プロローグ:始まりの神様
突然だが、神様を信じたことはあるだろうか? どんな神様でもいい。 七福神とか、天照なんてのも有名だよな。 そう、神様。 八百万の神々が存在するこの国。 一度でも、神様という存在を、偶像でしか表せられない、形なき存在を、信じたことはあるだろうか。
そうだな––––俺は無い。 とは、言い切れない。 ––––例えば、こんな時。 高校入試や大学入試なんかの合格発表の前夜。 数字が書かれた掲示板を思い出し、そこに自分の受験番号が書かれているか否か、不安になるだろう? もし自分の番号が無かったら、どうしよう––––そんな不安がよぎった時、人は必ず、こういう行動を取る。 『どうか、受かっていますように』と、現実、もしくは心の中で掌合わせて拝むんだ。 俺だって当然、不安になった。 大学入試の時。 やるだけやったと自分に言い聞かせながらも、言いようの無い不安で身が持たなかった。 そんな時に、心の中で、俺も拝んだ。 どうか、どうか受かっててくれ……なんて。
とにかく、そう特に自分の人生に関わる所謂分かれ道の時に、人は神様に成功を祈るのだろう。 ––––じゃあ、その神様って、何だ? 一体俺たちは、何の神様に手を合わせて祈ってるんだ? 俺はそこに疑問を抱いている。
哲学的な思考になるが、では俺たちが祈っているのは何の神様だ? どんな神様だ? というか––––神様って、何だ?
答えは一つ。 知らねえよそんなもん。 だってそうだろう? 形の無いものなんて、はたまた存在しているのかすら微妙なものに、これは何だ、どんなだ、なんて尋ねる方が間違っている。 不毛な話だ。
そういう事から俺が18年間生きてきた結論がこれだ。 ––––神様は、信じるものでは無い、都合のいいものだ、と。
♦♢♦♢
良い機会なので自己紹介しておく。 俺の名前は須木間楓。 一応、近所の大学の文学部に籍を置いている。 何故文学部なんて、将来最も就職などに役立たない学部ナンバー1などと言われる学部に入ったのだと聞かれると、そんなの入れる所がそこしか無かったとしか言いようが無い。 ––––親にあまり多額すぎる授業料を払わせたくないから選んだ俺が唯一行ける国公立大学が、そこしかなかったからだ。 プラス将来コツコツ返済しておくことになる奨学金で月に親が負担する授業料はかなり軽減され、更に週4日のバイトで給料の半分近くを家に入れる。 これだけで俺は充分生活できてるし、何より俺が思うに今出来る最大限の親孝行だとも思う。 ……とにかく、それなりの生活はしている。
趣味は、サブカルチャー。 ……要はアニメ、漫画などのオタク趣味だ。 少なくとも中学の頃はそんなものに興味は無かったし、周りにそれらにハマっている奴も居なかった。 しかし、高2の夏。 青春真っ盛りの、人生のピークとも言える一番楽しい時期に、俺は学校の図書室で一冊の本と出会った。
確かあの日は化学の課題で、指定された本を読んでそれに関するレポートを書け、というものだった。 うだるような暑さの中、滅多に足を運ばない図書室に言って沢山ある本の中から一冊探してそれを読むというのはなかなかの苦行だった。 家に帰ってもどうせやらないと踏んだ俺はレポートまで学校で済ませてしまおうと熱気の中ペンを握っていたのだが、直に頭がオーバーヒート寸前まで暑くなってきたのでクールダウンついでに適当な漫画を手に取ろうとした。 俺の高校の図書室は普通に漫画も置いていて、何度か目にしたこともある有名な漫画や、見たことないレーベルのマイナーな漫画まで様々だ。 その中で、俺が適当に手にしたのが––––「シルバーmoon」というタイトルの漫画だった。 表紙に描かれているのは月の光にに照らされた銀色の髪を持つ少女。 絵柄からしてそういう漫画か、と少し開くのに抵抗がありながらも読み進めることにした。
結論から言うと、面白かった。 内容は、月からやってきた女の子が主人公の家に居候する事になって、色々波乱を呼び寄せるというもの––––今となってはありがちな設定だと思うが、それでも読むといえば週刊少年ダッシュとかで連載されてる漫画を少し読む程度だった当時の俺にとっては全く新しいジャンルの話だったからだ。
そして、話の内容以前に俺は––––こともあろうに漫画のヒロインに、あの少し抵抗感を覚えた表紙に描かれているあの銀髪の少女を、可愛いと思ってしまったのだ。 可愛いというか、何というか……よく分からない感情。 後にそれを「萌え」という感情だと理解する事になる。
それ以来、俺は漫画にハマり、持っている作品がアニメ化されると知ってそれ以来アニメの方にもハマり出した。 典型的なオタクである。
そして今日も、俺はバイトの帰り道、最寄りのレンタルビデオ店にて未だ未視聴のアニメDVDを借りる。 ついでにコンビニで缶コーヒーを、買う。 コーヒー片手にアニメを観る。 なんて贅沢だろう。
「……しかし、二ヶ月近く夏休みがあるってのも考えものだなぁ」
高校生までは一ヶ月あるかないかの期間である学期間休業––––夏休みと冬休み。 春休みと、学校によっては秋休みも存在するが、基本それらは多くて2週間位のものだから除くとして、夏期と冬期の長期休暇を、もっと長くして欲しいと思った人間は少なくないだろう。 だが、今思うと高校までの一ヶ月程の休暇は、期間として一番丁度いい長さなのだ、と。 長すぎず、短すぎず––––大学に入ってからのこの休み期間は、時間を持て余し過ぎる。 だが意欲のある学生なら、また話は別だろう。 自分の研究テーマについて調べ上げたり、海外留学したりなど時間を有意義に使っているのだろう。 羨ましい事だ––––俺は、俺のやりたい事を、自分の興味のある分野を、未だ見つけられていない。 アニメや漫画にが好きだからと言って、アニメーターになったり、漫画家になったりする訳ないだろう。 見るのが好きなだけであって、創作がしたいわけでは無い。 そもそも、その仕事に就けるだけの技術が無いのだから、志すだけ無駄である。 何なら神様にでも願ってみようか? ––––私に話を作る才能と、画力を下さい、とか。 それこそ都合のいい話である。 世の中漫画家とアニメーターだらけになってしまう。
––––元々選択肢なんて数えられる位しかないのだから、仕方ない。 俺の現状での将来の夢は、安定した収入を得られる仕事に就きたい。 要は公務員。 夢も希望も無い、酷く現実的な話だ。
「––––あれ?」
考え事をしていたらいつの間にか見た事の無い街の風景になっていた。 はて––––道を間違えたか? それとも家、もといアパートを通り過ぎてしまったのだろうか。 どちらにせよ、脳の以上を疑うべき話だ。 既に4ヶ月近くここで暮らしているのに、道を間違える、あるいは家を通り過ぎてしまうなんて、笑い話にもなりやしない。
しかし––––いくら道を間違えたといえ、いくら家を通り過ぎたとはいえ、これ程見覚えの無い場所まで来てしまうものなのだろうか。 例え道を間違えたとしても、道路をを一本曲がる場所を間違えた、とか誤差レベルの間違いだろうし、その程度のミスならば入学したての頃に何度かやらかしてるのでその辺りの風景だとかは把握している。 今俺がいる場所は––––街単位、或いは県単位で間違っている、全く見覚えの無い、初めて来る場所だ。
「何だここ……一体どこなんだよ」
小さく呟いたつもりだったが、その声はやたら、辺りに響いた。 そう、この街は無音だった。 車も通らない、一通りも無い、夕暮れだというのに、カラスの鳴き声一つ無い––––ただ家やらビルやらが立ち並ぶ、まるでハリボテみたいに、無機質な街だった。 おかしい––––と悟った。 ここから出なければマズい、と俺の勘が告げていた。
「ハァ、ハァッ––––!」
気が付いたら無意識で走り出していた。 反射、というものだろうか。 危険から身を守るために身体が反応する、自己防衛機能。 だが––––走っても、走っても。 街の風景は一向に、変わらない。 まるで俺が走るのと同じ速度で街まで動いているような、そんな感じだった。
「クソ、意味わかんねえ! 何だよコレ! 何なんだよ!」
走っても、走っても、出口は見えない––––というか出口なんて存在するのか? もしかしたら永遠に、ここに閉じ込められるんじゃぁ––––
『––––んな––––無い––––』
声が聞こえる。 幻聴まで聞こえてきたか––––
『幻聴じゃないよ!』
今度ははっきりと聞こえた。 何処から聞こえてきたのだろう––––俺は足を止め、声の主を探す。 だが、前を見ても横を見ても後ろを見ても上を見ても下を見ても––––何処にも誰も、居なかった。
『ようこそ、天界へ』
声だけが聞こえる。 少年でもあり、少女でもあるような––––幼い子供のような声。 そして、天界––––死後の世界。 ひょっとして俺は、死んだのか?
『いいや、死んではいないよ。 何故なら僕が君をここに招いたからね』
「招い……た?」
『うん。 ––––君は選ばれたからね』
「選ばれた……って、どういう事だよ、訳分からねえ……つか、お前は何だ? 一体誰なんだ⁉」
『僕の名前はラファエル。 癒しを司る大天使さ』
大天使––––癒しを司る? 何だそれ、まるっきり空想世界の話じゃねえか。 あれか? 俺はついに現実と空想の区別すら付かなくなったのか?
『大丈夫。 君の頭は至って正常だよ。 ––––ちょっと頭が悪い程度かな?』
「余計なお世話だ」
何だこいつ。 癒しを司ってるのに全然癒されねえ発言だぞ。
『さて、軽いジョークで場を和ませた所で本題に入ろう』
全然和んでねえけどな。
『まず君に受け取ってもらいたい物がある––––ハイ☆』
パチン、と指を鳴らす音がすると同時に、頭に痛みが走った。
「痛っ……」
どうやら何か落ちてきたらしい––––下を見ると、足元に小さな石ころが落ちていた。 拾い上げてみると、結構綺麗な石だった。 歪な楕円形だが、綺麗に磨かれていて、太陽でキラリと輝いている。 そして何よりこの石は––––温かかった。
「この石が……何だって言うんだ?」
『この石はただの石じゃない。 いわば意思が宿った石だよ』
「意思が宿った、石––––」
何となくただの洒落とは、思えなかった。 この石の温かさが、それを証明しているような気がしたからだ。
『君は、選ばれた。 この石の所有者に。 そしてその石を手にした時点で、君はなった。 神の教育者に』
「教育者……?」
手の中の石を見る。 不思議と、輝きが増したような気がした。
「––––つうか待て待て! 意味わかんねえよ。 何だいきなり神とか教育者とか! この石に神様とかでも宿ってるのか⁉」
『うん、宿ってるよ』
「即答! つーかそれ以前に拾った時点で契約完了って詐欺か⁉ 一体どこのワンクリック詐欺だよ!」
『いや、流石に悪いと思ったよ? いきなり単なる一般人の君を低級とはいえ神の教育者にするなんてさ。 でも安心して。 その子はとても良い子だから。 身の回りの事は基本やってくれる。 君は住処と食糧をちょっとばかし提供するだけで良いから。 あと必要なのはスキンシップとコミュニケーション位だね。 ね、簡単でしょ?』
「その発言は絶対に簡単に終わらないフラグだ」
でも、家事とか掃除とかやってくれるのはちょっと良いかもしれない––––じゃなくて!
『決まりだね。それじゃ早速元の世界に帰してあげる! 仲良くしてあげてね!』
「おい、待て! まだ話は––––」
ブツン、と。 糸が切れるような音が聞こえ、そのまま視界は真っ暗になった。
何も聞こえない。
何も感じない。
何も––––
♦♢♦♢
『––––あんな渡し方で本当に良かったのですか?』
『んー、僕は説明とかそう言うの苦手だからね。 後はあの子に任せておくよ』
『丸投げじゃないですか……』
楓が消えたと同時に、家やらビルやらの建物は細かい粒子となって風に消えていく。 粒子舞う空間の中、二つの声だけが聞こえてきた。
一つは、大天使ラファエルの幼い声。
もう一つは––––
『全く、丸投げですかはこっちの台詞だよ「ガブリエル」。 神の言葉を伝える大天使のくせに、大事な事は皆僕にやらせるんだもん』
『あの子に教育者を付ける事を提案したのは貴方ではありませんか。 我らが主にはなんの関係も無い話です。 ––––そして多くの人間の中から彼を選定したのも貴方です。 なので貴方が彼に適切な説明をするのは当然の話では?』
––––大天使ガブリエル。 こちらは青年のようなテノールボイスで、先のラファエルの行動に対し呆れていた。
『あーはいはい悪かったよ』
それほど反省してなさそうな声音で言う。
『でも、ま、何とかなると思うんだよね』
『また貴方はそんな無責任な……』
『まぁ見てみなよ。 きっとあの子が次にここに来る時は立派な「神様」に成長してるだろうさ……』
全ての粒子が風と共に消えて、同時に二人の大天使の言葉も小さくなっていった。
––––頑張ってね、神の子・ミコ……
二人の声は、そこで止まった。 静寂が、白い世界を支配していた––––