気が進まないことのススメ。
私だって、観光スポットに行きたくなることがある。基本的に出不精で休日も自宅周辺でやり過ごすことが大半だが、不意に遠出をしたくなるタイミングが訪れる。傾向としては、朝早くに目が覚めた時にそういった気持ちに襲われることが多いように思える。
さて、先月のことである。朝5時前に起床し、芝桜を見ようと思い立ったので、埼玉にある有名な公園に足を向けることにした。
混み合った電車に耐え難い苦痛を感じる性分であるが、幸い最寄り駅までの特急電車が出ている。観光気分を味わうのであれば、ゆったりと座席に座り、景色が流れゆく様を見ていたいものである。
しかし、意気揚々と駅の券売機に向かったところ、特急券は3時間後まで売り切れていた。多くの人は事前に計画を立てて特急券を予約するものだということを改めて認識し、何と生きづらい世の中だという思いを強くした。
この時点で私の旅への気持ちは大いに挫かれた。3時間後の特急まで待つか、鈍行電車で寿司詰めになりながら目的地に向かうか、あるいはこのまま帰宅するかという選択肢が頭を駆け巡った。
幸いまだ朝は早い。帰宅して自分の思うままに時間を使った方が有意義な休日を過ごすことが出来るのではないかという思いが優勢になったが、せっかくの早起きが勿体無いという気持ちにも後ろ髪を引かれる。ただ、3時間も待つのは時間の浪費でしかない。
喫茶店で朝食を取りながら煩悶とした結果、鈍行電車に乗ることを決意した
電車に乗り、どんどん乗客が増えていく中で次第に後悔の念が盛り返してきた。乗ってくるのは明らかに観光目的の人間たちが大半だ。休日に観光地に行くという没個性的生き方をする人間に嘆きを覚え、消費文明を突き進む人類全体の将来を憂い、そして、自分もまたその破滅的生き方をする人間の一人であるという事実に打ちのめされる。
もはや観光気分は吹き飛んでいる。今すぐにでも電車を降りたい。しかし、電車代がもったいないという小市民的気持ちが私の足を重くする。そうこうする間に電車の扉は閉まり、さながら刑務所に移送される囚人のような気持ちで電車に揺られることになった。
5日間の勤務を乗り越えて迎える休日がかくも辛いもので良いのだろうか。2日間の休みでは十分な休養にならないのではないか、そもそも人間は働くために生きているわけではないのだから、平日と休日の日数を逆転させるのが本来ではないかといったことを考えている内に、電車の外の景色が様変わりしていた。目的地が近いのである。
単純なことにその景色を見ただけで、私の気持ちは観光にシフトした。公園をどのようなルートで巡ろうか、昼食は何を食べようか、確か近くに温泉があったはずだという考えで頭が一杯になる。
一面の芝桜はまさしく風光明美であったし、芝桜を眺めながら飲んだお酒は美味しかった(近くで出店が展開されていたのである)。温泉に浸かり疲れを癒やし、名物のワラジカツ丼を食べた段階で、実に有意義な休日を過ごしたという思いに満たされていた。
朝、あのまま帰宅していたらこの満足感は得られなかったはずだ。その時の自分の気持ちに正直に従うことが必ずしも自分にとってより良い結果をもたらすとは限らないということを改めて思い知った出来ことであった。
思い返せば、当初気が進まないと思ったことが、案外楽しい結果をもたらすことになるということがこれまでにも度々あった。
気が進まないと感じる理由は様々だが、自分の乏しい想像力が先回りしてしまうことが多いように思う。勝手に結果を矮小するのである。面倒くさがりという性格もあるだろうが、なるべく現状維持をしようという考えが判断に強い影響を与えている。
自分の気持ちこそが自分自身と考えがちだが、気持ちには一定のバイアスがかかるものであり、気持ちに従うことが必ずしも最適解でないということもある。
気が進まないことに手を出してみると、自分が本当に楽しいと思えることが増えていくように思える。
人生を過ごしていく上では、どれだけ自分というものは発見できるかが重要な位置を占めるように思う。それに年齢は関係ないのだから、これまでの経験にこだわり過ぎず、気になったことには気軽に足を向けるということオススメしたい。終わり




