完璧なわたし
やはり、わたしはこの世界の住民ではないような気がする。
小学校の高学年になった辺りから、周りとの感覚のズレ、違和感のようなものに苛まれていた。
この、今いる柳瀬凛という人間の送っている人生は本当のわたしが送るはずのものではないような、偽りの生活を強いられているような感じすらする。
じゃあ本当のお前は何なんだ、と言われると、それもよく分からない。
(今のわたしとは違う何かが、本当のわたしのような―)
そんな居心地の悪さを感じるのはどうしてだろう。
その居心地の悪さからか、わたしは周囲の人間との付き合い方を次第に変え始めた。わざわざ私立の中学、それも女子校に進学したのも、その一環だったのだろう。
もしかしたらその『本当のわたし』とやらを見つけたくて、さまよっていただけなのかもしれない。
◆
大剣を振るってバケモノを一刀両断する。
相手はよく分からない。とにかく黒いバケモノだ。わたしがそう思うからそうなんだ。
わたしはそれを真っ二つに割って、仲間たちに向けて勝利のガッツポーズを送った。仲間たちはわたしの元に集まると、口々に勝利を称えてくれる。ひたすらの絶賛。こんなに気分が良いことも無い。
しかし、次の瞬間。
大きな音がしたのと同時に、世界が揺れた。とにかくとんでもない揺れだ。天変地異、そんなもんじゃない。ラグナロク、世界の終わり、審判の日。そう、それは世界の有り様を変えてしまうような何かだった。
そして。
「凛ちゃーん。朝だよぉ、起きてー。凛ちゃーん」
「う、うぅ~ん。やめろぉ。やめてくれぇ・・・」
目覚まし時計の電子音。それが本当にうるさくて、布団をかぶり直そうとした瞬間。
「もう、起きてって言ってるでしょー」
ふわっと全身にわずかな寒気を感じた。
もうすぐ夏だっていうのに、掛布団を取り上げられたくらいでぞっとしてしまう。
「ううー・・・、悠!!」
それで完全に覚醒したわたしはガバッと起き上がりながら、幼馴染の名前を口にした。
「あ、凛ちゃん起きたね」
「起きたね、じゃない! なんで布団ひっぺがすんだよ!」
「凛ちゃんが起きないからだよ」
「今、良い気分で夢見てたのに! クライマックスだったんだよ!?」
それを聞いた悠は唇に人差し指を当てて、数秒だけ考えると。
「凛ちゃん。夢のクライマックスと登校時間、どっちが大事?」
と、とびきりの笑顔で問うてきた。
そんなのは、勿論。
「・・・遅刻は嫌だからな」
後者に決まってる。
◆
わたしの通っている中学は全寮制だ。それも、一人部屋を割り振られている。さすが超お嬢様学校と言ったところだろうか。
もっとも、両親が目から血の涙を流しながら働いて稼いだ入学金の額を考えると当然と言えば当然かもしれない。
「今日から一国一城の主か」
入学式の日、部屋のドアに書いてある『柳瀬』という文字を見つめながら、そんな事をつぶやいたのを思い出す。
「でもなあ」
隣の部屋のドアを見る。『逢坂』と書かれたプレートを。
「悠が一緒だと思うと、新鮮味も半減だな」
彼女は小さい頃からの幼馴染であり、お隣さんであり、親友だった。
わたしが周囲の人間とのかかわり方を一考した後も、悠との関係だけは何も変わっていない。彼女が他の多くの人間とは違い、その前後でわたしとの接し方を唯一変えなかった人物だから、と言うのが恐らく一番の要因だ。
「りーんちゃん」
悠の甘い声がして後ろを振り向く。
「これから三年間、よろしくお願いします」
見ると悠が深く頭を下げ改めて挨拶をしてくれていた。その時、深く頭を下げ過ぎて、Tシャツの胸元から胸の谷間が丸見えになっていただなんて、恐らく本人は知る由もなかっただろう。
(育ったなぁ、悠)
当然ながら、悠だって昔はぺったんこだった。明らかに成長してきたのは小学校4年生くらいから。いつの間にか背も抜かれるし、身体が丸みを帯びてきたのもそうだけれど、1番の差を感じるのはやっぱりどうしても胸だった。同じ下着の話をしているのに全く会話が成立しないのを体験して、これこそがカルチャーショックなのだと、教科書でしか読んだことが無い概念を感じたのを覚えている。
◆
話をいま現在に戻そう。
気づけば部屋は香ばしい匂いでいっぱいになっていた。
(この少し焦げた匂いはトーストかな)
そんな事を考えながら、わたしは夏用制服のYシャツ、その首元をきゅっとリボンで締めた。
そして、鞄から包帯を取り出すと。
Yシャツを捲って、それを右腕の二の腕から手首の少し手前辺りまで巻きつける。
「じゃーん。目玉焼きトーストできたよ~・・・って、何やってるの?」
2人分の朝食を両手に一皿ずつ持った悠が、覗き込んでくる。
「み、見るな! 見たらお前にも黒龍の呪縛が!」
慌てて手元を隠す。
「呪いにかかっちゃうの?」
「ああ。こんなのはわたしだけで十分だ・・・。悠、お前はわたしのようにはなるなよ」
自らを戒めるように悠に語り掛け、きゅっと包帯の先を結ぶ。
「大丈夫。たぶん、ならないと思うから!」
「それは何よりだ」
それでいい。悠には陽の当たる道を歩いてほしい。それが大罪を犯してしまった、わたしのただひとつの願いだから―――
「「いただきます」」
手を合わせて、2人の声が重なる。
朝食の時間だ。
「うん。美味いな」
黒龍の呪縛で日光が天敵になってしまった身としては、朝はけだるいしご飯食べる気もあまりしないのだけれど、悠の手料理ともなれば話は違ってくる。毎日毎日、わたしの部屋に来てわたしを起こし、朝食を作ってくれる悠には感謝の念が絶えない。
(恥ずかしくて面と向かってお礼は言えないけど)
大体、悠が勝手にやってることだし、わたしの方から礼なんてしなくても悠はわかってくれている。何の問題も無い。目玉焼きトーストを齧りながら、そんな事を考える。欠かさず飲んでいる牛乳も忘れずに。
(いつまでも悠より背が低いのは嫌だ)
なんか、かっこ悪いじゃん。幼馴染の顔を見上げるのは。
「忘れ物ない?宿題のノート入れた?」
「当然。わたしの記憶が呪縛により欠損していなければ完璧だ」
「さすがは次期生徒会長さんだね」
「ふふ。よせよ、次期生徒会副会長」
前生徒会長より推薦された生徒会長の座。
しかし、これも王の力を継ぐものとしては当然の責務かもしれない。優秀な人間が大衆の上に立つのは世の常だ。わたしがこの学校を率いることも、ある意味運命だったのかもしれない。そして前生徒会副会長が悠を副会長に推したのも、きっと同じような理由だ。
戸締りをして高層マンションのような寮から一歩外へ出る。そこはもう通学路のど真ん中。登校する生徒たちでいっぱいになっている。
そんな場所へわたしが出ようものなら。
「きゃー、柳瀬先輩―!!」
「ごきげんよう、柳瀬先輩!」
「柳瀬さん、今日もちっちゃくてかわいいねー」
登校中の生徒たちがこちらを一瞥して黄色い声援を飛ばしてきた。
いつもの事とはいえ、毎朝毎朝これだとさすがに参る。
「ごきげんようみなさん」
スカートの裾を持ち、つま先に重心を預け膝を曲げながら頭を下げた。
それと同時にまた黄色い歓声が聞こえてくる。
(この学校に来て覚えたことの1つだな・・・)
こんなポーズ、それこそフィクションの中の女王とか、財閥令嬢とかがやってるところしか見たことがなかった。
それを自分がやろうとは夢にも思わなかったけれど。件の前生徒会長が、わたしがやれば一発で生徒、教員、すべての人の心象が良くなるとのことで1年生の時にこれを教えてくれた。まさか本当にあの人の言うとおりになるとは・・・。悔しいけど、あの人の言うことだから当たっても意外な感じはしない。
(前生徒会長はこんな事やらなさそうだもんなあ)
彼女は笑って手を振ればいいだけだったんだ、楽なもんだ。
「あ、あの!柳瀬先輩っ」
その時、周りの生徒たちが少し遠巻きに注目していく中、1人の少女がわたしの前に駆け寄ってきた。
「これ・・・受け取ってください!」
彼女は紙袋で丁寧に包装された小包のようなものを、頭を下げながら差し出してきた。
「えっと」
どうしよう。
少し、対応に困っていると。
「1年生の友利さん・・・よね」
ずっと隣にくっ付いてきていた、悠が彼女に優しく語り掛ける。
「は、はいっ!」
友利と呼ばれた彼女はがちがちに緊張した様子。
「ごめんなさい。私たち生徒会は、こういうものは受け取れないの。ひとつひとつ受け取っていると荷物になってしまうし・・・ね、凛ちゃん」
悠は丁重にお断りをして頭を下げてから、わたしの方をちらりと見やる。
「う、うむ。そうなんだ。友利さん」
わたしは彼女の手を取って、できる限り自然に微笑みかけた。
「でも、君の気持ちは嬉しい。その気持ちだけでも受け取っておくよ。決まりは決まりなんだ・・・わかって、くれるよね?」
「は、はい」
彼女はぽーっと真っ赤になりながら、どこか逆上せた様子で呆けてしまう。
そして。
大量のきゃー、という歓声が聞こえてきた。
(もう、1つのショーだなこれは)
このお断りを含め、辺りから歓声が聞こえてくるまでがワンセット。
わざわざこうやって人の多い場所でやることで、ダメですよ、受け取れませんよというのを多くの生徒にアピールしておくという面もある。この方が効率的なんだ・・・と気づいたのは、それこそ前生徒会長がこれと全く同じ対応をしているのを見た時だった。
校門を抜け、学校の敷地内に入る。そうなると雰囲気はより、名門のお嬢様学校といった感じが濃くなってくるのだ。それこそ自分より背の低い女生徒を捕まえて。
「タイが曲がっていてよ」
と言いながら、慣れない手つきで彼女の制服Yシャツのリボンを直してあげる。そしてまた歓声が上がる。流れ作業のような感覚だ。
そうして野次馬やらファンやら生徒会の知り合いやらと一緒に大名行列さながらの様相でようやくわたしは自分の教室・・・2年1組へとたどり着いた。
「あー、疲れた」
ここまで来れば少なくとも近くに居る人数は絞られてくる。これくらいの弱音は吐いても大丈夫なのだ。
「完全無欠の次期生徒会長さんが、そんなこと言って良いの?」
そして凛がそれに対してすかさずコメントをよこしてくる。
「少なくとも廊下や中庭で弱音を吐くよりは、ここの方が良いだろ」
「寮に戻るまで丸一日、大変だね」
「あのなあ。悠だって似たようなものなんだぞ。常にわたしの隣に居るから、かかる負担はほぼ同じだろ」
1日中衆目に晒されているという点では何も変わらないはず。
「全然違うよ。みんなが見てるのは凛ちゃんだもん。私はその隣で笑ってるだけの人」
「いやいや、そんな事無いって。確かに完全無欠のわたしと比べれば数は少ないだろうけど、悠のファンだって居るはずだ」
「うーん。どうかな。私って女の子にモテるタイプじゃないし。凛ちゃんレベルのカリスマ性には全然及ばないから、誰も私のことなんて見てないんじゃないかなぁ」
確かに悠に言い寄ってくる女の子は少なく、どうしてだろうと不思議に思ったことがあった。わたしがあまりに特別過ぎて、悠の魅力をかき消している可能性は十二分にある。それくらい、自分がモテていることは自覚しているつもりだ。
「まあ、悠自身がそう思うならそうなのかな・・・」
わたしは少し首を捻りながらも、それでも自分が出した結論にある程度納得していた。悠の方が勝っているなら、わたしが生徒会長で悠が生徒会副会長なわけがない。ナンバーワンだから、わたしは生徒会長なんだ。なんて他愛のない話をしていたら、授業開始5分前のチャイムが教室に響き渡る。
「約束の鐘の音だな。最初のクエストは・・・」
「数学だよ」
「・・・滅入る」
1時間目から頭をフルに回転しなければならない授業に軽い苦痛を覚えながらも、わたしはそれを難なくこなして見せた。
(ふふ、予習はバッチリなんだ。やってできないことはない)
でも、なんだろう。
(どこか満たされない)
水を飲んでいるのに一向に喉が潤わない感覚。食べても食べても空腹。身体のどこかに穴が空いていて、そこから全て筒抜けているんじゃないかと言う気すらする。
わたしは本当にこれがしたくて私立中学に進学したのか。
授業中、ぼやけながら考える。
結局のところ、環境を移しても周りとのズレや違和感は解消されなかった。
みんな、わたしを持て囃してくれるけれど、それも本当にしたかったこととは違う気がする。テストでいい点を取って、進学もほとんど問題なくて。でも、だからと言って何も満たされない毎日。ピントの合わない日常・・・。
1日は瞬く間に過ぎて行って、でも全然進んでいない。
4時間目の体育の時間、わたしは少しだけ心ここに在らずという風になってしまっていて、一瞬、バスケットボールのパスを受け取るタイミングを間違えてしまう。その次に気が付いたときには、わたしは誰かとぶつかって尻もちをついていた。
「いてて・・・」
腕に多少の痛みはあるけれど、ただそれだけ。それ以外はまったく支障がない。
でも、目の前でわたしとぶつかった生徒が倒れている時を見た時は、さすがに焦った。
「大丈夫か!?」
わたしは彼女に駆け寄る。
こういう時、頭をぶっていたら動かすのはまずいと聞いたことがある。彼女に触れず、大声で語り掛けた。
「だ、大丈夫。ちょっと足をくじいちゃっただけだから」
彼女はすぐに返事をした。倒れていたのは気を失っていたのではなく、足を怪我して起き上がれなかっただけだったのだ。
それを確認した時、わたしは。
「悪かった。すぐに保健室へ行こう」
「えっ。へ、平気だよこんなの」
「女の子の身体に何かあったらどうする!?」
わたしは彼女をお姫様抱っこの要領で抱き上げると。
「先生。相川さんを保健室へ送ります。よろしいでしょうか?」
「柳瀬さん、あなたは大丈夫なの?」
「わたしは全く問題ありません! 相川さんはわたしが責任を持って保健室へ送り、処置をしてもらいます」
先生はあなたがそこまで言うなら・・・と、簡単に了承してくれた。
こういう時、普段の行いや生徒会役員という自分の立場があってよかったと思う。
急いで彼女を保健室へ連れて行き、保険医の先生に手当をしてもらった。軽い足の捻挫で、腫れも無いので患部を冷やしておけば痛みも引くだろうとのこと。
心の底から安堵し、四時間目の授業が終わるまで彼女と何の気ない話をして過ごした。
「本当によかった。君の身に何かあったらどう責任をとろうかと」
「そ、そんな! 柳瀬さんにここまでしてもらって、私、その・・・」
「うん?」
彼女はもじもじしながら、何か言いにくそうに下を俯いてしまう。
まさか。
「まだ痛いのか?」
「そ、そうじゃないの。でも、あのね」
相川さんは何か、まだ言いにくそうに。
「明日から、夏休みだから。柳瀬さんともしばらくお別れだなあって」
何か、大きく話が変わった気がする。まあいい。
「わたしは寮住まいだから来ようと思えば学校なんていつでも来られる。夏休み中も夏期講習やら生徒会の仕事やらで、どのみちわたしはほぼ毎日登校するから」
そこで一拍置いて。
「君が会いたいのなら、いつでも会いに来てくれ。待ってるよ」
語り掛けるように、相川さんに言う。すると彼女は軽く返事をし、頷くと、それ以降なにもしゃべらなくなってしまった。
(納得・・・してくれたのかな)
今ので何をどう納得したのかは分からないけれど、頷いていたし文句がある風ではなかったから、これで良いのだろう。