泡沫姫~奇怪な旅仲間~
「……おや」
私たちが目的の宿に着いた時だ。宿に入ると、二人の青年と鉢合わせになった。
「おお、君たちもこの宿に泊まるのか? 運が良かったな! 部屋はあと一室だ」
と、青年のうちの一人が笑顔で話しかけてきた。気さくな様子に私は笑顔を返しかけたが、護衛の二人の変化に気づいて二人を見比べた。
どちらもあまり顔色が良くない。
「……どうしたの? 政景、永景」
「……一室」
ぽつん、と政景が呟く。
一室しか残っていない、ということになにか不満があるのだろうか? 三人で寝れば良いのでは――
と、そこまで考えたところで。
(……三人一緒? ……そ、それって、殿方であるふたりと一緒に寝るということ?)
というとんでもないことに思い至り、私は俯いた。
当然、一室しか残っていないというのはそういうことだ。状況から考えて仕方ない。仕方なくはあるのだが。
「ん、どうした?」
運がいい、といった青年は、私たちの微妙な反応に首をかしげた。
「……若と寝るわけにはいかない」
永景の言葉に「ん?」と青年が瞬きを繰り返した。
そう。
私は身なりこそ男のそれではあるが、中身はれっきとした女なのだ。しかも二人にとっては主君の姫に当たるわけで。
が、無論私が女だということに気づいていないらしい青年には通じない話で、怪訝そうな顔をされるのも無理はない。そもそも腰に刀を差している女などそうそういまい。
「……若」
「な、なに?」
「我々は部屋の外で寝ずの番をいたします。若はお一人でお部屋をお使いください」
「え……え?」
寝ずの番?
それはまさか、朝まで二人とも眠らないということだろうか。
「そ、そんなことはしなくてもいいんじゃ」
「そうだぞ、三人で寝ればいい話じゃないか」
と青年も不思議そうに言う。
それに護衛の二人は説明しあぐねて顔を見合わせたが、今まで黙っていたもう一人の青年が口を開いた。
「無理なのではないか。そちらは見たところ女人のようだ」
と私を見てそういった。私が女だと一目で見抜いたのか。
私は素直に感心していたが、護衛の二人はその言葉にさっと顔色を変えた。
「は? 女人? 誰がだ?」
青年は不思議そうに連れに訊ねる。こちらの青年はあまり……鋭くは、ないようだ。
「だから。そちらの」
「女人? ……えっ? にょ、女人!? こ、この侍が!? ……な、なるほど、言われてみれば確かに女人ぽいようないやだがしかし」
「違う、その後ろの侍だ」
永景を丹念に見つめてわかったように頷く青年に、連れの青年は呆れたように指摘した。ちなみに女だと勘違いされた永景は笑っていた。笑っていた、けれど、なんか薄ら寒いのは気のせいか。
「あ、こ、これは失礼した。いやぁそうか、君が女人………女人? ……え? えええ!?」
青年は私を見て仰天し、そのままのけぞって後ろに倒れこんだ。どかん!とすさまじい音が上がった。
「……何をしているんだ」
連れの青年は呆れたように額に手をやってため息をついた。
「いったた……いや少し驚いてな。そうか、女人だったのか、これはすまなかった」
「いえあの……」
「だが確かに、それでは同室で寝るわけにはいかないな。……そうだ、俺たちとともに泊まるか? 狭いだろうがとりあえず部屋は分けられるぞ」
青年の提案に連れの方はやや顔をしかめたが、反対はしなかった。
「いいのですか? 僕たちとともに泊まれば部屋が狭くなりますよ」
「いやなに、旅はお互いに助け合うものさ。そうと決まればこんなところで立ち話もなんだ、部屋に行こうじゃないか」
青年はにっこりと笑って「いいか? 左近」と連れの青年に向かって問う。
「……私は構わない。だが……」
と言いながら、左近と呼ばれた青年は笑っている青年の刀を見遣った。
その視線に気付いたのか、「あぁ」と左近は鞘ごと刀を引き抜く。
「んん……どうすべきかな」
「まぁ、共に過ごしていた私がなんともなかったのだから杞憂であるとも思うのだが」
「ふむ、それもそうか。いやだが……」
「お二方」
よくわからない話で通じ合っている二人に、政景が呼びかけた。それに二人が振り返ると、
「申し訳ないが、相部屋にしてもらっても良いのだろうか」
「私は構わない」
「俺も構わないんだが……うーん、参ったな。いや、なにかしようとしたら俺がどうにかすればいいのか……」
「?」
よくわからない青年の言葉に、政景も永景も不思議そうな顔になる。当然だ、私にもよくわからない。
「まぁ、いい。とりあえず、部屋に行こう。そこで夕食がてら、皆で自己紹介でもしようじゃないか」
「そうだな」
そうして、私たちにもよくわからないまま話はまとまり、夕餉に至ったのだった。
「とりあえず、俺から自己紹介しよう。俺は紀義嗣。浪人だ」
「私は黒滝左近。同じく浪人だ」
二人が早々に自己紹介を終えると、私たちはそれに釣られるようにして自己紹介を始めた。
「俺は織部政景という」
「僕は織部永景と申します。そしてこちらの方が――お忍びで、伊勢参りされている我らが主君です」
名は伏せられる。まぁ、当然だろう。そもそもが伊勢参りというそれ自体が偽りだ。
「おお、伊勢参りか! 君たちは――江戸から来たのか? 旅慣れぬだろう女人もいるというのに遠路はるばる大変だっただろう」
「義嗣殿。口を慎んだほうがいい。どうも我々とは身分が異なるようだ」
左近が義嗣をたしなめる。私たちがこんなことをしていなければ妥当な判断ではあるが、何分居心地が悪い。砕けた態度で構いませんとそう言おうとした時、左近がこう言った。
「我々は播磨まで行くつもりだ。あなた方とは伊勢まで同じ道中となる」
その言葉に政景と永景の表情が変わる。
「――播磨?」
「あぁ、そうなんだ。実は旅先で偶然左近に会ってな。そこで同じく播磨へ向かう仲間だと知れたので、こうして共に旅をしているんだ。おお、そうだ。良ければ君たちも共に旅をしないか? 伊勢までの道でまた我々と宿の部屋の取り合いをしていては面倒だろう」
「……」
政景と永景が顔を見合わせる。
これでは伊勢どころか播磨まで全く同じ道中ではないか。伊勢参り、などと偽ってもそれが露見するのは時間の問題だろう。
青ざめる私たちをよそに、義嗣は煮魚をつついて目を輝かせながら左近に問う。
「左近左近、この魚はなんだ? うまいぞ!」
「それは恐らくここで名産と噂の――どうされた?」
左近が私たちを怪訝そうに見て眉をひそめる。
「い、いや……」
政景が難しい顔をしたまま視線をさまよわせる。
「そ、その、播磨にはどういったご用向きで行かれるのですか?」
私が場を和ませるように問うと、「あぁ、それなんだが」と突然義嗣が深刻そうな顔になって箸を置いた。
「伊勢まで共に旅をするなら尚更伝えなければならない。実は、その――俺の刀にはアヤカシが取り憑いているんだ」
「なっ」
政景が目を見開く。ただでさえ妖怪が苦手で同行している焔ともあまり親しくないというのに、これではとんだところで再び妖怪と絡むことになってしまう。
「兄上、落ち着いてください。それで、その刀がどうされたのですか?」
「あぁ、それでだな。俺はこの刀のアヤカシを祓ってもらうために播磨の陰陽師を訪ねようというところなんだ」
「――失礼ですが、そのような用向きで播磨の陰陽師が依頼を請け負ってくれるとは思えないのですが?」
「あぁ、俺も駄目元で文を送ったんだ。そしたら何故だか割と色よい返事が返ってきてな。出立の日、泊まる宿を色々指定されたが、それを守れるのなら良いという文が返ってきたんだ。いやぁ、請けてもらえて良かった!」
「――黒滝殿は?」
「私は人探しだ。播磨の陰陽師にとあるアヤカシを探してもらいたいと頼ったところ、義嗣殿と似通った文が返ってきた」
――これは、偶然なのだろうか?
義嗣のもとにも、左近のもとにも、そして、私たちのもとにも、似通った文が返ってきた。
しかもあの、気難しくなかなか依頼を受けないと言われている播磨の陰陽師から。
「何故、こんなことを――」
政景と永景は心底当惑した表情でお互いを見遣った。それから頷き合い、再び義嗣たちに向き直って、
「先程は失礼した」
と、二人同時に頭を下げた。
「ど、どうしたんだ二人とも……うわぁっ」
「……あなたは何をしているんだ」
「い、いやすまない、驚いて盃を落としてしまった。……あぁ……せっかくの酒がこぼれてしまった……」
「これで拭くといい。――それで、すまないのだが状況が見えない。我々があなた方に謝罪される理由がわからないのだが」
左近が尋ねると、二人は顔を上げて告げた。
「先ほどの伊勢参りというのは方便に過ぎない。――我々も、訳あって播磨を目指しているところなのだ。そしてその目指す先も播磨の陰陽師、芦屋道叶だ」
「なにっ? では君たちも播磨を目指す仲間なのか。な、何という奇遇! すごいな」
「いや、奇遇というよりは……これは、播磨の陰陽師が仕組んだことではないのか」
「仕組んだ? そんな必要はないだろう」
「だが芦屋道叶は一風変わった御仁だと聞く。そんなことをしてもおかしくはないのではないか」
左近の言葉に、「なるほど」と頷きながら義嗣はこぼれた酒を拭う。どうにも緊張感の欠けた様子に、左近はため息をついた。
「何にせよ、目的地が同じだというのなら、尚更共に旅をすべきなんじゃないのか? 仲間の数が多いほうが旅も楽しいぞ」
「あなたは少し緊張感を持て。――だが、そうだな。私も共に旅をするのは賛成だ。そちらの女人さえ良いというのであれば共に播磨を目指すか?」
と、左近は私を見てきた。
「――若」
「そ、そうです、ね」
突然話を振られてなんと返事をしたものか答えあぐねた私の口からはまともな言葉がこぼれない。しかしそれに左近という男性は気を悪くした風もなく頷いた。
「では夕餉を再開するとしよう。――あなたは早くその酒をどうにかしろ」
「あ、あぁすまない。いや参ったな……これでは裾が酒で湿ってどうにも気持ちが悪い……」
「後で湯に入って着替えればいい話だろう。我慢しろ」
「う、うむ……うぅ」
淡々と言われ義嗣は肩を落とす。その滑稽な様子に、私たちは緊張も忘れて少しだけ笑ったのだった。
「――不思議な巡り合わせ」
私は一人、部屋でそうつぶやいた。
あの後、夕餉を終えた私たちはそれぞれ湯に入り、床についた。
私は、女であり、そして姫君だということで別室である。もっとも、あの二人は私が姫だということに気づいているのかどうか微妙なところではあるのだが。
どのみち、元の場所には帰れない身だ。こうなったらやりきるしかない。
「あのおふたりは、どこの出身なのかしら……」
一人になると女言葉が出てしまうのは、許して欲しい。こうして今まで過ごしてきたのだ。突然男として振る舞えと言われても難しい。
――とはいえ、何も喋らぬうちから左近には女だと見抜かれてしまったのだが。
「――もう少し、用心すべき、か」
と、呟いたところで。
ふわりと後ろに何者かの気配を感じた。思わず手元の刀に触れた。
「――」
部屋の外に控えているはずの政景が動く感じはない。それに気のせいかとホッとしかけたところで、突然後ろから口元を塞ぐようにして抱きすくめられた。
「っ……!」
「静かにしてくれないかい。ここで騒がれるとちょいと困るんだ。いい子にしていてくれれば何かすることはないからさ」
耳元で囁かれる艷やかな声に、聞き覚えはない。いつものように焔が会いに来たというわけではなさそうだ。
「――静かにしてくれるかい?」
静かに囁かれ、私は大人しく頷いた。それに拘束を解かれる。振り返ると、そこには異様な風体の青年の姿があった。
いや、別に着物がおかしいわけではない。ただ――
「そ、その耳――」
私がうろたえたのは、彼の頭に二本の耳があったからだ。――それも、どう考えても猫のような。
「あぁ、これかい。これは猫の耳だ。俺は猫又なんでね。二本の尻尾だってあるさ」
と、笑う。
「ええと、妖怪?」
「いかにも、俺は妖怪だ。まぁ猫又って言っている以上、妖怪以外にはありえないね?」
軽妙な物言いに、私は瞬きした。
妖怪に会うのは、焔を含め、彼が二人目だ。
――なのに、どちらもなぜか――あまり恐ろしい感じがしない。
「ど、どうしてここに?」
「俺は可哀想な妖怪でねぇ。ご主人様に嫌われてんのさ」
とケラケラ笑う姿は耳さえなければそのまま人間といっても差し支えない。とはいえ、やや光彩が細いので注意して彼の目を見たならば人間ではないとわかるのかもしれないが。
「ご主人様……って、誰ですか」
「義嗣さ。紀義嗣。あんたも会ったろ? あの落ち着きのない男だよ」
「落ち着きのないって……失礼です」
「実際落ち着きがないんだからしょうがないさ。とはいえ俺はご主人様に誤解されててねぇ。悪いアヤカシだからキライってんで祓われそうになってるんだ。ね、可哀想だろ」
「はあ……」
ということは、義嗣が祓いたいと言っていたのはこの妖怪なのか。そういえば部屋を同じにすると言い出した時に、二人がやたらと刀を気にしていたが、この妖怪が悪さをしないかどうかが気になっていたのだろうか。
「ええと、義嗣さんに言ったほうがいいのかしら……」
「ちょっ、ちょいと待ってくれ。そんなことをされたら俺はその場でどうにかされちまう。それだけは勘弁してくれよ」
「ええ?」
どうにかされるって、一体何をされるというのだろう。
「俺はちょいと気が短いんだ。あんたみたいな女子、喰らうのもわけはないのさ。だから、ね、内緒にしておくれよ」
といたずらっぽく笑って猫又の青年は頼み込んでくる。
(――実際悪い妖怪にはあまり見えないし……黙っておいてあげてもいいかな)
寝所に踏み込むのはどうかと思うが、その辺は焔においても言えることなので、あまりきつく言い咎める気もしない。
「わかった、黙ってるわ」
「恩に着るぜ、綺麗な娘さん! 俺は楓ってんだ。あんたは?」
「私……私は、ええと」
「あぁそういえば訳あって播磨に向かってる偉いとこの娘さんだっけ。そんじゃま、娘さんとでも呼ぼう。名前を言うわけにはいかないんだろ?」
「あ、そうなの……」
「んで、あんたもお偉いさんの娘さんとはあまりばらされたくない。俺もあんたも秘密持ちってわけだね。んじゃ二人ともお互いばらしっこなしってことで」
と楓はひらひらと手を振った。
「どうしてここに?」
「いやぁ、面白そうな娘さんだなぁ、ってね。ちょいと興味がわいたのさ。そんだけだよ。――それじゃ、またね、娘さん」
そういうと楓は窓を開けふわりと音もなく欄干から飛び去っていった。
「……不思議な妖怪……」
つぶやくが、今度こそ部屋には誰の気配も無くしんと静まり返り、返事をする者もない。
「……私も、もう寝よう」
窓を閉じ、私は布団に潜り込んだ。
未だ遠い、播磨の土地に思いを馳せながら――