第4話「怒りの心、静める涙」part-B
「――どういうことだよ、これ……!」
驚愕に目を見開き、イナはその場に立ちすくむ。映像に夢中で操作を忘れたイナの代わりにシャウティアが制御しているため推進器は機能したままで、落下することはない。
(脈拍上昇。落ち着いて、イナ)
(……落ち着けるかよ。なんで、なんで千佳が!!)
現実から目を逸らすように、イナは瞼を閉じる。
(スキャニング――終了。ホログラムじゃないみたい)
ということは、映像内に映る千佳は紛れもなく本物だということである。
(呼吸もしてる)
シャウティアに言われて、イナはもう一度映像を見る。確かに胸が上下している。眠らされているだけなのだろう。
『――どうやら当たりの様だ』
シャウティアの集音器に反応した声は、エイグが発する音声ではない。生身の人間、それも男の声を拡大したものだ。おそらく、シャウティアが捉えた敵機からのものだろう。
(通信回線オープン。信号読込――いいよ、話せる)
「……誰だよ」
『私の名はフェーデ・ルリジオン。階級は中将であり、第3独立遊撃部隊の司令官だ。本来ならば戦艦型エイグの艦長を務めているが、今は本作戦の指揮を任されている』
「あぁ、あのクズ……」
フェーデに聞こえないように、イナは毒づく。心の中で言えばいいだけなのだが、そんな余裕も彼にはない。それに聞こえてしまっても構わないという気もあった。
『此度は戦闘を目的に来たのではない。質問をしに来たのだ』
「なら早くしろよ。急いでるんだ」
『――子供か。生意気だな』
「ガキの怒りを甘く見るなよ。うっかり基地ひとつ吹っ飛ばしかねん」
(フィル・ウェポン使用許諾確認。スタンバイ)
イナは自分の怒りを表すように、右手に大型の剣――シャウトバスタードを実体化させる。
だがフェーデは動じることなく、鼻で笑った。それがまた、イナの怒りを誘う。
『先程の映像が見えたはずだ。こちらには人質がいる』
「……相変わらず汚いな、くそったれ共が」
『口の利き方には気をつけたまえ。いくら子供と言えど、戦場に身を置く者なら人質の使い道は分かるはずだ』
「…………チッ」
イナは舌打ちして、フェーデのいるであろう方向を向いて、鋭い目線を向ける。
「答えろ、あいつをどこで捕えた。どうして人質にした」
『上からの命令だ、私の知ったことではないが――人質は中国基地にある。捜索し救出しようなどという愚かな考えはせんことだな』
(上……くそ、あのクズの龍が)
歯ぎしりして、イナはそのクズの龍――iaを脳裏に思い浮かべる。人類にエイグという武力を与え、プレイスの力を増強させるために連合を操った、黒幕だ。もちろんこの世界にいる中で、iaを知る人間は数えられるほどしかいない。連合の上層部と呼ばれる人間達だ。おそらく今回千佳を人質にしたのも、イナと親しい仲にあることを知って――
(――待てよ? iaにそんな力があるのか? ……いや、あいつは神と同等の存在だ。実質エイグを作った奴のようなもんだし、記憶の読み取りくらいできてもおかしくない)
自分の中で結論付けて、イナはシャウティアに聞く。
(なあシャウティア、近くに味方機の反応は)
(――7時方向、数1。……いや、まだいる。そこから更に6時方向、数3。)
(ディータ達か。メッセージ送れるか?)
『話が逸れたな。そこまで急ぐならさっさと用件を済ませてしまおう』
「チッ……うぜぇな。早く言えよ」
イナは一々苛立たせてくるフェーデに怒りを隠せなくなってきている。それに気付いているのは、シャウティアだけだ。
(送れるけど、傍受されかねない。来たら皆もあの映像を見るはずだから、大丈夫だと思う)
『貴様の名前は瑞月伊那。間違いないな?』
「ノーコメント。『イナ』であることは認める」
フェーデを見下すように、イナは言う。彼はこの世界ではスレイドとして生きている、という屁理屈を言っているのだ。
『ふむ……まあ、良かろう。24時間の猶予を与える、それまでに武装の解除を行え。でなければ人質は処分、日本に攻撃を仕掛ける』
「……そうかい」
『賢明な判断を待っている』
(――敵機ロスト)
「イーくん、大丈夫ー?」
シャウティアが静かに告げてすぐ、シエラの声が届く。その傍にシフォン、シアス、そして見覚えの無い白いヴェルク――恐らく、ディータのものだ。
イナは返事することなく、黙っていた。恐る恐るシエラが顔を覗き込もうとすると、イナは身を振るわせ始めた。
――笑っているのだ。
「くく、く……賢明な、判断? あぁ、してやろうじゃねえか、え、クズ共が……!」
「イ、イーくん?」
「何か、あったんですか?」
明らかに様子がおかしいイナに、アヴィナとディータは驚き――いや、それだけでなく怯えを見せている。
一方でレイアは察したような様子でいる。
「……一旦退くぞ。イナ、降りたらすぐに今朝の講義室に来い。あとアヴィナとディータもだ。私は戦闘が可能な搭乗者とミュウを呼ぶ」
「ん。ほい、了解です」
「隊長――いえ、司令代理の命令とあらば」
「あまりその肩書は好きじゃないんだ。……まあ、とにかく戻るぞ。イナ、聞こえているか?」
「あぁ、聞こえてるぜ。早く戻ろう」
口調まで変わっている彼に、レイアはそれ以上言いはしなかった。
それから僅か10分で、レイアの予定した作戦会議は始まった。この短時間で隊員が集まれたのは、偏にレイアの指揮能力の高さと、人望の大きさ、ついでで言えば人数の少なさからだ。レイアがただのヴェルク搭乗者だというのに司令官と同等の権限を持てているということで、アーキスタの悩みは大きくなっていくわけだが――今は、その話をしている場合ではない。
レイアは一度手を叩いて、ざわめく隊員達を黙らせる。
その中でイナは一人苛立たしく机に指を打ちつけている。
(早くしてくれよ……)
そんな彼を見たレイアは、呆れたように溜息を吐いて手招きをした。
イナは怪訝そうな顔をして立ち上がり、渋々と前に出た。
「なんだよ」
ふてぶてしく言うが、レイアは特にこれと言った反応を示さない。
「お前の知っていることを話せ。何かあったのは明白だ」
(そりゃ、自分でもわかる程にイラついてるからな……)
イナは気休め程度に気持ちを落ち着かせようと、深呼吸をする。
そしてフェーデの忌々しい言葉を思い出して、それを声に出す。
「『24時間の猶予を与える、それまでに武装の解除を行え。でなければ人質は処分、日本に攻撃を仕掛ける』――連合の司令官殿はそう言ったよ」
「さしずめ、人質はお前の知り合いといったところか。『隊員の身内を救う』――助ける理由としては、こちらは十分だ……だがイナ、落ち着け。お前が焦れば焦る程、その人質へ危険が迫ることになる。いいな?」
「……わかってるよ」(わかってるけど……!!)
イナは今この場に怒りの矛先が無く、苦し紛れに歯ぎしりをする。レイアはそれを見て一瞬だけ悲しそうな顔をしたが、すぐにいつもの表情に戻る。
「24時間の猶予はあるが、そこまで待ってやる必要はない。移動時間は最短で約30分。ミュウ、推進器の改装を頼めるか」
ミュウは招かれたわけでもなく自分から前に出て、語り出す。
「改装より、使い捨てのブースターを使用することをお勧めするわ。それなら時間も節約できるし、お求めのスピードも簡単に手に入るわよ」
「帰りはどーするの?」
「丁重に扱ってくれれば3回は使えるようになってるわ。一人につき2基、重装ヴェルクは3,4基。動けるヴェルクは今のところ計20機……十分に足りるわ」
緊迫した状況だというのに相変わらずのアヴィナに一々反応することなく、ミュウは答える。
「なら、そちらで良いだろう。では、部隊構成について話そう。私を筆頭とした高機動型で編成した第1部隊は先行して後続部隊を配置する空間を確保する。火力重視の第2、第3部隊は到着後第1部隊と共に徹底抗戦」
「俺は、俺はどこだ」
焦るイナに、レイアは鋭い目線を向け、言った。
「――お前は一機だけの第4部隊。私達より先に基地へ襲撃し、人質を奪還しろ」
一機だけ。それはつまり、目的を果たした後は自由に動け――ということだろう。
「けど、そう簡単に行くもんなの? 武装解除しろって言ってんのに日本近海に敵機いないんでしょ?」
「ステルス機ね。レーダーも疑わないほどの性能を有してるみたいだけど、不完全みたいね。ちょくちょく姿を現してて……今は新潟辺りを飛んでるらしいわ」
「ほえー。なんでそんなの分かるの?」
驚いているのだろうが、その口調からはそんな様子は感じ取れない。
「従兄が国防に頼んでんのよ。……アンタ、どうやって敵が来たこと察知してたと思ってんの?」
「いやぁ、よく考えて無かったなぁ~」
無邪気にやははと笑うアヴィナを置いて、話は先へと進む。
「それで、そのステルス機をかいくぐる方法は? 何かあるのか」
「目にも留まらぬ高速移動――お前にはそれが可能なのだろう?」
(……さすがはレイア・リーゲンス。近くで使ったのは2回だぞ。それだけで見抜くとは……)「あぁ、できる」
「ならば遠慮なく飛ばしていけ。その機能の実態は知らんが……手段を選んでいる暇は無いだろう」
「これ以外の手段はない。俺がやる。今すぐにでも行く」
強い意志を言葉にするイナに、レイアは安堵した表情になる。
「落ち着けと言った。出撃は禁じないが、やりすぎるな。お前たちも聞いておけ、今回における作戦失敗はステルス機の撃墜、または敵に察知され人質が処分されることだ。イナ、すべてはお前にかかっている」
すべてはお前にかかっている――その言葉の重みを感じ、イナは一瞬身が硬くなる。
だが怒りと余裕で、それはすぐに解かれる。
「やってやるよ、何だろうと」
「――あの、お姉ちゃん。人質さんを救出したら、どうやって合図するの? 閃光弾なんかじゃ遠すぎて見えないと思うんだけど」
「そう言えばそうだな……ミュウ、何かあるか?」
「あるか、なんて言われてもねえ。中国から日本まで見える閃光弾なんて、目ぇ瞑っても潰れるわよ」
残酷なことをさらりと言うが、ミュウの冗談もあながち間違ってはいない。
肝心なところの手段が無く、皆一様に黙る。
が、イナが恐る恐る手を挙げたので、そこに視線が集中する。
「プレイスフォンを使おう」
「プレイスフォン? ……そうか。あれなら世界中どこでもほぼリアルタイムで情報の伝達が行える」
「でも、どうやって持っていくの? コアの中にプレイスフォンは入れられないわよ」
それは先ほど、イナがミュウに説明を受けた内容だ。理由は不明だが、エイグのコクピット――コアには、道具を入れることができない。
「シャウティアに持たせる。俺が持つ必要はない」
「……あー、そう。普通の考え過ぎて拍子抜けだわ。わかった、あとで足元に袋でも付けとくわ。右で良いわね」
「ああ、頼む」
「さて、あと問題になるのは――人質の位置か」
「中国全土とは言わないけど、その一部だもんねー。かなり広いよ」
レイアが顎に手を当て、思案する。何かいい案があるのかもしれない。そう思って、誰も口を開かなかった。
「イナ、人質についてどれくらい分かる?」
「分かるというのはつまり……記憶の濃さか?」
「ああ、そうだ。濃ければ濃いほどAIに覚えさせやすく、発見が容易だ」
「要は、アンタの記憶を使ったレーダーよ。同じ生体反応を持つ存在を記憶の参照によって検索、同一の存在を探すの」
(要約した後に詳しく説明すんなよ……)
相変わらずのミュウに顔をひくつかせていると、レイアがふふ、と笑った。
「な、なんだよ」
「不安定だ、と思ってな。今はそれでもいいが、人質を奪還してから気を抜くなよ」
「……させねえよ。なんなら、あの基地を吹っ飛ばしてやってもいい」
「やめときなさい。奴らが憎いのは結構だけど、私達はまだ一度もそれをしてない――それに、それをするのは制圧戦の時でいいのよ。手練れの仲間が多い方が、成功確率も上がる。中途半端にやられたんじゃ、こっちとしてもたまったもんじゃないわ」
「ミュウの言う通りだ。……さて、作戦内容の確認を行う。まずイナが中国基地へと直接侵入、人質を迅速に救出すると同時に、プレイスフォンによる合図を行う。後で私とアドレスを交換しておこう。後、念のために言っておくが――万が一侵入が発覚し交戦状態になるか人質が処分されるか、あるいはその二つが同時に起こった場合でも合図しろ。私達が援護に向かう。その後は部隊ごとの役割を果たせ。ああ、そうだ……格納庫のハッチ開放も見られてしまえばアウトかも知れんな……」
「待ってくれ。……ミュウ、天井――ハッチを高速で開けることは?」
「無理ね。都合よく地下通路とかあったりしないし、かといって格納庫から堂々と出ればそれもアウトでしょうし……あら、ここでも手が詰まったわね」
ミュウは特に興味が無さそうに言う。そこにアヴィナが割って入る。
「そんじゃ、武装解除のフリをするとか?」
「ええ、騙すってそれ、逆効果だったりするんじゃ……」
「いや、案外行けるかも知れん。イナ、お前のエイグが高速移動可能な時間、あと正確な速度は分かるか?」
「え、ええと……ちょっと時間をくれ。聞いてみる。――AGアーマー、展開」
イナは咄嗟に思い出せなかったので、AGアーマーを装着してシャウティアと二心同体になる。
そこに赤い鬼のような鎧が現れどよめきが起こる。しかしイナは気にせずシャウティアへと問いかける。
(シャウティア、分かるか?)
(制限時間は、シャウトエネルギーが持続する限り。これは前回の戦いで節約してくれてた上に結構喋ってくれたから、結構余裕あるよ。1時間はもつかな。あと速度は……ちょっと、数字にするのは難しいかな。イナの知識で合ってるから、それで説明して)
(え、あ、うん……わかった。ありがとう)「AGアーマー解除」
他人から見れば一瞬だった会話が終わり、イナの身から鎧が消える。
「時間は……まぁ、作戦に使う分には十分らしい。1時間を目安に頼む。あと速度は……話すと長くなるから割愛するけど、要すると『相手から見た1秒を俺のx分の1にする』って感じだな。かなり早いから、100なんかじゃないのは確かだ。……ええと、とにかく速い! それでいい! ええと、お前らで言えば1分ちょっとくらいで終わらせる!」
自棄になりつつ言い切ったが、特に誰も反応を示すことはなかった。
それどころか、無視にも近い反応だ。
「ま、その話はまた今度で良いわ。ちょうど補習で話す予定だったし」
「つまり武装解除に応じるフリで、ヴェルクを譲渡するように見せかけるために格納庫のハッチを開放。その隙にイナが高速移動で出撃――以下は先ほど説明したとおりだ。第1部隊は私、第2部隊はアヴィナ、第3部隊はライツを隊長とする。各自、隊長の指示に従え。いいな」
了解――隊員達の心強い声が重なり、士気が高まる。そして皆講義室を出て、格納庫へと向かう。
(……待ってろ、千佳。今あのくそったれ共から助け出してやる)
その中で一人決意を固めるイナの耳元に、レイアの口が寄ってくる。
「なあ、イナ……今思い出してしまったんだが、その人質はどこにいるんだ?」
「ん、ああ。間抜けな司令官が口を滑らせたからな。中国基地にいるってよ」
「ふ……本当に間抜けだな。だが、時間をかけてしまうと移動され、罠になり得ん。奴らも準備の最中だろう、今が好機だ」
「ああ――じゃあ、行くぞ」
「ちょっと待て。私とアドレスを交換していない。――どんな作戦でも、一つ間違えば失敗へと一直線だ。こういう所を怠るな」
「……悪い」
謝りつつ、イナはポケットからプレイスフォンを出す。
「送受信部をくっつければいいんだっけか」
「そうだ」
イナはレイアに合わせて、プレイスフォンの背にある黒い部分を接触させた。その直後電子音が鳴る。交換成功と言うことだ。
「よし、できた。急ぐぞ、ミュウも袋を用意しているはずだ」
「ああ」
イナが短く返事して、二人は講義室を飛び出した。
◆
日本海を飛ぶステルス機能搭載の大型輸送機に乗るフェーデは、肘掛で頬杖をついて退屈そうにしていた。
命令では、あと23時間ほどここで待機しなくてはならないからだ。
「何故私がこんなところで油を売らねばならんのだ……」
などという愚痴を吐くも、周囲にいるオペレーター達が何か言葉を発することはない。どうせ脅されるとわかっているからだ。
そんな彼の下に、情報が届く。
「プレイス日本支部基地より、通信を求められています」
「フン、条件を呑む気になったか」(……しかし、あの小娘にあそこまでの価値があるというのか……?)
その疑問を口にすることもなく、フェーデはオペレーターに回線をつなぐように命じた。
フェーデの傍にあるモニターにプレイスのマークが現れる。
「まだ時間はあるぞ、ちゃんと考えたのかね?」
『ええ、時間はかかりませんでした』
モニターの先にいるのは、レイアだ。仮にも今の彼女は司令代理なのだから。
『武装解除に応じます。これより私達の基地の格納庫を開放しますが、収納しているヴェルクを稼働させはしません。狙撃するなり爆撃するなり、お任せします』
「嫌に素直だな。裏があるのか?」
『まさか。あの少女にはそれだけの価値がある――そういうことです』
「フン、良かろう。賢明な判断に感謝する」
『こちらこそ』
危機的状況にあるはずなのに、余裕があるその声――フェーデの疑いは消えることはなかった。
だが何にせよ日本支部が投降するので、何も手を打たないわけにもいかない。
フェーデは回線を切り、オペレーター達に命ずる。
「制圧部隊、出撃準備。輸送機を日本支部の近くまで移動させろ」
「了解です」
生真面目なオペレーターの返事を聞いて、フェーデはまた頬杖をつく。
(さて、どうなるか……まあ、我らの勝利は揺るがんがな)
◆
日本支部、格納庫――調整・整備中のものを除くすべてのヴェルクには既に搭乗者が乗っているが、戦闘準備はされていない。誰も乗っていないフリをしているのだ。
フェーデとの通信を終えたレイアは、にやりと笑って格納庫中に響き渡る声で叫んだ。
「ハッチ開放! 頼むぞ、イナ!!」
(――ああ、やってみせる)
遠くから聞こえた声に、イナは心の中で返事する。
そして連合軍側からはプレイス日本支部基地の投降を示す、ハッチの開放が始まった。
ゆっくりと開いていき、隙間から陽が差し込んでくる。
(暑いな)
(気温測定――37.8。外出はお勧めできないね)
(そうも言ってられないけどな。行くぞ、シャウティア)
(うん)
平静を装いつつ、イナは空を見上げる。
「チッ」
(システム起動。時流速操作)
イナの舌打ちを皮切りに、彼以外の時間の流れが遅まる。
そして僅か数時間だけの作戦が始まった。
「行くぞ、最速で!」
(分かってると思うけど……時流速が高くても、イナの体感時間は変わってないよ。中国までは最短で1時間くらいかかる)
(……できるだけ早く頼む)
少し落胆しつつ、イナは空へと飛び出す。
(中国までのナビゲートを頼む。基地の所在は……まあ、ツォイクの反応が多いとこを探してくれ)
(うん)
頭の中に現れた地図を認識して、イナは遥か先――連合軍基地へと向かうのだった。
――そして、イナは何事もなく中国の国土に足を着けた。無人の海岸には、既に10機ほどのツォイクが配備されている。
「ここが中国か……初めてだ」
(ぼけっとしてる暇は無いよ。それにずっとそこにいると、気付かれる)
「悪い悪い。行こうか」
イナは周囲のツォイクを無視して地を蹴り、また空を駆ける。中国が初めてである彼にとって、目に映るもの全てが興味の対象だった。
だが今は作戦中、それも千佳が最優先であることを思い出し、興味を振り払う。
(シャウティア、記憶を参照。悠里千佳)
(参照――類似の結果を除外。存在情報『悠里千佳』――これでいいの?)
(ああ、頼む)
(了解。『悠里千佳』の存在情報を複製、レーダーの探索対象に追加)
イナは頭の中で何かが蠢く感じがしたが、直ぐに消える。シャウティアが自分で言っていたことが行われただけだからだ。
(エネルギーはあとどれだけもつ?)
(最低でも40分くらい。あ、皆はまだ10秒くらいしか経ってないよ)
最低でも40分でもあることより、まだ10秒くらいしか経ってないと聞いて、イナはほっとする。1分くらいで終わらせると見栄を切ったのに、それをオーバーしてしまうとカッコ悪いからだ。
(……急ぐぞ)
(うん)
イナは推進器の出力を上げて、広い国土の中を駆け巡る。
山があったり、市街地があったり――そうしながら軽く中国を一周すると、ちょうどそこに基地らしき場所が見えた。
「あれか」
(うん、エイグの反応多数。中国基地に間違いないよ)
「何秒経った」
(15秒。エネルギーもまだ大丈夫)
「分かった。千佳の反応を探してくれ」
(了解)
イナはゆっくりと着地し、周囲を見渡しながら道路を歩く。この道路に兵士が全くいなかったのが幸いし、イナはとても歩きやすかった。
「どうだ?」
(ううん、まだ――きゃっ!)
「ぐっ!?」
シャウティアの悲鳴でイナが足を止めると、彼の頭の中に不快なノイズが走った。
それは肥大化していき、イナはまともに立つことができず膝をつく。
(うァ、ぁ……シすテ、ム、強制、シャッと、だウン……!?!?!?)
シャウティアのAI音声が乱れ、最後にイナは体に力が入らなくなり、その場に倒れ込む。
「ぐ、う……どうなって……」
イナがうめき声をあげると、基地内に設置されたサイレンがそこかしこで鳴り出す。そのけたましい音で気が付くと、イナはすぐに地に手をついて体を起こし、膝立ちの状態になる。
「……っ、動く。シャウティア、どうなってる!?」
(システムが、機能しなくて……時流速が強制的に、規定値に……!)
「――――っ!!」
シャウトシステム――シャウティアがシャウティアであるために、欠くことのできないアイデンティティー。それが上手く機能していないということはつまり――今この瞬間に、作戦の失敗が告げられたようなものである。
「エネルギーは!?」
(落ち着いて、声が出てる。――大丈夫、イナの声から抽出できてるよ)
(使えないのは時流速操作か……くそったれ! お前は千佳を探せ! 俺はプレイスフォンで連絡を取る、開けてくれ!)
(う、うん!)
サイレンが鳴ったということは、そう長くここには居られない。イナが瞬きをすると人間の視界に戻り、開かれた胸の装甲から外へ飛び出す。高さを気にしてはおらず、イナは十数メートルの高さから着地する。足に激痛が走ったが、それを気にしている場合ではない。すぐに右足に取り付けられている袋からプレイスフォンを取り出し、レイアに向けてただ一文。
――作戦は失敗。限界まで人質の捜索を行った後、離脱する。
イナは苦虫を噛み潰したかのような顔でメールを送信して、プレイスフォンを袋に入れて直ぐにシャウティアの手に乗り、コアの中へ戻る。
再び瞬きをすると、シャウティアの視界に戻る。
(いたか!?)
(……いない)
(……くそっ!!)
「いた、ここだ!!」
イナが歯ぎしりすると、格納庫らしき建物の影からツォイクが現れる。今の彼にとって、それは怒りと焦りを激しくさせる要素でしかなかった。
(退くぞ、お前は引き続き千佳を探せ!)
(了解……っ!)
イナは推進器を噴かしてツォイクから距離を取る――しかし、その先からもツォイクが現れる。
「っくそったれぇっ!!」
直角に曲がり、イナは上昇する。強い重力が彼を襲うが、今はそんなことを気にしてはいられない。
(千佳、千佳、千佳、千佳――)「千佳ぁぁあっ!!!」
シャウティアのカメラアイからは、涙に相当する液体は出ない――コアにいるイナは、大粒の涙を流していた。
(なんでこうなった! 千佳は殺させない! 助ける!! だから、シャウティア――!!)
混沌とし始めたイナの感情をよそに、シャウティアはただ千佳を捜索し続ける。イナもそれを分かっていたが、返事が無いことにまた焦りを覚えてくる。
そんな彼の下に、シャウティアからの声が届く。
「――――!!」
千佳を発見したという知らせ。それはイナを喜ばせるはずのもののはずなのに。
彼は喜ばないどころか、感情を失った。
◆
サイレンの音で、ゼライドはすぐに自室を出た。通路に出るとすぐ、イアルがいた。
相変わらず無表情だが、緊迫した感じがある。
「……例の作戦か?」
「プレイスからの攻撃です。私達には移動命令が」
「移動命令? 迎撃するんじゃなくてか」
既に外へ向けて歩きながら、二人は問答を繰り返す。
「ええ、ブリュードの二人は自分のツォイクを回収し速やかに中国基地からロシア基地への移動を命ずる、と。戦艦型での移動の様です」
「艦長はどうすんだ、あのアホいないんじゃ動かせないだろ」
「艦長がいなくとも、コクピットに人柱が居れば動きます」
「ヒトバシラ、ねえ。その呼び方、どうにかならんのか」
「あながち間違ってはいないと思いますがね」
「薄情だな」
「兵士に必須ではないと思います」
「左様で」
こんな状況でも変わることの無い彼らは、開いて階段になった床を駆け下り、外に出ると同時に自分たちのツォイクのある格納庫へと駆けた。
「ツォイク回収後、迷わず戻ってきてください。相手が何であれ」
「へいへい、分かりましたよ」
子供のような返事をするゼライドとイアルは途中で別れ、騒がしいツォイク部隊の足元を通り抜けていった。
そのときであった、空が赤く染まったのは。
◆
――彼は、泣いていた。自覚もなく。ただ、泣いていた。
頭の中に映る映像は、残酷そのものだった。
胸を弾丸らしきもので貫かれ、そこから多量の血液が溢れ出している。
目隠しは外され、光を失った双眸が露わになっている。
息をしていない。
生きていない。
死んだ。
悠里千佳は、死んだ。
彼女の名を知っているかは関係ない。
彼女を見れば、誰でも死んでいると分かるだろう。
彼も、例外ではなかった。
泣き叫ぶ彼の支配が消え、その身を黒く染めるエイグ。
シャウティアの、真の姿とでも言うべきか。
イナの「心の叫び」に反応した「彼女」が、自らを黒く染め上げたのだ。
シュライ・デス・ヘルゼンス。
それを知らぬ者には、暴走しているようにしか見えないだろう。それほどまでに凶悪な外見になった彼女は、赤い炎を纏い、ツォイクの群れへと突撃した。
part-Cへ続く。