プロローグ
「状況はどうなっている!」
艦内の狭い廊下を抜け戦闘指揮所へと入った敷島は、開口一番に間近の下士官へ声をかけた。
「現在、一五隻のうち一三隻が大破・轟沈。残り二隻は被弾あれど航行可能。無傷なのは我々だけです」
あまりの状況に、敷島の顔付きが険しくなる。
リムパック――環太平洋合同演習の真っ只中。予定された訓練を滞りなく消化し、日程も折り返し間近。そんな中、演習地であるハワイ沖が正体不明の勢力に奇襲を受けたのだ。
無論基地からすぐさま迎撃機と艦隊が発進、迎撃に当たるが数分で全滅――事態を察知した夜間演習中の艦も国籍を問わず攻撃に参加するも、次々に海の底へその巨体を沈めていった。
大げさでもなんでもなく、世界の名だたる艦隊勢力が現在このハワイに一堂に会している。それが敵をレーダーに捉えて一時間弱。すでに壊滅寸前に追い込まれている。
日中の訓練を終え、停泊中であった敷島の所属艦もこの異常事態に緊急出動をかけ、ようやくたどり着いたところだ。
「『バトルシップ』じゃあるまいし……」
「? 何です?」
「いや……なんでもない……」
「敵影、捉えました」
船務士がモニターに敵の姿を映し出す。
「なんだこいつは……」
自身の副長という立場を一瞬忘れ、敷島はしばし呆然とその姿を凝視した。
人型―それも全長十数メートルはあろうかという機械の怪物だ。更にいったいどういう力が働いているのだろう。その巨躯は海面に“立ち”、群れをなし自在に動き回りながら次々に艦艇を破壊していく。
もう一種類は航空機のようだが、潰れた平べったいエイのようなフォルムはステルス機に似ていなくもない。だが翼にあたる部分が極端に小さく、まるでSFに出てくる飛行物体のようだ。正確な数は不明だが、編隊を組み我が物顔で飛び回っている。
そのどちらにも目を思わせる位置にV字状の赤い輝きが不気味に灯っている。
「何ですかね、これ」
敷島の近くにいた下士官が、続いて表示された画像を指し示す。
それは砲火の最中、悠然と海面に立つ敵機の姿だった。
「ここです、ここを見てください」
下士官が画像をアップにする。砲弾やミサイル飛び交う混乱の真っただ中、人型敵機の周囲に僅かにだが発光現象のようなものが見て取れた。
その光によって、敵機に当たるはずだったミサイルが白煙の軌跡を残しながらあり得ない方向に弾かれていた。
「バリア……ですか……?」
「まさか……」
敷島は悪い夢を見ている気分になって来た。何故よりによってこんな時に限って艦長の新城二佐は基地司令との打ち合わせで不在なのか。何故二年に一度のリムパックの時にこんな敵が襲ってくるのか。
理不尽さに混乱しかけた頭を現実に引き戻したのは、副長としての責務でもなく、船体に襲いかかった強い衝撃だった。
「状況報告!」
つんのめるようにしながらも、敷島はなんとか自分のシートにしがみ付き転がるように身を乗せた。
「左舷に被弾! 人型が数機こちらを捉えた模様!」
「ダメージコントロール! 応急班を向かわせろ! 操舵手、取舵いっぱい!」
「了解!とぉぉりかぁぁじ!」
敷島の指示を受け、艦がダメージを追った横腹を庇って旋回する。しかしその動作は普段よりも遥かに遅い。
(機関部付近に浸水か!?)
レッドアラートの灯るモニター表示を見て絶望的な面持ちになった。
CIC全体が、次なる衝撃を予測し沈黙と緊迫に包まれる。だが、それは一向に訪れない。
「どうした……?」
額にしたたる汗を拭うのすら忘れ、敷島が言葉を絞り出す。
「副長、《JFK》です! 米海軍の《JFK》が本艦と敵機の間に入って――我々を庇っています!」
「!」
米軍のミサイル駆逐艦《JFK》の艦長とは敷島もリムパック開始前に顔を合わせていた。
こちらを見下した態度を隠そうともしない感じの悪い男で、敷島もひどく反発を覚えたものだ。
そんな男の指揮する艦が自分たちを庇っている――軍人として、海の男として、そして人として、その無言の矜持に敷島は強く胸を打たれた。
「《JFK》沈黙!」
「砲撃開始! 効かなくても構わん、敵を追い払えっ」
命令を下しながら敷島はインカムの受話器を手にする。
「機関部、復旧急げ! 本艦はこれより、《JFK》乗員の救助に向かう!」
**********
砲雷長に指揮を任せCICを離れた敷島は、人手が足りないという救護艇を補助するため艦尾へと向かっていた。
「まるで『バトルシップ』ですね」
「え?」
自分の前を走る年若い隊員の言葉に、敷島は一瞬思考がどこかへと飛んで行った。
「ご存知ありませんか? まあ、古い映画ですし」
「いや、知っている――と言うよりもここに来る前に見た。君こそよく知っているな。私が産まれるよりも前の映画だぞ」
「奇遇ですね。自分も艦に乗る前に見てみました。いや……はちゃめちゃというかなんというか……ですが」
若い隊員は、そこで敷島を振り返りながら少し自嘲気味に笑った。
「ワクワクしました」
「そうか」
釣られて敷島も笑みを浮かべた。確かに荒唐無稽で単純な娯楽映画だった。それでも見終わった後に、胸のすく気分になったのも確かだった。
「乗り越えましょう、我々も」
「もちろんだ」
その屈託ない言葉に、敷島は僅かだが緊張がほぐれるのを感じた。
<副長! 敵飛行型、急速接近!>
通信機越しに飛び込んで来た切迫した言葉に、敷島に再び緊張が走った。
上空に影が走った刹那、凄まじい轟音と衝撃。
身を伏せる間もなく、敷島は艦の堅い床面に全身を叩きつけられた。
…時間の経過も自分の状況もわからず混濁する意識の中、敷島は手探りで床を這う。
ふ、と手に伝わる床の感触が途切れ、敷島の感覚は完全に覚醒した。
顔を上げるとその先は見慣れた艦の様相とはまるで異なっていた。
無残に抉られ、構造体が剥き出しになった船体――黒煙を上げるその先に、あの若い隊員の姿はどこにもなかった。
「……そん……な……うぅ……」
痛みでしびれる体に鞭を打ち立ち上がる。
僅か――あの隊員と自分の違いなどごく僅かだった。もし自分が前を走っていたらその運命は逆になっていただろう。
もし敵の攻撃があとほんの数秒違えば、二人とも難を逃れていたに違いない。
理不尽だ。あまりにも理不尽だ。
彼にも帰りを待つ家族が居ただろう。友人たちも居ただろう。何の変哲もない、ただの若者だ。
それがなぜ、こんな異国の海で、正体も分からぬ存在に命を奪われねばならなかったのか。
行き場のない怒り、名もわからぬ存在への憎悪が敷島の胸に濁流のように渦巻く。
激情に打ち震える瞳で上空を見据える。その先にはでたらめな軌道で飛ぶ飛行型の姿が見えた。
それが常識はずれの速度で旋回し、こちらに向かってきた。
今度こそトドメを刺すつもりなのだろう。敷島はすぐさま通信機に向かい迎撃を告げた。
だが返って来たのは沈黙だった。先ほどの衝撃で通信機が故障してしまったのだろう。
歯噛みしながら飛行型を睨み付ける。
その赤い目が敷島を捉えた。
瞬間――蒼い閃光が走った。
その蒼く輝く一条の光明は迫る飛行型を貫き、一瞬にして爆散させた。
爆風と衝撃に体を揺さぶられながら、敷島は目を見開いた。
海面を蒼い雷光が走っている――少なくとも敷島の目にはそう映った。
鮮やかな光が瞬く度に、海面のあちこちで爆発が起こる。
敵が撃墜されている。何者かが敵を――自分たちでは手も足も出ない敵を撃墜しているのだ。
敷島が必死に目を凝らすと、爆発の照り返しを受け一瞬だがその姿が確認できた。
人の形をしていた。大きさも敵の人型と同じくらい。だが受ける印象をまるで違っていた。
白く美しい装甲は、うっすらと蒼い輝きをまとっている。
その手にした長身の銃のような物を構えると、蒼い閃光が放たれる。
それが海面の敵人型の残り数機を一気に貫いた。
全滅――世界有数の戦力が揃った自分たちを、壊滅寸前まで追い込んだ敵。それをたった一機、たった数分で退けたのだ。
呆然とする敷島に――いや敷島の艦にその白い機体が猛スピードで迫ってきた。
敷島の全身に再び緊張が走る。
しかし白い機体は艦に衝突するすれすれで大きく飛翔した。その直後、艦全体がずしりと沈み込み、大きく揺れる。
白い機体が甲板へ着艇したことに気付き、敷島は我に返り駆け出した。
**********
甲板に敷島が上がると、既に保安要員を初めクルーの多くが集まっていた。
白い機体はそれを意に介した様子も無く、静かに佇んでいる。
すらりとしたフォルムには無駄がなく、人間で言えば目に当たる部分はゴーグル状で精悍な印象を受ける。
その様相はどことなく神々しさすら感じられるほどで、襲撃を行った敵機たちとは纏う雰囲気から異なっていた。
見れば各部の装甲が焼け焦げ、部分に寄っては脱落寸前だった。
この戦いで負ったものか、それともここに来るまで他に戦闘を行ったかはわからなかった。
だが、そのダメージが決して軽いものではないことは敷島の目にも明らかだった。
見れば右の手に携えた長銃身の武器も黒煙を上げており、そのフォルムがわからないほど損傷を負っている。
銃身が白い機体の手から力なく抜け落ち、まっすぐ甲板に突き刺さった。
それを合図にしたように白い機体の全身がゆらぎ、そのまま片膝を付く形で崩れ落ちた。
クルーたちがわっと声を上げ、保安要員は手にした銃を構える。
「よせ! 撃つな!」
敷島がそれを制する。するとその機体の腹部に当たる箇所の装甲が開いていることに気付いた。
(コクピット……か……?)
つまりこれは人が操縦し、その人間が今目の前に現れようとしているのだ。
敷島もクルーも息を呑んだ。先ほどまでの戦闘が嘘のように海には静まり返っている。
聞こえてくるのは波の音だけ……その中に聞き覚えのある……しかし、戦場では決して聞くことのない音が敷島の耳に届いてきた。
「まさか……」
考えるよりも先に敷島の体が動いていた。
「副長!?」
膝を付く機体に駆け寄る敷島を見て、クルーたちが焦りの声を上げる。
それすら意に介さず、敷島は機体の足をよじ登りコクピットへと近づく。
コクピット――その暗い空間から確かにその音……いやその声は聞こえていた。
小さな子供、いやまだ赤ん坊と言って良い小さな心細気な泣き声であった。
そのいまだ姿の見えない泣き声に向かって、敷島はゆっくりと両の手を差し伸べた。