10000人レース ー1 1日目
カウントダウンは始まっていた。
人間は誰も知らなかったが……。
いつもと同じ朝だった。澄んだ空気も、風に揺れる葉音も、空から温かく降ってくる太陽の光も。
いつもと同じように4人は駅で落ち合った。二人の少女が楽しそうにおしゃべりをし、その後ろを守るように二人の少年が歩き4人で校門をくぐった。
「宿題はしてきたか?」
と、学年首席にして万能の異名を持つ花園祐也。
「あのね、むずかしかった」
と、祐也の恋人であり従妹でもある花園理々。
「量がな~、多すぎ」
と、スポーツ万能でありケンカも超強い青山高広。
「今度はみんなで一緒にしましょうよ」
と、高広の恋人であり幼なじみでもある水沢彩乃。
4人は同じクラスの高校1年生で、中学の頃、理々と彩乃が友達になり恋人を溺愛してベッタリくっついている祐也と高広も必然的に友達となった。今では4人は親友である。
4人そろって校舎の玄関を入った時だった。
体がグラリと揺れた。次の瞬間、轟音をたてて大地が震えた。
扉が揺れる。
床が揺れる。
身体が揺れる。
世界そのものが揺れる。
ガツン、と体が一度ふっとび鈍器で打ち付けられたかのように地面に音をたてて叩きつけられた。
鼓膜が、ガンガンと鳴った。音が体感できる振動となって耳になだれ込み体を貫く。
ゴッッ! ゴォォッ! ドォォン! その地鳴りは日常が壊れる音だった。
予兆もなく、いきなりの衝撃であった。が、祐也と高広は恋人の名を呼びながら覆い被さり、理々と彩乃も朦朧とする意識のなか必死にしがみついた。
一瞬のような数分のような衝撃がおさまった時、周囲には立っている者はおらず、生徒たちはみんな意識を失っていたり血を流して倒れていたりしていた。
「痛い……」
「恐い……、なに、何が起こったの……?」
「立てない……、誰か助けて……」
生徒たちの苦痛のすすり泣きと呻き声が反響するなかで祐也と高広が最初にしたのは、ひきつる指で床を掻いて身体を起こして理々と彩乃の無事を確かめることだった。
祐也が、小さな理々の体を慎重にさわる。
高広も、彩乃の顔をのぞきこむ。
見る限りお互いに傷はない。
ホッと息を吐いた祐也が、だが、顔色をかえた。
「外が……」
玄関のガラス越しに外が見えた。
「景色がちがう」
学校をかこむコンクリートの塀の外は、住宅地ではなく鬱蒼とした森になっていた。
何より上空には光輝く人の姿があった。
祐也は理々を、高広は彩乃を、腕の中に隠すようにギュッと抱きしめた。皆の視線が光る人に集中する。
美しいとしか言いようがない声が響いた。距離は遠く離れているのに決して大きな声ではなく、まるで目の前で語りかけられているような声だった。
「よくゥ聞いてねェ。一度しかァ、言わないからァ」
その光る人は、軽い、軽い調子で話し出した。
「あたしィ、女神様よォ。日本からァ1校1000人規模の学校を10校ォ転移させたのォ。
でねェ、10000人でレースしちゃってェ。ここはァ、あなたたちの大好きなァ、ゲームみたいな世界よォ。
あたしィ、やさしいからァ、みんなにスキルを1個ずつあげたからねェ。それとォ、こちらの世界の最低限の適応化とォ、狂わないように精神耐性レベル1もあげるわァ。
そォそォ、スキルはねェ、能力の高い子ほどレアスキルになっているからァ楽しみにしてェ。しかもォ、各学校ごとに結界をはってあげているからァ、魔獣が入ってこなくてェ安全よォ
レース期間はァ、10日間よォ。ご褒美もたくさんあるからァ、がんばってェ」
問答無用で言いたいことだけ言って、まるで小さな太陽のように輝いていた人は、フッと消えた。
4人は青ざめて顔をみあわせた。
「どうする?」
高広が祐也に問う。
祐也は顔をしかめながら周囲に視線を1周させた。今、祐也の頭の中は、すごい速さで回転し、分析し、予測しているのだろう。どのような状況下であっても最善手のみを選び続ける祐也の、その判断力のよさは驚異的であることを皆が知っていた。じっと祐也の答えをまつ。
祐也は考えながら、
「──外に出よう」
と言った。
「女神が本物かどうか、これが夢か現実か、そんなものは後で考えればいい。大事なことは、外に森がひろがり、空には大小の太陽が3つあって、たぶん日本ではないということ。そして時間が鍵なこと」
「時間?」
「神、ゲーム、魔獣、ご褒美。狩やクエストを連想させるワードだ。こういうものは早い者勝ちのことが多い。それに僕は人間が怖い。こんな非常事態になった人間が集団でいるんだ。その心理が、何より集団でいる人間による行動が怖い」
外の未知への恐怖よりも経験からくる学校でおこりうる予想のほうが危険度が高い、と祐也は言うのだ。どこにでもいる、どこにでもある悪気のない悪意は、たやすく傾きやすい、と。投げられたボールに幼稚園児が全員で群がるように。右か左か前か後ろか一方に人間は流れやすい、と。
「そうだな。守らないと」
高広は彩乃の頭をやさしく撫でた。高広の危険度の天秤も、学校のほうに重く傾いていた。信念もなく、責任感もなく、悪気すらあいまいな、そんな生徒たちが多数いる学校という船が傾きかけているのだ。無事にたてなおせるのならばいいが、炎上すれば?
「一対一ならば負けない。だが、集団となると……」
一対大多数の場合、圧倒的物量の差は個人でどうにかできる問題ではない。
祐也は理々の手をとった。可愛い大事な恋人を何があっても守る、と3年前に自分に誓ったのだ。
理々と彩乃は美少女だ。ただの美少女ではない、そこにとんでもないという言葉がつくほどの。
二人とも過去に辛い目にあったこともある。未遂ですんでいるのは祐也や高広が必死で守ったからだ。それでも傷はつく。体は無事でも心は傷つく。
だから人間の優しさも怖さも知っている。特に、おもしろおかしく噂を振り撒かれ、罪の意識のない集団となった人間が同じ人間をなぶる怖さを。
理々は祐也の手を握り返し、彩乃は高広の指に自分の指を絡めた。
「行くわ。どこでも、どこまでも」
理々と彩乃にとって祐也と高広の側が一番安全で安心できる場所だった。