デッド オア ラブ
1
爆弾の中は、ジャングルのようになっていた。ぼくは、行く手を塞ぐ、つる草を、ジャングルナイフで刈り取って、視界を確保する。それから、密林の奥底の、火山の火口をひたすら目指す。
「おい、どんな具合だ。黙ってないで、しっかり説明せんか!」黒電話の受話器から、先輩がの檄が飛ぶ。
「ちょっと、待ってください。今、慎重なところなんですから。そんなにビックリさせたら、領事館ごと吹き飛びますからね」ぼくは、受話器に向かって喚き返した。
「なんだって、もう一回言ってみろ。おまえ、領事館を人質に、先輩にため口か。とっとと終わらせて、帰ってこい。今日もたっぷり残業させてやるからな」先輩も、受話器の向こうから怒鳴り返す。
ぼくの手は、そんなのでは動じない。今まで多くの爆弾を処理してきたのだ。こんなのは、電話片手にちょちょいのちょいだ。
「先輩、外しますよ。祈っててください。いきますよ。一、二の、三、よし、外れた」
爆弾の時計の秒針は、止まった。
「ふー、よくやった。褒美に残業は免除してやる。今日は帰って、ゆっくり休め」
顔を上げると、すでに朝日が昇ってきていて、目を閉じても、閉じた瞼をを貫いいてきて、まぶしかった。
帰りがけ、自宅近くの料理屋で昼間から飲むビールは、最高にうまかった。
緊張状態にある周辺国の領事館を狙った、極右団体のテロリストが仕掛けた爆弾を解除したぼくは、その後、警視総監賞を貰い、豪華客船の旅をプレゼントされた。長年付き合っている彼女を誘ったけれど、下町育ちの彼女は「着ていく服が無いのよ」と言って、断った。
「服くらい、プレゼントするさ。沢山ボーナスを貰ったんだ。ねぇ、頼むよ。君がいないと、楽しみも半減だ。」
「ごめんね、ほんというと、私、船酔いするのよ」
「それじゃ、ぼくも行かないよ」
公務員の立場上、そういう分けにはいかない。「上官にせっかく貰ったものを、無碍にするのは出世に響くぞ」先輩にもそう言われてしまった。
そんな訳でぼくは一人、その豪華客船「グレート・タイタニック号」に乗ることになった。
2
「グレート・タイタニック号」は巨大ロボだ。海中を歩くので、絶対に沈まない。開発者は、冗談と自信から「タイタニック号」の名前をつけたらしい。
「ちぇ、船じゃないなら早くいってくれよ。これなら、彼女も乗れたのにな」
ぼくは、ロボの胸のところにあるラウンジのあるテラスで、海を眺めながら言った。といっても、本当に海しか見えない。空は上天気で気持ちよかったが、遠くの方では、黒い雷雲が広がっていくのが見えた。
こんなところ、退屈で死んでしまう。手に持ったグラスの中身を、一気に飲み干して、ぼくはまた、人恋しさにカジノに戻っていった。
乗客は、金持ちや有名人ばかりで、ぼくが自己紹介すると、「おお、君がこの間の領事館爆弾事件のヒーローか」そう言って、気前よくチップを貸してくれる。だから、ただで遊べるけれど、どうやら運を使い果たしているようで、まるっきり勝てなかった。
「やあ、君か、またゲームするかね。君なら大歓迎だよ。存分に負けなさい」そういって、隣の席の総理大臣が笑った。
「いや、もうお腹いっぱいです。ぼくはまるっきりギャンブルに向いてないみたいですね」そう言うと、「わははははは、爆弾処理班のヒーローがギャンブルに向いてないとはね、面白い冗談だ」そう言って、また笑うのだ。
ぼくは、総理大臣にすっかり気に入られてしまい、君が横にいると負け知らずだと言って移動させてくれない。
「すまんな、こんな爺の隣で、退屈なら彼女でも呼んだろどうだね」
「いや、それが彼女、船酔いするからって言って、断られてしまいまして」
「なんだ、一人で来たのか。それだったら、誰かにエスコートさせようか。そうだ、AKBの山本彩がいたな。知ってるか、さや姉って。おーい」
「ちょ、ちょっと待ってください。いえ、いいんです。実はぼく、この船でプロポーズする予定だったんですよ。だから帰ったら、彼女を改めてどこかに誘おうと思ってます」
「そうか、そりゃメデタイな。よし、このゲームで勝たせてくれたら、俺は君の結婚式でスピーチするぞ」総理大臣は、他の乗客に向かって、飲みかけのワインを掲げながら、宣言した。
「そりゃ、すごいな、俺も乗った」「俺も乗るぞ」「赤か、黒か?」チップの山が積み上げられる。
みんなの視線を浴びながら、ぼくは言った。
「じゃ、黒で」そして、チップが移動され、黒のマスを埋め尽くした。
片目に眼帯をした海賊風のディーラーによって、ルーレットにボールを投げ込まれ、トラックが回りだす。
みんなが、ボールの行方を見守っている。
その時、テーブルに置かれたワイングラスから音がしだした。小さな揺れを感じ、続いてボールが、トラックから外にはじけ飛んでいった。
ゴゴゴゴゴゴゴ、地響きがする。
「何だ、何が起きている」総理がテーブルにすがりながら言った。
照明が、チカチカと点滅する。
「みんな伏せて!」ぼくが指示を出すと、みんなが腹這いになった。
地面が斜めになって、椅子が倒れた。
「キャー」倒れた椅子が転がっていく。
「何かに掴まれ」
しかし、次の大きな縦揺れで、床に伏せた客達も地面から引き剥がされ、椅子の転がっていった先に、みんなして、滑っていく。
「何が起きているんだ!」ぼくは、開けっ放しのドアを通り抜け、隣のラウンジまで滑っていった。
「いてて、みんな無事か?」誰かが喚く。
椅子が散乱して、人々が、あちらこちらで呻いていた。
床は水平を取り戻していて、ぼくは立ち上がり、急いで元の部屋に戻る。
「大丈夫ですか」床で座って、気を失った女性を介抱している総理大臣を見つけ、声をかけた。
「俺は大丈夫だ、それよりも爆弾が仕掛けられた。君の出番だぞ」青い顔をして、総理大臣が言った。
「爆弾は、どこですか」
「ルーレットの中だ。俺は見たんだ。ディーラーがテロリストだったのだ。あの海賊野郎。あいつは一人だけ安全ベルトで体を固定していて、ルーレットのそばで作業をしていやがった。中の爆弾を起動して、皆吹き飛ぶがいいとか喚きながら、出ていったんだ」
「本当ですか、分かりました。爆弾のことは僕に任せてください」
「分かった、それじゃあ俺は、護衛のSPに逃げた犯人を追わせるとしよう。おい、おまえ、彩ちゃんを頼む」総理も立ち上がって、SPたちに支持を出し始めた。
ぼくはルーレットのところまで行き、外観から観察を始めた。ルーレットはトラックが外され、中心には大きな針が取り付けられていた。時を刻んでいる。
カウントダウンだ!
「これは、時限爆弾に違いない。そうか、犯人は自分が逃げる時間稼ぎのために、時限式の爆弾にしたのか。なんて卑劣な奴なんだ」
それにこの時計の演出。これは、領事館時限爆弾事件のヒーローである、このぼくへの個人的挑戦なのかもしれない。
「頼む、ヒーローよ。もう一度、奇跡を起こしてくれ。そうしたら結婚式でナコードも引き受けるぞ」総理大臣がやって来て言った。
「勿論です。総理大臣。ついでにテントウ虫のサンバも歌ってもらいますよ。それから、手の空いている人を、何人か回してください」3人のSPが手伝いを申し出た。
3
調べてみると、ルーレットに取り付けられた針は、秒針でも、分針でも、もちろん時針でもなかった。丁度一周した時に起爆するようになっている。やはり時限爆弾に間違いなかった。
針の動きから計算して、残り時間はざっと見て十分といったところ。
ルーレットの中には、爆薬がギッシリと詰め込まれていた。ここは海の上で、周りの被害も気にする必要はない。どんな連中かは知らない、テロリストはありったけの爆弾を詰め込んでいったに違いない。おそらく、ロボの上半身は跡形もなくなるだろう。
「先輩、おそらく燃料気化タイプの爆弾です。20キロはありますね」
ぼくは、黒電話の受話器に向かって言った。電話は、総理大臣のSPに頼んで、ルーレットの横まで引っ張ってきてもらっていた。
「そうか、最悪だな。小規模核爆弾とも言われている奴だ。よし、周りの人間を非難させろ。くれぐれも感ずかれるな」 受話器の向こうから、本部の作戦室で指揮を執る、先輩の声が言った。
僕は立ち上がって、もうあらかた片付いたとばかりに伸びをして言った。
「やあ、ありがとう、みんな。ここから先は、ぼくだけでいい。後は任せて総理大臣たちと一緒に避難していてくれ。3階のラウンジまで離れたら、安全なはずだよ」
それまで手伝いをしてくれた人たちは、安堵して部屋から出ていった。これで助かったとばかりにお互いの健闘をたたえながら。しかし、避難といってもどこに避難しても、爆弾が爆発してしまえばお終いだろう。しかし、本当の事をいう分けにもいかない。ここから先は、集中力のいる場面だ。騒がれる訳にはいかないんだ。
残り時間はあと、八分ほどだ。
長年のパートナーの、受話器の向こうの先輩だけが頼りに、額から大粒の汗を垂らしながら、絡み合う無数の配線を、一本一本処理していった。
「隊長、原住民たちの集落を見つけました。誰もいないけど、まだ、たき火から煙が出ています」
「そうか、気をつけろ。どこかに潜んで弓で狙われているかもしれんからな。その辺に住むカエルは、猛毒のモリアカガエルと言って、そいつはそのカエルを潰して、矢の先端に毒液を塗り付けるそうだ。かすっただけでもお陀仏だからな」
ぼくたちは、いつもの様に遠く世界中を旅しながら、配線の奥へ奥へと進んでいった。
そして、ついにルーレットボックスの奥底の、信管がむき出しになった。その時には、残り時間は五分を切っていた。
「先輩、最後の配線です。赤と黒の線が出ています」
「そうか、やっぱりか。定番だが一番厄介だ。片方はトラップで即ドカーン。最終的に正解は、作った犯人にも分からなくなる。確かめる方法は、切ってみるしかないんだ」受話器の向こうで、先輩が言った。
「先輩、どうしたら?」「迷っていても仕方がない! 切るんだ」
「でも、どっちを切ったら」一瞬の沈黙、しかし即座に答えた。
「黒だ、黒を切れ」
「なんでですか?」「俺がカブトムシを好きだからだよ」
「それだけですか?」
「それだけだ!」
先輩は、いつも親身になって助けてくれた。情のある人間だ。その先輩が黒だと言う。もしも、違っていてぼくが死んだら、先輩は自分を責めるに違いない。それは間違いないだろう。それでも、最後の責任を背負おうとしてくれているのだ。
いつ死ぬかもしれない、そういう仕事だ。だからこそ、パートナーは「自分で選べ、自己責任だ」なんて薄情なことは決して言わない。一緒に居なくても、共に死んでくれる覚悟なんだ。ぼくにはとても真似できない。ぼくは自分の上司を誇りに思った。だから、黒を切ることに異論はない。しかし……、
「先輩、あと、何分ありますか?」「こっちで分析した時間は、約四分といったところだ」
四分か、四分あったら彼女に分かれの電話が出来る。
「先輩、ぼく、彼女がいるんです。」
「ああ、知ってるよ。下町のお嬢様なんだろう」
「電話かけていいですか?」
「正気か、おまえ。分析の結果は単なる予想で、本当はいつ爆発してもおかしくないんだぞ」
「分かってます。でも、もしかしたらこれで最後になるかもしれないんですよ。お願いです。針の動きはこっちでも確認できますから」
先輩は黙って、答えてくれない。この時間すら惜しい。電話を切ろうとしたとき、先輩は言った。
「分かった。二分で済ませろ。いいな、二分したらかけ直す」
「了解、失礼します」
ガチャ、ぼくは、受話器を置いた。
それから、もう一度受話器を取って、ダイヤルを回す。
03、29……
ジリリリリリ、ジリリリリリ
彼女が電話に出るのを待ちながら、針を確認する。あと、三分ほど。
早く、早く出てくれ。話せるのは2分も無いんだ。
ジリリリリリ、ジリリリリリ
気が付くと、女みたい受話器と筐体を結ぶケーブルに指を絡めていた。
ジリリリリリ、ガチャッ
「はい、朝田です」女性の声、でも彼女じゃない。たぶん、お姉さんだった。
急いで、彼女に取り次いでもらう。
後一分ほどか、
それから、チャイコフスキーのクラシック音楽が流れだした。彼女の家らしい、最新式の電話機みたいだ。
タッタラララッタ、タッタッタッ、
タッタラララッタ、タッタッタッ……
ふふふ、なんてのんびりした日常だろう。この電話の向こうでは、今までと変わらない日常がある。もうすぐ、ぼくは爆弾で死ぬかもしれないのに。なんで、自分だけが こんな目に会うんだろうか。
音楽に耳を傾けながら、彼女と初めて出会った時のことを思い出していた。
友達と遊びに、初めて行ったアイスリンクで、生まれたての羊みたいに柵の横で震えていたぼく。横から、とつぜん現れた彼女が、ぼくの手を引いていって「だめよ、もっと足を閉じて」と、そう言った。その時の、彼女の悪戯っぽい笑顔に一目ぼれした。それでも、ぼくは足を閉じられずに、二人して絡まって転んだのだ。
電話の向こうで、音楽が止まった。
ガチャ、
「真央!」
「黙れ! お前か、人の娘にちょっかいを出してる奴は!」
嗚呼、もうダメだ、せめて、一声だけでも彼女の声が聴きたかった。こんなはずじゃなかったのに。ぼくが絶望しかけた時、受話器の向こうで音がした。
バン、バリン、ガチャン
「もしもし、私のヒーロー、世界一の幸せ物? それとも黒焦げのメザシかしら。ごめんね、お父さん酔っぱらってるのよ」
「真央、真央!」
「ええ、ええ。私よ、真央よ」
どうしよう、言葉が出ない。何か話さなきゃ、最後かもしれないのに。
「おれ、おれ、真央」「私よ、真央は私の名前でしょう。あなたはヒーローよ。そうでしょ、そうよね」
言わなきゃ、言わなきゃ、何を? そうだ、愛してるって言おう。そうだ、まだ、言ったことが無かった。ちゃんと言おう
「真央、おれ、お前のこと愛してる。ずっと、ずっと愛してる」
「うん、嬉しい。私も愛してるわ」
ありがとう、真央。もう、思い残すことはない。死ぬ覚悟はできた。
ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ、
割り込みの着信音だ。時間切れを伝える、先輩からの電話だ。
「ごめん、もう時間無い。電話切るな、まだ仕事中なんだ。さようなら」
「あ、ちょっと待って」受話器を置こうとしたぼくを、彼女の声が止めた。
「……あのね、よく聞いてね。」この女は勿体付けながら言う。
「うん、何だい」もう切らなきゃ、もう時間は無い。
「私の下着の色は、赤色よ」
「え?」
「幸運のおまじないよ、映画で見たの、仕事中なんでしょ。私のヒーローは、皆のヒーローでもあるんですもの。私には分かるわ、今も戦っているのね。忘れないで、私が今、履いているパンティーの色は赤色なのよ」
ぼくは目を閉じた。赤いパンティーを履いてセクシーをポーズをして見せる、はずかし気に笑う、彼女の姿が見えてきた。全身に震えがはしり、奥歯をかんで、涙をこらえた。そうしたら、どうしてもどうしても、生きて帰りたいと思えた。まだぼくは死ねない。絶対に死にたくない。死んでたまるか。
「真央、ありがとう。君は最高の女だ。必ず、必ず帰るからな!」
ぼくは、受話器を置いた。目の前には大量の爆薬がある。案の定、針は加速していた。
ジリリリリリリリ、ジリリリリリリリ、
続けて電話が鳴りだした。あと数秒、先輩からの電話に出る時間はもう無い。
でも、もう気持ちは決まっていたし、自信にも充ち溢れていた。ぼくは生きて帰られる。迷いは完全に無くなった。
ぼくは、絨毯の上に放り出したままのニッパーを拾い、赤い導線を切った。
4
それからしばらくして、ぼくはまた休養をもらい、爆弾魔の海賊が捕まったと言うニュースは、テレビで見て知った。
総理大臣は約束どおり、テントウ虫のサンバを歌って、ぼくは彼女と結婚した。
同棲もしていなかったので、一緒に暮らして初めて知ったことも多い。例えば、みそ汁にサツマイモを入れるとか、キットカットよりも、きのこの山派だったとか。
中でも一番驚いたことは、真央はパンティーを、白しか持っていなかったことだった。
ぼくは聞いた。
「どうして、あの時、赤いパンティーを履いてるなんて言ったんだい?」
「ああ、あれね。だって、爆弾に白い導線なんて、私、映画でも見たことないもの。そんなの、私のヒーローに似合わないわ。それで、丁度目の前で、お父さんが赤いフンドシ一枚でのびちゃってて、それで、思わず赤って言っちゃったのよ」そう言って、クスクスと笑った。
庭の芝生の上に、春の日差しが降り注ぎ、真央がぼくのとなりで、気の早いマタニティードレスを着てくつろいでいる。彼女の柔らかな手の下で、お腹はそろそろ目立ち始めてきていた。
ロマンチックな結末じゃなかったけれど、今ではお義父さんともうまくいっている。
ぼくは幸せだ。