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【グラスホッグ】


——《星花の盆地への探索・救出任務》

【依頼内容】

採掘作業中に崩落した坑道より、未発見の空洞地帯が出現。

地底湖および高魔力地帯に自生する自発光性の花群生域(通称:星花)が確認された。

なお採掘作業に同行していた採掘団の少年と、団員数名が、一部地形崩壊に巻き込まれ行方不明。

団員数名は発見済だが、少年はなお孤立中。負傷している恐れあり。

また同エリアでは、魔力の影響で異常進化した魔獣の活動が確認されており、速やかな救出が求められる。


【目標】

救出・調査


【報酬】

銀貨百五十枚+追加報酬(救出成功時)

※学術協会からの支援金により、星花の記録提供があれば別途金貨報酬あり。


【特記事項】

・周囲は地熱の影響で高湿・温暖な環境。足場はぬかるみや岩棚の崩落に注意。

・魔獣の出現が不定であるため、戦闘対応が可能な冒険者の同行が必須。

 Aランク相当以上の戦闘能力が望ましい。

・救出対象は十歳の少年。昨夜時点で生命反応あり。


【備考】

本任務は緊急性が高いため、掲示より先に個別打診を実施済み。




受付で、改めて依頼の受注処理を行う。


——少年は孤立中。負傷している恐れ——


依頼書のその文言にも、ルシアンの微笑は揺らがない。

人命を軽視しているわけではない。

護衛の男が動く理由が、この文面一点からくるものだと理解していたからだ。


ギルドが手配した現地までの馬車に、ふわりと乗り込む。

ついでガルドが乗り込むと、馬車がぎしりと音を立てた。


正面に座った赤い瞳が、ぎろりとルシアンを見据えた。

だが、——睨んではいない。そういう顔なのだ。


「ふふ、素直に頼んでくればいいのに、君は顔で怖がられすぎだね」

「ふん……」


その反応にも柔らかく微笑む顔は、先ほどの柔和な笑みとは少し違った。


ガルドは、舌打ちをひとつ。

無言のまま腕を組み、背もたれに深く沈む。視線は逸らさず、だが何も言わない。


——自分が自然にしていても、魔術師は勝手に笑ってくれる。

それが分かっていて、けれどやはり毎度、心のどこかがざわつく。




馬車が動き出す。

揺れに合わせて淡く髪が揺れ、向かいの銀の瞳がそっと伏せられる。

傍らに置かれた革鞄から、先ほどの依頼書が覗いていた。


「……崩落に巻き込まれて、魔獣もいて、昨日までは無事だってか」


ガルドがぼそりと呟く。

ルシアンは、何も答えなかった。


「……餌にされてなきゃいいがな」


口にするだけで唾棄(だき)したくなるような可能性を、冷たく吐く。

けれど隣の魔術師は、まるで空気のように揺るがない。まっすぐにその目を見て——軽く、首を傾げた。


「その子と私がいたら、その子を守っていいからね」

「お前な……」


ガルドが額を押さえる。

それ以上何も言わず、もう一度深く座り直した。


「……生きてりゃな。拾って帰ればいいだけの話だ」


その呟きが、車輪の音にかき消されていった。

セレスの街並みが、遠く後ろへ流れていく。

星花の盆地へ向けて、馬車はまっすぐに走り出していた。






一刻の間、馬車に揺られてたどり着いた現場は、すでに規制線が張られていた。


馬車を降り、現場の警備と二、三、やりとりを交わし、地上から緩やかに続く坑道を下りていく。

それが途中から大きく崩落し、——地下二十メートルほどの空洞層が露出していた。


「もともと、水脈と地熱がぶつかる微妙なバランスの上にあったようなんです。この崩落で、封じられていた地層が一気に解放されてしまいまして……」


崩落に巻き込まれなかった採掘団の団員が、わずかに震えてそう告げた。

団員三人が怪我をした。子ども一人がのまれた。その震えももっともだった。


ルシアンとガルドが崩落した崖から下を覗き見ると、天井を抜けてきた自然光が斜めに差し込んでおり、その光が遥か地底、湖と花々に細く反射していた。

地底であるにもかかわらず、夕方の野外のような明るさと、色温度を帯びている。


しかしそれはあくまで陽が当たる場所のみ。

影のほうは墨を落としたように真っ暗であり、恐らく夜になるとそれはもっと顕著だろう。


「子どもの位置は?」


ほぼ同時に、ルシアンとガルドが口を開いた。

赤く鋭い瞳と、穏やかな銀の瞳に見つめられ、団員がびくりと肩を揺らす。


「そ、それが……魔力測定装置で、かろうじて生きていることくらいしか……」


——つまり、場所までは特定できていなかった。

まだ岩肌からは、パラパラと崩落の名残が小石となって落ちている。


「……お前はここに残れ」


ルシアンに、ガルドがそう、短く告げた。

足場の危険性、魔獣の存在。綺麗な景色はあろうとも、安全性が確保できるまで、連れて行きたくはない。

が、ルシアンはふわりと微笑んだ。


「もし、子どもが怪我をしていたら?」

「……担いで上がってくる」

「ガルド、私は回復魔法が使える。……それに、」


ふと、ルシアンの指先が、ガルドに向く。

ぽ、とガルドの腰元に、周囲を照らす光の玉が生まれた。


「光源もつくれるよ?」

「…………チッ」


渋面を伴った、盛大な舌打ち。

光源の光の玉は、半歩身を引いたガルドに、す、と追従してくる。


「……好きにしろ。下で文句言うなよ」


低く吐き捨て、ガルドは荷物からロープを取り出した。

岩に打ち込まれた支点を確認し、自らの身体を固定してから、ルシアンの装備も無言で点検する。

胴の留め具、脚の安定、外套の裾。——何も言わずに、だが確実に。


ルシアンはその間も笑みを崩さず、ただ静かにそれを受けていた。

宙に灯る光はゆるやかに揺れて、ふたりの影を崖縁に伸ばしていく。


「……降りるぞ。崩れるとこ踏むな」


ガルドの大きな身体が、先にゆっくりと降下していく。ロープに体重を預け、足場を探りながら、音もなく。

そのあとに続くように、ルシアンの白い手が、ロープに添えられた。


——風が吹きあがる。


差し込む陽光に、崩れた坑道の粒子がふわりと舞う。魔術師の淡紫の髪が、光源の玉に反射してきらめいた。

眼下——まるで、星々の中へ降りていくような光景。

地底の空洞へ。星花の盆地の、まだ誰も踏み込んでいない深部へ。


——ふたりの影が、静かに沈んでいった。






半透明で、青白く、不規則にともる小さな花——星花は、床一面が光の粒で覆われているかのようだった。

静かな星空のように揺らぐそれは、魔力を浴びて咲く性質があるようで——

恐らくここが、魔力が流れる地脈の支流だということが伺えた。


その中を歩けば、花が刺激を受けて、ふわりと輝く。特に、魔力を伴ったルシアンの足元の反応が著しく。

すぐそばの地底湖も、地熱と鉱物の成分により、水面が淡い銀青色に発光。


——絶景であった。




一拍、心を奪われたが、ルシアンはすぐにガルドに向き直った。

はるか上空、崖の上では、団員とギルドの救助隊の面々が、心配そうにこちらを覗き込んでいる。

周囲を警戒するガルドの隣に、並び立つ。


「ガルド、こうして光を灯しているのに、なにも魔獣が寄ってこない。地底というこの地の性質上、視覚に頼らない魔獣なのだろうか」

「……ありうるな。地底にいるとなりゃあ、……グラスホッグか、アヴィネークか……」


ガルドが口にしたのは、皮膚が半透明のモグラ型の魔獣と、毒性を持つヘビのような魔獣だった。

どちらにしろ、子どもが襲われればひとたまりもない。

アヴィネークは一噛みで全身に猛毒が回るし、グラスホッグはこの花畑に紛れ込まれたら、すぐそばにいても光の屈折で見えにくくなりそうだった。


すこしだけ思案したのちに、ルシアンが視線だけをガルドへ向けた。


「私、感知魔法使おうか?」

「……ああ?」

「魔獣と、子どもの位置がわかると思うよ。けど欠点もある」


涼しげに淡々と放つ言葉は、まるですべてを俯瞰(ふかん)から見ているようで。


「……言え」

「もし魔獣が魔力に反応するタイプだったら、襲い掛かってくるかもね」

「…………チッ」


ガルドが小さく舌打ちをしたあと、無言で辺りを睨む。

地底の静けさと、星花の揺らぎ。

あまりに幻想的な光景のなかで、その怒りにも似た思考の回転だけが、異質に響いた。


「おい」


低く、ルシアンを呼ぶ。


「そしたら、魔獣が向かっていくのはお前だ。感知はいらねぇ」


赤い瞳が、静かに見据えてくる。

決して、魔術師の力を疑っているのではない。

だが、感知という“餌”を晒し、囮となる行為に、彼がどれほどの実力と、覚悟を持っているのか——、まだ、測れなかった。


背の大剣の柄に手をかけながら、さらに言う。


「……俺に護衛させるってんなら、命令は……聞いてもらう。下がれ、って言ったら従え。いいな」

「……うん、わかった」


静かな笑みが、星花に照らされる。

それを確認したのを最後に、ガルドが大剣を少し引き抜き、そのまま保持する。



——静寂。


子どもの声はおろか、魔獣の息遣いも聞こえない。


けれども、どちらも、どこかにいる。


「……影のほう、照らすね、ガルド」

「……ああ」


ルシアンの指先の動きに合わせて、光源の玉が宙を滑った。

花畑の上を漂い、わずかに地底を照らしたその瞬間——星花の中から、見えない何かが飛び上がる。


「——おや」


——バチンッ!と破裂するような音を立てて、ルシアンに振りかぶっていた爪が、銀色の眼前で大きく弾けた。


瞬時にガルドが振り返る。

ルシアンの身体の前に、——ほんの一瞬、光の壁が見える。

防御魔法を、体外に生成したようだった。


次の瞬間にはもう、ガルドの巨躯が壁のようにルシアンの前に立ちはだかっていた。

自分をかばうように伸ばされた腕に、ルシアンのしなやかな手が軽く触れる。——防御の膜を、その背に預ける。


びく、とガルドの肩が震えて、肩越しに一度だけルシアンを見た。



「どうぞ、楽しんで?」



赤い瞳ににこりと微笑みを返し、——ルシアンが両手を、左右に広げた。


現れたのは、半透明の魔獣、グラスホッグ。

姿の見えない敵。なるほど、面白い、と。



——周囲に、光源の玉が、無数に咲いた。


数十ではない、百以上、数百個かもしれなかった。

その玉は、高く地上付近まで高く咲き誇る。


地底が昼日中のように明るくなる。どこにも影がないほどに。


そしてそのうち地面近くのものが、数十個、一斉に星花の上に落ちた。

魔力の塊、それに反応する星花の輝き。


どんなにうまく隠れようが、たとえ半透明だろうが。


光の玉がその身に降れば、かすかに玉の挙動が変わる。

地に落ちた玉。花に当たった玉。——”宙で止まった”玉。


「全部で八体だよ、ガルド」

「上等だ」


赤い瞳がぎらりと閃き、大剣が一気に抜き払われた。

星花の光を浴び、刃が鈍く黒銀に反射した。



——ガンッ——!


最も近くに潜んでいた一体が、叩きつけるような一撃で地面へ伏せられる。

岩盤を割るような轟音と共に、半透明の肉体が砕け散った。


「一体」


ガルドが呟き、即座に身を翻す。

光の下、逃げ場を失った魔獣たちが、ざわめくように花畑を駆け抜ける。


隠れることをやめれば、それはもう気配の塊で——、ガルドにももう、手に取るように分かった。


二体目の突進を、肩で受け流すように押し返し、その勢いのまま剣を振り抜く。

赤い軌跡と共に、花弁が宙を舞った。


「二」


背後、影が伸びる。

ルシアンが笑みを浮かべて片手を上げると、その影の動線にぴたりと光の玉が降りた。

眩い閃光に怯んだグラスホッグを、ガルドが背後から一閃。


「三体」


地底に、星花と光の玉、銀青の水面の反射が乱れ咲く。

その全てが、戦士と魔術師のための舞台のように輝いていた。


——残り、五体。

花畑の奥で、半透明の群れが牙を剥き、唸り声を上げる。


ガルドは大剣を肩に担ぎ、血の気を帯びた赤い目で正面を睨んだ。

その背に、柔和な銀の光が重なる。


「……まとめて来いよ。潰してやる」




ガルドの全身から滲む魔物への殺意に、光に覆われたあちこちで、グラスホッグの爪がこすれる音がした。


足を踏み出す。花が揺れる。

剣が、風を裂いた。


体ごと振り抜いた蹴りで、四体目の胴体を地面にめり込ませる。

そのまま大剣を引き抜くと、五体目・六体目に向かって、刀身を回転させて叩きつけた。

肉を裂く音が空洞に響く。


花の光が波のように揺れる中、ルシアンの側に二体が回り込んでいた。

突進してくる影が、光に照らされて浮かび上がる。


だが、ルシアンの瞳に動揺はない。

手のひらがふわりと振るわれ、先ほどの壁のような防御魔法が、二体のグラスホッグを押さえつけている。


——“押さえる”。

それだけに徹した、最小限の魔力の奔流。


衝突音が何度か響く。


突進するグラスホッグの体が、まるで空気に押し返されるように弾かれていく。


微笑のままに、一歩も引かぬ淡紫の影。

その足元で、星花たちがふわりとまた光る。

魔力の気配に呼応して、まるでルシアンその人が花の中心に咲いているようで。


しかし、まごうことなき、囮であった。



ガルドの耳が、わずかに揺れる空気を捉える。


——背後の音。突進の気配。

二体、流れたか。


「……くそモグラども——」


振り向かず、振り抜く。

大剣ではなく、拳だ。


ルシアンへとさらに回り込もうとした一体の横面を、拳が潰した。

半透明の顎が裂け、星花の上に鈍く転がる。


「七」


ガルドが、大剣を掲げ、剣の腹で打ち付ける。

斬るのではなく、押しつぶすように。


花畑の中心で、鈍い肉音と共に、地面が揺れた。


「八、だ」


——空気が、静まった。

地底が、再び息を潜める。


ルシアンの元に歩み寄るガルドは、わざとらしく肩を鳴らす。

そして、鋭い赤の目で、微笑を見下ろした。


「……楽しんだかよ、魔術師」

「うん、とっても」


ふふ、と笑うルシアンと、がさりと髪をかきあげる、ガルド。

足元の小さな花々が、ふたりの影を揺らしていた。






——【グラスホッグ】

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