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【花が照れたのだと】


一度宿に戻り、旅装に着替え、二人は西の街門へと赴いた。


歩き出そうとしたところ、記録官の男と助手の女が現れる。

現地にて合流、とのことだったが、街を出るタイミングが合ってしまったらしい。

ギルドから通達を受けていたのか、ルシアンとガルドのもとへ歩み寄り、けれど一瞬迷うようなそぶりも見せた。


「ええと、補助者の方、でしょうか……?」


記録官の男が、ルシアンをみて不安げに尋ねた。

どこからどうみても、自分たちとは家格の違いそうな物腰、身なり。


ギルドからの通達は、Fランクの冒険者が同行する、とだけ。

この男がFランク……?と不安になるのも無理はなかった。


ついで、記録官の後ろで、助手の女が小さく肩を跳ねらせる。

ルシアンの後ろに立つ獣のような男を見て、おどおどと記録官の背後に隠れた。


「ルシアンと申します。調査の補助にあたらせていただきます。よろしくお願いいたします、記録官さん、助手さん」


胸に手を当て、ルシアンが軽く首を傾げて柔和な笑みを浮かべる。

圧も格もない、無害な笑顔。記録官と助手の緊張をほぐすには、十分すぎるものだった。


「あっ、い、いえ、こちらこそっ……! すみません、疑ってしまって……!」


記録官の男が慌てて頭を下げる。

同時に助手の女も、ぺこぺこと礼を重ねた。


「環境記録官のセナと申します。……ああ、ええと、こちらは助手のカリナです」

「よ、よろしくお願いします……!」


二人とも、丁寧な口調ではあるが、まだ緊張の色が抜けきらない。

だがそれはルシアンに対してだけではなかった。

その後ろで、無言のまま立つガルド。見上げるほどの大男に、鋭い赤い眼、そして無表情——ただ立っているだけで、異様な存在感だった。


「そ、その……そちらの方は……道中の護衛の方でしょうか……?」

「ガルドだ」


短く名乗るだけで、セナもカリナも再び小さく跳ねる。

けれどその声に敵意はなく、ただ事実を告げるだけのものだった。


「……え、えっと、すごく、心強いです……!」


言葉に実が伴っていないのは明白だったが、それでも一応の礼は尽くしていた。

セナが書類を抱え直し、ぎこちなく笑う。


「では……ええと、目的地までは徒歩半刻ほど。街門を出て、第三農道を目指しましょう」


四人は並び、あるいは列を成して、西の街門をくぐっていった。

朝陽はすでに高く、旅路には申し分ない晴天だった。




セナの背中では、魔力測定装置のケースが歩みに合わせて小さく揺れていた。

手元の書板を広げ、ちらりとルシアンを見やる。


「えっとですね、前回の調査では、泉の南側からわずかに魔力が感知されていました。……おそらく地下に、魔力だまりがあるのかと……」

「魔力沈殿層でしょうか」


微笑むルシアンから返ってきた言葉に、セナとカリナがパッと表情を明るくする。

会話の通じる者を見つけた表情だ。


「そ、そうです、恐らくは!」

「沈殿層があるのなら、地形そのものが魔力を吸い込んでいることも考えられますね。

たとえば、時間帯によって泉が光ったりなんてことは……」

「っあります、あります!たまに水面が脈打つように、ええと、午前中に二度、午後は三度、夜中に二度!」


急に熱を帯びたセナに、後ろを歩いていたガルドが眉をしかめた。

疑問や不信を感じたわけではない。ただ単純に、魔力の話題には明るくなかった。

対してルシアンは、それに小さく頷くだけ。


「魔力波が断続的に上がってきている状態でしょうね。人間でいえば、血流のような」


——まぁ、つまりは”なんか流れてる”ってことだな、とガルドが納得した。

自分にもわかるようにルシアンが話していることが、理解できた。


ルシアンは、歩調を崩さぬまま、そっと首を傾げてセナに視線を向けた。

その銀の瞳には、好奇と理解、そして配慮が滲んでいる。

まるで、“ちゃんと聞いているよ”と無言で伝えるような微笑だった。


「あ……あのっ、その例え、とても分かりやすいです……!」


セナが感激したように顔を上げた。

ルシアンの表情に触れたその瞬間、彼の肩の力がふっと抜けるのが見て取れた。

そして、どこか誇らしげに書板を抱え直す。


「……やっぱり、魔術師の方に来ていただけてよかった……。普段の調査じゃ、なかなか“魔力の流れ”を理解していただけなくて……」


カリナも、セナの隣でうんうんと何度も頷いていた。

会話の蚊帳の外に置かれているガルドが、やや不満げに鼻を鳴らす。


「……で、そいつが流れてると、どうなるんだ?」

「えっ……あ、えっと、魔力流動が発生すると……泉の成分変化や、局所的な植物の異常成長が……」


急に口調が元に戻ったセナに、ガルドの目が細くなる。

その鋭い視線に、またもカリナがセナの背に隠れた。


「……つまり、でっかい草が生えるか、毒でも出るかって話か」

「えっ……まぁ、……た、端的には、はい……!」


その返答に、ようやく納得がいったのか、ガルドが視線を外す。

ルシアンがふ、とかすかに笑ったように見えた。

林の縁が見え始める。風が通り、木々の間にわずかなもやが揺れていた。


「……あれが、“西の泉”です」


セナの声に、全員の歩みが自然と緩む。

陽光が木漏れ日となって降り注ぐ、その先に——泉があった。




水の音が近づくにつれ、反比例するように周囲の音が消えていった。

潰れた草原の窪み、ぽっかりと丸く開いた穴。そこに、水底が淡く光る”水たまり”がある。

昼の陽を受けてもなお、青白く自発光する水は、風もないのにかすかに揺れていた。


周囲には、発光植物が点在している。小さな双葉もちらほらと。

助手のカリナが、足を止めてほっと息をついた。


「よかった、まだあった」


補足するように、セナがルシアンに向き直る。


「過去にも、同じような泉があった記録が各地にあるんです。内容はぼんやりとしていて、どれも発見後数年で消失しています」

「消失……泉自体が、魔力の塊として自壊した可能性が高いですね」

「そうなんです。だから、今回の泉も消える前に、少しでも記録を集めたくて」

「……綺麗なのに、もったいないですよね」


足元の発光植物をスケッチしながら、カリナがそう小さく零した。

ルシアンが、ふっと目を細める。


「消えるからこそ、価値のある”美しいもの”もありますよ。だからこそ、きちんと記録に残しましょう」


セナもカリナも、自然と頷く。

少し離れたところにいたガルドが、小さく片眉を吊り上げた。


(……なるほど、そうやって絆していくんだな、お前は)



ガルドは、腰の剣帯に軽く手を置いたまま、泉の周囲をぐるりと見回した。

草の擦れる音ひとつしない。

ただ、水の揺れと、発光植物が静かに光を返してくるだけだった。


(……妙に静かだが、魔物の気配はねぇな。今のところは)


一方で、セナとカリナは早速調査の準備に取りかかっていた。

魔力測定装置のケースを開き、脚の短い三脚と銀色の金属筐体(きょうたい)を組み立て始める。

ルシアンは手を貸すことなく、それを見守っていた。

手伝うよりも、知識を携えて待つ方が適任だと分かっているような立ち位置だった。


「記録開始します。水質……温度二十三度、魔力量……っと、ルシアンさん、お願いできますか」


セナが測定機の一部を示し、ルシアンに視線を向ける。魔術師としての役割を理解しての依頼だった。


ひとつだけ頷いて、ルシアンがゆっくりと泉の縁に立つ。かざすように手を伸ばすその仕草に、隣で草を採取していたカリナが動きを止めた。


空気が、ぴんと張る。凪いでいた水面が、ルシアンの手の影を中心に、ゆら、と波紋を描いた。

測定装置の針が強く触れ、セナが慌てて記録をとる。


それを横目で見ながら、ルシアンはもう一度泉に視線を落とした。淡く揺らぐ光と共鳴するように、微細な魔力の波が手のひらに返ってくる。

魔力は目には見えないが——揺らぎは、肌で感じ取れる。


「……ここ、周囲より、わずかに密度が高いですね。泉の内部より、周縁部のほうが強い」

「えっ、測定道具は……!?い、いやそれより、——っでは、魔力が蓄積しているのでしょうか……?」

「そうですね……境界濃縮型か……発光植物の根元周辺だけ、特に密ですね。葉は反応していません」


測定装置と、足元の発光植物と、そしてルシアンを順に見ながら、セナは次々とノートに記録をしていった。


「となると……ええと、発光植物の魔力蓄積は見かけ倒しということですか」

「いえ、むしろ、葉からの魔力の放出効率が良すぎるのでしょう。だからこそ光って見える」

「なるほど……」


セナが、カリカリと手元の書板に情報を落としこんでいく。測定装置では図りえない、感覚からの情報。新鮮だった。

ガルドも、助手のカリナとともに泉の外周を歩きながら、視界の端でルシアンを捉えていた。

足場の確認、魔獣の痕跡、地割れの兆候。——何も異常はない。


発光植物の密集地で、カリナが立ち止まり、群生の傾向や色、範囲を記録していく。

ふと下を見下ろすと、足元の小さな発光花を、踏みそうになっていたことに気づいた。

しゃがみこんで、指先で触れる。途端、ちいさく花弁が閉じた。


「咲いている間は、触らない方がいいよ、ガルド」


泉の向こう側から、ルシアンの柔らかな声が届いた。

牽制というよりかは、微笑んでいる。いたずらをしないように、と笑われるかのようだった。


「……あ?」

「接触で光が消える個体もあるようだよ。それは君に反応して閉じてしまった」

「……ああ?」

「照れているのかもね、花が」

「……花が?」


閉じた花をじっと見下ろし、ガルドは立ち上がった。カリナが慌てて記録を取る。


「内気でかわいい子たちだね」


とルシアンの声が、小さく届いた気がした。


「……るせぇ」


ぼそりと返しながらも、ガルドは花に視線を落としたままだった。

内心では、花にじゃなく、その声に反応していた。


(……なんなんだ、あいつ……)


花弁が一つ閉じるたびに、ルシアンの言葉が妙に脳裏に残る。それが冗談だと分かっていても、反応してしまう。

まるで、自分のことを言われてるような錯覚すらしてくる。


「……お前の声のがよっぽど毒だ」


低く呟いた言葉に、カリナが「えっ?」と小さく首を傾げたが、ガルドは応じない。

既にルシアンの方を見ていない。泉をぐるりと回り、今度はセナの横に立つ。


「あんま、長居すんのも良くねぇんじゃねぇか。……魔物も出ねぇとは限らねぇだろ」

「あ、はい、そうですね……!もうしばらく観察して、記録をまとめますので……!」


セナの言葉に頷き、ルシアンがかざしていた手を下ろした。光の残る水面に背を向ければ、外套の裾がふわりと揺れる。


その一連の動きに、発光植物がまた一瞬だけ、わずかに脈打った。






——【花が照れたのだと】

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