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「いっらっしゃいませ。ご注文お決まりでしたらどうぞ。」
学校が終わればバイトの時間。
繭の働くファーストフード店は、全国展開しているような大きなチェーン店ではない。
お好み焼き、焼そば、うどん、ソフトクリームに、フライドポテト。何でもありの、広告すら出していない個人経営の店である。
それでもショッピングセンターの中に入っているということもあり、平日の午後や日祭日は、それなりには忙しかった。
同じ年代の制服デート中のカップルの注文を受け、すばやくキッチンにそれを伝える。
今の時間バイトは2人。主に接客を担当する繭と、主にキッチンを担当する中岡 圭吾。
レジを終えた後は、繭は圭吾の補助にまわる。
ドリンクをカップに注ぎながらチラリと見た圭吾は、サラサラの髪こそ帽子の中に隠れているものの、透ける肌は汗一つ滲んでいない。
女装をさせればさぞかし綺麗だろう。と思える圭吾を目当てに店を訪れる女性客は、あとをたたない。
繭にとって唯一の救いといえば、今のところ新規のバイトを雇う余裕がこの店にないことだ。
繭と圭吾以外は、長く勤めているパートのおばちゃんばかり。お陰で他の女に邪魔されることなく、こうしてのんびりと圭吾と同じ時間を過ごすことが出来る。
この店でバイトを始めたのは、繭が高校に入学して間もなくの頃。
その当時この店に圭吾の姿はなく、代わりに同じ高校の女の先輩が働いていた。
受験勉強を理由に先輩が店を辞めたのは、繭が2年に進級した春。入れ替わりで入ってきた圭吾は、その年、隣の市にある私立の高校に入学したばかりだった。
綺麗な子。
圭吾を初めて見たとき、繭は単純にそう思った。
異性に綺麗だという表現を使ったのは、生まれてはじめての経験だった。
来年の春になる前に、繭はおそらくどこかに進学を決め、この店を辞めることになるだろう。
そうなれば、もう圭吾に会うことも、こうしてチラ見することさえ出来なくなる。
代わりにはいってくるのはどんな子なのだろうか。女であれば、圭吾はまたその女と関係を持つのだろうか。そう考えるだけで、繭の進学意欲はみるみると形を失っていくのだ。
年下の男に芽生えた淡い恋心。
思いを伝えることが出来る相手なら、どれだけ楽だったか。
「この後あいてる?。」
ショッピングセンターの閉店時刻を目前に控え、圭吾が耳元で囁いてくる。
例えあいてなくとも、圭吾のためなら無理やりにでもあけるに決まっている。
さりげなく「あいてるけど?。」と答えながらも、繭の心臓は鼓動をはやめた。
「なら行こうぜ。」
「あー、うん。」
行こうというのが何処を指すかは分かっていた。
圭吾にこうして誘われるのは、初めてではない。
圭吾は特定の彼女をつくらない。だが誘われるのが自分だけではないことも繭は知っている。
いい男だけに。と言ってしまえば真面目ないい男には失礼かもしれないが、中岡圭吾という男は、実に軽薄な男なのだ。
その軽薄な男に誘われて、あっさりとOKの返事を出してしまうのが繭なのだから、勿論偉そうなことを言う気など全くない。
「お疲れ様でーす。」
店長に声をかけ店を出た後、客がいなくなった薄暗いショッピングセンターの中を圭吾と二人で歩く。
閉店までバイトに入っている時には、ショッピングセンターの社員専用通路から、外に出ることに決まっているのだ。
出入り口の傍まで来ると、警備員室から警備員のおじさんが「お疲れ」と声をかけてきた。
このおじさん達ともすっかり顔なじみで、店の大事な常連客でもある。
「お疲れ様です。」
繭の中でのとびっきりの営業スマイルで警備員のおじさんに返し、出入り口の扉を開けた。
春の強い風をうけ、クセ毛が余計にぐしゃぐしゃになってしまう。隣で栗色の髪がサラサラと風に舞い、ストンと元の位置におさまっていった。
「ほら。」
ボスッと頭の上にのせられたのは、ハーフメット。
繭の家から店までは、目と鼻の先ほどの距離しかないので、学校が終わり家で着替えた後は、いつもバイト先まで歩いて通っていた。
一方の圭吾はといえば、バイク通勤。
圭吾の通う高校ではバイトが禁止されているらしく、人目を避けてわざわざこんな所まで通って来ているらしいのだけれど。
とっくに店の事を嗅ぎつけて遊びに来る圭吾ファンも多いというのに、いまだに圭吾がバイトを続けられていることが不思議でならない。
バイクに跨り圭吾の腰に腕を回すと、圭吾の香水の匂いが繭を幸せな空間へ導いていく。
10分もかからず辿り着いてしまうホテルまでの距離に、繭は幸せをしっかりと堪能するのだ。
通りの死角に入った場所にひっそり佇むラブホテルの利用客は、あまり多くはなく。
部屋もビジネスホテルのような粗雑なつくりで、わざわざパネルで部屋を選ぶ必要性がどこにあるのだろうと毎回首を傾げるが、その分料金は格安なので、繭たちのようにあまりお金がない人間にはもってこいの場所だ。
割り勘で料金を払い適当に選んで入った部屋で、圭吾が繭の首筋に唇を寄せてくる。
ゾクッと身体が反応し、クスリと笑った圭吾の息は、繭の反応を楽しむようにゆっくりと下へおりていく。
圭吾に誘われたときだけ、こうして誘いに応じてきた。
この時間だけが、圭吾が繭だけのものになる唯一の時なのだ。
深い茶色の瞳が繭を見つめ、「繭。」と何度も呼んでくれるかすれた声が、頭の中でボンヤリと響いた。
こんな時ですら、圭吾は繭を好きだとは言わない。そして繭も、そんなことは口が裂けても言えない。
都合がいい女。だからこそ、圭吾は繭を求めてくれる。
自分の気持ちを口にした瞬間に、今の関係があっけなく終わりを迎えてしまのは分かっていた。
気持ちを閉じ込めているのは苦しい。だけどこの関係を失ってしまう苦しみを思えば耐えられる。圭吾に身を任せながら、繭は必死で自分に言い聞かせていた。