風の向こうへ
風が吹き抜けていく。
ひゅうひゅうという音が、後ろへ流れていく。それに合わせて、周りの景色も流れる。連続的に、次々と風景が変わっていく。
変わらずそこに在るものは、エンジンの嘶き。捻ったアクセルの分、回転数が上昇し、高い音を響かせる。
「そろそろだよ」
そんな声が聞こえると、僕は左手を握り、左足を軽く蹴り上げて、ギヤを一段高くする。ギヤチェンジのために戻したアクセルをもう一度捻ると、滑らかにスピードを上げて走り出す。
「今日は調子がいいね」
僕は語りかけた。
「そうだろう。どこへだって行けるよ」
返事がきた。
「じゃあ、まだ行こう」
「よしきた」
十月の風は、確実に涼しくなっていた。けれど、寒さを告げるにはまだ早い。それに、サングラスの向こうに見える太陽は、未だ強い日差しを僕達に浴びせている。
「ちょうどいい陽気だ」
僕の独り言は、低いエンジン音と風の音にかき消されていく。
左手には、大きな海が広がっていた。水平線の向こうに広がる無限は、きっと僕には想像すらできない。
大きな波が、寄せては返していく。白い泡が青い水の中で目立って、泡沫の儚さを際立たせていた。
仄かに香る磯が、僕と現実をつないでいた。
「ちょっと停まるよ」
「わかった」
僕はウインカーを左に出した。アクセルを緩めて右手を握るのと同時に、右足を踏み込んでブレーキをかける。緩やかに減速をして、通行の邪魔にならない場所に駐車する。
ギヤをニュートラルに入れてスタンドを立て、エンジンを切った。今まで響いていたエンジンの大きな音が一瞬で消え、静まり返った世界の中で波の音だけが繰り返されている。
僕はヘルメットを脱いで、サングラスを取った。今までとはまた違った風景が、両眼に飛び込んでくる。
「綺麗な青だ」
光り輝く海も、澄み渡っている空も。
不思議なのは、その青には一つとして同じ青はないということだ。海は群青、空は水色。そんなざっくりとした分け方では「青」という色に申し訳ないくらい、千差万別の青が目の前には広がっていた。
「画家は大変だ。これをパレットの上にある色で表現しないといけないんだから」
絵のことにまるで疎い僕は、素人考えでそう思ってしまう。
「そろそろ行こう」
しばらくそこで景色を眺めていると、そんな声が聞こえた。
「そうだね」
僕はサングラスをかけて、ヘルメットを被った。グローブをはめてエンジンをかける。スタートボタンを押すと、セルがキュルキュルと回った後に「待ってました」と言わんばかりの元気のいい音が辺りを劈いた。
「さぁ、行こう」
ギヤをローに入れ、軽くアクセルを開けると、それに呼応したエンジンの音が空を突き抜けた。
「出発だ」
再び走り出した僕達は、風を切りながら前へ進んだ。どこまでも続く景色と共に。