第4話「怒りの心、静める涙」part-A
それぞれの行くべき場所へと向かう隊員達の群れが通る通路とは別の通路を、イナはレイア、シエラ、ミュウ、アーキスタと共に歩いていた。決して他に誰も通っていないわけではないが、それでも人通りが少ないのは、その先には司令室とその隣にあるアーキスタの部屋位しか無いからだ。つまりイナ達以外に今この通路を利用しているのは、今から司令室で任務を行う隊員であるということだ。
イナは何となく歩いている。まるでこれが自然であるかのように。他の隊員達に流されて歩いている。
授業が終わって気が抜け、思考力が低下しているのかもしれない。
が、唐突にそれは主の下に帰還してくる。
「俺、どこに行ってるんだ?」
「……あぁ、そうね。言ってなかったものね。はいそこ笑わない」
「く、く……」
「……?」
イナは首を傾げる。レイアが笑いをこらえている辺り、知らないのは恥なのだろう。
「前にここ通ったことあるんじゃないの?」
「あー、アーキスタの部屋で作戦の話したときか」
「そ。ということは?」
「え、もうあの作戦の話するの? まだ先じゃないのか」
もっともな質問をすると、ミュウは人差し指を振って「ノンノン」と自慢げになる。
「他支部とのご挨拶、と言ったところね」
「たし……ぐぅっ!」
今更戻ってきたプレッシャーに強い腹痛を覚え、イナは苦い顔で腹を押さえる。
(なんで他支部との挨拶なんだ? 俺の授業見た感想とか、そういうことか……?)
「なんで、って顔をしてるわね。ぶっちゃけて言うと、他支部の方々がアンタに興味を持っちゃったのよ」
「そういえば、不自然に授業終わったしな……このせいか?」
不自然。それは、イナがどことなく感じていたものである。いや、他の隊員達も感じていただろう。何を話しているかはわからなくても、エイグの話をしているときにAGアーマーの話をしなかったのは不自然である。
他にもヒュレ粒子の解説、イナからの質問――不足していたものは多々ある。イナからの質問は、うっかりこの世にまだないものを伝えてしまう可能性があるので、不足しているものの内に数えなくても良いが。
「時間がな。早くしないとおねむの時間だから、少し省いてでも終らせなきゃならなかったんだ」
レイアは呼吸を整えて、イナに言う。もちろん彼には、その言葉の意味は分からない。
見かねたシエラが、イナの耳元に顔を寄せる。
「多分時差の話じゃないかな。それで他支部ってことは……イギリス・フランス辺りの話だと思う」
「例の重要支部じゃねえか……」
「流石と言いたいところだが、常識レベルだ。ま、これから知っていけばいいが」
「……話を戻すわよ」
傍で聞いていたミュウが半眼で見ている。何を考えているかは、イナには容易に想像できた。
(鼻の下伸ばすな、変態野郎――て、とこか)「ああ、すまん」
「今シエラが言った通り、フランスの方からの御用事よ。向こうはそうね……大体、深夜の1時ってところかしら?」
「おねむってそういう事か……」
日本とフランスの時差は約8時間ある。日が出始めたこの時間から8時間前となると、ミュウの言う通り深夜となる。
さすがに全員が寝ることはないが、それでも隊員のほとんどが就寝する。支部の偉い人物となれば仕事も多くあまり寝ることも無いだろう。かと言ってそれを良いことに挨拶を遅らせるわけにはいかない。その為に授業を早めに終わらせたのだ。
そうした本人を、イナは探す――が、周囲にはいない。
「アーキスタは?」
「先に行ってるわ。一応司令歴は向こうが上みたいだし、礼儀が大切なのよ」
「へぇ……てか、いつその連絡が?」
「んー。アンタが食堂に行った直後ね。他支部にメール送ったら是非ともアンタの顔が見たいと」
「もう嫌になってくるな……」
「あら、偉い人から好かれるのはいいことよ。その分無茶ができるわ」
さりげなく黒いことを言うミュウに若干引きつつ、前方にいたレイアが止まったので、他の三人も合わせて止まる。どうやらアーキスタの部屋の前に着いたらしい。
レイアはその扉を数回ノックする。
「ラル、入っていいか」
『ん、レイアか。すまんがもう少し待ってくれ』
『おや、例の少年かい? どうせ軽い近況報告しかしてないんだ、後にしようがしまいがこちらは一向に構わない』
『や、あのですね、ズィーク司令。近況報告は大事でしょう……』
扉の向こうから、青年――アーキスタよりは年上な雰囲気――の声が聞こえてくる。
その声とズィークという名前で、イナははっとした。
(ズィーク・ヴィクトワール……いたなぁ、そんな人も!)
『シャウティア』では大事な作戦の補助を行い、ピンチになった時には限って現れ、作戦の成功――勝利へと導いてくれる、名前通りの人間だ。
フランス支部の司令官を務める彼は、同じく司令官を務めるアーキスタとは付き合いが長い。それだけ互いを信頼し仲良くしているのだ。
『とにかく構わないさ。入ってくれたまえ』
「そんじゃ失礼しまぁーす」
レイアが面倒そうに扉を開ける。開いたからには入らない理由が無いので、そこにイナ達も続く。
中でアーキスタが「やりやがった」という顔で彼らを睨む。
「お前らなぁ、ズィーク司令は俺よりも偉いんだぞ……」
『はっはっは、若きことは美しき哉、ということかな?』
ホログラムのモニターで笑うのは、やはり声で抱いた印象と同じ若い男性。短い白髪に青い双眸を持つ彼が、ズィーク・ヴィクトワールである。常時白衣姿のアーキスタとは違い、彼はいつもスーツ姿だ。
「仲良きことは、です。司令」
「なんでお前は俺に司令付けないんだよ……」
「プレイスは軍隊ではないし、何よりお前とは馴染み深い。付ける筋合いが無い」
「っ!」
必死でイナ達を睨むアーキスタ。その目は「お前らはどうだ」と言っている。
「私、従妹だし」
「わ、私はちゃんと司令さんって……」
最後に、イナ。壁にプロジェクターを置いていたところに視線を向けられたことに気付き、思わず目を逸らす。
「え、俺? 俺は、まあ……呼び捨て?」
「もう嫌です、司令。誰か別の人を寄越してください」
『君以上のアビリティを持った人間はそういないさ、我慢してくれ。さて――今回用があるのは君たちだ、少年少女』
「少女?」
イナは怪訝そうに眉をひそめる。
するとシエラが恐る恐るイナに言った。
「たた、多分、私。私、ズィーク司令と話すのは、初めて、なの」
急に緊張でガチガチになっているシエラ。司令と言うだけあって身分は高いが、やはりアーキスタが下に見られているのかもしれない。緊張している彼女を見たアーキスタは、見るからに凹んでいる。
イナはしばらくアーキスタを無視することにして、モニターに向き直る。
『そうだ、シエラ・リーゲンス君』
「な、名前を覚えて戴けて光栄ですっ!」
「レイアぁ……俺司令室に行っていい……?」
「しっかりしろ」
完全に心を折られているアーキスタと、彼をなだめるレイア。視界には入っていないが聞こえてくるので、イナはなんとも言えない顔になる。
『さて、そちらが例の……イナ・スレイド。いや、ミヅキ・イナ君かな?』
「……できればスレイドの方でお願いしたいですね」
『では、スレイド。私は君をプレイスに迎える――が。あの授業を聞く限りでは、この世界の人間ではない可能性が高いそうだね』
「いや、ほぼ確実です。ただ決定打に欠けると言うか」
『ふむ。まあそちらについてはこちらでもできる限り調べておこう』
「えっ、そんなことしてくれるんですか」
驚くイナに、ズィークは笑う。
『至極当然の事さ。身元不明の隊員なんて気持ちが悪いからね』
「……もっともで」
『まあ君としては、物語を進める為に頑張ってくれていればいいさ。あと黙秘権はもちろんあるから、喋りたくないことは遠慮なく黙っててくれてオッケーだ。供述を強制するなら、僕の名前を出してくれればいい』
「…………はい、お願いします」
権力を持つ者の言動に少し足を震わせながら、イナは返事する。
(プレイスの指折りの権力者……さすがだな)
ズィータは確かに『権力者』ではあるが、『プレイスのリーダー』ではない。アニメの中でも、リーダーは存在していなかった。いや、その辺りの説明がされていなかったのだ。本当に、説明不足なアニメだったのである。
『ま、それはそれとして……シエラ君』
「は、はいっ!」
『そう硬くなる必要はないよ。君の戦果はとても優秀だ』
「へっ。そ、そうですか?」
『そりゃ、先日はちょっと厳しかったけどね。姉と違ったその力――と、失礼。比較している気はないよ』
「いえ、お気になさらず……それに、あの状況下で私を助けてくれたのは、彼です」
右手を向けられて、イナは思わずぎょっとする。別に悪事を働いたわけでもないのに。
『ほうほう、君が。ふふ、期待しておこうか』
「私の妹ですからね。下手をすれば私を越えかねません」
床でうつ伏せになるアーキスタの頭を右足で押さえつつ、レイアは言う。
それは既に強いと言われる自分を傍で見続けているから、ということだろう。
『ま、姉妹揃って優秀であることには変わりない。――おお、そうだ。スレイド君』
「はい?」
『そこは女が多い。色恋沙汰に興味津々の年頃だから、いくらでも恋をしてくれて構わない。けどね、恋に夢中になって死ぬのだけは勘弁だ、オーケイ?』
「……オーケイ」(帰ってきて結婚する相手なんざいないしなあ、大丈夫だろ……)
モニターから目を逸らして頭を掻く。その様を見て、ズィークはまた笑う。
『恋する相手もいない、と。贅沢な話だねえ』
「ほっといてくださいよ……」
『面白い少年だ。うっかり死んでしまわないようにね』
「どうせなら堂々と死にたいですね」
「死なないのが一番だよ、縁起でもない……」
シエラが呆れた目をイナに向ける。イナとしても死ぬ気はないが。
ズィークは微笑を浮かべ、死んでいるアーキスタを呼ぶ。
「どけ、レイア……」
「ん」
震えた声で言われるも、レイアは全く気にしてない様子で足を退ける。アーキスタは頬に付いた埃を落として立ち上がる。その顔は心なしかやつれているように見える。
『ついでだから報告を終わらせてしまおう。先程韓国支部から連絡があったんだが、どうも中国基地で何か動きがあるらしい。授業中ってことでそっちには送られてなかったはずだ』
「中国で……?」
『スレイド君のエイグを早めに潰そう、そう考えたのかも知れないね。聞けば彼はまだ2回しかあれを動かしていないんだろう? 僕が連合だったら同じ判断を下すね』
アーキスタが眉をひそめる。中国で動きがあることが驚きなのだろう。
それはイナも同じだった。
(……序盤で中国からって、どんな無理ゲーだよ。あそこのエイグ保有数はバケモンなんだぞ……)
連合軍中国基地には、その領土の広さに見合う敷地の基地とエイグ含む軍事力が備わっている。イナはそのことを思い出し、身を震わせる。
『それともう一つ。君たちが退けたブリュードは今アジアにはいない。恐らく奴らは物量で攻めてくるはずだ』
「ブリュードがいないからと楽観できる状況ではない、ですね」
アーキスタが眼鏡をかけ直しながら言う。その表情は先ほどまでの死んだようなものではなく、真剣素ものだ。
『そうだね。おまけにスレイド君は不殺が望みなんだろう?』
「……俺だって人間ですから、カッとなれば塵も残す気はないかも知れませんね。なったことないので知りませんけど」
『さすがに思春期だねえ。その不安定さもウリと受け取っておこう』
(正義の味方も、暴走したことはあったしな……俺も、どうなるか分かったもんじゃない。誰かが死ぬなんて、考えたくもないけど……)
昔読んだ漫画のことを思い出しながら、イナは溜息を吐く。『偶然ロボットに乗ってしまった』という点では、彼は様々な物語の主人公に当てはまる。彼らは例外があれど、一度はその力に溺れて暴走する者がほとんどだ。その要因の多くは、親しい人物の死。イナにとっての親しい人物は、千佳と恵子くらいしかいないが――その分、心配が絶えない。
「ま、敵を見逃すことによる被害の増大まで責任を取るらしいので」
「いっ!?」
レイアが平然と言うので、イナは変なうめき声をあげてしまう。
「当たり前だろう。嫌なら手を尽くせ」
「ぐぬ……あ、そうだ。ズィーク司令」
『ん、何かな?』
「ブリュードが動いたら、アーキスタに俺への伝言を頼めますか」
『ふむ、いいが……一人でやる気かい?』
「やれます、俺とシャウティアなら」
「随分と余裕だな」
レイアの言う通り、イナの表情には余裕の笑みが浮かんでいる。
「……調子に乗るのは勝手だけど、勝手に死ぬんじゃないわよ。一応アンタは制圧戦参加予定なんだから」
ミュウが腰に手を当てる。彼女の性格からして、心の中では心配しているのだろう。
彼女の言う通り、制圧戦はとても重要な作戦である。それに参加する人間が死んでしまっては、他の綿バーに迷惑がかかる。素人のイナでもわかる簡単なことだ。
「分かってるよ。それが可能な機体なんだ、あれは」
『ほう、とんでもない機体だね、それは。いつの間にそんなものを回収したんだ、君らは?』
「回収なんてしてませんよ、こいつが持ってきた……呼び出した? とにかく俺達もよく分からないです」
『不思議なもんだねえ……』
口ではそう言うが、顔はそうは言っていない。どちらでもいい、という感じだ。
『ま、こちらからは以上だ。僕はまだ起きているけどね』
「あまり寝不足にならないでくださいね」
『君こそ政治家の相手をして疲れているだろうに。休んでるのかい?』
「ほどほどに。では」
『おやすみ……おっと、そっちは朝か。今日もいい日になるといいね』
「そちらも」
全員がズィータに礼をしたので、イナもそれに合わせて頭を下げる。
ホログラムが消えたところで、全員の顔が上がる。
「……ふう」
「お疲れ様です、司令さん」
「お前も結構緊張してたろ。……イナの方は平気そうだがな」
「だって見たことあるし」
「あーはい、そうだな……」
呆れるアーキスタの司令の名も形無し。今の彼は、ただの一隊員にしか見えない。そこまで重要な役割を果たしているようには見えない。が、これが彼なのである。
「まあいい、解散だ。中国の事もある、有事の際に出られないなんてことはないようにしとけよ」
「了解だ」「了解」「了解です」「ん」
それぞれに返事をして、部屋を後にしていく。
その時、イナは誰かに服の裾を引っ張られた。振り返ると、そこにはミュウがいた。
「何だ、どうかしたか?」
「アンタは補習よ。この戦争における大事なことの一つを教えないといけないから」
「補習ぅ?」
「授業で足りない所を伝える、という意味ではそうだな。俺はこれから出るから、他の場所でやってくれ」
「大変ね、頑張るのよ」
「お前に心配されるほど頑張っちゃいないさ。そういうお前も頑張れよ」
「年齢に見合う分はね」
従兄妹同士の会話が終わると、ミュウはさっさと部屋を出ていった。置いて行かれてすぐ追いかけようとするが、その前に少しだけ振り返ってアーキスタに手を振る。
「ま、頑張れ」
「お前に心配されるくらいには頑張りたいな」
「けっ、酷い奴だ。……っと。忘れてた。そんじゃな」
皮肉を言うアーキスタに吐き捨てるように言うと、イナはプロジェクターを持ってさっさと部屋を後にした。
◆
連合軍・中国基地――信じられない面積を誇るそれは、ロシアに次ぐ大規模な軍事基地である。エイグを格納する格納庫はプレイスのそれとは比較にならず、また数も多い。
周囲には兵を乗せた装甲車が何台も並んで走っている。その走行する騒音の中、『ブリュード』の片方――ゼライド・ゼファンは苦い顔をして歩いていた。
彼らは格納庫にヴェルデとアンジュを置いて、その整備を頼んでいたのだ。戦艦型にも整備の為の設備は整ってはいるが、搭載できる設備も限られているので、その点ではもぼ無限と言ってもいい設備を誇る基地内での整備を依頼しているのだ。
「なあ、イアル」
「どうかしましたか」
顔を動かすことも無く無表情で前だけを見て、『ブリュード』のもう片方――イアル・リバイツォは返事する。
「なんで俺達は出撃じゃないんだ? 日本を攻めに行くんだろ」
ゼライドは不満のみを声に含ませた。彼の疑問はもっともで、今回の作戦で参加しないのなら、ここで油を売っている暇などないはずである。
「そういう命令です」
「けどよ、俺を追い込んだあのバケモンを、ここらのトウシロ共がやれると思うか?」
「兵士に拒否権はありません。上官からの命令に従い、戦場で死んでしまうのならそれまでです」
「手厳しいことで」
ゼライドは肩をすくめ、困った微笑を浮かべる。
「それに、こうは考えられませんか。『例の赤いエイグから私達を避けさせる』と」
「俺達を殺したくないと?」
「そこまでは。ですが、彼らは着実に力を付けていくでしょう」
「このままじゃ勝てなくなる、だから早目に潰す、か。だったら尚更俺達を出すべきだろ」
「何も、私が全てを知っているわけではありません。ですが、仮に私の考えが正しいとすれば『負けることが前提にされた戦い』になっているかも知れません」
「負けると分かったうえで、か。確かにまあ、日本にゃ赤いの除いてもバケモンは残ってるしな」
ゼライドの言う『バケモン』とは――改造ヴェルクに乗る搭乗者達の事だ。おまけにまだ若く、このまま戦闘経験を積んでいけば、いくらブリュードと言えど勝機が失せていく。
「逆にあの赤いエイグだけでも十分に脅威と言えるでしょう。あれで手加減していたそうですね」
「俺じゃ勝てないのは確かだな。だがバリア持ちの代わりに衝撃には弱いらしい。お前なら勝機があるかも知れん」
「今ここで議論しても仕方のないことです。私達は暫く待機命令が出ていますから、彼らが作戦を成功させることを祈りましょう」
「神様は兵士を愛したりはせんよ。自分だけを愛すのさ」
「神の解釈は勝手です。私は存在を信じていませんが」
ゼライドは自分のあまり考えられていない言葉に素っ気なく返すイアルに、また肩をすくめる。
「つまらんねえ。ま、媚売られるよりかはマシだが」
愚痴るゼライドをよそに、イアルは懐から振動している小型の端末を取り出し、受信したデータをホログラムで表示させた。
「どうした、何かあったか」
「『中国基地にいる兵士へ、作戦の変更を伝える。司令室からの伝達があるまで全機基地内で待機、防御を固めよ』――酷くアバウトですね」
「まるで敵が今から攻めてくることを予測してるみたいだな。それとも何か不具合があったか」
「もしくは、敵をおびき寄せる策を思いついたか――そういうことでしょうね」
「下手な洗脳で戦わせてるような組織だぞ、頭が良いわけないだろ」
「……相手が私で良かったですね」
ゼライドが爆弾発言をしようと、イアルはそれを上官に告発するようなことはない。それは彼女がどうでもいいと思っているのか、ゼライドの身を案じているのかは定かではない。ゼライド自身、パートナーであるイアルを疑う気など全く起きない。
「何にせよ、俺達はお呼びじゃあないんだ。さっさと船に戻って休憩しようや」
「飲酒は駄目ですよ」
「煙草ならいいだろうよ」
「ちゃんと喫煙室でお願いしますね」
「へいへい」
ゼライドはまるで厳しい妻の様なイアルに呆れつつ、二人は遠くに見える巨大な横倒しのマンボウへと歩みを進ませた。
(あのガキ、どう考えてもまだ10代だな……感情が爆発してうっかりここを潰してくれなきゃいいんだが)
「どうかしましたか」
「いいや? 作戦の成功を祈ろうかと」
「そうですか」
自分の言葉を馬鹿にしたような発言をされても、イアルが動じることはなかった。
◆
所は戻り、プレイス日本支部内の開発研究室前。
「暑いわねぇ」
ボードから降りて早々に、ミュウは愚痴る。
「そりゃ、この炎天下に白衣を着てるからだろ」
それにイナが的確なツッコミを入れる。
「私は大丈夫ですけど」
そこにディータが続く。彼女がいるのは、ミュウが改造ヴェルクについての話をする、ということらしいが。相も変わらずメイド服姿であり、率先してボードを持ち上げた。
「で、ミュウ。忘れてないだろうな」
「アンタが言ってみなさいよ。何を聞くのか」
「……はぁ。AGアーマー、ヒュレプレイヤーだろ。世界大戦云々はレイアに聞いたからいい」
「そんなもんね。あとアンタのエイグについてもちょっと聞くわ。いいわね?」
「いいけど……ディータの方はいいのか? 忙しいんじゃないのか」
「いえ、お気になさらず。トップなどと呼ばれていても、することは全く変わりませんし」
要するに暇だということだろう。でなければ朝から基地内を見回りしたりはしない。
「そんじゃその言葉に甘えさせてもらうわ。とにかく入りましょ、暑くて死にそう」
「だからそりゃ白衣着てるからだろ……」
イナを無視して入るミュウを追い、残る二人も中へ入る。
ディータは室内と外との間にある玄関の様な場所にボードを置き、イナが空けたまま押さえていた扉の奥へ入る。
「ありがとうございます。本来は私がやるべきことですが」
「い、いや。先に入って扉閉めるなんてマナー悪いだろ?」
「優しいんですね」
柔和な笑みを浮かべるディータに、イナはどきりとする。
(レイアにはない色気部分……)
「どうかしましたか?」
扉を押さえたまま顔をしかめて固まるイナの耳にディータの声が届き、彼を現実へと引き戻す。
「あ、いや、なんでもない。はは……」
下手に誤魔化しつつ扉を閉め、二人はミュウのいるデスクまで歩みを進めた。着くと、既にミュウがパソコンを起動させて画面と向かい合っていた。
「相も変わらず涼しいなここは」
「冷房効いてるから当然よ。それより――」
言いながらイナの方を向き、じっとりとした目線を送る。
「……女なら見境ないのね」
「違うわ」
「はいはい、何とでも言いなさい。とりあえずそこ座って」
二人はミュウが指差したオフィスチェアに腰かけた。ミュウも椅子を回して彼らの方を向く。
「まず補習から始めるわよ。そうね、8割方話したヒュレプレイヤーの方で良いわね」
「先に質問するが、プレイヤーの子がプレイヤーになることは?」
「遺伝ね。レイアとシエラがいい例。今はもういないけど、二人の両親はプレイヤーと人間だったみたいよ」
(で、行方不明の兄はプレイヤーと……)
結局登場しなかったレイア、シエラの兄・カイト。彼がヒュレプレイヤーであるのは、レイアの独白シーンで語られたことだ。
「つまりどうなるかはよく分からない、と」
「そうね。私は両親がプレイヤーだったのに人間なんだけど、それは多分おじいちゃん辺りの血が来てると思うの」
「両親がヒュレプレイヤーであっても、その間に生まれた子がヒュレプレイヤーであるとは限らない。そういうことですね」
ディータの簡潔なまとめに、ミュウが頷く。
「そう。能力の強さもね」
「……そう言えば、能力の強さってなんだ?」
アニメでの知識も持ち合わせているが、ここで話が終わりそうだったので、イナは慌てて聞いた。
「想像の再現度、と言ったところかしら。二人とも林檎を出してみて」
「林檎? ……てか俺、生身で使ったことないんだけど」
「欲望に忠実であること。それが大事です。今回で言えば、林檎を欲しがる、と言う事でしょうか」
(アニメと同じ説明をしてくれるのはいいんだが、よく分からんな……林檎……林檎……)
自分のやり方を疑いつつも、イナは林檎の形、味を想像する。
するとイナの胸の前に光が集まり、林檎の形になってゆく。隣のディータも同じだ。
光が消えると、その中から見慣れた赤い林檎が現れ、イナの太腿に落ちる。ディータはキャッチした。
「わ、凄いな」
次いでディータはナイフを実体化させ、手の上で3等分する。素早くナイフをイナの林檎に投げ、芯の部分をもう片方の手でキャッチする。
「うわっ!?」
「も、申し訳ありません! つい芯まで切ってしまい、手が空いてなくて……」
「つい、でナイフを投げられるなんて災難ね。はいこれ、いらない資料だからここに置いて」
「ありがとうございます」
ディータはミュウが広げた大きな資料の紙の上に芯を置き、ミュウはそれを包んでくずかごに捨てる。
「おいおい、そこに捨てるのかよ……」
イナがツッコんでいる間にも、ミュウが引き出しから出した紙皿の上にディータが3等分した林檎を置いていく。
「アンタも早く3等分にしなさい」
「え、あ、うん」
イナはもう一枚の紙皿の上に林檎を置いてナイフを抜き、恐る恐る3等分した。もちろん、形はいびつだ。
「下手ね」
「不器用なんだから仕方ないだろ」
「大事なのは味ですよ。では、戴きましょうか」
「そうね」
ミュウはイナの林檎の芯を包んで捨てて、ディータの出した林檎を掴み、齧った。ディータはポケットから出した白いハンカチで手を拭いてから林檎を両手で持ち、上品に齧った。
(うーん、ミュウがガサツにしか見えん……いや、ミュウが普通位なんだけど)「てか、なんで林檎なんだよ」
「いいから食べなさい。能力の違いが分かるはずよ」
言って、ミュウはまた林檎を齧る。
それを見て、イナはよく分からないままディータの林檎を手にして、齧った。
シャクシャクと音を立ててかみ砕く。中からは果汁が溢れ出し、口の中に甘みが広がる。
「……うまい」
「ありがとうございます、そう言っていただけると嬉しいです」
照れながらディータはまた林檎を齧る。少しずつ齧っているはずなのに、もう半分まで食べている。
一方でミュウはもう食べ終え、イナの出した林檎に手を伸ばす。
「これはつまり、能力の差が味に出ると?」
「そ」
ミュウはイナの林檎を齧りつつ答えた。
――しばらく、周囲が林檎を齧る音で満たされた。
そしてイナが最後に食べ終わると、手を拭いたディータが「どうですか」と微笑んだ。
「どう、と言われてもな。ディータのは甘かった。俺のは普通だった。それだけだな」
「そこよ、本質は」
「そこ、って……あー、そういうことか」
イナが納得して手を叩く。そこで手が果汁で濡れていることに気付くと、すかさずディータがポケットティッシュを一枚取出してイナに差し出す。
「あ、ありがとう」
「いえいえ。先程私の林檎を甘いと言ってくださいましたが、あれは意図的に行ったものです」
「……意図的に甘くした?」
「そういうことよ。多分アンタはただ『林檎を出す』ことだけを考えたから、記憶の参照がされたんでしょうね」
「私は『糖度の高い林檎を出す』ことを考えました。ですが、スレイド様が出した林檎には決して近付くことは限りなく不可能です」
「あくまで紛い物ってことか」
「そういうこと。オリジナルと同じものを出すには、膨大な知識による味の調整が必要なの。でも想像する時に、いっぺんに大量の知識を出せるかしら? 次の知識を思い出すときに、既に思い出した知識を忘れずに」
「……無理だな」
想像しただけでも分かる。とてもできることではない。イナも試しにやってみたが、頭がパンクしそうになっている。
「そうね、記憶の参照についても軽く触れておきましょう。私もあんまり見たことないんだけど、強い能力者と呼ばれるヒュレプレイヤーは、自分の記憶の中に存在するものからそれを想像の代わりに信号を発信、簡単に言えば実体化ではなくコピーをしている、ということね。一応普通の実体化もできるみたいなんだけど……やってみて、とびきり変な林檎を出してみて」
「変な、林檎?」
「ハート形の林檎とか出してみて」
「…………」(林檎……ハート形……そうだな、とびきり辛く)
想像の途中で悪戯心が働き、実体化させたハート形の林檎をミュウに投げる。
受け取ったミュウはそれを見て「できるわね」と言った後、怪訝そうな顔で林檎を睨んだ。
「食べないわよ。こんな、匂っただけで汗が出そうなほど辛い林檎なんて」
「あ、ばれるか」
「もうちょっと工夫しなさい」
ミュウは溜息を吐いてデスクの上に林檎を置く。
「ま、こういうことよ。強力なんて言っても、記憶の参照ができるくらいね」
「……待てよ? ディータはどうやって林檎を出した?」
「形や単純な性質くらいなら脳が補助をしてくれているそうです。その発展型が、記憶の参照、と言ったところでしょうか」
「へえ……」(アニメの通りなら、想像さえできればタイムマシンだろうが作れたんだが……まあ、今の説明を聞く限りでは無理っぽいな)
イナは少し残念に思いながらも、これでいいかと妥協した。強大な力を持ったところで、使いこなせなければ意味が無い。
(そんな力はシャウティアで十分だな……)
「潜在意識ってのがあってね。人は意図的にそれを呼び起こすことはできないんだけど、無意識の内に突然起きたりするの。ある物を見て、昔見たものを思い出したり、みたいなの。アンタの中ではそれが起こってて、おまけにBeAGシステムのおかげでAIの補助も受けてるから、かなりクオリティの高いものを出せるはずよ」
「へぇー」
「……どうでもいいって感じね」
「実際戦闘位でしか使わないしな。――そういえば、ディータもAIの補助受けてるからそんな林檎が出せるのか?」
「いえ、そういう訳では」
「BeAGシステムが完全に適応されるのは、AGアーマーを纏った時だけ。その状態なら、ダメージ共有しかしてないわよ」
「あ、そうか……」(風呂の時も、AGアーマー纏ってからシャウティアの声が聞こえたしな)
イナは今朝のことを思い出して、心の中で納得する。すると、突然彼の中で疑問が生じた。
迷うことなく、それを口にする。
「そういえば、俺達でも今みたいに食料が出せるじゃねえか。なんで国から援助受けてるんだ?」
それを聞いたミュウは一瞬驚いたが、「そういえばそうだったわね……」と一度頭を押さえてから答えた。
「いい? プレイヤーが実体化に使うものは?」
「想像の信号とヒュレ粒子」
「ヒュレ粒子は当然ながら粒子よ。はい、わかる?」
呆れた口調のミュウに言われるも、イナは首を傾げる。
(んな急に言われて、分かるかよ……)
「粒子ですから、場所によって濃度が変わります。人の呼気に含まれているのは知っていますよね?」
「ああ」
「ですので、ある程度は大丈夫ですが……支給部があまりに激しく活動すると、この基地だけでなく周辺の粒子濃度が極端に薄くなり、まともに実体化ができなくなります」
「そういえば、支給部じゃ開発なんかに使う材料も作ってたんだったか」
「おまけに服も作るからね。そこまでしていると食料まで手が回らなくなるの」
「そういうことですので、食料に関しては農水省から手作りのものを供給していただいて、第二支給室には殆んど人員を割いておりません」
にっこりと笑い、ディータは言った。ただ支給部のトップだという訳ではなく、他の事の知識も豊富らしい。
(おまけに戦闘もできる。隙が無いなぁ……)
万能っぷりを見せるディータに少し引いていると、ミュウが手を一度だけ大きく叩いた。
突然大きな音を出されて、イナは思わずびくりと体を跳ねさせる。ディータは相変わらず反応なしだ。
「うお。なんだよ」
「鼻の下が伸びてたから、早いとこ次の話題に持っていこうとしたのよ」
「……へいへい、悪かったよ」
「私としては、一向に構いませんが」
「…………」
そういう目で見られたとしても構わないと言うディータに、やっぱりイナは引き気味になるのであった。
そんなことは気にせず、ミュウは説明を始める。
「ディータのこともあるから、なるべく早めに終わらせるわよ。説明することも少ないし。でも、その分重要なことよ。よく聞いておいて」
「あ、ああ」
「AGアーマーは搭乗エイグを模した鎧。機能や装備まで全て同じだけど、人間が扱えるように出力なんかが制限されてるみたい」
「あー、推進器使うときにオリジナルと同じ出力だったら体吹っ飛ぶしな」
イナは昨日の出撃の時を思い出し、独り言のように呟く。だがミュウは聞こえたようで、頷いた。
「そういうこと。でも、これでも十分強いわ。強度なんかはオリジナルと同じみたいだから、生身でエイグと戦えないことも無いわよ」
「……できればそんな事態にはなりたくないな」
「一応頭に入れておいて。あと、アーマーはエイグを操縦する時の、一種のコントローラーかも知れない」
「知れない……って、どういうことだ?」
「中身を調べる方法が無いの。コアの中には、物が入れられないと言うか。服はいいみたいなんだけど、小道具なんかはそもそもコア内に入れられないの。磁石同士が反発するみたいにね」
ミュウはさも残念そうに言う。自分の専門とするもので、知らないことがあるのが悔しいのだろう。
ここでイナは再び、突然生じた疑問を口にした。
「服がいいなら、なんでシエラはあの時裸だったんだ?」
「……アンタねえ、それを同じ女に聞く? 普通」
「本人がいないから別にいいだろ」
「本人が居たら殴られてたわよ。……まあ、答えは簡単。出撃が突然すぎて――ね?」
「……聞かなかったことにする」
「それが一番ね」
イナだけでなく、話したミュウまで後悔の表情になる。
「……まあ、AGアーマーの話はここまででいいわね。あ、一応言っておくけど、服を着たまま装着するのはお勧めしないわ。服がしわくちゃになるから、一番いいのは裸。嫌なら水着くらいをお勧めするわ。それも嫌だと言う人が多いから、今専用のスーツを開発中なんだけどね」
「全身タイツみたいなのはやめてくれよ……」
「あら、大体そうよ」
「…………」
冗談で言ったつもりがそれが答えだと返され、イナはなんとも言えなくなる。
「ま、完成するとは限らないし。格好は任せるわ」
「へいよ……」
「それで、そう、アンタのエイグの話を――」
ミュウが早口で次の話題に移動しようとすると、天井に設置されたサイレンがけたましく鳴り響きだした。
反射的にイナが立ち上がる。
「な、んだ? 敵か!?」
「例の中国からかも知れないわね。ディータのも調整終ってるから、行っていいわよ」
「でしたら、私も」
ディータも立ち上がり、イナと一緒に開発研究室を飛び出す。
外に出ると、すぐ隣にある格納庫へと走る。
「戦闘は当然だな、くそったれ!」
「仕方ありません。先に行っていますね」
派手なメイド服を着ている割に身軽なディータは、イナを置いて先に格納庫の奥へと走り去った。
「仕方ねえ……AGアーマーッ!!」
イナの叫びを合図に、服の下からシャウティアを模した鎧が現れ、イナを包む。
装着が終わると、イナはすぐに推進器を噴かし、愛機の下へたどり着く。
「シャウティア、行くぞ」
(うん)
イナの思考を読んだシャウティアは、命令される前に胸の装甲を開き、彼を迎える。
「閉じろ」
(了解。閉鎖)
(少しずつでも慣れなきゃいけない。頼むぜ)
(うん――BeAGシステム、オールグリーン。貴方の欲望を喰らい、その願いを糧とする)
「イナ・スレイド、シャウティア、出るぞ!」
瞬きすると同時に視界が変わり、イナの声を合図にしたかのように、天井が開く。
それが開ききってから、イナは空へ飛ぶ。
「ディータ、先に行ってるぞ!」
(12時方向、数1)
返事を待たず、イナはシャウティアの指した方向へと直進した。
だが、その勢いはすぐに弱まる。
(なんだ、ノイズ……?)
イナは頭がざらつくような感覚に顔をしかめる。
(敵機に近付くにつれて、大きくなってる。……何、これ。情報発信?)
(なんの情報だ?)
(分からない……受信完了。ウイルスは……ないみたい。開ける?)
(無いなら頼む)
イナの指示通りにシャウティアがデータを開けると、彼の頭の中に情報が溶け込んでいく。
(なんだ、これ――映像?)
映像を邪魔する不快なノイズはやがて晴れていき、それははっきりと見えるようになった。
ノイズの晴れた映像にに映ったのは――イナに見覚えのある少女。
「――――千佳!!?」
イナ――伊那同様に、この世界にいるはずのない少女。イナの言う所の、異世界の住人。
そして、イナの幼馴染である少女――悠里千佳が、目隠しをされ手を縛られて眠っていたのである。
part-Bに続く。