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【潮待ちの護衛】


——《潮待ちの護衛》

【依頼内容】

潮流の関係で出航を見合わせている商船の停泊中護衛を行う。船体は修理中。夜間の船体の安全確保を目的とする。


【目標】

・指定された商船の監視と異常発生時の対応

・部品の盗難防止


【報酬】

銀貨三十枚


【注意事項】

・護衛時間は日没後〜日の出前までとする

・船員は夜間、全員陸上にて待機のため、船は完全に無人となる



——夕方。

護衛依頼を受けるため、ルシアンとガルドは再び冒険者ギルドへと戻っていた。

大扉を開けると、いつもよりわずかに騒がしい。ある依頼を受けた冒険者パーティーが、大怪我を負って帰ってきていたらしかった。


「か、海中にバカでかいのが……」

「……なすすべもねぇ」

「潮流の、境に沈んで……」


そんな報告を絶え絶えとしながら、ギルド職員や治療師に抱えられて、ギルドの奥にある治療室へ連れられて行く。

ギルドの床には、海水や血の跡が点々と残っていた。


「穏やかじゃないね」

「……実力を見誤るとああなる」


ルシアンの呟きに、ガルドが冷たく言い放った。

それは当該冒険者を非難する発言ではなかったのだが、恐らくその意図はルシアンにしかわからなかった。

優しさの表し方が、不器用なのだ。


損な男だね、と肩をすくめながら、ルシアンが掲示板から護衛依頼を抜き取り、受付の男性のもとへ歩み寄る。


「あ、お疲れさまですっ!すみません、バタバタしておりまして」

「いえ」


ルシアンから依頼書を受け取った受付が、ちらちらとホールの騒ぎを気にしながら受領処理を行う。


”敗走”というのは、時にその責任の所在やその後の対処で、ギルドの信用に大きく左右される事象だった。

ランクの設定は間違っていなかったか。敵の脅威度は把握できていたのか。依頼を交付した冒険者パーティーのランク詐称などはなかったのか。

冒険者の敗走が確認された時点で、どのような初動をとったのか。それにより、二次災害や次の被害を出さないことにつながるのだが。


……ルシアンには、関係なかった。




「……《潮待ちの護衛》、承りました。お気をつけて」


受付から依頼書の控えを渡されて、ルシアンがそれを革鞄にしまい込む。

その間にも、治療室の扉がばたん、と開く音がする。治療師がまた一人、駆けていった。


それを横目に、踵を返す。ガルドも同じように、それに(なら)う。

床に点々と残る血の跡にふたりの目線が落ちるが、ただそれだけだった。




「——お、お待ちください、ガルドさん!!」


大扉を前にしたふたりの背に、ギルドの書記官から鋭く声がかかった。しん……とホールに静寂が落ちる。……ぎしり、と眉根を寄せたガルドが肩越しに視線だけを投げ……ルシアンは、振り返らなかった。


「あのっ、先ほど敗走がありまして、海底に巨大な影を見たとのことでっ……!ガルドさんがこの街にいらっしゃるのは幸運——」

「やらねぇ」


ぴしゃり。


何の感情もない、低い声だった。それだけで、ギルドの空気が冷たく落ちる。


「……敗走はそっちの責任だ。てめぇらでケツ拭け。俺がいなけりゃ、しまいなのか」


ガルドが言い終えるよりも先に、ルシアンが一歩、大扉に向かって歩を進めた。

それに従うようにして、ガルドも前に向き直る。大きな背は、それきり振り返らなかった。


「……そんな……」

「……無哭(むこく)以上の戦力なんて、今この街には……」


しばし呆然とする職員らだったが……すぐに奮起して、各自の持ち場へ帰る。

依頼内容の再調査、敗走パーティーからの聞き取り、近海を運行する商船への注意喚起。

すげもなく断られたからと言って、絶望している暇などどこにもない。

冒険者の戦場が外にあるのなら、彼らはなんとしてもそれを支えるのが戦いだった。




二つの影が、街の通りを、船着き場へ向かって進んでいく。ガルドは何も言わなかったし、ルシアンも何も言及しなかった。

ただ……一度だけ、ルシアンが振り返りもせずに、そこに置くだけのように言った。


「私はそれを尊重するよ」


……それは、ガルドの在り方を誰よりも肯定する言葉に聞こえた。ガルドはその言葉に咄嗟に何かを返さなかったが……歩みが半歩だけ緩んだ。

横に並ぶルシアンを見て、わずかに目を伏せ、そして前を向く。


「…………そっかよ」


冷たいと怒られる方が、なんとなく想像ができた。だからこそ。

舌打ち混じりに呟くのも、腰の剣帯を片手で軽く叩くのも、どこか照れ隠しのようだった。


港へと続く石畳の道。日没の光が建物の影を長く引き、波の音が徐々に強くなる。

まだ空は蒼く。けれど、確かに夜が、近づいていた。




夕陽が影を長く伸ばす中、ルシアンとガルドは商船が停泊する港湾へと足を運んだ。

船乗りや人夫たちが忙しなく走り回る。嵐にも負けない海の男たちの中で、それでもガルドの体躯は目立っていた。


「お、あんたらかい、護衛の冒険者さんは!」


威勢良く、船乗りの男が声をかけてきた。やはり、先日茶屋で見た船乗りの内の一人だった。焼けた肌、赤い髪、人懐っこい笑顔。

向こうはふたりのことなど知らないかもしれないが、ルシアンの風貌にも、ガルドの威圧にも屈していない。それがまた、ルシアンの笑みを穏やかにさせる。


「ええ、よろしくお願いします。護衛対象の船はどちらですか?」

「ああ、こっちだ!いやぁ、先日座礁しちまってなぁ!造船所で修理中なんだ!」


港湾の端に位置する造船所へ向かうと、修理中であろう船は水から引き上げられて、船底が見えていた。

船体はそのままに、破損箇所だけを修理する技法。その作業の終盤だったようだった。


「明日か、遅くとも明後日には修理が終わる見込みなもんでな、夜間の船の護衛は今日だけでいい。まぁどっちにしろ、潮の流れが落ち着かなくて出航できねぇんだがな!」


そう、豪快に笑う。船乗りの男にぺしぺしと叩かれた船体は、水面から引き上げられたまま、乾いた音を立てて波間の風に軋んだ。


「——夜になりゃあ、作業員は全員陸に上がる。たまに部品盗もうとするバカがいるから、それだけ見張ってもらえればいい」

「ええ、わかりました」


ルシアンが船乗りとやりとりをする横で、ガルドが船体をぐるりと回る。

船の甲板までの高さを見上げ、周囲の足場や機材の配置も目に刻む。……もう、癖のようなものだった。


「……船室は施錠されてんだな」

「おうよ。渡し板も外しちまうから、誰も船上には上がれねぇようにしとく」

「ああ、それでいい」


にかっと笑った男は、同僚に声をかけつつ、切り上げの作業へ戻っていった。

造船所の片隅では、すでに荷を下ろされた帆布と木箱が影を作っている。そこに吹き抜ける潮風は、どこか生臭く、いつもと違う湿気を帯びていた。


……すん、とガルドが鼻を鳴らす。


「……潮の匂いが重い」

「……重い?」


怪訝そうにして、ルシアンがその隣に並んだ。それ以上言葉を重ねるでもなく、けれどひとつ頷いて、赤い瞳が港の喧騒の向こう、遥か沖合を見つめる。


「問題ありそうかい?」

「……大丈夫だ」

「そう」


ガルドの視線の先を同じように見つめていたルシアンだったが、その一言を聞いて、すっとそちらに背を向けた。

夕陽に照らされた水平線の下、見えない海底が、まるで静かに脈打っているようだった。






夜になれば、海鳥の声も聞こえなくなった。海へ交わる河口と、そこへ流れていく河川。

潮風と河風が混じって、淡い色合いの外套を揺らす。銀の瞳は、空の月を捉えている。まるで月の光を湛えたかのような、冷たくも穏やかな眼差し。


(——綺麗なもんなんて、鏡見りゃ事足りそうだな)


ふとそう思ったガルドは、……む、と眉を動かして、すぐに視線を逸らした。

周囲に不穏な気配はない。水面も穏やかで、少し夜風が冷える程度。


赤い瞳が船底を見ながら、ぐるりと船の周囲を歩く。長い航海で命を抱く器は、今はただ静かに回復の時を待っていた。

修復途中の箇所で、真新しい擦傷が目に入り、指を伸ばす。指先に、荒い木の感触が触れた。

……座礁したと言っていた。よく商船の通る、この海域で。


「なにかあったのかい」


船体の影にいたガルドに、ルシアンが歩み寄ってきて、隣に立った。

その指先にある擦傷を見て、——瞬きをひとつ。

……ふたつ。


ルシアンの指先も、同じように傷をなぞる。恐らく数日前にできたばかりの傷。


「魔力の残滓(ざんし)があるね。もう消えかかっているけれど」

「……あ?」


ガルドの視線が、淡紫に落ちた。果たしてそれは……座礁、なのだろうか。何も重大ではないことのように、すり、とルシアンの爪の背が、その擦傷を滑っていく。

やがて踵を返したルシアンが、外套の裾を払いながら近くの木箱に座った。その眼差しは……もう船底の傷痕から、興味をなくしている。

今は、月と、水面と、眠った船を愛でていた。


「……お前は……ったく」


ぽつりと呟き、ガルドも船底から指先を払った。残ったのは木のささくれと、わずかな違和感。

——ガルドに、魔力のことは、わからない。だが、ルシアンの言葉を疑う理由もなかった。


しかしだからと言って、それ以上にもそれ以下にもならない。

淡く笑む男が、外套の端を整えて座っている。淡紫の髪が夜風に揺れ、月の光を受けて白く(きら)めく。船には魔力の残滓が残っている。ただそれだけ。


「部品泥棒が来ねぇと、暇だな」


気づけば口に出していた。

ふ、とルシアンの眼差しがおかしそうに細くなり、それだけで会話が成立したような気がした。


夜が深まり、港の明かりが徐々に減っていく。


潮の音が、少し大きくなった気がした。






——【潮待ちの護衛】

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