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わたしと彼女の事情



 その日、最後に王子様とお姫様が結婚していつまでも幸せに暮らしました系のおとぎ話を幼稚園で先生に読み聞かされ、その流れで誰と結婚したいかという趣旨の話を10人くらいのグループですることになった。

 勿論、幼稚園児がするようなことだ。それで後々どうにかなるだとか、本気で恋愛をしたりなどという事になりはしない。

 わたしも必死に考えてみたのだけれど、どうしても思いつかず、無難な名前を言ってこの場を乗り切ろうとしていたのだろう。

 その場限りの嘘を言おうとした瞬間。


「りんちゃん、私、あたまがいたいの」


 隣に居た悠が真っ青な顔をしていたので、わたしは急に怖くなり、急いで悠の手をとって幼稚園の施設屋内へとつれていこうとした。その途中で。


「りんちゃん。もういいよ」

「よくないっ。ゆう、すっごくつらそうだもん」

「もうだいじょうぶ。よくなったから・・・」


 悠があまりにもそう言うから、わたしも強くは出られず、2人で誰も居ない部屋の中に入り、こっそり話をすることにした。


「私ね・・・、ゆうちゃんと結婚したいな」





「!?」


 脳裏をよぎった映像に驚き、目を覚ます。

 相変わらず重い身体。気持ちの悪いだるさ。

 でも、今の映像・・・恐らく"記憶"が本物ならば。


(わたしは、悠と話をしなきゃ・・・)


 寝る前は悠とはもう会話できないと思った。

 でも、なんとしてでもこの言葉を届けなきゃ。そして、この記憶を持ったわたしなら、悠が話を聞いてくれる方法が、なんとなくだが思いついていた。


(今なら分かる、どうして悠がこんな凶行に及んだのか)


 一瞬、目を瞑る。

 心の中で悠に謝った。

 これからわたしはあなたにとってひどいことをするかもしれない。でも、それは悠の目を覚まさせるため、話をするため。それが悠を傷つけてしまうことだとしても、それでもわたしは悠に話を聞いて欲しいから。


「凛ちゃん、起きたんだあ」


 そんな事を考えていると、薄い部屋着のTシャツを着た悠が、この部屋に入ってくる。


「凛ちゃん、丸1日以上ご飯食べてないからお腹空いたでしょ? 凛ちゃんが好きなカレー、昨日のうちに作っておいたから。一晩寝かせたカレーは美味しいよぉ」


 悠はそう言ってぱたぱたと、部屋に備え付けのダイニングキッチンへと駆けていく。

 相変わらず窓と言う窓が完全に閉まっていて外の様子を見ることはできない。今が朝なのか昼なのか夜なのか・・・締め切った部屋の照明だけでは、そんな事も分からなかった。


「~♪」


 ご機嫌な様子で鼻歌交じりに、悠はカレーライスと水を乗せたトレイを持ってきて、かたんとテーブルの上に置く。

 わたしの両手は後ろで手錠をかけられたまま。当然、自分でカレーを食べる事などできるわけがなくて。


「はい、凛ちゃんあーん」


 どうしよう、と一瞬躊躇した。

 何か入ってるんじゃないか。そんな考えが頭を掠めたからだ。


「あーん」


 でも、食べるしかない。ここで踏みとどまっていたら、悠を説得することなど不可能だから。

 口を開けると、カレーが乗ったスプーンが口の中に入ってくる。本当に少しだけ辛い、悠の味。いつも食べているカレーの味が口いっぱいに広がった。


「美味しい・・・」


 いつも以上にそう思ったのは、丸1日以上何も食べていないからか。


「凛ちゃんを想って、一生懸命作ったからね~。はい、もう一口」

「うん」


 カレーをよく噛んで飲み込む。味にいつもとの変化はない。


「次、水が飲みたいな」

「ああ、ごめんね。はいお水」


 水をごくごくと飲む。

 何も食べていないのもしんどかったけど、それ以上に水分をとっていないのが精神的にきつかった。ぼんやりした頭でも、食事は良い。お陰で弱り切っていた身体が少しだけ元気になった気がした。あくまで-100が-95になった程度だけれど。


「それじゃ、片づけてくるね~」

「悠、待って」


 終始、機嫌のよかった悠を呼び止める。


「手錠外してよ。わたし、お風呂にも入りたいし」

「うーん」


 悠は唇に人差し指をつけながら考え。


「ダメ」


 当然のようにそう返してきた。


「いつもこんな事してないだろ。外してくれ」

「今まではしてなかっただけだよ。これからはずーっと凛ちゃんは手錠をかけられたまま。大丈夫、お風呂入らなくても私が全身くまなく濡れタオルで拭いてあげるし、おトイレのお世話もしてあげるから」


 言って、悠は笑う。


(目の奥が全然笑ってない・・・)


 こんなのは、悠の笑顔じゃない。こんなものを笑顔とは呼ばない。


「悠。笑い方下手になったね」


 だからわたしは、それをストレートに彼女に伝えた。


「その表情、かわいくないよ」

「・・・」


 悠は一瞬の静寂を置くと。


「私の、聞き間違いかな? 今、凛ちゃんなんて」

「もう一度言おうか。かわいくないね、悠」


 瞬間、がしゃんという音がした。

 恐らく食器が割れた音。

 そしてそれと同時に、わたしは悠に襟元を掴まれていた。悠は左手でわたしの襟元を掴んで、利き手である右手でフォークを持っている。


(やばいな・・・)


 今の悠の状況じゃ、あのフォークで何をされてもおかしくない。

 ―――でも、だとしても。


(もう、引き下がれない!)


 決めたんだ。悠の目を覚まさせるためなら・・・、わたしは恐れないって。


「凛ちゃん、ひどいよ。どうしてそんな事言うの?」

「わたしはわたしの思ってることを言っただけさ。こんな挑発に乗るなんて、どうしたんだよ。いつもの悠はそんなこと」

「いつもの私・・・?」

「そうだ。いつもわたしと一緒に居た悠は懐の深い女性だった。どんな時でも笑顔を絶やさない、そんな笑顔が尊くて美しくて、かわいかった。今のアンタとは違うね」


 瞬間―――

 わき腹辺りに強烈な痛みが走った。


「ぐっ・・・!」


 そして、それがフォークによるものだと理解するのに一秒もかからなかった。金属の嫌な冷たさが、わき腹の中から感じるのだ。


「いけないことを言う凛ちゃんにはお仕置きだよ」

「お仕置き・・・? 憂さ晴らしの間違いだろ」


 ずきん。痛みが大きくなる。


「ぐうっ・・・」


 金属が入ってくる。

 その嫌な感覚が大きくなっていった。


「どうしてそんな事言うの・・・。誰かに何か入れ知恵されたんでしょ? 誰かに言わされてるんでしょ? ね?」

「違う。これはわたしの心からの言葉だ」


 フォークにかかる力がどんどん大きくなっていく。


「どれだけ痛めつけられても、変な薬を盛られても、拘束されても・・・。わたしの心は変わらない。心まで屈服させることは出来ないんだ」

「うるさい」

「悠、わたしは暴力や理不尽には屈さない。たとえ相手が君であったとしてもだ」

「うるさいうるさいうるさい」

「話を聞いてくれ。わたしは、悠のこんな姿を・・・、これ以上・・・」

「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!!」


 突き刺さったフォークが引き抜かれる。

 今まで押されていたものが引き抜かれ、何もなくなった部分から喪失の痛みを感じた後。


「どうして!!」


 またわき腹に、フォークが突き刺さる。先ほどまでとは微妙にズレた位置。


「私は凛ちゃんの事をこんなに愛してるのに!」


 今度はすぐに引き抜かれ、そしてもう一度刺さる。


「ぐううっ・・・!!」


 まずい。想像以上の痛みだ。

 でも、耐えろ。我慢するんだ。


「どうして凛ちゃんは私のこと愛してくれないの!?」


 幾度となくフォークの感覚がわき腹を貫く。


「私が女の子だから!? 幼馴染だから!? 私になんて興味ないから!?」


 気が飛びそうな痛みを、必死に耐える。


「悠が・・・」

「どうして私の方を向いてくれないの!?」


 悠の声に涙が入っているのは痛みで目を瞑っている今この時でも分かる。悠は泣くほど辛いことをしてる。今は耐えろ。もとよりわたしに抵抗する手段なんてない。手錠をかけられ、変な薬で力は入らない。ひたすら、悠の行為を受け止めることしかできないのだ。


「悠が、これで・・・」

「あぁ!?」

「これで気が済むのなら・・・好きなだけやればいい」


 フォークを何度も突き立てていた悠の手が、止まる。


「どうした・・・、わたしはまだ耐えられる」

「あ、ああっ・・・」

「好きなだけやれよ、悠。わたしが壊れるか、悠が目を覚ますか・・・どっちが先かな」


 悠に明らかな動揺が見て取れる。

 今だ。

 もう、今しかない。


(ごめん、悠っ!)


 わたしは何度も詫びると。


「でああああっ!」


 持っている全ての力を使って、頭から悠の腹に突っ込んだ。

 頭突き。

 それも全身の力を利用しての。

 悠は仰向けに倒れ込み、わたしはそれに覆いかぶさるように悠の身体の上へ倒れ込んだ。これで悠が目を覚ましてくれなかったら、恐らくわたしは悠に殺される。フォーク、包丁、薬・・・悠の武器はいくらでもある。今の状態のわたしなんて、あっという間にやられるだろう。


「凛ちゃ・・・!」


 明確な殺気を持った声が聞こえた瞬間。


「これ・・・この赤いの・・・」


 悠は自らの右手を見て、真っ青な顔をしていた。


「血・・・? 凛ちゃんの、血・・・だよ・・・ね?」

「そうだよ。悠がわたしのわき腹をフォークで何度も何度も刺したんだ。その時に出たものさ」

「あ、ああああ」


 一瞬、混乱で全ての思考が吹き飛んだのだろう。頭を両手で抱えた後。


「うううぅぅ・・・、うあぁぁぁぁ」


 うめき声に近いような声で、みっともなく泣き始めた。


(ごめん)


 悠の中にある、最も辛いトラウマを利用した作戦。悠にとって、わたしの血というのはそれほどまでに強烈なものなのだ。悠がスタンガンや薬を使って、わたしの身体に深い外傷を残そうとしなかったのも、恐らくそれが理由なのだろう。


 トラウマを利用して悠に強いショックを与え、一種の錯乱状態にあった悠の暴走を無理矢理停止させた。

 荒療治にもほどがある方法だけれど、わたしにはこれ以外の方法が思いつかなかったのだ。


「悠」


 顔を伏せて泣いている彼女の名前を呼ぶ。


「ごめんなさい、ごめんなさい凛ちゃん・・・ごめんなさい・・・」


 その時。

 彼女の姿が、強烈に重なった。

 さっき見た光景、思い出した記憶。その中で泣いている少女に、今の悠の姿はそっくりだった。

 ひたすら謝罪の言葉を口にして壊れたようにそれを繰り返す。そしてそれと同時に聞こえてくるすすり泣く声。その声も、幼さが消えているという以外の点においては。


 ―――記憶の中の悠の声、そのものだった。


「もういい。いいんだよ」


 わたしは首を小さく横に振りながら、彼女に語り掛けた。


「わたしにも責任はある。悠・・・わたしの」


 ここから先を言うべきか、頭の中に疑問は浮かんだ。

 でも、それを戸惑う気持ちはひとかけらもなかった。


「わたしの世界で一番大切な人。愛を誓い合った幼馴染」


 瞬間、悠の嗚咽が止まる。

 彼女は恐る恐る顔を上げて・・・。


「う、うそ・・・」

「うそなもんか。現にこうやって思い出してるんだ。事故で失ったはずの記憶を」

「どうして? もう戻らないって」


 そう。普通の人生を送っていたなら、決して戻ることが無かっただろう。


「悠。わたしに本当は女子中学生に飲ませちゃいけないような劇薬、いくつか飲ませたでしょ?」

「!」


 どうやら、心当たりがあるようだ。


「そのどれかが効いたんだろうな。さっき目が覚めた瞬間、急に頭の中がクリアになって、あの日の映像が流れ込んできたんだ」


 まるで今まで何かにせき止められていたもののタガが外れたように。


「悠、わたし全部思い出したよ」


 ああ、間違いない。

 わたしの中で感じていたズレ。日常に刺さった違和感。この世界が自分の世界でないような感覚、何をやっても満たされない不達成感。

 その全てはきっと、この記憶をなくしていたことが原因なのだろう。

 こんなにも大切なことを忘れていたら、ああ感じてしまうのも仕方ないと、今なら思える。


「凛ちゃ・・・凛ちゃぁぁぁん」


 涙で顔中ぐしゃぐしゃになった悠が、まるで犬のように抱き付いて頬を摺り寄せてくる。


 きっと悠が盛った薬の中に、精神作用のものが入っていたのだろう。

 そしてこれもただの憶測だけれど、それは効果があまりにも強すぎて本来は女子中学生が飲んではいけないものだった。でも、わたしはそれを飲んだ。悠が劇薬を盛るという凶行に至ったことで。そして、その薬がわたしの頭にダメージを与え、壊れた脳のメモリーを修復させて記憶がよみがえったのだ、たぶん。

 もしくは、もう一度すさまじいショックが脳に与えられた拍子に、記憶が戻ってきたのかもしれない。壊れた機械を叩いたら直った、と同じ理論だ。


 ―――このすべてが偶然の一致だとするのなら、あまりに出来すぎな『奇跡』じゃないだろうか。


「うわっ。血、血が付くから!」

「いいもん。凛ちゃんの血なら付きたいし!」

「悠、元に戻ったならまず止血してくれ」

「凛ちゃんに抱き付くのが先~」


 悠はぎゅっとわたしの身体を抱きしめてくれる。

 ああ、抱き返したい。悠を抱きたい。無性にそう思ったけれど、手錠をかけられているせいでそれもままならない。こんなにも愛おしい人が近くにいるのに・・・じれったいことこの上なかった。


「凛ちゃん」


 悠はそれを分かっているのかいないのか、わたしの名前を呼ぶと。

 両頬をがっちりと手のひらで掴んで、キスをしてきた。

 すぐに舌まで入ってきたディープなキス。それでも、あの時無理矢理やられたような嫌悪感も恐怖もなくて、わたしはそれを素直に受け入れた。

 今は悠が愛おしいから、何よりも愛おしいから。嫌なわけがないし、怖いわけもなかった。手が使えない分、舌で悠を求める。そして彼女もそれに答えてくれる。絡みついて離れない。きっと悠もそう思ってくれたに違いない。息が止まりそうになるまで、ずっとキスをしていたから。


「ぷはっ」


 お互いに唇を離すと、それでも離れたくないと言うように唾液が糸を引いていた。


「悠」

「凛ちゃん」


 お互い名前を呼び合うと、もう一度だけ軽いキスをした。

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