狂気
闇が深まった頃。
森では複数の人影が隠れながら移動していた。
「隊長。 そろそろ休憩に入りませんか?」
隊長と呼ばれた男の名はゴルーグ。
大柄な体格をしており、頰には大きな傷が入っている。
彼は背中に大きな剣を担いでおり、これまで幾千もの戦乱を乗り越えてきた屈強な男だった。
「そうだな。 今日はここで野宿にしよう。 ユリアナ姫の監視は交代で行う。 イサラ。他のものにもそう伝えろ」
「わかりました」
イサラと呼ばれた女性は彼の部下に当たる。
今は任務に当たっているので顔をフードで隠しているが明るいところで見るととても美しい女性だ。
美しいだけではない、彼女も彼と一緒でいくつもの戦乱をくぐり抜けてきた猛者だった。
ゴルーグに言われた通り、違う場所に散っている隊員に伝令を伝えに行こうとしたが彼女は動かない。
それどころか美しい顔が険しい顔に変わった。
「…………っ隊長」
彼女の声は固い。
不思議に思ったゴルーグは彼女の方に意識を向けると
「どうし……貴様は!」
彼の表情は険しくなった。
「おや、お久しぶりです」
彼らの目の前に広がっていたのは、怪しく笑っている男が暗闇にひっそりと一人立っており、その周りには倒れた部下の姿だ。
ゴルーグはこの異変に一切気づかけなかった。
気配を全く感じなかったのだ。
「なぜ、貴様がここにいる!」
「なぜって。 駆除ですよ。 姫様に群がる害虫は全て駆除しないといけませんから」
何を当たり前なことをと言うようにニコニコと笑う男は殺気を隠そうとしない。
それどころか、剣の切っ先を彼らにむけた。
「貴様がなぜユリアナ姫に執着しているかは知らないが、我ら……」
ヒュン。
ゴルーグが話している途中で頰スレスレに短剣が横を通り過ぎ、後ろにある木に刺さっていた。
「私の姫様の名前を呼ばないでいただきたい」
ニコニコと笑っていた男が突如真顔になり、殺気を増長させる。
イサラはその殺気のせいでさっきから一歩も動けない。
それどころか立っているのもやっとの状況だ。
ゴルーグも同じだ。
それだけ、男の殺気がものすごく、一歩も動くことを許されない。
しかし、ゴルーグも幾千の戦乱をのり超えた猛者だ。
なんとか声を絞り出す。
「すまなかった。 我らも事情がある」
「二度目はありません」
男はニコニコと笑顔にもどる。
しかし、殺気は消えない。
「さて、姫様が起きてしまう前に終わらせたいのですが」
「まっ待ってくれ! 一つ聞きたいことがある」
「なんですか? 私は忙しいんですよ」
男はため息を吐きながらも笑顔を崩さない。
それが何よりも不気味だとゴルーグは思った。
「なぜ、貴様はそれだけの強さを持ちながら、彼女に執着する? 前はそうではなかった筈だ」
「前からこうですよ。 それに気づかなかったのは貴方です。 隣国の騎士であるゴルーグ殿」
「だがっ」
「もういいですよね」
ニッコリと笑みを浮かべた男は剣を握り直す。
「隊長!!」
イサラが叫ぶ。
しかし、次の瞬間にはイサラは倒れていた。
「え……」
「うるさいですよ」
目を閉じる前に彼女が最後に見たのはニッコリと笑う男だった。
「貴様!」
怒りに染まったゴルーグは男に向かって剣を振るった。
しかし、その件は男に当たる前に崩れ堕ちた。
「ゴルーグ殿。 さようなら」
男の方が早かったのだ。
「さて、姫様の元に早く戻らなければ」
男はもうここには用がないとでもいうように彼らには一度も目を向けることなくその場を後にした。
大きな布にすっぽりと身を包みながら寝ている少女の近くに男が戻ってきた。
「ああ、姫様。 私の姫様。 貴方の害虫は駆除しましたよ」
そう言いながら男は布ごと少女を抱きしめる。
少女は唸ってはいるが起きる様子はない。
それをいいことになおも抱きしめる力を強くする男。
「姫様。 姫様。 姫様。 姫様。 姫様。 姫様。 ああ、姫様。 私の姫様」
少女の匂いを嗅いだり、頰や頭にキスを何度も振り落としていた。
「貴方を傷つけるもの全てから守りましょう」
ガサガサと草むらが揺れる。
「ああ、また害虫が……」
そう言った男は抱きしめるのをやめ、ゆっくりと優しく少女を寝かせた。
そして少女の頭に一度キスを落とした。
「姫様。 待っていてください。 すぐにまた戻って来ますから」
男はそれだけ言うと、すぐに立ち上がり草むらの方に消えた。