Part1
**********
「――この15年前のリムパック襲撃事件を行った勢力を《ドレッドギア》と呼び、その詳細や目的は依然不明ですが、事件以降も太平洋上に数多く出現するようになりました。
これに対して、人類は国家の違いを超えて立ち向かうことを決定したのです。特に海に囲まれた日本は経済的にも大きな打撃が予想されました」
時折吹く強い秋風が、教室の窓を叩く。その音に美奈は気を取られ、窓の外、ほんのり薄暗い空に目を向けた。
別に不真面目な方でも授業がつまらないから身が入らないわけでもない。
しかし今先生が話している出来事は、美奈たち世代にとっては当たり前……否が応でも日常で少なからず目にし耳にし、頭の中にすっかり染み付いている内容だ。
それに加えて、美奈は個人的な事情で同級生たちと比べても人一倍この辺の事情には詳しい自信がある。
「こうした危機的な状況を回避し、リムパック参加国を中心とした経済的な連携とドレッドギアへの対抗を目的とした同盟が組織されます。
……そうですね、それでは新城さん、組織名を答えてください」
「え!? は、はい!」
まるで自分の気持ちを見透かされた気がして、美奈は慌てて先生に目を向けた。
「えっと、《環太平洋同盟》です」
「ええ、正解です」
間違えるはずもないとわかっていながら、美奈は内心胸をなでおろした。
それを知ってか知らずか、先生はよどみ無く言葉を続ける。
「Pacific Rim Allianceの頭文字を取って《PRA》とも略されます」
先生が背後のパネルに流れるように綺麗な文字でその英単語を書き連ねる。
それに連動して美奈たち生徒の手元にあるタブレットに、環太平洋同盟の詳細が表示される。
「結成されたPRAは、ドレッドギアによって事実上の封鎖状態にある太平洋を取り戻し、物資及び各種資源の輸送ルートを開く必要がありました。
各国の協力の下、《環太平洋同盟軍》が結成されドレッドギア掃討作戦が行われます」
画面横に年表が表示される。これも見慣れた物だった。
年表の時系列にあわせて、太平洋の勢力図が変化していく。初めの数年間は大きな成果もなく、よく言えば一進一退。悪く言えば膠着状態だった。
それが5年後には急激に成果が伸び始める。それから約一年ごとに大規模な作戦が展開され、赤く表示されていたドレッドギアに制圧されていた海図が、少しずつ人類の勢力を示す青に塗り換わっていく。
そうして日本近海から東に伸び、ごく細いラインではあるがハワイ諸島を抜け、迂回を重ねながらもアメリカ本土までの道筋ができていた。
「こうして限られた範囲ですが航路が確保され、物資と資源の輸送が再開されます。これによって世界経済は安定を取り戻し、日本も輸出入の復活によって経済危機を免れることができました。
この急速な逆転劇には《ウォーフリート》と呼ばれる―」
その時、教室のドアの開く音が響いた。
「すみません、新城美奈さんはいますか?」
**********
「ごめんなさいね、急な話で」
ため息混じりに後部座席に座る美奈に、助手席側からさっきの訪問者―若い女性だ―が振り返りながら聞いてきた。
「いえ……」
そう答えながら美奈は再びため息が出そうになるのをグッとこらえた。
父の仕事の都合でこういった経験は一度や二度ではない。それでも今回はいくらなんでも急すぎる。
「これから横須賀……ですか」
「ええ、そこからわたし達の艦に乗ってもらって、お父様の待っているロサンゼルスまで向かいます」
長旅だ。早くも美奈の胸にどんよりした暗雲が立ち込めた。
飛行機が自由に世界中を飛び交っていた時代ならいざ知らず。ドレッドギアの航空戦力の脅威に晒される今は海路で向かうしかない。
「あの……『わたし達の艦』って、お二人はその……軍人さんなんですか?」
前の座席に座る二人の女性……さすがに女優やモデルとまでは言わないが、もしこのまま街中にいてもかなり目を引く容姿だ。
美奈の思い描く軍人のイメージとはだいぶかけ離れていた。
「はい、わたしは真木美野里。階級は准尉です」
助手席の女性がこちらを向いたまま答えて微笑んだ。その動きに合わせて、長くて綺麗な黒髪がさらりと流れる。その柔和な顔付きはやはり軍人っぽくない。
「私は鷹野佳代。階級は中尉ね。軍人って言ってもあまり硬くならないで。別に危険なことしてもらうとかじゃないから」
今度は運転席の女性が答え、いかにも愉快とばかりに笑った。
無駄なくらいに明るい……セミロングの髪は金に近い明るい色に、すっきりした顔立ちの美人で美野里とはまた別ベクトルでこちらも軍人ぽくはなかった。
「とりあえずこれから美奈ちゃんの家に寄ってー荷物まとめてきてもらいましょー。あ、時間気にしないで良いからね。必要なものしっかり選んできて」
「中尉、いきなり『ちゃん』付けはちょっと……」
美野里が呆れ顔でたしなめるが、佳代はまったく気にした素振りもない。
「えー、いいじゃないの。特にまっきーはお世話役でもあるんだし。肩肘張ってたら疲れるよー?」
「……まっきー……」
「お願い、忘れて……」
しょげ返っている美野里を見て、さすがに美奈でも『これは乗ってはいけないパターンだ』と直感した。
「じゃ、じゃあわたしは美野里さんに佳代さんって呼びます! わたしのこともちゃん付けでお願いします」
それを聞いて美野里が心底ほっとした表情を浮かべる。
「え? もしかしてまっきーって呼び方いやだった? まっきーずっと我慢してた?」
「いえ……もう中尉はこういう方だってわかってますので良いんです……でも他の人に呼ばれると何というか思ったより刺さるんです……」
その沈痛な様から普段の振り回される様子が垣間見えて、美奈もほんの少し自分の笑顔が引きつるのを感じた。
**********
美奈たちの乗る車がゲートを通過し、いくつかの建物を抜けると急に視界が開けた。
港だ。パノラマのように広がる光景のど真ん中に、それは鎮座していた。
「あれがこれから乗艦してもらう艦―《ゲッコウ》です」
「これが……」
ツヤのない灰色のボディは凹凸が少なく直線的で、美奈の目にそれは縦にした包丁のように映った。
《環太平洋同盟軍》を意味する《PRAF》の文字が船体に大きく描かれている。
その手前に人のようなシルエットが二つ佇んでいる。形こそ人だが、その大きさは10数メートルはある。
「あれってもしかして《ウォーフリート》ですか?」
美奈は聞きながらその巨体に目を見張った。
教科書やニュースでよく目にするが、実物を見るのは初めてだ。
しかもウォーフリートに詳しくない美奈がわかるほど、普段見聞きするウォーフリートよりも目の前の機体はスマートでスタイリッシュだ。
「ええ、しかもあれはまだどこの部隊も持っていない最新型よ」
美野里が少し誇らしげに答える。
そう言えば、と美奈は《PRAF》にとってウォーフリートは誇りだと父親から聞いたのを思い出した。
「あれー、とっくに積み込んでる時間なのになー。ちょっと寄らせてね」
佳代は返事を待たずに車をウォーフリートの前に付けた。
出港準備に追われ慌ただしく走り回る周囲も意に介さず、佳代はサイドミラーを全開にして身を乗り出した。
「ちょっと賢吾ー! いるんでしょどうなってるー?」
その声に反応して、目の前のウォーフリートの胸部が開き、中から若い男性が姿を見せた。
年齢は二十歳そこそこだろうか。細面の顔立ちに遠目からわかるほど目付きが鋭く、まさに美奈の想像する軍人そのもので、少しだけ萎縮した。
「ちょうど良かった。陸地での歩行モードの設定値がマニュアルと合致しない。これなら中尉のデータを同期させた方が速い」
「えぇー!? そんなはず無いんだけどなー……」
賢吾と呼ばれた男の言葉を聞いて佳代は車を降りた。
「まさかと思うが、また勘で仕様書を上げたりしてないよな?」
「えーまっさかーそんなわけー」
そう言いながら佳代の目は明らかに泳いでいる。
「まったく……《ブラスター》はまだテストパイロットの中尉以外の稼働データしか揃ってないんだ。そいつをゼロから動かす身にも―」
「ごめん! すぐやる! 今すぐやるから!」
「それとせめて階級で呼んでいただきたい」
「うんわかった! ごめんね賢吾!」
「……今の絶対わざとだよな?」
そのやり取りを車内で聞きながら、美奈は二人の関係を何となく察した。
一通り会話を終えると佳代が近付いて来た。
「ごめーん、私がいないとだめっぽい。まっき……じゃなかった真木准尉、悪いんだけど美奈ちゃんをお願いできる?」
「ええ、中尉はブラスター搬入をお願いします」
美野里が笑いをこらえながら運転席へと移り、車が再び走り出した。
「佳代さんってウォーフリートの……」
「ええ、パイロット。しかも凄腕よ」
「女の人なのに凄いですね……」
美奈は思わず自分と比較していた。自分でも呆れるほど細いし筋肉も体力もない。体が弱いわけではないのだが、どうしても昔から運動はからきしなのだ。
「実は私もこう見えて偵察機や戦闘機を操縦するのよ」
「そうなんですか!?」
思わぬ一言だった。正直佳代以上に戦うような女性には見えないからだ。
「ええ、と言っても無人機のオペレーター……つまり遠隔操縦担当なんですけどね。知らない人からしたらゲームしてるようにしか見えないかも」
「それでも凄いですよ!」
「本当はウォーフリートのパイロット志望なんだけどね。いつも体力の項目で弾かれちゃうの」
美奈の言葉に美野里は照れ笑いを浮かべた。