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【ドワーフの一撃】


……怒涛のすったもんだから一夜明け、翌日——


旅の支度を整えたルシアンらは、ガルドの大剣を受け取りに鍛冶屋に来ていた。

鍛冶屋のドワーフが、受け取りに来たガルドと、その横で興味深げに工房内を見回すルシアンを交互に見る。


「ほう、兄ちゃん!おめぇさんが無哭の雇い主か!」


さっさとガルドに大剣を渡し、鍛冶屋はルシアンのすぐ傍へ歩み寄った。

ルシアンも、柔和な笑顔で応対する。


「ルシアンと申します。職人さんの工房というのはとても興味深いですね」

「だろうなぁ!ゆっくり見て行けと言いたいとこだが、あぶねぇもんもある。無哭が黙ってねぇだろうよ」

「ふふ、では、お気持ちだけちょうだいしますね」


そんなやり取りを横目で見ながら、ガルドが大剣を確認する。

研がれ、磨かれ、金具のゆるみも調整されている。やはり、こういったことはプロに頼むに限る。

槌や焼き[[rb:鏝 > ごて]]に夢中なルシアンを見て、がはは、と豪快な笑い声があがった。


「まぁ、また今度顔見せな!待ってっからよ!」


そう言い、ばしん、と硬い手が——ルシアンの背中を、豪快に叩いた。


いや、……背中と腰の、中間あたり。


——あ、とガルドが思うと同時に、ルシアンの目が見開かれ、一瞬だけ、ガルドを、見た。


「ッおい!!くそドワーフ!!」


咄嗟にガルドが駆け寄った。

怒号は鋭く、膝から崩れたルシアンの胴を、抱え込むように支える。

両腕にずしりと体重がかかる。力なく、完全に脱力していた。

そして崩れた本人は、表情を歪め、——困ったように、笑っているだけ。


「っ……、ドワー、フ族、は、力が……強いね……」

「言ってる場合か!」


がらりと崩れたルシアンを見て、鍛冶屋も右往左往と慌てていた。

明らかに狼狽しながら、手近な椅子を持ってくる。


「わ、わりぃ!兄ちゃん魔術師だったか!」

「いえ、お気に、なさらず……」

「んな時に言うことか!」


怒号のごとく吐き捨てたガルドの声に、工房の奥で槌を打っていた職人たちもびくりと肩を震わせた。

鍛冶屋のドワーフが手にした椅子を、ガルドがぐい、と引き寄せる。

ルシアンを抱えながら、けれど力は籠めないように、そっと腰を降ろさせた。


「くそドワーフ、てめぇ……ッ」

「すまねぇ……!」


低く、押し殺した声。だがその瞳には明らかに怒気が宿っていた。

鍛冶屋とて戦士の勘は鈍っていない。

この場で殴られなかったのが奇跡という顔で、静かに身を引いた。


「チッ……だいじょぶか」


顔をしかめながらも、ガルドはそのままルシアンの背に手を添える。

腹を抱え込むように、丸くなる背。端然とした姿に似合わぬ、大粒の汗。

支えた腕に伝わる、細かな震え。


「……立てねぇか」

「……ちょっ、とね……」


ルシアンに触れていた腕を少しだけ強めて、ガルドは小さく息を漏らした。

この数日で、“腰”に振り回されまくっていた。そう思っていた。

しかし、今ははっきりとわかる。心のどこかでは、遠い出来事だった。


——目の当たりにしてしまった。

あの目の見開きを。激しく乱れた呼吸を。

装備越しでも、腰への衝撃がどれほどのものなのかを。


「……わかった、もう、誰にも触らせねぇ……」


ごく小さな声で、呪いのように呟きながら、ガルドはそっとルシアンの背へ、腕を回し直していた。




職人街を、ガルドの巨躯が、のしのしと歩く。

それでさえ目立つというのに、——よもや抱き上げられるとは……ルシアン自身、微塵も思っていなかった。

膝裏と背中をがっちりと抱えられている。ちらちらと向けられる視線。まるで女性を抱き上げるような恰好。羞恥どころではない。


「……ガルド、ちょっとさすがに恥ずかしいかも、あの、降ろしてほしい」


どこかむすっとした護衛に、そう頼み込んだ。

これではまるで公開処刑である。護衛を見上げることもできない。どこまで運ばれるのかもわからない。


「……歩けねぇんだろうが」

「少し休めば大丈夫だよ、核の少し上だったから、降ろして……、……ガルド、降ろしなさい」


急な命令口調が出て、ガルドがぐっと口を閉じた。

じ、と銀の瞳を見下ろし——渋々、通りから一本、裏路地に入る。人気のない路地は、涼しい風が吹いている。

静かにルシアンを降ろして、片足で膝立ちになり、立てた膝の上にその身体を座らせた。


「……大丈夫かよ」


そう問いかける声色は、ぶっきらぼうだが、心配が滲んでいた。頭を低くして、ルシアンの顔を覗き込む。顔色は、……まだ悪い。

座らされた膝の上、ただ目を伏せて、ゆっくりと、息を整えている様子が見られた。


「ん、……大丈夫だよ。少し、休ませてね」

「……それは、いいけどよ……」


——今さらながら、手の行先がない。

さっき……鍛冶屋では咄嗟に胴を、そして背を支えたが、果たして触って大丈夫なのか。

不用意な接触で、また核に作用するのではないか。


片腕をルシアンの背のそばに、不自然に残したまま——もう一方の手で自分の後頭部をぐしゃぐしゃと掻いた。

再び顔を覗き込む。焦りとも苛立ちともつかぬ感情が胸を焼く。

誰が悪いって、ドワーフのせいだ。百パーセント。


——だが、“あの一撃でこうまで崩れる”という事実が、正直何より効いた。


魔術師の腰が急所だなんて、昨日までならただの知識だった。

だが今、自分の懐、膝の上で呼吸を整えている男の重みが、それを“現実”に変えている。


黙ったままに目を伏せている男は、まつ毛を細かに震わせていた。たったそれだけで、なんだかこちらの心拍が乱される。


「う、ん……ちょっと落ち着いてきた……」


両腕で下腹を抱え込み、その銀色の瞳が、じわり、と細く開いた。

弱く微笑んでいる。ふぅ、ともう一度息を吐く。


「……ど、な、どう、すればいい。このままでいいか」

「うん……ドワーフの腕力すごいなって思ったよ」

「……やっぱ殴ってくる」

「ん、ふふ、ダメだよガルド」


膝の上で、ルシアンが小さく肩を揺らした。

いつもの余裕が、わずかに覗いた。ほんの少しだけ、強張っていたガルドの肩の力が抜ける。


「ガルド、ちょっと、腰に手を当ててくれないかい」

「…………そ、れはいいのか」

「自分では後ろは抱えられないから……動かしちゃダメだよ」

「……なるほど……わかった」


自分で言いながら、なにがなるほどなのかとガルドが逡巡した。

そろりと、猫背になっている腰に、手のひらを当てる。


かすかな身体の揺れの後、深く——ルシアンが、深呼吸をした。


ガルドに魔力の流れはわからない。けれど、手を当てた部分で、じわりと何かが揺らいだ気配がわかった。

動きではない。熱でもない。ただの気配だ。ルシアンが、もう一度見上げてくる。


「すぐ調節終わるから、……ちょっと待ってね」

「……ああ」


短く返した声には、もう一切の照れもなかった。膝の上の重みと、腰に添えた手に返る温もり。

”避けるべき”とされる場所に、今は自分の手のひらがある。


それは明確に“触れていいと許された行為”だった。

けれどその重みが、どれほどの信頼の上にあるのか。——ガルド自身、よくわかっていた。


「……魔力溜まりだったか、ここ」


思わず漏らした呟きに、ルシアンが小さく頷いた気配があった。その後、硬直していた背中が、わずかに沈んでいく。

深く、深く、息を吸い込んでから、吐き出す。魔力の調節——その言葉の意味が、なんとなく伝わってくる。


ガルドの手のひらに、何度か小さな震えが伝わる。それが熱なのか、緊張なのか、痛みなのかは分からない。

けれど、じっとその震えを感じ続ける。


——今、互いにしかわからない、体温と、気配と、震え。


「……お前、こんな状態で、戦ってたんだな」


ぽつりと、こぼす。——たった今、触れて初めてわかることだった。

この一帯がどれほど繊細で、どれほど不安定で、そしてどれほど——“危うい”と感じられるかを。

——だからこそ、自分が必要なのかということを。


明確に、膝の上で、ルシアンの呼吸がふっと緩んだ。

すべての波が引いていく気配。ざわめきが落ち着いた感覚。


その様子に、ガルドはようやく指先の力をほんの少しだけ抜いた。

けれど、触れた手は離さない。……離せなかった。


銀の瞳がガルドを見上げる。端然とした眼差し。見えた”終わり”。

——終わらずともいいと、心の隅で、考えてしまう。


「うん、……ありがとう。助かったよ、ガルド」

「……ああ」


す、と丸まっていた上体を起こし、膝の上、にこやかにルシアンが笑った。

無理をしているようではない、いつも通りの笑顔。額に滲んだ汗を、その指先で軽く払う。


そうしてそのまま立ち上が——ることはせず、ガルドに腰かけたまま、優雅に足などを組んでみせた。


「それにしても、君の膝が私の椅子になるなんて、優越感だよ、ガルド」

「な……っ」


——いつも通りの、いたずら好きな顔だった。心配してやったのに、とガルドが渋い顔をする。


「……ってめぇ、もう立てるんだな?」

「どうかな、抱いて運んでもらおうかな?」

「……くそっ……」


ふふ、と軽く笑う顔は、体勢の問題で、どうしても目の前だ。

ふわりとルシアンが立ち上がり、軽快に表の通りへと戻っていく。


「ギルドに寄って、セレフィーネまでの道中の依頼を見て行こうか」


それはまるで、この裏路地でのことなんて、なんでもないような微笑みだった。

ガルドは膝椅子の形で固まったまま、唖然と宙を見つめる。


「……やっぱ……たちわりぃじゃねぇか……」


ぼそりと呟く声に、返す者はいない。

だが、その呟きに込められた感情は——困惑でも怒りでもない。明確な“照れ”だった。


ぐらりと立ち上がって、手のひらを見下ろす。さっきまで触れていた、あの場所の熱が、まだここに残っていた。

柔らかくも繊細で、芯があって、だけどふとした拍子に壊れそうな体温。


「……参った……」


鼻を鳴らして立ち上がる。通りの表に出れば、先に通りへ戻っていた淡紫の背中が見える。

風に揺れる外套、そして軽やかな足取り。その背に——、もう揺らぎの様子は見えなかった。


「……ったく、誰が椅子だ。二度とやんねぇ……」


言いつつも、足は自然とその後を追っていた。

無意識に、間合いを測るように、護衛としての位置に収まっていく。


その影に、ルシアンは後ろを振り返らない。だが、少しだけ足を緩めた気がした。


ギルドへ向かう通りの先、いつも通りの旅の再開。

けれど、ふたりの間には確かに——膝の上で交わされた、無言の“信頼”が残っていた。




ルシアンとガルドが冒険者ギルドの扉を開くと、職員たちの視線が集まった。

興味や好奇ではなく、「ああ、あのふたりだ」という信頼の視線。

だが、ふたりの装備が長旅用の旅装に代わっており、にわかにさざめき立つ。


「お、おい、街を出るんじゃないか?」

「やだ、”麗しの”が見れなくなるなんて……!」

「で、でも旅人だもの……仕方ないわ……!」


そんな声が、ちらほらと耳をかすめる。ルシアンも軽くそちらを一瞥し、簡単に目礼のみをした。

そのまま、依頼掲示板の前に、両手を後ろ手に組んで立つ。その後ろ、背後を守るようにガルドが立った。




——《村跡旧壁画の保全調査》

【依頼内容】

郊外村跡に残る旧壁画の保存に向け、簡易魔力干渉による反応調査を行う。記録補助と構図把握も担当。


【目標】

・魔力による色素反応の確認

・壁面劣化箇所の記録

・描写内容の特定補助


【報酬】

銀貨五十枚(成果に応じ追加報酬あり)


【注意事項】

・壁面への接触は禁止

・通行人対策として布幕設置予定




「……そういえば、依頼完了の報告って、別の街のギルドでもいいのかい?」


依頼書を見ながら、ルシアンがガルドを振り返った。

壁画は気になるが、目的地は次の街との中間地点。——依頼をこなして、次の街へ向かいたかった。


「ああ。受注書と報告書が揃ってりゃ、どこのギルドでも問題ねぇ」


ガルドは依頼書を一瞥し、掲示板越しに周囲の視線を感じ取った。

遠巻きに眺める職員や冒険者たちの中には、惜別の色すら浮かんでいる者もいる。


——けれど、自分たちには、関係ない。


「壁画調査、か。……魔力やら調査やらはわからんが、得意そうだな、お前」


そう言って顎をしゃくると、ルシアンがふわりと頷いた。銀の瞳が依頼書に落とされ、その端で淡い笑みが浮かぶ。


「道中かな」

「……ああ、恐らくな」

「うん、じゃあ、いいかい?」


軽く問うと、ガルドは一度、肩をすくめただけだった。厚手の外套がわずかに揺れ、ルシアンの視線の先に、ただ立っている。

その姿を見て、ルシアンもかすかに肩を揺らし——受付に歩を向けた。


カウンターでは、今日も冒険者たちが依頼を受注している。

夜の依頼から明けて、報告書を書いている者もいる。併設の食堂で、朝食をとっている者もいた。


その中を、異質なふたりが、歩いていく。


「おはようございます。この依頼をお願いします」

「っはい!承ります!」


柔和な笑みに、受付嬢がぱっと顔を明るくし、手早く手続きに取りかかる。

数人の職員が、さりげなく書類の準備を手伝い始める。


——街を離れる前の、最後の依頼。

どんな内容であれ、“あのふたりが受けてくれた”というだけで、どこか誇らしげな空気が漂っていた。


ガルドはそれを後ろから見ていた。ルシアンの背中。その所作。その声。その空気。

そして、受付前で笑顔を向けられた職員の耳が真っ赤になったのも、……見逃さなかった。


「確かに、受領いたしました。隣街のギルドへも通達を出しておきますので、そちらで報告していただいて大丈夫です」


依頼書に、かつ、と判を押しながら、受付嬢がにこりと笑った。

ルシアンもそれに微笑で返す。


「ありがとうございます」


——それきり。


特に、挨拶もしない。

ルシアン自身、その必要はないと思っている。


彼にとって街とは、あくまで通り過ぎる場所。

目的は、帰る場所を探すことではないのだ。


くるりと踵を返し、指先で、隣のガルドの外套をひらりと揺らす。


「では、行こうか、ガルド」

「……おう」


短く返すその声には、どこかかすかな響きがあった。

いつも通りのやりとり、いつも通りの歩調——けれど、ルシアンが指先で外套を揺らした瞬間、ガルドの赤い瞳が、ほんの一瞬だけ緩んだのを、誰も気づかない。


ふたりがギルドを後にする。


後ろでは、受付嬢が胸に手を当て、深く小さく呼吸を整えていた。

隣の職員が、それを見て「またか」とでも言いたげに肩をすくめる。その空気すら、もはや“日常”だった。


ギルドの重厚な扉が、重たく、しかし静かに閉まる。


職員たちの中には、窓の向こうへ視線を送る者もいた。去っていく旅人の背中。

淡紫の外套と、巨躯の護衛。静かで、どこか尊く、美しい構図。


「……また来てくれるかな」

「さあ。でも……なんとなく、あのふたりなら……」


はっきりとは言わない。

けれど、確かに誰もが信じていた。


——きっとまた、あの扉から、微笑みを連れて現れると。


静かに、ふたつの影は街を離れていく。

旅はまた、新たな景色へと続いていく。






【ドワーフの一撃】

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