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物見遊山  作者: フジイさんち
セレフィーネ
18/31

【壁画調査】



翌朝、日の出とともにルシアンが身体を起こすと、焚き火の傍でガルドが村跡を眺めていた。

こちらに気づき、視線を投げてくる。朝の空気の冷たさが、肺をすっと冷やした。


「おはよう、ガルド」

「……おう。もう起きんのか」


寝床の毛布を体に巻いたまま、焚き火を挟んでガルドの向かい側に座る。

一晩中絶やされなかった火は、朝の冷え込みを優しく照らしていた。


焚き火の向こう、ガルドが、すん、と鼻を鳴らす。

ぼんやりとそれを眺めていたルシアンが、自分に巻き付けていた毛布をパカ、と開いた。


「……ガルド、寒い?入るかい?」


――ルシアン、半ば寝ぼけていた。

対するガルドも、夜番明けであまり頭が働かず、じっ、とそれを見る。


「…………っ」


呑み込んで、咄嗟に喉の奥が鳴った。

目の前で広げられた毛布の隙間から、ほのかにあの香りが流れてくる。

薬草の香りと、――ルシアン本人の匂いが……、寝起きの空気に混じって、やけに鮮明に感じられた。


数秒、焚き火越しにそれを見つめたまま動けなかったが、ルシアンが首を傾げたのが、思わず背を押した。


「……風、冷てぇしな」


言い訳がましくぼそりと呟いて立ち上がると、火を迂回してぐるりと回り込み、半ば無言で、その隣へ体を滑り込ませた。

――ごそ。

大柄な体が収まるには少々狭いが、それでも不器用に距離を詰めて収まる。

肩が軽く触れた。すぐに引くこともできたが――引かなかった。


「……狭ぇって、文句言うなよ」


小さな呟きは、半分だけ火にかき消される。けれど、すぐ横から返ってくる気配は、柔らかく、温かかった。

薄曇りの朝、村跡に射しこむ最初の光の中。

二人の間には、焚き火の熱と、毛布にくるまれた静かな距離があった。




寝ぼけ頭で隣に身を寄せつつも、ルシアンが革鞄から手帳を取り出した。

ぺらぺらと、昨夜記述した壁画のページをめくる。指の運びが遅いのは、まだ脳が覚め切っていないからだ。


隣では、ガルドも自然とそこに目をやっていた。開かれた壁画のページは、シンプルな図解と所見が書かれている。


位置情報/構造概要

・旧村跡地、東側丘陵に面した石造祠

・壁画サイズ:約三メートル×二メートル半

・岩肌へ直接描かれた彩色表現あり。構図の半数以上に劣化進行中


魔力干渉による色素反応

・台形状の文様、および空部にて微弱な光彩変化を確認

・術者の魔力属性により反応度は変動する可能性あり

・台形文様は“上昇方向”を示す描線構成。宗教的・象徴的意図を含むと推察


描写内容の分析・所見(簡易)

・中心構図は村落と複数の人物影。いずれも顔は描かれず、頭上を見上げる姿勢

・人物の上空には台形、台形は祠の屋根部より天へと昇る構成

・背景には意図的な“空白”あり。魔力反応でごく薄い光線軌道が確認された



「……お前これ昨日の夜に書いてたのか」


ふとそう問いかけてしまい、手帳をみていたルシアンがこちらを見上げてきた。

ガルドが手帳を覗き込むようにしていたせいもあり、銀の瞳が眼前にくる。

思わず目を背けそうになったが、ここで急に逃げたらあの微笑を向けられそうで、手帳に集中するふりをする。


「そうだね。時間あったから。あとは今日色々見てみて、かなぁ」

「へぇ」


――どの面下げて、俺は「へぇ」って言ってんだ――。

村跡に視線をやる振りをして、そろりと顔を背ける。

その横顔をぼんやりと見たのち、ルシアンも手元に目線を戻した。


ガルドも再度、手帳の記述に視線を落としながらも、意識は常に隣からの気配に向いていた。

毛布の中で肩が並び、朝の冷気と焚き火の温もりに包まれながら、妙に落ち着かないのは、隣の魔術師が当然のように距離を詰めてきたからか、それとも――。


「……よう書くわ」

「ふふ、趣味も兼ねているかもね」

「趣味ねぇ……」


感心とも、呆れともつかぬ口調で呟きながら、ページをめくる手元をちらりと見やる。

細く揃えられた文字と、簡潔な図解。整っていて、どこか実直な印象を受ける。それがまた、この魔術師らしいといえば、らしい。


ガルドの指先が、手帳の端に触れかけて、すぐに引っ込んだ。代わりに、手のひらを膝にのせたまま、ぽつりと漏らす。


「……何が書いてあんだろな」


壁画の記憶を脳裏に思い描きながら、焚き火の奥にある村跡へと目をやる。

薄く朝靄(あさもや)がかかる中、幕のかかった石碑が、静かにそこに佇んでいた。


「ううん……こういうものは大抵、歴史が記されることが多いけど」

「……歴史か」


そう呟いたあと、ちらりとルシアンを横目で見た。

銀の瞳はすでに手帳の上に戻っているが、まぶたの動きと口元の柔らかさが、どこか安心しているように見える。


ガルドはわずかに咳払いをして、焚き火に木の枝をひとつ放った。

ぱち、と火が跳ねる。毛布の中の距離はそのまま。朝が、ようやく村跡を照らしはじめていた。




焚き火の熱と、毛布の暖かさと、左側のぬくもりに、また少しの眠気を覚えながらも。

眼下に広がる村跡を、ルシアンがぼうっと眺めていた。


徐々に太陽が昇ってくる。世界は目覚め始めているのに、この村はずっと、眠ったままだ。

それすらも――美しいと思ってしまう。


珍しい花や、幻想的な地底も魅力的ではあるが……過去を思い起こさせるような、消えた営みの痕跡にも、ルシアンはどうしても心惹かれてしまう。


――が、ふとその銀の眼差しが変わった。すくりと立ち上がる。肩にかけていた毛布が足元に落ちた。

ガルドが一瞬ルシアンを見て、即座に周囲に視線を投げる。


「っなんだ、何かいんのか」


同じように立ち上がり、ぐるりと回りを見たのち、――何も異常がなく、ルシアンに視線を落とした。


「……おい、なんだ、どうした」

「……ああ、ごめん……、あの壁画、ここから見える景色と一緒だね」


そう言われ、ガルドが改めて村跡を見た。

崩れかけた石垣、家々の基礎跡、段々に積まれた畑の名残。

そして背後、一番上に位置する石碑――


ガルドの視線が、ゆっくりとその配置をなぞる。

昨夜、浮かび上がった壁画の構図と、今目の前にある地形とが、脳内で重なっていく。


「……ああ、確かに……なら、人影は下からこっちを見上げてたか」


口に出して言った瞬間、寒気とも違う何かが背筋を撫でた。

やはり描かれていたのは、何かの”歴史”なのかもしれない。この村で、かつてあったなにか。




ガルドは肩越しに、幕で覆われた石碑を振り返った。

その上部、苔に覆われた“台形”の文様が、昇る朝日に照らされ、わずかに金を帯びていた。


「何を見上げてたんだろう」

「…………」


呟きながら村跡を見下ろすルシアンの、その隣に立つ。

先ほどまで毛布の中で感じていたぬくもりが、朝の冷気の中にほんのり残っていた。




無言のままに、ルシアンが踵を返して壁画へと向かう。止めもせず、ガルドも黙って後を追う。


――今一度、壁画に相対する。木々と共に描かれた、かつての村の簡易な景観。

顔を持たない、しかし祈るような姿勢で立ち並ぶ人々。台形の――……。


「…………蝶……かな」


無数の蝶が、天へと、昇っていく様子。


今にしてみれば――、一見幻想的な壁画にも見えるそれは、筆が荒く、願いの強さが滲むようだった。仕上げを急いだのか、描かれた当初の緊迫感さえ感じる。

そのせいで、蝶のような複雑な模様が、風化とともに台形状に見えてしまっていた。


「おい」


壁画の周辺を見ていたガルドが、ルシアンを呼んだ。

ルシアンがその隣へ行くと、壁画の側面に、碑文のようなものが彫られている。



『たましひの還るところ かみのひざもとにぞ

われら此処に 火と水と風を閉ざし

その子ら やすけく眠らんことを』



「…………」


ルシアンは、一言も発さなかった。


赤い瞳が覗き込んでくる。それに気づいて、小さく笑った。


「……どうかしたか」

「ううん……恐らく、疫病か災いから、子どもたちを守ろうとした人々が、疫病が封じられることを祈って描いた壁画だろうね。この碑文は、その名残かな」

「……そうか」




――もう一度、壁画の前に戻る。


家々の屋根から、蝶が天に昇っていく。蝶は時に魂として描かれることもある。

描かれた屋根の一つが、崩れている描写もある。



――”守り切れなかった”という痛みの記録にも、見えた。



「……スケッチと記録をして、行こうか、ガルド」


振り返らずに言うルシアンの声色は、どこか静謐(せいひつ)だった。その背が、何かを背負いかけているようにも見えた。


すぐに返事ができず、ガルドは言葉よりも先に、一度深く息を吸い込む。

湿った土の匂いと、風に揺れる草の音。そして、風化した石肌に残された祈りの形。


そのすべてが、今だけは妙に重たく、胸に沈みこんできた。


「……おう」


短く返して、その後は黙って横に立つ。影にならぬよう位置を調整しながらも、周囲の警戒は怠らない。


ルシアンが筆を走らせるたび、ほんのわずかに、幕が揺れる。

風が舞えば、上空の木々の枝がかさりと鳴き、蝉のような声がひとつ、遠くでかすかに聞こえた。


蝶の群れが昇るその構図を、ルシアンが静かに写し取っていく。ときおり、手が止まる。

筆先が、震えを映すように沈黙する。だがすぐにまた、再開される。


「……祈りか」


ガルドがぽつりと呟いた。


「もう、それしか……なかったんだろうな」


その声は壁画に向けられていた。決して、ルシアンに同情を向けたわけではない。

ただ、かつてこの村で何があったのか、そしてそれが何を遺したのか――それを受け止めた、傍にいる者としての言葉だった。


静かな時間が流れる中、細い筆致(ひっち)が、蝶の姿を一つずつ紙の上に落としていく。

その動きは、まるで魂をすくい上げているようにも見えた。




依頼名:村跡旧壁画の保全調査

●位置情報/構造概要

・旧村跡地、東側丘陵に面した石造祠

・壁画サイズ:約三メートル×二メートル半

・岩肌へ直接描かれた彩色表現あり。構図の半数以上に劣化進行中


●魔力干渉による色素反応

・魂を象ると思われる蝶群、および空部にて微弱な光彩変化を確認

・術者の魔力属性により反応度は変動する可能性あり

・蝶群は“上昇方向”を示す描線構成。象徴的意図を含むと推察


●描写内容の分析・所見

・中心構図は村落と複数の人物影。いずれも顔は描かれず、頭上を見上げる姿勢

・人物の上空には蝶、蝶は屋根部より天へと昇る構成

・背景には意図的な“空白”あり。魔力反応でごく薄い光線軌道が確認された

→これらより、魂の上昇/死後の昇華を主題とする描写である可能性が高い

→壁画は、村の終焉と祈りを記録する鎮魂儀式の一環であったとも考えられる


●石碑下部の彫文

「たましひの還るところ かみのひざもとにぞ

われら此処に、火と水と風を閉ざし、

その子ら、やすけく眠らんことを」

→災厄から子を守るための“封鎖と祈り”の文言

→疫病または災害による村落全体の喪失と、魂の慰撫(いぶ)を願った痕跡と推定




記録を終え、ルシアンが踵を返した。野営地では、ガルドが拠点の撤収作業を進めている。

赤い瞳がこちらを見た。応えるように微笑む。


「手伝うよ、ガルド」


その柔らかな微笑を受け、ガルドもまた何も言わず、手元の荷を少しずらして空ける。


「……じゃあ、そっちの杭、抜いとけ。幕も忘れんなよ」


命じる口ぶりでありながら、語調はどこか緩やかだった。淡紫の影がそちらへ歩み寄るのを確認し、再び手を動かす。

焚き火の灰を土でならし、痕跡を残さぬよう、整えていく。


野営地を整えるのと同じように、過ごした時間もまた、丁寧に仕舞われていく。

ただの旅の通過点――のはずなのに、妙に名残惜しさがあった。

ガルドが最後に荷紐を締めながら、ぽつりと呟く。


「……こういうの、他にもあんだろうな。誰にも知られねぇで、埋もれてるやつが」


それは問いではなかった。ただ、隣の旅人に投げた、静かな賛同。

銀の眼差しが一度だけガルドを見て、音もなく笑った。


「……行くぞ」


――目を逸らすように言って、荷を背負う。

村跡に背を向けたその足取りは、重くはないが、静かだった。


振り返らなかった。

けれど、肩越しに遠く、あの幕の奥で眠る蝶の群れが、まだ空を舞っている気がした。

これからまた三日ほどかけて、次の街へ向かう。この村を、ここに置き去りにして。


けれど、手元に残された記録が、確かにこの場所に人々の営みがあったという証になるのなら。




祈るような旅路も、悪くないかと思えた。






――【壁画調査】

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