あなたを仕舞う
二人称小説にチャレンジ。
読みにくかったらすみません。
本当に大切なものは、いつだって手に入らない。
腕の中の少女は目覚めるそぶりを全くせず眠りについたままだ。
すやすや眠る彼女を無感動に眺め下ろし、僕は細く息を吐く。彼女は華奢であったが、それでも僕には重かった。もちろん、一人分の命だから軽いはずはない。
「ごめんね」
伝わることの無い懺悔の言葉と共に、僕は彼女の身体を足元に広がる底の見えない火口へと投げ込んだ。
日常に戻ってきたんだ。
見慣れたはずの懐かしい町並みを見回して、あなたは涙ぐむ。
戻ってきたんだ。
言い尽くせない感慨で胸が満たされたのだろう、涙が次々溢れて頬をぬらす。通行人がいたらぎょっとされるだろうなぁとあなたは思ったけど、それは止まらない。幸いなことに、辺りに人気は全く無かった。
はやる思いを抑えながら、あなたは自宅への道を急ぐ。身に着けているのが通っている学校の制服と指定鞄であることに気がついたのか、一度足を止めてまじまじとそれを眺めているようだ。
あなたがこちらの世界に来た日も、同じ格好だったことを思い出す。
紺の上着といささか露出面積が多いスカート。そのことを指摘すると、顔を真っ赤にして「私の周りは皆こうなんだって!」と反論していた。昨日のことのようにそれを思い出し、僕は口元を緩める。当然長旅に不適な代物ですぐこちらの衣装を着用するようになったけど、あなたは未練たっぷりだったよね。あなたにとってはあなたの世界を象徴する大切な物だったのだろう。
王の命令を受けてあなたを呼び出したのは僕だった。魔力は底知らずだったが、今に比べて随分荒い術だったと思う。詠唱を紡ぎ魔方陣に手を伸ばし、僕の手に引かれてこの世界にやってきたのが紛れも無いあなただった。
あなたはとうとう自宅へ続く最後の曲がり角を曲がる。角にはいつも庭の手入れに勤しむおじさんの家がある。あなたは心を落ちつかせながら軽く会釈をして、見えてきた自宅の植え込みに再び目を潤ませる。小走りになるのが止められない。あと三歩、二歩、一歩。
「ただいまー!!」
出せる限りの大声を上げて、あなたは家のドアを開ける。
あなたがこの世界に呼ばれた理由は知っているよね。そう、実に身勝手なものだ。召還した当事者であること、本当に申し訳がない。
無尽蔵な魔力と大陸一と呼ばれている知力をもってすれば、この世界に異世界人を召還する行為はそれ程難しいことではなかった。でもその逆は難しくてね、とても。僕は世界中の文献を読み、あらゆる術を試し、そしてそれが不可能だということを理解した。どこかまた別の異世界に送り込むことは可能でも、特定の世界の特定の時と場所を指定することが出来なかった。だから、僕はあの儀式を止めることが出来なかったんだ。
『世界の中心の火口より異界の乙女身を投げし時 世の秩序は回復し平和が与えられるだろう』
僕に時間をさかのぼる術が使えたならば、けしてそんな予言が残されることの無いようにしたのに。
たとえあなたと出会わない現実が待っていようとも。
しかし、時の歯車を巻き戻すことは不可能だ。
僕は小さくため息をついて、両手の中の小さな時計に口付ける。金属のひやりとした温度を感じた。
「もう決めたんだね」
あの時、あなたは僕のその言葉に目を伏せて静かに頷いた。艶のある黒髪がゆれて、その鮮やかさに一瞬目を奪われた。
僕は小さく息をついた。予想してた答えだったけれど、直接その結論を聞かされることはきつかった。
「そっか」
あなたから視線を外して窓に目を向けると、血のように赤い月が覗いていた。
どんどん短くなる昼の時間。
彼女を召還する原因ともなった近年の気象異常は、農作物や国民に大きな痛手を与えていた。
生贄。
あなたがこの世界に召還された理由は、神への供物として捧げられるためだ。
「なぜ、逃げない。」
僕はあなたを見つめ、問うた。
「可能性に賭けたいの」
そう答えるあなたの瞳は静かだった。
狂いそうなのは、僕の方。
そんなにもこの世界を否定するのか。
僕は叫びだしそうな衝動を抑えこむために、息を深く吸った。
「レジェ、元気でね」
あなたが僕に向けた最後の言葉。
「もっといろんな人と出会って、いろんな世界を見て。レジェの人生はレジェだけのものなんだから」
なぜ、こんな時でもあなたは笑えるのか。
「ありがとう。会えて良かった。……本当は、怖いし高い所嫌いだし逃げたい。でも、必要なことなんでしょう?」
なぜ瞳を潤ませたまま、あなたはそんな風に笑えたんだろう。
サチコ。その名前には幸せという意味が込められているという。
確かに僕はあなたに幸せをもらったけど、自分が幸せにならなくてどうするのだろう。
「この世界にとって、意味があることなんだよね。私、頑張るから」
自己犠牲の精神なんて下らない。
それでもあなたは美しかった。
「そう気を落とすな」
あなたを見送った後、神官長は僕にそう声をかけた。
もちろん僕は落ち込んでなんかいない。集中していただけだった。しかし黙ったままの僕を見て誤解したのだろう。僕の頭を撫でながら尚も言葉を紡ぐ。
「サチコ殿程気高く賢い女性であれば、いかなる世界においても天命を全うするであろうよ」
天命?
僕によって行きたくもない異世界に召還されて、恐ろしい火口から身を投げることが天命だと言うのか。
僕は俯きながら暗く笑った。
あなたに逃げることを提案した際、打ち明けたよね、火口の先に何があるか。
そうだ、その先には更なる異世界が待っていると言われている。勿論、あなたが来た世界につながっている可能性も全く無い訳ではない。
だからあなたはそれに賭けることを決めたんだよね。
あなたには謝らなくてはいけない。
あなたの決断を台無しにしたことを。
仕方ないだろう。
嫌なんだ。
あなたがいない世界に残されること。
あなたが僕と異なる世界に飲み込まれること。
それを考えると狂いそうだ、否、既に狂っているのかも知れないね。
あなたにいつか打ち明ける時が来るだろうか、あの時僕が何をしたかを。
あなたを生贄として捧げる前の晩、僕は再び異世界人を召還した。黒髪の一人の少女、あなたと似通った容姿だったのには驚かせられた。同じニホン出身の人間だったのかも知れないね。
そして、その晩のうちに彼女を火口に投げ込んだ。
あなたが飛び込んだ先は、僕が用意した結界への入り口。あなたの思い描いた世界がその中には展開されている。
あなたのこれまでいた世界が。
あなたという人間を形作った優しい世界。
僕は時々あなたをのぞき見て確認する。
もうあなたの美しい瞳に僕が二度と映ることは無くても、あなたというかけがえの無い存在を手に入れた。捕まえた。
もう、二度と離さない。
+登場人物メモ+
■レジェ
14歳くらいの魔法使い。
郡を抜いた才能と無尽蔵な魔力をもつ。
視野が狭い。
■サチコ
17歳くらい?
基本楽天的で明るく思い切りが良い。
神への供物としてレジェにより召還される。
レジェの構築した世界に囚われたまま。
■彼女
15歳くらい?
サチコの代わりにレジェによって寝ている間に召還され
寝ている間に火口に投げ込まれた可哀想な子。