表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/26

【朝隠しの花】


野営においても、ルシアンはその飄々とした態度をくずさなかった。

野宿がどうとか、虫がどうとか、そういう考えはないらしい。


「さすが、手慣れていますね」


野営地を設えるガルドの横で、ルシアンがそれを眺める。手伝いを申し出たところ、邪魔だ、とガルドに待機を言いつけられていた。

ちらりとそちらを横目で見て、ガルドが小さく鼻を鳴らす。


「……お前、そのむずむずする話し方は、ずっとか」



それは、何気ない問い。

普段であれば人の口調など気にならないが、どうにも隔たりを感じた。


すっ、とルシアンが、ガルドの横にしゃがみこむ。


微笑んだ銀の瞳が、責めるでもなく、問い詰めるでもなく、ガルドの視線を奪う。

ほんの少しの沈黙。の、のち。


「——この口調をやめろと言われたのは、初めてだね」


にこり。

それは、これまでの柔和な笑みとは、少し違う笑顔だった。どこか、おかしそうな、楽しそうな、笑み。


「けれど悪い気はしないね。君のその物言いは、とても好感が持てるよ、ガルド」


初めて呼ばれた名前は、優しくゆるやかに、手招きをするかのようだった。

ガルドの手が、止まった。薪をくべようとしていた指先が、わずかに空中で留まる。


「……っ、……は……」


肩が小さく震える。

そして、隣から目を逸らし、焚き火に薪を、強めに押し込んだ。


「……急に、馴れ馴れしいな」


吐き出すように言ったその声は、低く、掠れていた。

怒っていたわけじゃない。

けれど、その一言が内側に何を残したかは——自分でも分かりきっていた。


“名前”を呼ばれることが、こんなにも響くなど、思ってもみなかった。

あの銀の瞳が、責めも命令もなく、ただ“対等に呼んだ”だけだというのに。


「……そんな話し方でも、腹の中は割と黒ぇんじゃねぇのか、お前」


横目でちらりと見る。そうであってくれ、とも思う。

火の揺らぎに照らされ、しゃがみこんだ淡紫の髪が、またふわりと揺れていた。


「ふふ、よく言われるよ、なぜか」

「……チッ、調子狂う」


それだけ言い残して、ガルドは立ち上がる。空になった水袋を持って、川の方へと向かおうとする足。

背中に柔らかな視線を感じる。むずかゆい。

だがその一歩は、なぜか昨日よりも、少しだけ軽く感じられた。






何日か、そうして街道を歩いてきて——、ガルドは改めて隣の男を見据えていた。


野営を何度か挟んだ。弱いが、魔獣とも何度か遭遇した。

旅慣れていないお坊ちゃんだからこそ雇われたと思っていたが、ルシアンはそういったことにも眉一つ動かさなかった。


風のように抗わず、流れるようにそこにある。——どうにも、これまで係わったどの人種とも違う男だった。



かと思えば、様々なものに興味を持った。野草の種類、魔獣の生態、土地に残る人工物の過去。

そして、その合間にも、銀の瞳はガルドを見る。

その澄んだ声で名前を呼ぶ。少しずつ、こちらの中に居場所を作っていくように。


「ねぇ、ガルド」


ふいにルシアンが振り返り、また名前を呼んだ。

ガルドがほんの一瞬、ビクリと目を見開く。見ていたのがバレたかと思った。


「この辺りにしか咲かない花があると聞いたことがあるんだけど、君は知っているかい?」




——花。

正直ガルドには門外漢の話題だったが、ソロで活動していた冒険者として、噂だけは聞いたことがある。


「……ああ。わかる、多分」


わずかに声を落として、ガルドが応じた。

その視線はまだ逸らされたままだったが、確かに“答える”という選択をしていた。


「街道から外れて東側、丘の上。……この時期なら、咲いてるはずだ」

「本当かい?」

「……いや、多分な」


淡く白い花弁。夜明け前にだけ開き、陽が昇る頃には閉じてしまう。

誰が呼んだか“朝隠し”。

採ることも売ることも難しいが、美しいもの好きには知られた存在だった。


「……そんなもん、見てどうすんだよ」


ぼそりと付け足した問いは、冷やかしではない。ただ、純粋な疑問だった。

比較的安全な街道を外れて、わざわざ寄り道をしてまで——“花を見に行く”などという行為が、これまでの自分の人生には存在しなかった。


けれど、ルシアンの返答を待つまでもなく、もう分かっている気もした。

この男は、そういうものを見るために旅をしている。美しいもの。珍しいもの。知られざるもの。

戦うためでも、守るためでも、稼ぐためでもなく——ただ、“見るため”に。


「……物好きな旅路だな」

「ふふ、慣れてもらわないとね」


舌打ちをしながらも、脚は止まらない。足取りを切り替えて、街道から丘へと続く獣道へ。

赤い瞳は、ちらりと銀を横目に捉える。彼は案内を疑うこともせず、肩先に触れるか触れないかの距離で、名も知らぬ白い花の群生地へと向かっていた。




ガルドの先導のもと、街道から東にある丘の上にルシアンは立っていた。

時刻は夕方。”朝隠し”は咲いていない。細く丸みを帯びた葉と、下を向いて閉じた蕾が丘一面にあるだけだ。


近くでは、ガルドが野営の支度をしている。このままここで夜を明かし、明日の朝、花を見る。そういう予定だ。


「……ガルド、私焚き木集めてこようか」


そばの林を指さし、ルシアンがガルドにそう問う。簡易な天幕を張っていたガルドが、眉を吊り上げてそちらを見た。

——ダメかい?という、笑顔。


「……チッ」


再び、舌打ち一つ。

それは、咄嗟に否定するためではなく、どう断るか考える一拍だった。


ガルドの視線が林の奥を走る。陽は傾き始めているが、まだ薄明るい。

ただ、魔獣の影がゼロとも言えない時間帯。


「……あのな、焚き木集めに行くってのは、手ぶらじゃなくて“荷物になる”ってことだ」


近づきながら、ガルドがルシアンの前にずいと立つ。

そして、背負っていた大剣を地面に下ろし、腰の短剣をベルトから引き抜いた。


「薪を拾うならこれを持て。……それすら持ちたくないなら、行くな」


鞘ごと差し出される短剣。

ルシアンにしてみれば、明らかに“使い慣れていない人間でも扱えるような”護身具だった。


「……ま、今の時間なら、せいぜい鳥か獣が出るくらいだがな」


銀の瞳を真っ直ぐに見据えて、ガルドは静かに言った。


「帰ってこなかったら、探しに行くのは俺だ。だから言ってんだ」


それだけ告げると、再び天幕を張りに戻る。

だがその耳は、ルシアンの足音をひとつも聞き漏らしていなかった。



「ふふ、ありがとうガルド」


どこか嬉しそうな声が、ガルドの背に浴びせられた。振り返りそうになるが、去っていく足音を聞いて踏みとどまる。


そのままルシアンは林の中に入っていった。

が、ガルドから認識できる範囲を意識しているのか、気配は常に浅いところにあった。接敵している様子もない。穏やかな足取り。




やがて両手に焚き木を抱え、ガルドの傍へ戻ってくる。

赤い瞳の視線を受け、地面にそれを置く前に立ち止まった。程よく乾燥し、燃えやすそうな枝。


「ガルド、これどう?」


くい、と頭を傾げ、その男は微笑んだ。


「……上等だ」


一拍置いて、ガルドもそう返す。焚き木の質も、量も、申し分ない。

だが、それ以上に——“勝手に遠くまで行かない”という、その距離感が気に入った。


「……初めてのくせに、筋悪くねぇな」


それは、素直な評価。いつもなら誰かの努力や律儀さにいちいち口を挟まない男だが、この相手には、なぜか言葉が出る。

受け取った枝をくべながら、ちらりとルシアンの手元を見る。

細い指。だが、土も付いていなければ、傷もない。


「ちゃんと掴んで運んだか?……魔法で浮かせたわけじゃねぇよな」


冗談めかした口ぶりだったが、赤い瞳は冗談では済まさない光を宿していた。

本気で“ちゃんとやったか”を問うていた。


「浮かせるなんて、そんなこと……」


——あ、という顔を、ルシアンがした。言いかけていた言葉が、ぷつりときれる。

ぴくりと赤い瞳が細くなる。なんかあるのか、という視線だった。


「ガルド、あのね、回復魔法が使えるよ、私」


自分の手のひらをガルドにさらして、ルシアンがすまなさそうに笑う。

隠していたわけではない。ガルドが怪我を負わないため、披露する場がなかった。

つまりは、焚き木集めでついた傷は、治していたということ。


「泥もね、魔法できれいにしてきた。”きよら”っていう生活魔法だよ」


ガルドの口角が、ほんの数ミリ上がる。

それはまるで、必死に”働いてきたよ”アピールをしているかのようだった。


「……ああ、なるほどな」


焚き火の支度を整えながら、ガルドが低く笑った。

鼻で笑ったように聞こえるかもしれないが、そこには確かな“受け入れ”の響きがあった。


「手ぇ抜いてねぇのに、綺麗に見えるってのは……魔術師のズルいとこだな」


火をつける仕草もどこか軽い。

ルシアンの仕草を見て、何か肩の力が抜けたようだった。


「……ったく、褒められたいガキみてぇだったな、今の」

「黙ってたわけじゃないよ、すまないね」


揺れる火に照らされて、赤い瞳がじっとルシアンを見る。その瞳に、敵意も試す色もなかった。

ただ——静かに、そこにいた。


「……わかった」


不意に、ぽつりと落とされた言葉。


それは、魔法への礼でも、焚き木への礼でもなく。

目に見えぬ心遣いと、気配を乱さぬ距離感と——何より、“置き去りにされなかった”ことへの、素直な感謝だった。




——夜。

ガルドは焚き火に薪をくべていた。傍らでは、ルシアンが手帳を開いている。

それをぱたりと閉じ、銀の瞳がこちらを見る。


「今日の夜番はどちらからにする?」


笑顔のまま、当然のように問いかけられる。


ルシアンは、夜の見張りも進んで受け入れた。いつも夜半過ぎ、仮眠を交代する。順番はその日の気分。

元来ガルドは他人の前で眠れる質ではなかったが、この夜番はなぜか受け入れられた。


「……俺が先にやる」


焚き火に火の粉が舞う中、ガルドが短く応じた。

いつものように、強張った声音ではなかった。ただ、自然にそうしたいと思ったから、そう言っただけ。


「……昨日はお前が先だったろ。順番だ」

「うん、わかった」


焚き火の炎が、赤い瞳をちらちらと照らす。

言葉を終えたガルドの手が、足元にあった外套をつまみ、軽くルシアンの方へ放る。


「わ、なんだい」

「……夏でも高地は冷える。寝るなら羽織って寝ろ」


ぶっきらぼうな声。視線はあくまで炎に向けたまま。

ルシアンの寝具が整っていることは分かっていたが、それでも、そうしたかった。


大きな外套を受け取り、ルシアンは広げてみようとした。が、重い。

重厚な作りで、厚手の防刃布。裏地には断熱素材。重量もなかなかだった。

それを見て、ガルドが鼻を鳴らす。非力め、というような顔。


ふふ、と笑いながら、何とか肩にかければ、全身がすっぽりとくるまれた。

ガルドの長身を易々と覆えるマント型のそれは、そこらの毛布よりも暖かい。


「……うん、重いけど暖かいね。ありがとう、借りるよ」


柔らかく笑ったルシアンが、そのまま天幕の下へもぐりこんでいく。

どうやらそれを、気に入ったようだった。




“どちらからにする?”


笑顔でそんなことを聞かれる日が来るとは、思ってもいなかった。


焚き火の薪をもう一本足せば、パチ、と音が鳴った。

ガルドは静かに腰を落ち着け、見張りの構えに入る。だが耳は、隣の柔らかな気配を最後まで追っていた。


焚き火の向こう、天幕の中へすっと消えていく淡い影。

その背に外套がふわりとかかって、地面まで引きずっているのが見えた。


「……寝てる間に蹴飛ばすなよ」


ぽつりとそう呟きながらも、ガルドの口元がわずかに緩んでいた。ほんのひと欠け。無意識に近い形で。


風が、森を撫でるように通り抜ける。火の粉が揺れて、灰がひとつ、空へと昇った。


視線は焚き火から外さない。だが、耳は天幕の気配を聞いている。

寝返りを打つ音。息を整える音。何も異常のない“安心”の音。


——あんな奴が、旅なんかしてて平気かと思ってたが。こんなもん、誰より野営に馴染んでやがる。


「……変な奴だ」


誰にも聞かれないように、そう呟く。炎の揺らぎが、ひときわ赤くなった。

ガルドは目を細め、ゆっくりと剣の位置を確かめる。


その夜番は、妙に長く、妙に静かだった。




その後夜半過ぎにガルドが声をかければ、ルシアンはもぞりと天幕から這い出てきた。

外套をぐるりとまとったまま、ガルドの横へ腰かける。


ガルドがそちらを見やれば、眠そうな顔で焚き火を眺めている。

外套返そうか、という顔と、これ外したら寒いな、という顔、半々だった。


返すつもりのなさそうなルシアンに、ガルドがやや口角を上げた。


「……あったけぇか」

「……暖かいね……」


逡巡のすえ、思い切ったようにルシアンがそれを脱ぐ。

ガルドにそれを返し、焚き火の向こうへ腰かけた。そして、笑う。


「”朝隠し”、ガルドも見るよね?夜明け前に起こすよ」


まだ月は天高かったが、その銀の眼差しはもう夜明けの花を見ていた。


「……ああ。見る」


返された外套を無造作に受け取りながら、ガルドも短く頷いた。

その声音には、いつもの無骨さと違う、どこか柔らかな響きが混じっていた。


火越しに向かい合う姿。静けさの中、風が木々の隙間を抜ける。

ルシアンの淡い髪が揺れて、月明かりを柔らかく受けていた。


「……花なんざ、ただの草にしか見えねぇと思ってたけどな」


薪を組み直しながら、ぽつりと呟く。


「お前とじゃなきゃ、わざわざ見に来なかっただろうよ」


火を弄ぶわけでもなく、そっと枝を寄せる手元。

その向こうの銀の瞳は、言葉の意味を理解しても、たぶん茶化さないだろうと思った。


だから言えた。

この旅が、“ただの護衛”ではなくなっていることを。


「……起こせよ。寝坊したら文句言うからな」


赤い瞳が、ひとつ瞬いた。

そのまま天幕へ戻る背は、なぜか心なしか、夜の空気に馴染んでいた。


まるで、“ここ”が自分の居場所だと、ようやく認め始めたように。





——【朝隠しの花】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ