犠牲心の目覚め、そして邂逅
夜、影が世界を飲み込み、雲の隙間から月の光が差し込むそんな時間。
澱む空気の蔓延する都市部では、人気があまりない。
吸血鬼というものが一般に浸透すれば必然と言える。
驚異的な身体能力、知覚機能を持ち、人間の生き血を吸い尽くし、そのまま死体とするか仲間とするかは高慢な吸血鬼は気分次第で決める。
そんな文字通りの鬼のアドバンテージ領域に誰が好き好んで出ていくのか。
せいぜい吸血鬼と戦いたいなどと思っている戦闘狂ぐらいなもの。
あるいは、ただそれを恐れないものか。
そのうちの一人、階上洋也は抜き身の刀を持ち、黒い影を追っていた。
設置された紫外線の電灯を避けながらも標的を逃さず駆ける。
洋也の方が速さは上、一定の間合いになると洋也は跳躍し、影を突き刺す。
影は膨れ上がり、爆破の勢いで霧散する。
手応えあり、影の消滅を刀を通して感じる。
次の標的を見つける。
先ほどの影とは比べ物にならないほどの大きさ、音もなく路上を闊歩しているさまは不気味と表現するほかない。
巨体を視認し、一瞬だけ怯んだが、すぐさま覚悟を決め、迅速かつ無音で背後を襲う。
一刻みを終えると浅い手応えを感じる。
同時に巨体の膨大な質量を実感した。
勝てない、この脇差程度の刀では。
そう確信すると同時に踵を返し、逃げ出す。
街の角と言う角を曲がり、追跡を断念させようと走る。
息が切れ、流石にもう走れないというところで、洋也は逃げるという選択肢を失った。
巨大な深淵がそこに在った。
いつの間にか回り込まれていたようだ。
深淵は洋也を呑みこみ、街を無音の世界へと回帰させた。
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勢いよく起きれば、そこは交番内、警官が机に向かってなにやら筆を走らせている。
洋也が起きたことに気が付くと筆を止め、こちらへ向く。
「こんな時間にまでうろつくのは日常茶飯事だろうな」
「立羽さん」
立羽憲嗣、洋也とは面識のある男だ。
警官、と言う立場でもこの時代にかつての仕事ぶりは期待できない。
吸血鬼という存在が世に広まってしまった今ではアナイアレイター、ピースメイカーといった吸血鬼狩りの専門組織がほぼその役割を請け負っている。
犯罪の7割が吸血鬼の仕業と言われており、それに関わった警官はほぼ殺されている。
ただの人間の犯罪者は吸血鬼のおかげで委縮してしまっているのだろう。
警官の仕事と言えばせいぜい昼間の小さな犯罪や夜を徘徊する一般人に忠告するぐらいのものである。
「お前を襲ったのはストリガだろう、吸血鬼だったら今頃死んでる」
「そいつは?」
「逃げられたよ、お前さんを守るだけで精いっぱいだった」
「・・・逃したら他の人が」
「アナイアレイターが黙っちゃいないから大丈夫だろ、ピースメイカーもな」
闇夜に蔓延るのは吸血鬼だけではない。
吸血鬼とは違い、自我なく暴れまわるストリガという存在。
かつて吸血鬼だったもの、と言われているが定かではない。
吸血鬼の死体が変化して成ることがあれども、何の変哲もない地べたから湧き出すケースも確認されている。
姿形は不定形で、地球上の生物の姿をしている。
が、最近では伝説、架空上の生物の姿を目撃したという情報もあるが、真実は定かではない。
ともあれ、ストリガは吸血鬼以上に凶暴で厄介さのベクトルが異なる存在と言うのが一般的な認識だ。
「徘徊するのは勝手だが、命の使い方を間違えるなよ」
「警官の口からその言葉はどうかと思いますが」
「時代の流れだね、悲しいねえ」
ただ吸血鬼を迎え撃つだけでは千十手。
国が吸血鬼の問題を先送りにするため、東京を中心に吸血鬼ハンターによる関東の警備体制を強固なものにした。
だが関東地区でありながらそういった手を回していない地域がある。
それは聖域と呼ばれており、吸血鬼の力が弱まる地域だ。
その効力は大規模なものでわずかながら日本全体にもその効力が行き届いている。
吸血鬼たちは自身の力を最大限振るうために、聖域の根源を壊そうと躍起になり、この地域を襲う。
そのため、吸血鬼たちはこの地域に密集し、結果として囮となっているのだ。
この音垣町もまた、その地域の一部である。
「立羽さんは、辞めないんですか?」
逃げずにこの町に居続ける憲嗣に、洋也は尊敬の念を抱いている。
果たして彼がどういった信念を胸にこの仕事をこなすのか、ふと好奇心が湧いた。
「この町には、お前と同じ歳の俺の息子がいてな、そいつがやり遂げたいことがあるっつって、それが叶うまで待ってるのさ」
「息子さんが・・・」
「おう、お前さん、陽帝高校に通ってたよな、息子に会ったらよろしくしてやってくれ」
「それはもちろん、喜んで」
洋也は微笑を浮かべて承諾した。
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「お前さんに関しては黙認するが、フリーの吸血鬼ハンターってことでいいんだな?」
交番を出る前、憲嗣は確認をとる。
提出用のレポートのための必要事項だろう
一昔の俗世では子供がストリガや吸血鬼を狩ることは珍しくなかった。
貧しい子供の資金調達、あるいは親族を殺された仇討ちが主な理由だ。
今では単独で狩りを行うのは自殺行為とされている。
一人で狩りなど洋也くらいの物だろう。
今の吸血鬼狩りの主体は集団での狩り。
『アナイアレイター』『ピースメイカー』なる組織が結成され、今宵も活動している。
「はい、アナイアレイターへの報告は勘弁してほしいんですが」
「そんなことはしねえよ、俺、あいつら嫌いだし」
その返答を聞いて洋也は安心する。
「さっさと帰れ、次からは俺が助けられるかわからんからな、それを覚悟して挑め」
「お世話になりました」
交番を背に、闇夜の帰路を歩み始める。
夜空に散り散りの雲が浮かび、月の光を遮る。
交番は音垣町の都市部、『陽帝』の最端部に位置している。
そして洋也の帰る家は音垣の外郭、『陰帝』の住宅街にある。
都市部と住宅街の間にあるのは見晴らしのいい田んぼや畑。
人だろうと吸血鬼だろうとそこにいるのは分かってしまうほど開けた場所。
そんな場所で暗い人影がこちらへ向かってくるのを見た。
ただ走ってくるように影は揺れている。
光が差し込み、暗闇を照らすと、その容姿がはっきりと見えた。
銀髪、ゴスロリ、赤い瞳と、人間とはかけ離れた少女の姿。
逆十字の首飾りを揺らし、何かに怯えるような表情をしていた。
思わず洋也は身構えた。刀を抜き、懐から銀の杭を取り出す。
吸血鬼だろうか?銀髪であるのなら可能性は高い。
むしろそうでない場合があるとは到底思えない。
「…っ!」
こちらが構えたのを見て少女は警戒したのか、腕を構える。
得物がないのだろう、人間だったのなら哀れな足掻きだ。
吸血鬼ならばその腕は凶器となる。
その腕は石をも砕く力を秘め、生物など容易く殺めるだろう。
だが、洋也の双眸は、少女の後ろを捉えていた。
白いカソックを着た3人。
片手には剣のような十字架を持ち、もう一方には銀色の拳銃。
吸血鬼を狩る聖職者のようだ。
それに追われている少女は吸血鬼であることは明らか。
しかし、洋也は少女を庇う様に3人の前へ出た。
「…少年、見たところ人間のようだが?」
真ん中のリーダー格らしき男が問う。
「人間だよ、そしてお前らは」
洋也の目に映る、3人の姿はどれも、内に透けて黒い炎が燃えている。
それを識れば、目は細まり、敵意を剥き出す。
「人でなしだ」
刹那、3人の内、片端の男の首が飛んだ。
少年と面して間もなく、一瞬にして。
凄惨たる光景を洋也が生み出すとは思っても居なかっただろう。
傍から見れば小さき少年だ、侮りもする。
しかし、その容赦の目を切り替え、殺意を出したリーダー格の男が洋也へ銃口を向けた。
「ぬうっ!?」
向けたとて、洋也は怯まない。
懐へ飛び込み、問答無用と言わんばかりに下から刀を振り、腕ごと切り落とす。
間髪入れず刀を返し、脳天から男の体を真っ二つに分断した。
「…え?」
残った男は動揺した。
仲間をこうもあっさりと死んでいく惨状を受け入れきれなかった。
恐らくは、自身の死ですら受け入れられないだろう。
既に洋也によって斬り落とされた首は、唖然とした顔でそう語っている。
刃を3人の死体へ向けて振り、纏わりついた血の雫を落とす。
さらに取り出した布で拭い、月の光がくっきりと反射するよう刃は輝きを取り戻した。
少女を見る。
唖然とした顔、しかしどこか喜んでいる。
洋也は少女へ歩み寄った。
「あ、ありが…」
礼を言いかけた少女の言葉は途切れた。
直近へ来た洋也が取り出した注射器に刺されたからだ
目から光を失い、洋也の胸へ倒れ込む。
沈黙した少女の体を背負い、歩き出す。
その対応は、人を助けるような仕草でもなく、ただ機械的に、使命感を帯びた行動だった。