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Shake  作者: 木野華咲
5/10

1、2、3・・・。

おった指が片手でおさまらない現実を見ると、繭は頭を抱え込んでしまった。


まばゆい太陽の光が、オープンテラスの白いカフェテーブルに注がれる。

繭の座っているテーブルの上には、飲みかけのオレンジジュースと、空になったコーヒーカップ。

今はトイレに立っているが、ついさっきまで目の前でコーヒーを飲んでいたのは、こうなる筈ではなかった相手、島村隆。

流されるままに重ねてきた隆とのデートは、すでに6回目を迎えようとしていた。

デートコースは、いつもきまってショッピング。それに時折、食事やお茶が+される。

ちなみに本日繭が身に着けているものは、すべて今までのデートで隆が買ってくれたものだ。足元には、このカフェに寄る前に通った店の紙袋が置いてある。

だから困っているのだ。

せめて身体の関係でもあれば、繭もここまでは困らなかったかもしれない。

だが隆は、手こそ毎回つなぐものの、それ以上は何もしてこようとはしない。それ以前に、付き合う付き合わないの話しすら、今だ曖昧なまま。

自分から誘ってみようか。

何も進んで隆と身体の関係を持ちたいわけではない。

見ようによっては、身体の関係を要求されずただ貢いでくれているのだから、こんなにおいしい話はないのかもしれない。

だが繭は、よーく分かっている。貢ぐ女にはなれても、貢がせ女になれるほどの価値は自分にはないことを。


隆とデートを重ねている間にも、圭吾や他の男とは関係を持っている。隆が他の男と同様に自分の身体だけを目当てに付き合ってくれるのなら、今の関係よりずっと楽なはずだ。

もう会わない。そう繭が言えば、隆は黙ってそれに従ってくれる気もする。だが押し付けとはいえ、これだけ貢がせてしまった相手に、とてもそんなことは言えそうになかった。

ずるいのは分かっている。だからこそ、チクチクと沸いてくる罪悪感を感じながら、はっきりしない自分自身に苛立ちを感じる日々が続いていた。


「お待たせ、繭ちゃん。」

頭上から聞こえた声に顔を上げると、やっと見慣れてきた爽やかスマイルがそこにある。

自分がさっきまで座っていた席に腰掛けながら、「これからどうしようか?。」と隆が問いかけてくる。

引いてしまうだろうか。だがそれならそれで、隆との関係をはっきりさせるチャンスなのではないか。


「二人っきりになれるところに行きたいな。」

繭が出せる最大限の甘い声。

こんなとき、二重のパッチリ目ならよかったと思う。自分が上目遣いをしたところで睨んでいるようにしか見えないだろうと、あえて隆を正面から見つめた。

いくら何でも隆がこの言葉の意味が分からないとは思えない。実際隆は、瞬間的に驚いたように目を見開いた。二人の間に続く沈黙。ひたすら隆の出方を待つしかない。

何を考えていたのか。宙を見上げていた隆が、レシートを手に立ち上がった。


「行こうか。」

かけてきた声はいつも通り穏やかなのに、爽やかスマイルは浮かんでいない。そんな隆の様子に多少ビクつきながらも、黙って隆の指示に従った。

会計を済ませ近くに停めてあった車に乗り込む。いつも何かしら話題を提供してくる隆が、気味が悪いほど表情を動かさず無言でハンドルを握っている。

結局次に隆が口を開いたのは、ラブホテルの駐車場に車を停車させてからだった。


「念のため確認しとくけど。」

シートベルトを外しながらそう言いかけて、隆がふぅーと息を吐く。

「いいんだよね?。」

そんなにイヤイヤ抱いてもらう必要もないんだけど。

プライドを若干傷つけられショックを受けながらも、言葉を発さないまま繭はコクリと頷いた。それを確認してから車の扉を開けた隆は、やはり不服そうで、この人は一体何なのだろうと頭の中が混乱しはじめた。

女から誘われて引いたなら、はっきり断ればいいのに。

恵が隆は優しいと言っていたことを思い出し、恵も隆も優しさの意味を履き違えているのではないかと、怒りすら感じてしまう。とはいえ、自分の事を棚上げしている手前、今更やっぱりやめときますとも言えるはずもなく、車をおりて隆のあとに続いた。

いつも圭吾と使っているホテルより、値段も部屋もワンランクアップした写真パネルを眺め、隆の様子を伺う。ここまできても気乗りしないのか、隆もまた、無表情でパネルを眺めている。背後から聞こえてきた煩い女の声に、何となく嫌だな、と感じた。こういう場所で他の客と一緒になるのは、気まずさを感じる。出来れば素早く部屋を決め移動したいのに、隆は全く気にならないのか、まだ部屋を決めかねているようだった。


背後からの声が近づくにつれ、ほのかに香った香水の匂いには覚えがあった。よく聞けば、男の方の声にも聞き覚えがある。確認はしたくなかった。したくなかったが、気持ちと行動は時として一致しないものだ。いや、もっと奥底にあるものとは、きっと一致しているのだろう。

繭が顔を上げたのと、男がこちらの存在に気づいたのとでは、ほぼ同時だった思う。


「繭?。」

圭吾のこういうところは嫌いだ。

特定の女をつくらない圭吾ならではなのかもしれないが、隣に誰がいようと何処であろうと、知っている人間に会えば見て見ぬフリが出来ないタイプらしい。もし連れているのが彼女なら、直ぐにでも喧嘩の原因になりかねない。せめてこんな場所で会ってしまった時ぐらい、他人のフリをしてくれればいいのに。圭吾の性格を知っていながらそう思ってしまうのは、ワガママだろうか。

「奇遇だね、あはは。」

吐きたくなるほどのつくり笑いだった。

普段と何も変わらない様子の圭吾は、「奇遇だな。」とオウム返ししてくる。すぐ隣から「繭ちゃん?。」と自分を呼んだ隆の声が、まるではるか遠くから聞こえてきた気がした。

「同じバイト先の・・・。」

そう言いかけて言葉につまる。以前同じようなことがあったのを思い出したからだ。

街でたまたま圭吾に会ったとき、「同じバイト先の子。」と圭吾が隣のいた女に繭のことを紹介した。この関係はいつまでたっても変わらない。何度身体を重ねても、圭吾と繭は、同じバイト先で働いている知り合いでしかない。

あの時とは違う、圭吾の隣にいる背の高い綺麗系の女が、圭吾の腕に自分の腕を絡ませ「早くいこうよ。」とせかす。

ふいに向いていた意識とは逆方向から腕を引き寄せられ、驚きのあまり瞬きを数回繰り返した後、上を見上げた。ついさっきまで無表情だった隆の顔に、いつもより更に極上の爽やかスマイルが浮かんでいる。

「同じバイト先の人なんだ?それは偶然だね。初めまして、島村です。俺と繭ちゃんの関係は・・・言わなくても分かるよね。」

挑発しているようにも聞こえる隆の口調。だが圭吾は、そんなものに顔色を変えるような男ではない。「どうも、中岡です。」とペコリと隆に頭を下げた後、面倒くさそうに隣の女をなだめながら、パネルに視線を流している。圭吾らしい反応だと思う反面、チクリと胸が痛むのは自分でもどうしようもない。

「それじゃ、お先に。」

圭吾たちに向けて笑顔でそう言う隆に腕を引かれ、半分引きずられながら着いて行く。乗り込んだエレベーターの扉が閉じると腕は開放され、隣の隆は、さっきまでの無表情な男に逆戻りしていた。

気づかれただろうかと胸が騒ぐ。もしかしたら、圭吾だってもうとっくに繭の気持ちには気づいているのかもしれない。気づいていて、あえて気づかないフリをしているだけかもしれない。いくらうまく隠そうと頑張っても、まだそこまで大人にはなりきれていないのだ。


エレベーターを降りるとすぐに、点滅している部屋ナンバーが目にとまった。

このまま隆に抱かれていいのだろうか。と思う。隆に抱かれればこの胸のざわつきが少しは和らぐのではないか。とも思う。

足を踏み入れた部屋の扉が閉まる。カチャと鍵のかかった音がした。この瞬間全てがどうでもよくなってしまうのは、いつもの事だ。


「隆・・・くん?。」

包まれた温もりがあまりに優しさを帯びていたので、つい名前を呼んでいた。

繭を自分の腕の中に閉じ込めた隆は、鼻をすすっているわけでも、身体を震わせているわけでもないのに、何故か泣いているように思えた。

「笑わないでよ、繭ちゃん。」

「え?。」

「そんな顔して笑うな。」

心臓がドクンと音をたてる。

やはり隆は気づいたのだろう。ひた隠しにしてきた繭の想いは、こんなに簡単に見破られてしまう。

恥ずかしさと情けなさと、それを隠すための苛立ちが一気に沸きおこる。

「もっと自分の気持ち大事にしなよ。」

「そんなこと隆くんには関係ない」。

隆の腕の中から逃れようともがくが、背中にまわっている腕の力が強くなり拘束される。どれだけ抵抗しても、もはや逃げ道はないように思えた。隆の表情を伺うことは出来ない。ただ一つ分かったのは、隆は繭を抱く気がないのだということだけだ。むしろこの人は。

「女の子が辛そうに笑うのを見るのは、嫌いなんだ。」

説教は嫌いだ。上から目線はもっと嫌いだ。だけどこの腕の中の温かさは、悪くなかった。


「余計なお世話だよ、それ。」

初めてだった。

ホテルまで来て、抱きしめられているだけでチェックアウトの時間を迎えたのも。男の腕の中で泣いたのも。


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