続ける。ここまで来る間に生徒の姿はあった。だが、教師──大人の姿がなかった。祐也の中でさらに危険度があがり警鐘がなっていた。それは頼る相手がいないことを意味すると同時に、抑止力の消失をも物語っていた。
「今は皆、混乱している。この機に乗じてこっそり出よう。30分後に北門で集合それでいいか?」
鍵を分け祐也は理々の手をひき倉庫へ。
高広と彩乃は、並んでクラブ室に向かって駆け出した。
高広の足は速いが、彩乃も運動神経がバツグンによい。彩乃は頭もよく、祐也に次ぐ学年2位の成績を維持していた。その姿は白百合のようで、長い黒髪が美しく、市の半分を所有する大地主の末娘として高嶺の花と羨望されていた。
廊下には、うろたえて走り回る生徒や怒鳴りあう生徒、茫然と立ち尽くす生徒、泣いてお互いに抱きあう女生徒、まだ倒れたままの生徒にすがりついている者もいた。
そのなかを高広と彩乃はひたすら走った。
極まれだが、「異世界!やったぁ!」とはしゃぐ生徒や、「ステータス、出ない。ステータスオープン、出ない。メニュー、出ない……」とブツブツ繰り返している生徒もいた。
「ステータス」
走りながら高広も言ってみる。横にいる彩乃が首をふった。
「私も頭のなかでしたけど、何もなかった。女神の言うスキル? とか能力が上がったかんじもないし。体も確認したけど、たぶん変化はしてないと思うわ」
「女神のウソ?」
「わからない。でも、これだけ大規模なことをしてウソなんて。私たちをガッカリさせて笑う愉快犯の可能性もあるけど、私は別の方法か、もしくは何らかの条件クリアが必要かも? と思っているの」
「うーん。悩んでも仕方ないや。30分しかないんだから今できることをしよう? あ、ほら、調理部だよ」
体育館の裏側に災害備蓄庫はある。
辺りを見回し人影がないことを確認して、祐也は鍵をあけた。
「理々、左側の棚にリュックがあるから4つとって?」
先日、兄の手伝いで倉庫を整理したばかりの祐也には、どこに何があるのかがわかっていた。
理々は140センチ。顔は極上に可愛い。男子生徒にコッソリと、合法ロリの女神と呼ばれている。その理々が、つま先立ちになり一生懸命に背伸びして棚に手を伸ばす姿は子栗鼠のようで、すごく可愛いかった。いつでもどこでも理々は本当に可愛いすぎる、と祐也は思っている。
「兄さんにこき使われたことが、まさか役にたつなんて」
「公也お兄さん、今日お休みでよかったね」
理々は両親をなくして祐也の家に引き取られていた。3年前だった。一人娘にのこされた遺産をめぐり、親戚が許されざることを。
寸前で祐也が助けたが、その時から理々は祐也にとって、可愛い従妹から守るべき大切な恋人となったのだ。
「公也お兄さんまで、まきこまれていたら……」
やさしい祐也の両親は、子供を全てうしなうことになる。
「昨夜まで元気だった公也お兄さんが急に熱をだして心配したけれど、これって幸運だったね。この前も公也お兄さんが足を止めたと思ったら、塀の陰から猛スピードの車が。公也お兄さん、何かに守られているのかな? ご先祖? 神様? 今日は、本当に感謝しかないね。神様、ありがとうございました」
〈シークレットクエスト「神に感謝を捧げよう」が達成されました。報酬は、魔獣の優先討伐権です〉
機械的な声音が突然ひびいた。
〈また、初シークレットクエストの達成が確認されました。ボーナスとして、最高位スキル幸運レベル1が与えられます。これは、数あるクエストのなかから、女神様イチオシクエストを一番に達成した個体名理々へのご褒美となります〉
理々と祐也は荷造りしていた手を10秒ほど止めた。が、すぐにセッセッと手を再起動させた。
びっくりはしたが、今は時間がない。
祐也は段ボールから災害セットや救急セットを取り出した。
「理々。体は、大丈夫か? 何か、かわったことはあるか?」
「わからないけど、どこも痛くないし、うん、大丈夫だと思う。祐也にも今の声、聞こえたよね?」
理々はリュックにジャージや下着を4人分つめる。
「幸運だって」
「聞こえた。魔獣の優先討伐権はすごいぞ。あっ、理々。これもリュックに入れて?」
ペットボトルの水を渡しながら、祐也は予測が当たったことを冷静に判断して、深く、鋭く心に刻む。理々は台風の目になったかもしれない、と。
「やっぱり、クエストはあったな。女神の言葉通りゲームみたいな世界だ。だけど現実だ。理々、絶対に離さないから、理々も俺から離れてはダメだぞ。よし、食糧もいれたな? 行こうか」
理々はリュックを背に、祐也は残り3つのリュックを持って立ちあがった。