『銀河鉄道999』、それは少年の通過儀礼と大人への旅立への暗喩だったのだろうか?
もちろんここで取り上げるのはテレビアニメ版です。
佐々木功?の甘くけだるい歌声がエンディングで今もふと口尾をついてその歌詞が出てきたりします。
毎回毎回の、高木均の最後の教訓めいたナレーションの締めくくりが私は好きでしたね。
少年鉄郎への人生教訓話が大宇宙で繰り広げられるっておはなしですものね。
それにしてもこのアニメ、、。
今思えば非常に、寓意的で
暗喩的で
教訓的なアニメでしたね?
そして肝付寛太のあのユーモラスな車掌さんです。
私はテレビシリーズのビデオ10話分だけ持っているのですが、
たまに思いつくとは見ています。池田昌子のメーテルやっぱりいいですね。
メーテルって、ドイツ語のムッター(母)からきてるんですよね?
確かに機械人間に撃ち殺された鉄郎の母に声も似てますよね?
そして何処からと来なく現れたメーテルはなにやら得たいの知れない謎の女性です。
時折、本部?から指令をうけたりしています。
そしてある意味?選ばれた?存在である鉄郎は、銀河鉄道のパス(乗車券)をただでもらい、
メーテルと遥かアンドロメダまで機械の
体を(つまり永遠の生命)もらいに旅立つのでした。
1978年代、このアニメにはまった私は毎週見てましたね。
そのころ私はもういい大人でしたけどね。
何の因果か?、うまれ育った県からは遠く隔たった、遠方のとある県で
やっと就職できた私は汚い下宿で
仕事から疲れて帰り一人ぼっちでこのアニメを見ていたんですね。
特にあの佐々木功のエンディングソングにはジーンときましたね。
郷愁を誘うあのメロディ。故郷地球、母さんの思い出、、、
あれには参りました。
甘く切なく、郷愁に満ちた曲でした。
ちなみに劇場版よりテレビ版の方が面白いです。
これは脚本に藤川桂介、(あの宇宙皇子の)が入っているのも原因でしょうね?
それと、劇場版は鉄郎がいい男、美少年すぎますね。
テレビ版のおとこおいどんタイプのだんごっぱな鉄郎がやっぱりいいですね。
美女メーテルと憮男の鉄郎、こういう取り合わせだからこそいいのです。
美少年鉄郎ではいけません。
結局、メーテルって、機械惑星のマザーコンピューターのまわしもの?だったんですよね。
そしてあらたに人間を補給するために?地球から若い男をかどわかして連れてくるって役目ですよね?
それがそのマザーコンピューターをぶっ壊して、鉄郎を救い生身の人間として、
短い人間人生を必死に生き抜いたほうが、機械になって漫然と1000年生きるより
良いと教えたんですよね?
最後のメーテルとの別れと、あの高木均のナレーション泣かせましたよね。
そこでは少年鉄朗はその少年期をメーテルとともに旅するという一種の
通過儀礼を経て大人として旅立っていくんですね。
もしかしたら?メーテルって
鉄郎の心の中だけに入るアニマ的存在だったのではないでしょうか?
そして鉄郎は最初からたった一人で広大な宇宙を銀河鉄道で旅していたのではないでしょうか?
そしてその少年の心の旅も終わり少年期も終わるころ
少年期のイニシエーター?たるメーテルは去っていくのでしょうね?
これからはもう青年鉄郎はメーテルの導きなしに一人で生きていかなくては、なりません。
鉄郎にとっての少年期はメーテルとの別れのその時終わったのです。
こんなにも
寓意的で
象徴的で
暗喩的で
教訓的なアニメって今ないでしょ?
少年が理想のアニマたるメーテルと「心の旅」(心象旅行)をしてそこでいろいろな体験をして成長していくってドラマ。
今、現代こそ、こんなテーゼのアニメがもう一度、必要なのではないでしょうか?