誘拐とお姫様。
アリスの一人称は”わたくし”ですが、読みにくいため、”わたし”とも読めるようにフリガナは振っていません。
沈む、沈む、沈む。
一体どこまで沈むのだろう。
暗い、暗い、暗い。
一体いつまで暗いのだろう。
闇い、闇い、闇い。
この闇はどれほど深いのだろう。
私はどれほど沈んだだろう。
ここはいつまで暗いのだろう。
闇はいつ晴れるのだろう。
ずっと漂っている。
ずっと迷っている。
何が正解なのか知らなくて。
何が本当なのか知りたくて。
ずっと知りたくて、でも知れないでいた。
しかし、暗いまどろみの中に居た私の前に、そこに一筋の光が差し込んだ。
私はその光を目指して必死に泳ぐ。
私が浮かんでいるこのまどろみの中を泳ぐ。
やがて光は大きくなり、いつしか世界が光に満たされた。
その時は光の正体など、知ろうともしなかった。
ぼやける視界。
暗清色を背景に、幾つかの橙に塗られた円が映る。
それは規則的に並んでいて、向こうへと続いている。
橙の円が導くその先は、暗黒が口を開けているようだった。
脳が少しずつ醒めていく。
橙の円は少しずつ口径を短くして、やがて炎の形へと収束した。
そして、口を開けた暗黒は正方形へと変化を遂げた。
・・・ここはどこですの?
よく見ると、ここは廊下らしい。
石造りの壁と床、天井。
その壁には規則的に並んだ蝋燭が取り付けられている。
蝋燭の列はずっと奥まで続いていて、やがて正方形の闇へと消えていく。
私の体はと言えば、廊下の突き当りの壁にもたれ掛かった状態だったようだ。
何故私はこの様な所に居るのでしょうか。
やっと覚醒した脳を使って、記憶を掘り起こそうとする。
しかし答えはすぐに分かった。
そうですわ。確か魔王が急に現れて私を・・・
そこまで思い出したとき、ふと、自分の体が動かせないことに気付いた。
しかし、肌には壁に当たる感触以外、何も感じない。
もしかして、緊縛魔法?
だとすればアンチマジックで・・・
しかし、詠唱を開始しようとした私の体に突如、衝撃が走った。
これは、まさか行動禁止魔法?!
この魔法は相当な技術が無いと成功しない超高難易度魔法のはずですのに・・・
さすがは魔王と言ったところですわね・・・
そこまで考えを巡らせた私は、廊下の向こうから音が聞こえてくる事にようやく気付いた。
ことんっ、ことんっ、と音がする。
きっと足音だ。
少しずつ、こっちに近づいてくる。
その音はやがて大きくなり、音の主は姿を現した。
「やぁ、アリス=シェルバーニャ。ようこそ、わが城へ」
現れたのは一人の男だった。
肌色は薄く、ほとんど白に近い。
瞳の色は赤く、吸血鬼のように見える。
身長は高く、180はありそうだ。
見た目から推測すれば、年齢は大体10代後半から20代前半と言ったところだろう。
ウエストの細さと肩幅が広いことが相まって、非常に好青年な印象を受けてしまう。
って、騙されてはいけませんわ。
相手は魔王、つまりは最強最悪の悪魔族。
警戒を怠ってはいつ殺されるか分かりませんわ。
「・・・」
「おい、アリスよ、返事をしろ」
「・・・」
「聞いているのか?おーい、アリス?おーい」
「・・・」
「おい、返事をしろ。人質とやらは誘拐犯の命令に従わなければ殺されるのであろう?」
「・・・」
「なぁ、おいって、頼むよ、返事がないと寂しいだろ?何か話してお願いします」
・・・はぁ
警戒が馬鹿馬鹿しくなるような魔王ですわね。
最強最悪の名が廃るのではないでしょうか。
「あのですね、魔王さん。誘拐された私は相当気がめいっているのですよ。
いきなり大きな音がしたかと思えば、その次の瞬間は上空にいる、何て状況を体験させられて、そのうえでその犯人と簡単に話そうと思いますか?思いませんわよ!
だいたい何故私をさらうのですか?
“王家の女をさらう色魔王”とはよく言ったものですわ。
何故その様な事をするのですか?迷惑ですわ。あと私を城に帰しなさい!」
・・・少しかっとなり過ぎましたわね。
王の娘としての品格を忘れてはいけませんわ。
魔王はしばらく黙りこみ、やがて口を開いた。
「よし、では一つずつ順番に答えるとしよう。
まずは、あのような強引なさらい方をしたことを謝罪しよう。破壊した門の修復は我が責任を持って執り行う事をここに約束する。
しかし、ああでもしなければ我が捕らえられる可能性も有るのでな。手加減があまり出来なかったという事が本音だ。
つぎは、何故君をさらったのかだったな。それは簡単なことだ。
君があの城の住人の中で一番美しかったからだ。我の好みだったという事もあるがな。
最後は、何故こんな事をするのかだったな。それは君のためだよ、アリス」
私のため?
「私は誘拐など望んでいませんわ、勝手な事をいわないでくださいませ」
「とぼけてはいけない。我は知っているぞ。君がずっと無理をしてきた事に」
―!!
「勝手なことを・・・そんな証拠ありませんわ」
「王の娘としての品格を忘れてはいけませんわ」
・・・え?
この人、今何と・・・
「聞き逃したか?ではもう一度行ってやろう。王の娘としての品格を忘れてはいけませんわ」
それは、その言葉はさっきの私の心の声・・・
しかし声には出していなかった筈、もしかして読心術?
でも一言一句一切違わず全く同様の内容を読める筈が・・・
「そう、読心術というのは相手の行動、つまり仕草や癖といったものを材料にして相手の感情、思考を類推する事を言う。君が言った通り、いや、思った通り一言一句一切違わず全く同様の内容を読める筈がない。だから私のこれは読心術ではない」
また私の思考を読まれましたわ。
これはきっとメンタリストの様な生ぬるいものではありませんのね。
もしかするとこれは・・・
「そう、魔法。今の魔法は精神魔法と言って、最も難易度の高い魔法の一つだ。まぁ、我にかかれば造作もないことだがな」
また読まれた。
自慢されても困るのだけれど。
私だって、さらわれる可能性を考えていろいろ準備してきたのですから、ほとんどの魔法が発動可能な程には魔力を有しているのですわよ。
そしてその“いろいろ”の中には精神魔法だって含まれていますわ。
呪文も城の大図書館で調べは付いていますし、発動時間は恐らく12時間。
一泡吹かせてやりますわ。
「そんな事よりも、さっきの言葉のどこが誘拐を望んでいるように思えますの?」
「ん?何を言っているのだ。我は君が生まれた時から君を見てきたのだぞ。さっきの言葉は君を動揺させて心を覗き易くする為にしたことだ」
え?
それはつまり、私が生まれてから今まで魔法をずっと発動していたという事ですの?!
それが本当ならば凄まじい量の魔力。
魔王と言われるだけはありますわ。
・・・いえ、そうではなく!!!
「この変態!!ストーカー!!!!!!!」
一体どのような信念をお持ちなのかは存じませんが、淑女の生活を覗き見るなど!
いえ、覗いているのは飽くまで私の心なのでしょうか。って、一緒ですわよそんなの!!
「心の中で乗り突っ込みをするほどに君は孤独という事なのだよ、アリス」
そうでした、心を読まれていたのでしたわ。
まったく、迷惑極まりない魔法ですわね。こんな魔法を開発したのは一体どこの誰なのでしょうか。
「君の前に立っている魔王が開発したものだが、それが何か?」
え、うそ、本当ですの?
「ああ、紛れもない事実だ」
「何故このような魔法を開発したのですか!」
「淑女の、具体的には王家の淑女の心を除く為だ」
「芯まで腐った変態ですわね!!」
「そう激怒するなよ、アリス。王の娘としての品格はどうしたのだ?」
この人、もとい、この魔王は・・・
人の事を弄んで、最低ですわ。
「悪魔にとって、それは最高の誉め言葉故、誉め言葉として受け取っておくとしよう」
あぁ、どこまでも性格の悪い悪魔ですわね・・・
「その魔法、解除していただきたいのですが」
「ん?何だ唐突に。そんなにもこの魔法が嫌いか?」
「いい加減辛いのですわ、その魔法」
「我に使おうとしているのは分かっているのだぞ、自分がされたくないことを、相手に行使するつもりか?」
ぐっ、そこを突かれると痛いですわね・・・
「うむ、ではこうしよう。
我は君に、君は我に魔法禁止呪文をかける。
さらに、互いのアイテムを全てこの城にある金庫に保管する。どうだ?」
魔法禁止呪文か・・・
「それだと呪文耐性が弱い私が不利ですわ、魔力自体を封じて下さいませ」
「ならば魔法禁止結界だ」
「分かりました、条件をのみましょう」
「交渉成立だ」
ふぅ、これで心を読まれることは無くなりましたわね。
あれはプライバシーの侵害が甚だしいにも程がありますわ。
「君も我に使おうとしていたではないか、そんな文句を言える立場ではないだろう?」
そのことに関してはぐうの音も出ないですわね・・・
「では結界を張るとしよう」
そう言って、魔王は虚空に手をかざす。
するとそこに暗い穴が開いた。
魔王はその穴に手を入れ、最大の長さが30センチメートル程ある、ひし形の結晶を取り出した。
「これが結界を張るための結晶だ。君は生で見るのは初めてだろう?レリーズ!」
そう言って魔王は私にかけた魔法を解いた。
「せっかくの機会だ、触ってみたいだろう?」
魔王はそう言って、私に結晶を突き付けた。
確かに触ってみたいのは山々だが、何が仕掛けてあるのか分からないし・・・
「心配するな、トラップ等は仕掛けていない。我は人の知識欲を無下にするほど腐ってはいない」
「信じて良いのですわね?」
魔王が無言で頷くと、私はすぐさま結晶に手を伸ばした。
ひし形のフォルムは美しく、透き通った紫の色はそれを一層際立てている。
表面は少し粗削りで、しかしそれによって結晶内から放たれる光が乱反射することで、結晶はこの上ない程の美しさを持っていた。
「興奮するのは構わないがアリスよ、結界を張るので返してはくれないか」
「も、もう少し、あと2分待って!」
結局、要望の5倍の10分間じっくり、これでもかと言うほど結晶を愛でた後、呆れた魔王に結晶を取り上げられてしまった。
「まったく、最初は触ることを警戒していたとは思えないな。
まぁ良い、では始めるか」
魔王は詠唱を開始する。
「Concinit initio.
Magia est qui posuit in crystal,responde mihi magia autem vim exercebit.
Ad dimittere potestas crystal,eto oblinito magia!」
魔王が詠唱を終えた直後、結晶は眩い光を放ち、魔王の手を離れて空中に静止した。
「よし、結界を張った。では行こうか。モートス!」
一体何処へ?
という私の疑問は、しかし、移動の衝撃で遮られてしまったのだった。
Concinit initio.
Magia est qui posuit in crystal,responde mihi magia autem vim exercebit.
Ad dimittere potestas crystal,eto oblinito magia!
意味:詠唱開始。
結晶に込められし魔力よ、我の魔力に答え効力を発揮せよ。
結晶開放、魔力封印!




