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Shake  作者: 木野華咲
8/10

まさか本当に来てくれるとは・・・。

呼び出したのは繭だ。全く期待をしていなかったと言えば嘘になる。それでも信じられないものは信じられない。圭吾とこういう時間を過ごせる日が来るなんて、今までは想像すらしていなかったのだから。

圭吾と繭の関係を言葉にするなら、セフレというのが一番しっくりくる。圭吾に誘われたときだけホテルに行き、2、3時間楽しんだらサヨナラという間柄だ。その間の繭の胸のうちなど、この関係には何も影響を及ぼさない。しつこいほど言わせてもらえば、繭から圭吾を誘ったことは一度もないし、まして、休日をこうして一緒に過ごすことなど、まずありえない。

圭吾と二人で過ごす=ホテル。公式化してしまっている決まり事が、こうも簡単に崩れるなんて・・・。


繭も圭吾もこの後すぐにバイトに行かなくてはならないのだから、ホテルに行く時間も体力的余裕もなかったのは確かだ。だが、行く場所に困りカラオケに行かないかと誘った繭に、圭吾が黙ってついてきたのは、意外だった。

圭吾は何も聞こうとはしない。今まで一度も起こらなかったことが起こっているというのに、何の疑問も持たないように見える。もしかしたら、今までだって誘えば来てくれたのかもしれない。ありえないことだと、勝手に思い込んでいただけかもしれない。繭が圭吾に突然ホテル以外の場所に誘われたとしても、疑問には思うだろうが行くだろう。お互いに特定の恋人はいないわけだし、よく考えれば、やましいことなど一つもないのだ。

自分から手を伸ばしてはいけない人、手を伸ばしても届くことがない人。繭の中の圭吾は、いつもそういう存在だった。だが、実際の彼は違うのだと思う。神様でもテレビの中のアイドルでも何でもない。普通の私立高校に通う高校生であり、友達がいて、遊ぶ女がいて、バイトで小遣いを稼いでる、どこにでもいる男なのだ。そして、繭も。男癖が悪いというだけで、どこにでもいる普通の女子高生なのである。勿論、そんな誰でも分かるようなことに今更気がついたところで、繭の中の圭吾の位置が変わるかといえば、おそらくたいした変化はない。問題なのは、自分の気持ちのほうだ。自分は圭吾とどうなりたかったのか、圭吾に何を求めているのか。たったこれっぽっち距離が縮まったというだけで、ひどく戸惑っている自分がいる。好きなのに、好きなはずなのに。何かが胸の奥に、つっかえる。


マイクを握りながら、目は画面の歌詞を必死に追う。必死に追いながら、意識は別のところにある。

圭吾はといえば、パラパラと曲本をめくっていた。結構長い付き合いだと言うのに、圭吾が歌うところすら今日初めて目にする。

今まで繭は、圭吾のことを積極的に知ろうとはしてこなかった。一定に保たれた距離で、目に見えるものだけを好きになり、与えられるものだけを受け入れてきた。だけど本当にそれでよかったのかと、隆のことが頭を過ぎる。隆が繭にしてきたこと。恵と一緒にしたかったこと。そういう意味では、隆と繭は異なっている。受け入れる繭と、与えたい隆。どちらがどうとは繭には言えないけれど、きっと隆は、繭以上に苦しんできたのではないだろうか。繭にこれだけよくしてくれたことを考えれば、隆の気持ちの大きさは聞かなくても分かる。好きな女が友人の彼女。この近すぎる距離で、彼を何を思い、何を呑みこんできたのだろう。与えたい気持ちが大きすぎるが故に、見たくないものを数多く目にしてきたのではないだろうか。


聞きなれた音が部屋の中にながれる。

カラオケ機器が出す音ではない。音源は、繭の携帯電話。

表示されている名前に苛立った。バイトだと言ってきたのだから、出る必要はない。必要はないが、繭は通話ボタンを押していた。

「もしもし、恵だけど。」

表示されているのだから分かっている。何の用だと聞けば、「ごめん。」と謝罪される。

「繭の様子がおかしかったから、元に聞き出したんだ。本当、ごめんね。でも、隆くんも隆くんだよね、それならそうと最初から言っといてくれればいいのに、そしたら私だって繭に紹介なんてしなかったのに。次は絶対大丈夫だから。今度こそ繭が本気で好きになれる人を・・・。」

恵は本当に真実を聞いたのだろうか?もし聞いたのならば、何故隆を責めるようなことを言うのだろう?。

もし繭が圭吾に同じことをされたら、圭吾に圭吾の友達と付き合ってくれと言われたら、隆がそうしたように圭吾の要望に応えていた思う。

苦しかろうが、辛かろうが、好きな人がそう望むのだ。好きな人が望むから、繭は望みを受け入れる。当然隆もそうしたのだろう。受け入れることで、恵に与えたのだ。優越感や、満足感、そんなくだらない恵が望むものを、隆は惜しみなく与えた。

繭は知っている。

初めて会ったあの日、美容室の鏡の中の繭に向かって、こそばゆい言葉と共に向けられた笑顔。

買い物に行けば、身に着ける当人より楽しそうに、あれだこれだと物色している姿。

繭の世代が好む店には、現役高校生である繭よりも、隆の方が数倍詳しかった。

馬鹿な男だ、可哀想な男だ。だけどそんな隆を嫌いになれない。

「もう、いいから。ごめん、忙しいから切るね。」

恵の返事を聞く前にボタンを長押しし、そのまま携帯の電源を切った。

これ以上話をすれば、自分を抑える自信がなかった。


「あの男と何かあったのか?。」

「え?。」

電話を切った途端、話しかけられて気がつく。圭吾は繭を真っ直ぐ見据えていた。何故か隆にこだわっていた圭吾だ。あの男というのは、間違いなく隆のこと。

「何もないよ。」

何もない。隆が恵を好きだという事実が分かっただけだ。繭と隆の間には最初から何もない。

ポタンッとテーブルに落ちた雫に、これは何だろうと思う。

頬を伝って落ちた液体を、涙だと認める理由がなかった。

「俺にどうして欲しいわけ?。」

軽く頭を掻き毟りながら、めんどくさそうに圭吾が言う。

「どうもしなくていいから、バイトの時間まで一緒にいてよ。」

とにかく一人になりたくない。ただそれだけだ。

「忠告も聞かなかったくせに?まさかと思うけど、俺、あいつの代わり?。」

「そんな・・・。」

そんな言い方しなくても・・・。悲劇のヒロインが発しそうになった言葉は、凍りつきそうな視線に遮られる。圭吾が繭を軽蔑しているのが、はっきりと伝わってきた。

「知ってるだろ?嫌いなんだよ、面倒な女は。今のお前、すっげー面倒。」

癇に障る。ものすごくムカつく。たぶんそれは、自分でも分かっているからだ。

圭吾が投げてくる言葉が、奥の奥まで届く。


寂しかった。誰かに甘えたかった。だが一方で、それを圭吾に望んでも得られないことは分かっていた。優しくしてくれる男ならたくさん知っている。その男たちが本心から繭を想い優しくしてくれるのではないことも知っている。男達が見ているのは、一人の人間としての繭ではなく、女子高生というブランドをぶら下げた簡単に抱ける女だ。

「ごめん。」

やっと分かった気がする。何故圭吾だったのか。

圭吾にとって繭が都合がいい女であることは間違いないが、圭吾は、繭を抱くために繭に優しくするようなことはしない。いらないものは、いらないと言う。間違っているものは、間違っていると言う。女のためなんかに媚をうるような真似を彼は絶対にしない。つまり、繭を道具として扱わない男は、隆を除けば圭吾だけだ。

「ったく、どうしようもないな。」

引き寄せられて、顔が埋まる。途端に圭吾のシャツが湿っぽくなる。近ごろ涙もろくなってしまったようだ。とまらない涙が、シャツに大きなシミをつくった。

シミの下にあるのは、透き通った肌。繭が大好きな圭吾の一部。

圭吾は最初から気づいていたのだろう。繭がいつかこうなることに。

髪型であったり服装であったり、隆と一緒にいる間に繭に起こった小さな変化を、圭吾は見逃してはいなかった。

いや、圭吾だから見逃せなかったのだ。特定の女を作れない、他人に踏み込むことも踏み込まれることも好まない、圭吾だから。

隆にさえ出会わなければ、ただ圭吾を受け入れていればいいだけだった。好きだと思いながら、届かないと思いながら、手を伸ばすことを諦めていればいいだけだった。

だけど、変わってしまったのだ。

繭の中の何かが、確かに形を変えてしまった。



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