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羊の短編集。

暗闇。

作者: シュレディンガーの羊








「行きたい所があるの」


行ってみたいでなく、行きたいと言い切ったのが興味を引いた。


「何処に行きたいの?」


好奇心で俺はそう尋ねた。

彼女は静かに顔を上げて、こう言った。


「暗闇」






夏の放課後が好きだ。

昼間の暑さがまるで嘘だったように、心地好い風が吹くから。

夕暮れから、夏の空気は次第に澄んでいく気がする。

いつの間にか、蝉の鳴き声が止んで遠くから鐘の音が聞こえる。

1つ、2つ、3つ……まどろむ思考が、途端に覚醒した。

はっとして、腕時計を確認し絶句する。


「7時っ!」


今日の授業は確か4時前には終わったはずだから、最低でも3時間は寝ていた計算になる。

教室は当たり前だが、誰もいない。

友人も愛想を尽かして、先に帰ってしまったらしい。

俺は教室の中央の席で、伸びをして立ち上がった。

眠りから覚めた体はまだ重い。

帰る前に一声かけてくれればいいのに、あくびを噛み殺してそう思う。

帰り支度をする為に、机からノートを取り出そうとして、


「おはよう」


背後からの澄んだ声に手が滑った。

化学のノートが床に落ちて、乾いた音をたてる。

慌てて振り返ると、一人の少女がいた。

学校指定の黒いセーラー服。

黒いストッキング。

腰まである黒髪。

その黒のなかで目を引く雪の様な白い肌。


「清水、だよな?」

「そう」


にこりともせずに、少女――――――清水は頷いてみせる。

人形のような意思のない動作だった。

窓側の一番後ろの席。

それで、大抵は予想がつくだろう。

清水は変わっている。

人目を引く容姿に、神秘的な瞳。

他人をあまりに必要としない性格。

だから、女子特有の集団癖がない。

清水は人を引き付けるカリスマ性を持ちながらも、一人を好む雰囲気を持つ。

だから、誰も彼女の聖域に踏み込もうとしない。

そんな清水がどうして、俺と2人きりで教室にいるのか。


「なんでいんの?」


我ながら馬鹿な質問。

俺の顔もさぞかしアホに見えることだろう。


「あと少し、夜に近くなるまでは帰らない」


ふいっと逸れた視線を追えば、窓の外はまだ明るい。

西に傾いた太陽が、針葉樹の黒い影を長く伸ばしている。

清水は窓の方を向いたきり、何も言わない。

けれど、言葉を探す気まずさはない。

途切れた会話と、清水の横顔。

清水は、いつも窓の外を見ている。

まるで、何処かをじっと見つめている様に。


「何処に行きたいの?」


気づけば、そう問いかけていた。

そして、同時に納得した。

清水を見ていて感じたこと、あれは願いだ。

清水は、本当はきっとここではない、何処かに行きたいんだ。

そして、多分、俺はそれが何処なのか知りたい。


「行きたい所があるの」

「何処に行きたいの?」


彼女は静かに顔を上げて、こう言った。


「暗闇」


清水の返答に、俺は少し拍子抜けした。


「暗闇なんて、超お手軽だろ?」


ほら――――――俺は瞼を閉じてみせた。

そこで蝉の声が止んでいる事に今更気がつく。


「こうすれば行ける」


おどけ半分に目を開ければ、清水の視線が飛び込んでくる。


「目を閉じるても、瞼が瞳を押す圧力が光に変換されるから、完全な闇にならないよ」


歌うように紡がれた言葉に、俺は嘆息する。

そういえば清水は期末テストで、学年4位だった。

もう一つの思い当たる事を、口にする前に清水が言う。

聡やかな瞳が俺を見る。


「夜も、月や星の光があるから」


言うつもりの台詞を先回りされ、学年100位にも届かなかった俺は苦笑いを零す。


「暗闇に行きたいってのも、難しいんだな」

「行きたい所あるの?」

「行きたい所なぁ……」


抽象的な所でないなら沢山ある。

遊園地に水族館、なんなら海外にだって行ってみたい。


「でも、ここに帰って来る事、前提だからなぁ」


行ってみたい所は、沢山ある。

でも、行きたい所にはならない。


「今は特になしかな」


そう結論を出した俺に、清水は少しだけ目を伏せた。

長い睫毛が瞳を陰らす。


「そう」


感情が読めない無機質な声。


「まぁ、その内出来るかもしんないけどな」


俺は明るい声で笑ってみせる。

清水は不器用だ。

今、自分がどんな顔をしているかなんて、きっと自覚していない。

いや、興味がないのかもしれない。

目の前にいる俺の事も、自分自身の事にも。

だから、あんなにも遠い目をする。


「ぢゃあ、俺が連れてってやるよ」


本当は初めて見た時から、ずっと気になっていた。


「え?」

「行きたいんだろ」


雰囲気とか、容姿とかぢゃなくて、清水の纏う願いに心を奪われた。


「暗闇」


俺は笑った。

多分、満面の笑みで。

清水は微かに戸惑った顔で、それでも遠い目をしていた。





昔から、淋しい人間が好きだった。

控えめに笑う仕種や、憂いに満ちた瞳とか、世界を手放しに愛せないような人。

俺からしたら、それはどんなに手を伸ばしても届かないもの。

それは朽ちゆく儚い願い。

本人さえ、叶わないと知っている願い。

でも、だからこそ心惹かれる。

その淋しさに、人の救われなさを垣間見るから。





2人で帰り道を並んで歩いて行く。

清水の家も、俺の家も同じ駅で降りればいいらしい。

帰り道が一緒だったなんて、知らなかった。

夏の夜は日が長くて助かる。

もし、夜だったら清水の姿は闇夜に鴉だ。


「それ、暑くねぇの?」


俺は清水の着ている黒いセーラー服を示す。

本来、夏服のセーラー服は半袖の白地に黒い襟がついたもの。

けれど、今清水が着ているのは冬服の長袖で黒い合服だ。

胸元に結ばれた赤いリボンだけがよく映える。


「黒、好きだから」


淡泊で短い返事が返された。

清水は無駄なことを口にしない。

それは俺に心を開いていないからなのか、それとももともとの性格なのか。

多分、後者の方だろうな。

清水が楽しげに誰かと談笑している姿なんて見たことがない。

まったくの皆無だ。

少し小洒落た煉瓦畳の商店街を歩く。

暗闇に心当たりがある。

そう俺は言った。

清水はつれていってとは言わなかった。

俺が教室を出たら、ただ後ろをついてきた。


「バスに乗るけど、金ある?」


バス停に歩き着いて、清水に尋ねる。

清水は頷いた。


「このバスに15分乗って、少し歩けば着くよ」

「暗闇に?」


ちょうど着たバスを示せば、清水は首を傾げる。

その仕草の可愛げと無表情さのギャップに笑いが零れる。


「そう、暗闇に」





バスに揺られている間も、清水は特に話しかけてこない。

窓側の席で、流れていく景色を見ている。

静かだな、と思う。

乗客も少なく、走っていくほどに道の交通量も減っていく。

日もだんだんと落ちていく。


「終わりってこんなふうかな」


思わずぽつりと呟けば、予想に反して清水が振り返り俺を見る。

長いまつげが微かに震えていた。


「世界の終わりはきっと騒がしいと思う」


清水はまるで悪いことを言うように消え入る声で囁いた。

終わりと聞いて、世界の終わりを連想したのか、と驚く。


「俺は静かであることを祈るよ」


人生の終わりのつもりだった、とは言えず願望を口にする。

清水は一瞬、何かを言いかけて止めた。

そしてまた窓の方に向き直ってしまった。

俺は聞かなかった。

聞かなくてもなんとなく分かる気がしたから。

祈るだけでどうなるの。

たぶん瞳がそう云っていた。





降り立ったバス停に、他の乗客は誰もいない。

物淋しい場所に俺たちは立っていた。


「ここ?」

「あぁ。行こっか」


頷いたものの歩き出すのに少し戸惑った。

この町に来るのは4年ぶりだった。

一見変わらないふうに見えたが、よく見れば時の流れが伺える。

あの場所はまだあるだろうか。

そんな不安が首をもたげる。

そして、今の状況を今更ながらに自覚する。

清水が当たり前に着いてくるから、自然だと思っていたがどう考えても自然じゃない。

話したこともない不思議少女を暗闇に連れていくなんて、普通じゃない。

常識人の行動じゃない。

どう考えても怪しすぎる。

自分の行動に今更に泣きたくなった。


「どうしたの?」

「うわっ!」


突然顔をのぞき込まれて飛びさする。

脈が速くなった。


「道、分からない……?」


淡く心配顔になる清水。

慌てて違う違うと首を横に振る。


「ごめん。行こう」


清水に背を向けて早足に歩き始める。

今は考えてもしょうがない。

それにしょうがないじゃないか。

清水の願いを叶えてやりたいと思ってしまったんだから。





暗闇の目星は小さい頃の秘密基地。


「あ、あった」


黒い廃墟を見つけて、ほっと安堵の息を吐く。

清水も感嘆に似た息を零して言う。


「プラネタリウム……」

「そ。でも、すぐ潰れちゃったんだ」


引き取り手のない土地であったのもあり、ここはすぐ子供たちの秘密の遊び場になった。


「勝手に入ると怒られるんだけど、時間がたつと暗黙の了解になってた」


壊れた柵をよけて、正面口を開ける。

中は真っ暗だった。


「プラネタリウムは真っ暗じゃないと駄目だからね。まだ暗闇でよかった」


むかしはよく肝試しやかくれんぼをした。

いつから遊ばなくなったのだろう。

思いを馳せれば、何故か淋しくなった。


「綺麗」


ため息のような艶やかな声。

清水は頼りない足取りで中に入っていく。

俺も扉を閉めてその後を追った。





完全な暗闇。

何度も忍び込んだことのある俺でさえ慎重に手探りで進む。

けれど清水はどんどん奥に向かっているようだ。


「すごい。すごいね」


妙に熱のある清水らしくない口調。

はしゃいでいる子供の声のトーンを思わせる。

笑い声さえ聞こえた。

俺はそのはしゃぎように苦笑する。

でも、笑いはすぐに引っ込み、心は曇った。

聞いてみたいことがあった。

今なら聞けるとも思った。


「なぁ」


静かに暗闇を手探るように、呼びかける。


「本当は行きたいんぢゃなくて、還りたいんだろ」


清水の瞳は遠くを見てるんぢゃない。

本当は、何処も見ていなかったんぢゃないか。

闇の中に還りたい。

消えていきたい。

それが清水の願いなんじゃないか。


「違うよ」


硝子を思わせる声が空気を震わせた。

笑顔が真顔に戻るような、あまりにも唐突な変化に息を呑む。


「本当は何処にも、行きたくなんてないの」


これまで聞いたどんな言葉よりも、表情のない台詞。

氷のように冷たい声。


「私、本当は此処にいたい。何処にも行きたくなんてないの」


真実が紡がれる度に、清水の声が世界を凍てつかせる。

そんな気がした。

清水の心が凍っていく。

暗闇の中で、無意識に手を伸ばす。

空を切る手に、初めて焦りが広がった。


「清水、何処にいる?」


短く叫んで辺りを振り返る。

一面の漆黒に脈が早くなっていく。

不安が闇に溢れ出していく。


「何処にも行きたくない。誰にも会わない、誰もいないところにいたかった。一人で生きていきたかった」


清水は機械的に、言葉を吐き出し続ける。

俺の存在さえ、もう清水には闇の一部でしかない。


「でも、知ったの。私は、人間は、みんな独りだけど一人ぢゃ生きていけない。孤独を募らせるだけなのに、人は誰かと生きていくしかないの」

「……清水」


淡々と語られていく独白。

遠い。

限りなく遠い。

さっきまで隣にいたのに、今は手さえ届かない。


「なら、消えたいって思った。闇の中なら、誰にも気づかれずに消えていける気がしたから」


一息分、間が空いて


「そんなこと、無理なのにね」


清水が自嘲気味に笑う。

それは、俺に向けられた笑みだった。


「何処にも行けない、行きたくない。でも、此処にもいたくない。私は」


私は何処に行きたかったんだろう――――――風のない暗闇が淋しさに揺れた。

俺は何も言えなかった。

俺にはわからなかったから、清水の抱える痛みも、喪失も、何も。


「ありがとう」


さよなら、と言われた気がした。


「帰ろう」


清水の足音が、出口に向かう。


「……違うだろ」


俺の声に清水の足音が止まった。

確かに、俺は清水の抱えるものを知らない。

でも、知らないからこそ、言えることがある。


「清水、本当は生きたいんだよ」

「私、死にたいなんて言ってない」


否定は早かった。


「私は、消えたいだけ」


痛々しいほどの思いに、息が詰まる。

清水の痛みが、その一言で決壊した。


「どうしてみんな、こんな淋しい世界で生きていけるのっ!?」


叫ばれた世界への拒絶に走り出す。

声のしたほうに必死で走り寄る。

椅子に段差に壁に床に足をぶつける、足を取られる。

ただ、君に消えて欲しくないと思った。

君がいなくなるのは嫌だと思った。

今、手を取らなければ一生後悔すると思えた。

伸ばした手が、何かに触れた。

それを引き寄せ、無理矢理に抱きしめる。

清水が静かに息を飲むのが分かった。

微かに花の匂いがした。


「確かに、俺には清水のことなんてわかんないよ。わかれないよ」


闇の中、紡ぐほどに本当が曖昧になる気がした。

それでも、黙れなかった。


「それでも、わかりたいって思うよ」

「そんなの残酷だよ」


清水の声が鋭く尖る。

世界のすべてを投げ出していくように。


「わからないなら、わかろうとしないでよ。それは傷つくだけだよ」

「ぢゃあ、理解してもらえないから口を閉ざすのかよ。それは傷つく前に諦めただけだろ」


清水が俺の手を振り払い、押しのける。

そして暗闇の中で、再度叫ぶ。

たった一人で声を張り上げて。


「諦めるしかないっ。私はこれ以上、傷つきたくないっ。これは逃げぢゃない、選択なのっ」

「なら、どうして悲しい顔するんだよ」


対する俺は静かに問いかけた。

もどかしい。

伝わらない、伝えたい。

相反する思いに胸が熱くなる。

清水は嘲笑うように言い返した。


「嘘つき。私の顔なんて、この暗闇の中ぢゃ見えないくせに」

「泣きそうになってる自分の顔、清水は知らない。そうやって自分自身のこと分かろうとしないから、分かりたいって思うんだ」


伝わってほしい。

届いてほしい。

生きてほしい。

笑ってほしい。

だから消えたいなんて言わないでほしい。


「そんなこと知らない」


清水は静かに拒絶した。

すべてに疲れ果てたような気配が漂う。


「知りたくない」


子供が泣き出す前のように声が滲んだ。


「だって、生きていくのは迷惑で淋しくて、死んでいくのは迷惑で悪いこと。なら、消えたいって思うしかないよ」


清水が泣いている。

見えなくても分かる。

何故か、心が震えて温かさを取り戻す。


「本当は違うんだろ?」


清水は変われる。

確信を持って口を開く。

俺は君を見てた。

だから、言える。


「清水は暗闇で、誰かに見つけて欲しかったんだ」


本当の自分を見て、認めて。

誰もがそう願い望む。

自分以外の誰かに、愛されたいから。

必要とされたいから。

清水も同じだ。

そして、きっと俺も。


「みんな同じようなもんだよ」

「違う。私は違うの」


駄々をこねるように、口調が幼い。

清水が今まで抱えてきたものの大きさを、垣間見た気がした。


「ひとりぢゃないって、言ってもらいたかった。私がいるよって、大丈夫って言ってほしかった……っ」

「俺がいるぢゃん。だから、消えたいなんて言うな」


俺は――――――言いかけて口をつぐんだ。

清水が俺の言葉を待っているのが分かる。

でも、だからこそ、この言葉は。

俺は一歩後ずさると踵を返し、そのまま出口に向かう。

足音に気づいた清水が、戸惑い叫ぶ。


「何処行くのっ!?」


答えずに、俺は扉を開けた。

寂しい街灯の光に目を少し細める。

振り返らずに名前を呼んだ。


「清水」


夜の澄んだ空気が震える。

月光が街を照らす。

星々が宝石のように煌めく。

みんなみんなきれいだ。


「あなたも私を置いていくの? いらないって言うの?」


悲痛な言葉に胸が貫かれる。

それでも、ここで振り返ってしまったら。


「来なよ、清水。星が綺麗だ」

「私の言葉、聞いてよ。こっち向いてよっ」

「月の光が青白いって本当なんだなぁ、びっくりした」

「どうして……っ」

「……清水が自分で来なきゃ駄目なんだよ」


清水が息の飲んだ。

拳を握りしめる。

本当は抱きしめたい。

大丈夫だ。俺がいる。大丈夫。

そう囁きたい。

でも、それじゃあ駄目なんだ。

清水はこれから生きていくんだから。


「自分で歩いて来て。暗闇を捨てて」

「私は」


躊躇うように、吐息が揺れる。

きっと言葉はもう必要ない。

時間がきっと彼女を変えてくれる。

もう清水は大丈夫だ。


一歩目が聞こえた。


凛と前を向くようにもう一歩。

踏み出された足音は次第にこちらに近づいてくる。


「ありがとう」


俺の隣に並んで、清水が言った。

「ありがとう、浅羽くん」





二人並んだ足音が夜の町に響いて溶けていく。

夜のこういう空気が俺は好きだ。


「私ね、いつもずるいって思ってた」


清水が語ってくれた彼女の家のこと。

俺は口を挟まずに、ただただ聞いていた。

語り終えた彼女は、今とても綺麗な顔で言葉を続ける。


「だって、死ぬことは悪いことだと誰もがいうのに、ならどうやって生きていけばいいのかは誰も教えてくれなかった」

「あぁ。だろうな」

「それが卑怯だっていつも思ってた」


バス停が見えてくる。

この散歩もそろそろ終盤だな、と思う。

清水が鞄を持ち直す。


「でも、もういいの」

「どうして?」


優しく問えば、清水は空を仰いだ。

彼女は、月を、星を、たくさんの光りに見つめられたまま、小さく笑う。


「この夜を思い出すから」


その言葉に俺は思わず泣きそうになった。


「浅羽くん、聞いてる?」


顔をのぞき込まれそうになって慌てて仰け反る。

清水はそんな俺を見て一瞬きょとんとしてから声を出して笑った。

朗らかな雪解けのような、澄み切った声で。

熱くなる目頭を知らない振りして、不服そうな声を上げる。


「笑うなよ」

「笑うよ、これからはちゃんと笑うの」

「ちゃんとって変な言葉だな」

「そう? あ、バス来たよ」


眩しい光が近づいてくる。

俺を見る清水はその光の中で、確かに笑っていた。

暗闇の中に消えていきたいと願っていたあの色はもう瞳にはない。

心惹かれたあの淋しさはもう見えないけれど、清水はこれからもその思いを抱いたまま生きていく。

それでも、その淋しさの中で笑う彼女に、


「浅羽くん、行こうよ」


俺は、いま恋をした。

言葉にならない思いが溢れて、ただ名前を呼ぶ。


「清水」

「なに?」


清水が首を傾げる。

数時間前に見たその仕草。

そのときとは違う笑みが零れた。


「俺は」


君が好きだ。








fin















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