四頁 夢見心地
美雨の前には兄である幸雄が座っている。お兄ちゃんと二人きりで面と向かって座っているなんて珍しいな、などど思いながらも美羽は思う、いつも見ているお兄ちゃんとは何かが違うと。何が違うのか、前に座っている幸雄を見ながら、美雨は一生懸命考える。
「ん、どうしたの美羽。僕の顔に何かついてるかな?」
幸雄の口から出た単語を聞いて美羽は気づくのである。
(そうだ、顔だよ!なんかいつものお兄ちゃんより何割増しにもかっこよくなってる!)
美羽の思った通りにこの美羽の前にいる幸雄は昨晩部屋の前で話していた幸雄よりもかっこよく見える。しかし、部分部分にいつもの幸雄の面影を感じるためか、美羽はこのいつもよりかっこよくなっている幸雄を自分の兄だと思えたのだろう。
(一晩寝ただけでお兄ちゃんがこんなにかっこよくなるわけないし、これは夢か……)
夢であると分かると美羽はこの兄の幸雄がかっこよくなっているという状態を楽しむこととしたのか、じっくりと幸雄を観察している。
(ん~、現実のお兄ちゃんより鼻が高いのかな?いや輪郭もシュッとしているような……けっこう変わってるような感じだな~。でも、優しそうな感じなのは夢でも現実でも変わらないかも)
「なんだよー、そんなに僕の顔を見たって仕方ないだろ。何か面白いことでもあるの?」
「んーん、なんでもないよ。お兄ちゃんがかっこいいなって思って」
「な、なにをいきなり言ってるんだよ、そんなことないだろ」
「え~、当たり前のことをいってるんだよ」
「もう、そんなことはどうでもいいから、勉強するよ。美羽から勉強教えてって言ってきたんだから、しっかりやらないとダメだよ」
(あ、こっちのお兄ちゃんは頭もいいんだ~)
そんな会話を続けていると、不意にその場にベルが鳴り響く。ベルがけたたましく鳴っているが、どうやら幸雄は気にならないようで何もないように美羽に勉強を教えている。しかし、美羽にはもうベルの音しか聞こえず、幸雄が何を言っているのかも理解できない。そして、かすかにベルの音にまぎれて自分の名前を呼ぶ声がすると美羽は感じた。
(もう、起きる時間か……。もうちょっとこのお兄ちゃんを見ていたかったんだけどな~)
鳴り響くベルの音が目覚まし時計の音で、自分を呼ぶ声が美香であると気づくと美羽の前から幸雄も勉強道具も消えて、真っ暗になっていた。
「美~羽~あ~さ~だ~ぞ~いいかげんおきろよ~」
目を開けようとするとそんな声が聞こえる。美羽は布団から手を伸ばして目覚まし時計を止めた。時間を見てみると8時、セットした時間よりも三十分は過ぎている。スヌーズ機能で何回も音が鳴っていたようだ。
「珍しく目覚まし時計に起こされてるな美羽」
「ん」
布団から起き上がりぼーっと美香の方を見て、おざなりな返事をする。そんな美羽と違い美香は朝から元気いっぱいに上下ジャージ姿で美羽の布団の前に立っている。
「さぁさぁ、顔を洗いに行くぞ!私はランニングから帰ってきたばっかだからシャワーで汗流しに行くから、一緒に行こう、ほらほら」
そう言って、美香は美羽を布団から引っ張り出して扉の外へと連れていく。無理やり布団から引っ張られて美羽は少し覚醒したようであるが、まだ足がおぼつかないのか美香に後ろから押され転びそうになる。
「ちょ、ちょっと待って。押さないで、自分で歩けるから~」
「いいからいいから、顔洗って完璧に目を覚まそうぜー」
そんな風に廊下を歩いていると、二階のもう一つのドアが開いた。開いたドアから出てきたのは夢で見たよりもかっこよくないいつもの幸雄であった。部屋から出てきたのが幸雄であると分かるとすぐに美香は機嫌を悪くする。
「ん~~~、おはよ~」
どうやら幸雄も相当寝ぼけているようで、目をこすりながら間延びした話し方をする。
「お兄ちゃん、おはよう」
「……」
そんな寝ぼけた幸雄を見て、美香は何を思ったのか美羽の耳へと近づき囁いた。
「なぁ、昨日のノートのこと今あやまっちゃおう」
「え、でもお兄ちゃん今何言っても覚えてないと思うよ」
「だから、いいんじゃないかよ。私があいつにあやまったなんて覚えてもらいたくないから」
「え~なにそれ~」
「いいから、ほら」
そんな風に秘密の会話をしていても寝ぼけている幸雄は気にも留めずにぼーっとしながら、今にも舟をこぎそうになっている。どうやらずいぶん寝足りないようである。なぜなら今は春休みであるためもっと寝るはずだったのだが、たまたま起きて外からの声に反応して出てきたのである。そんな幸雄を前にして二人は並んで幸雄へと顔を向ける。
「おい、兄貴昨日は……ご、ごめん」
「お兄ちゃん昨日はノートのこと隠しててごめんね」
「……ん」
本当に分かっているのか不安になるような返事をしながら幸雄は二人の謝罪を聞いた。
「私はしっかりあやまったからな、兄貴が覚えてなくたって知らないぞ」
美香は恥ずかしいのか、怒っているのかそう捨て台詞のようなものを吐いてさっさと美羽を置いて一階に降りて行った。そんな美香を見ながら呆れた美羽はまた幸雄へと向いて、気になっていたことを聞くことにした。
「ねぇ、お兄ちゃんそのノートのことなんだけどあれって何が書いてあるの?」
「……んー……名前……」
「そんなことはわかるよー。ほら、名前の横のバツとかって何?」
「…………んー……」
なかなか要領を得られないことに美羽は嫌気が差したのか、幸雄の部屋の扉を開けて幸雄の背中を押して部屋の中へと誘導する。
「もう、眠いんだったら寝る!今日も休日だからもう少し寝てもママも怒らないよ、ほら」
ふらふら歩いて幸雄が布団へと潜り込むのを確認して美羽は部屋の扉を閉めて、一息つく。
「まったく、寝坊助さんなんだから」
そう言いながらも美羽の顔は笑顔だ。
(夢の中のお兄ちゃんもかっこよかったけど、あんな風にどこか抜けたお兄ちゃんもやっぱりいいなぁ)
階段を下りながら、そんなことを考えている美羽であった。