第38話 聖女レイナ13歳編 小さな優しさの魔法
王国は、かつてない平和と繁栄の中にあった。レイナは、13歳の優しさと聡明さを兼ね備えた少女へと成長していた。
彼女の目は、かつてのように無邪気な輝きを保ちつつも、深い慈愛と、王国の未来を見据える確かな光を宿していた。
ある晴れた午後、レイナは城の書斎で、トナリーノン王国からの外交文書に目を通していた。
マミーレン外務大臣の丁寧な筆跡が、国境の森のキィーリンたちの群れがさらに増え、新たな「キィーリンの小道」が交易路として正式に認められたことを伝えていた。
彼女の口元がほころんだ。
3年前のあの誕生日の贈り物、水晶のオルゴールは今も彼女の机の上に置かれ、時折、彼女が蓋を開けては、あの日の温かい旋律を思い出させた。
「レイナ様、広場で……ちょっとした騒ぎが」
侍女が少し困ったような顔で入ってきた。
「騒ぎ?」
「はい。『光のシャボン玉』を……巨大化させる実験をなさっていた、あの若い魔術師見習いが……」
レイナはすぐに状況を察した。
彼女がかつて遊びで考案した「光のシャボン玉」の魔法は、今や子供たちの間で大人気の遊びだったが、城の魔術師学院の好奇心旺盛な生徒たちが、その魔法の応用研究に熱中するようになっていた。
広場に駆けつけると、そこには予想以上の光景が広がっていた。
通常の十倍はあろうかという、巨大な虹色のシャボン玉が一つ、ゆらゆらと浮かんでいた。
中には、実験を行った張本人の魔術師見習いの少年が閉じ込められ、もがいている。
周りでは衛兵たちが慌てふためき、どうやって割るか(中の少年を傷つけずに)議論している。
市民たちは少し離れて興味津々に見守り、子供たちは「わあ!」と歓声を上げていた。
レイナは一瞬目を見開いたが、すぐに笑みを浮かべた。
慌てる衛兵隊長に手を挙げて落ち着かせると、ゆっくりと巨大シャボン玉に近づいた。
中でパニック状態の少年は、レイナの姿を見て、泣きそうな顔で謝罪のジェスチャーをした。
レイナはシャボン玉の表面にそっと手を触れた。冷たく、弾力がある。
彼女は目を閉じ、ほんの少しだけ魔力を込めて、優しく囁いた。
「そっと、そっと……元の大きさに戻って。中のお友達を、そっと降ろしてね」
彼女の声と共に、巨大シャボン玉はみるみる縮み始めた。
魔法の膨張を解かれるように、みるみる小さくなり、中の少年は無事に地面に立った。
最後には普通のサイズの、きらきらした「光のシャボン玉」が一つ、レイナの手のひらの上で優雅に回転した。
「ご、ごめんなさい、レイナ様!ただ、もっと明るく、もっと多くの人を喜ばせるシャボン玉を作りたくて……」少年は真っ赤な顔でうつむいた。
レイナは手のひらのシャボン玉をそっと少年の方へ浮かべた。
「その気持ち、とっても素敵だよ。でもね、魔法で一番大切なのは『コントロール』だって、先生たちも教えてくれてるよね? 大きすぎる優しさも、時には人を困らせちゃうんだ。まずは小さなシャボン玉を、確かに、たくさん作れるようになること。それができたら、きっと君の夢も叶うよ」
少年はレイナの言葉に深くうなずき、小さなシャボン玉を大切に受け取った。
その夜、誕生日の祝宴が開かれた。
13歳となったレイナは、王や大臣たち、市民の代表たちに囲まれ、穏やかな笑顔を浮かべていた。
贈り物の中には、トナリーノン王国から届いた、キィーリンの親子をかたどった美しい木彫りの置物もあった。マミーレン大臣からの手紙には、「レイナ様の『小さな優しさ』が、今では大きな実を結んでいます」と記されていた。
ケーキのろうそくを吹き消す直前、レイナは言った。
「私の願いは、変わらないよ。みんなが笑顔でいられますように。そして、誰かの小さな優しさが、次の誰かの大きな幸せにつながっていきますように」
彼女が息を吹きかけ、ろうそくの火が消えた。
その瞬間、窓の外から、城の魔術師たちと子供たちが一斉に放った無数の「光のシャボン玉」が舞い上がり、夜空を優しい虹色の光で埋め尽くした。
それは、巨大ではなく、一つひとつが手のひらサイズの、完璧にコントロールされた、夢のように美しい光だった。
レイナは窓辺に立ち、その光景を見つめた。
13歳の彼女が願った「小さな優しさ」は、確かに広がっていた。
それは国境を越え、人々の心に根付き、そして今、この王国の空を、無数の小さな光で飾っていた。
13歳の誕生日。彼女は、優しさが持つ本当の力と、責任の重さを、ほんの少しだけ深く理解した日となった。
そして、これからもその小さな光を、確かに、大切に灯し続けていくことを心に誓った。
水晶のオルゴールの旋律が、祝宴の優しい喧騒に溶け込み、遠くの森のキィーリンたちの元へ、そして、まだ見ぬ明日へと、静かに響き渡っていった。




