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【仮面の話】



ガルドが噴水広場へ戻ると、広場隅のベンチに座っていたルシアンのわきに、男が一人座っていた。

ベンチの背もたれに手をかけ、ルシアンに身体をむけて、親しげに話をしている。

一瞬、動きを止める。


(ありゃ知り合いか……?)


そう思ったが、背もたれにある男の手がルシアンの肩に触れ始めたあたりで、ガルドの眼光が鋭くなった。

対するルシアンも笑顔だが、ガルドにはわかった。困っている顔だ。


「——おい」


ごつり、と石畳に革靴の音を立てながら、男に影を落とす。近づけば、冒険者風の男だった。

突如現れた無哭(むこく)をみて、ルシアンを見て、もう一度無哭をみて、ピースが合わさったように顔面を蒼白とさせた。

——最近噂の”無哭の連れ”。この男だったのか、と。


「……っ、いや、ちょっと話してただけで」


男が慌てて言い訳を吐くより早く、ガルドの腕がぐっと伸びた。背もたれに回されていた手首をひねり、軽く引き剥がす。

——骨は折らない。だが、二度と触れようと思えない程度の痛みは残してやる。


「んなら、俺とも話すか」


低い声に、男がびくりと身をすくめた。手を押さえ、腰を浮かせて、そのままよろよろと広場の外へ逃げ出す。

怒鳴らずとも、ガルドの“追い払い”はそれだけで成立した。


ベンチに残されたルシアンは、柔らかく笑っていた。

だが、その銀の瞳には、ほんのりとした苦笑と——少しの安堵が滲んでいた。


「……よく懐かれるな、野良犬に」

「……ありがとう、ガルド」


小さく息を吐いて、ガルドが隣に腰を下ろす。

特に何を話すでもない、そのひと時。ただこの”縄張り”を、……通りかかる数多の目に、示したいだけかもしれなかった。




しばしの後、ガルドに連れられて、通りを一つ入った料理屋に着いた。

スパイスの香ばしい匂い、海鮮特有の潮の香り、甲殻類が焼ける香りがする。


店内に入ると、元気のいい店員が、お好きな席に——!と言いかけて、止まった。

パタパタと走ってくる。ルシアンのもとへ。


「あっようこそ、あの、当店庶民向けの料理屋でして!」

「ええ、冒険者です。ほら、怖い顔の仲間もおります」


つい、とその手がガルドを示す。——なんだかいつものやりとりに、”怖い顔”という脚色までついた気もするが、席に通されたのでまぁよしとした。


「お水どうぞ!今日のおすすめは海鮮串盛り五種、となっておりますが……」

「いいですね。では、それで。君は?」


くるりと、ルシアンがガルドを振り返った。まだどこか、先ほどのことを引きずるような、笑顔。

ガルドの視線が一瞬だけ、ルシアンの顔をじっと見る。

無理に繕ったような笑み。肩に触れられた感触を、まだ思い出しているような気配。

怒りではない。だが、明らかに“落ち着いていない”。


「……それでいい。あと、酒だ」


短く言って、店員に視線を戻す。

串五種と、簡単なつまみ。いつもなら、もう少し選ぶが——今日はそれで充分だった。

店員が一礼をして去っていくと、ガルドは椅子の背に体を預けるように座り、ルシアンから視線を外さずに、ゆっくりと一言、放った。


「……気にしてんのか」


たったそれだけ。だがその声音には、確かに気遣いが滲んでいた。

ルシアンは一度店内に視線を投げて、小首を傾げる。少々眉の下がった、笑み。


「ふふ、ちょっとね。酒場に誘われたよ。連れがいるからって断ったんだけど」


ぬるい夜風が、ふわりと吹き込んだ。

——連れ。その言葉だけで、ほんの少し、ガルドの[[rb:溜飲 > りゅういん]]が下がる。


「私も——まぁ、男らしい見た目ではないだろう?」


唐突に、ルシアンがぼやいた。

まさかそこに言及することがあるのかと、ガルドが思わず視線を投げる。


「母に似てるんだ。だから嫌ではない。でもああいうのは疲れてしまうね。……女性は、もっと大変だろうね」


それは、まるで他人事のような言い草だった。さっきまであんなに困った顔をしていたのに、もう部外者のように微笑んでいる。

ぎち、とガルドの手の中で、水のグラスが軋んだ。


「……お前、たまに冷てぇよな」


低く、吐き出すように呟いた。

ルシアンの言葉は、ただの独白だったのかもしれない。

しかし、そうやって毎回、全部を他人事のように笑って済ませるのは——どこか、胸に刺さる。


「困ってたくせに、涼しい顔してんじゃねぇ」


視線を逸らさないまま、水のグラスをテーブルに置いた。

表情に変化はない。だが、その赤い瞳だけが、じっとルシアンを見ている。


「……頼れ。俺がいるだろうが」


それだけは、言っておかなければならなかった。ふいに吹いた夜風が、窓辺の灯りを揺らす。

通りを見やるルシアンの横顔は、あいかわらず——静かだった。




——が。


くる、とルシアンが、音もなくガルドを振り返った。


柔和な笑み。……対外の、笑み。

ぎくり、とする。


「……な……んだよ」

「必要だから笑ってるんだ」


声色も、笑顔も、視線も、首の角度でさえ、完璧だった。

踏み込めたかと思えば、急に遠くへ行くかのような、温度差。


「力、経験、決断力、直感、洞察力、自己制御。それが君の武器だろう?」

「…………」

「知識、交渉、観察、魔術、それと、笑顔。これが私の武器」


街中で、ギルドで、依頼人の前で、食事処で……ずっと見てきた柔和な笑みが、張り付いている。

さながら、——仮面だった。


ごく、とガルドの喉が、無意識に鳴る。急に、目の前の男の輪郭が、ぼやけて見える気がした。……だが。

ふ、と笑顔の質が変わり、ガルドが良く見る——いや、ガルドだけによく向けられる、いつもの微笑みになる。


「冷たい自覚はある。けれど、そう在らなければならない。それに……いざとなれば、君がさっきみたいに助けてくれるだろう?」


ふわ、とルシアンの頬が緩んだ。もうわからない。

明確に敵意を向けられたほうが簡単なガルドには、何が本当で何が仮面なのか。


「心配しなくても、私も怒ることはあるよ。でも、当分、君の前では怒ることはないと思う。——だって、毎日が楽しいんだもの。ガルド」


カラン、とグラスの氷がわずかに鳴る。

ガルドは視線を落としたまま、拳を握っていた。胸の奥がざわついていた。


——そう、在らなければならない。


その言葉が、どうしようもなく重たかった。


(……武器、ねぇ……)


たしかに、あの笑顔は鋭い。剣の代わりに人の心を突き、誰もが思わず立ち止まる。

けれど、それを使い続けて、お前は擦り減らないのか——今、目の前で笑うその仮面に、それが見えた気がした。


「……そっかよ」


搾り出すように、低く呟いた。


「……まぁ、楽しいなら……せめて、仮面は外して笑え。……俺の前くらい」


それは命令でも、お願いでもなかった。

ただ、本音だった。


言ってしまってから、静かな空気がふたりの間に落ちた。

ルシアンの反応は見ない。いや、見れない。ただ、グラスを持ち上げて、水を一口、飲んだ。


そしてルシアンもまた、それきりその話題をやめた。


運ばれてきた料理に手を付け、いつも通りに食べきれる量を取り分け、いつも通りに多い分を笑顔でガルドに押し付けて。


一口食べて、顔をほころばせる。口元についたスパイスを、舌で舐めとる。

頬にかかった髪を、耳にかける。銀の瞳が、見上げてくる。


——なんだい?

そんな、いたずらっぽい笑顔。


「…………わかんねぇ……」

「ふふ、無駄だよ、ガルド」


君にはね、という声が聞こえた気がして、ガルドは観念して串焼きにかぶりついた。


「だいたい、うちの家族みんなこんなもんだよ。私だけじゃない。兄も——」


言いかけて、ルシアンがきゅ、と口を閉じた。

……今の情報は、滑ったらしい。


「——兄が?」


ガルドも、わざと掘り返す。淡紫の髪が、肩をすくめて食事に戻る。

ガルドの肩から、力が抜けた。それでいい、そういうのでいい、……そう思った。


香ばしく焼けた海老の串を噛み切る音が、静かな店内にわずかに響く。

外の通りには、行き交う人々の足音。子供のはしゃぐ声。——街の音が、あたたかい夜を形づくっていく。


ガルドは黙って飯をかきこみながら、ちら、と視線を向ける。

向かいではルシアンが、まるで何もなかったかのように、器を整え、飲み物に手を伸ばしていた。


けれど——先ほどの、“兄”という一言で、かすかに空気が変わったことを、見逃してはいない。

“私だけじゃない”と言ったときの顔には、嘘はなかった。あの笑顔も、交渉も、駆け引きも、それを武器として生きる術も。

きっとそのどれもが、彼の処世術なのだろう。そこに、家族の情や愛はあったのだろうか。なんて、余計なことだろうが……。


それが、どこか——遠かった。


「…………お前の兄貴も、仮面被ってんのか?」


不意にこぼれた言葉に、ルシアンがぴたりと手を止める。

一瞬の沈黙。そして、ふふ、とまた笑って、視線を返してくる。


その返答がどうであれ、ガルドは構わないと思っていた。

仮面だろうが本音だろうが、今、目の前でこうして食事を共にしていることの方が、大事だった。


そして、もしまた“滑る”ような情報が落ちてきたなら——きっちり拾って、いじってやろうと思った。

それが、きっと自分にできる“武器の守り方”なんだろうと。






——食事を終えて。


宿屋に着いたガルドは、渋い顔をしていた。

いつかやりそうだとは思っていた。


ルシアンに案内されたのは、富裕層の区画に立つご立派な宿。

白い壁。ドーマーのある、青い装飾の凝った屋根。大きなガラス。


当然の顔をして、ルシアンが真っ白な扉を開けて入っていく。

マジかよ、とひとりごちながら建物の中に入ると、受付の従業員が例によって、深々と頭を下げながら挨拶をしていた。

ガルドを見ても、従業員の態度は変わらない。つまり洗練されていた。


「はい、君の部屋の鍵」


ちゃり、と真鍮の鍵を渡される。木札ではなく、ガラス細工に部屋番号が示されている。

言葉も出ず、目の前の魔術師を見下ろした。

——いくらだ。いくらするんだここの宿は。

そう思ったが、聞いたところでどうせ支払い済みなのだろう。


「……今回は、脅してねぇんだろうな」


従業員をちらりと見ながら、その視線をルシアンに戻す。

——にこり。


「君、やっぱり私を悪いやつだと思ってる?」


ああ、仮面の話のせいでな——!などとは言えず、渋面で、ガルドはやや、額を抱えた。


「部屋にお風呂がついてるから、ゆっくり入れるよ。じゃあ、また明日の朝ね」


ひらりと外套を翻しながら、ルシアンが階段を上っていく。

深く一つため息をついて、ガルドもその背を追った。




二階の廊下は、やけに静かだった。

厚い絨毯が足音を吸い取り、灯された壁のランプも、ふわりと暖かい色をしている。


鍵に記された番号の部屋の前で足を止め、ガルドはちら、と向かいの扉を見る。

先に上がったルシアンの部屋は、ガルドの部屋のすぐ斜向かい。

——また、なにかあれば呼ばれるかもしれない。そう思いながら、自分の部屋の鍵を差し込んだ。


かちゃり。


中は、旅の宿とは思えない空間だった。

街の喧騒も届かず、清潔な香りがほのかに漂い、整ったベッドと机、棚に水差しと……奥には、バスタブが据えられている。


(……いや……贅沢すぎんだろ)


ぐるりと視線が室内を一巡しながらも、長旅の疲れが染みた体には、ありがたすぎる設備だった。

大剣を壁に立てかけ、外套と装備を外し、ひとまず椅子にどさりと腰を下ろす。


重たい背を預けて天井を仰ぐ。思い返すのは、噴水の広場で見たあの顔。

“仮面”を使い分けて、笑っていたルシアン。


(……怒りだけじゃねぇ、全部の感情を……コントロールしてる)


無理してるんじゃねぇのか。けど、助けるだけが護衛か?

あいつのやり方を否定するのは、違う気もする。


——その迷いを、風呂場から漂う湯気が断ち切った。


「……入るか」


湯に沈みながら考えることにしよう。

その仮面の下にあるものも。


自分が、どこまで踏み込むのかも。






——【仮面の話】

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