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【魔術師の腰装備】



ルシアンは、軽い足取りで冒険者ギルドを出た。

とてもじゃないが、読み切れない。そう悩んでいたところに、書庫の係員から良い情報をもらった。


「ここの一角にある書物は当ギルドにしかないものですが、そのほかの書棚の書物は、全てのギルドで情報が共有されているんですよ」

「……どこのギルドでも閲覧できると?」

「そういうことです。なので、こちらの書棚だけお読みになれば、よろしいかと」

「それは素晴らしい」


そんなやり取りの末、厳選して読破し、満足して書庫を後にしてきた。

周辺の地理や歴史、近辺にしか生息しない魔物、局所的な植生をみせる薬草。ルシアンにとって、そういった知識は何よりも武器になった。

外はすっかり日が落ちていて、街は夜の賑わいを見せている。


「……今までこもってたのか」


低く声がした方を振り返ると、ギルド近くのベンチに、巨躯の護衛が座っていた。

やれやれ、といった具合で、のそりと立ち上がる。


「ガルド。待ってたのかい?」

「……待っちゃいねぇ。たまたまだ」


ずい、と、横に立ち並ぶ。視線はこちらを見ていない。

——明らかに不自然なたまたまだが、ルシアンはふわりと笑った。


「ふふ、ありがとう。大剣は?」

「……明日にはあがる」

「そう。夕飯はこれから?どこに行こうか」

「ああ……適当に、食うか」


それに答えるように、外套がまた、ひらりと揺らめいた。淡く香る夜の風。

街の灯りが、通りをやさしく照らしている。


ギルド裏手の石畳を並んで歩き出すと、どこかから焼き魚の匂いが流れてきた。

海の街ではないが、近郊の川からの仕入れも多いこの街では、魚料理が並ぶことも珍しくない。

すん、とガルドが鼻を鳴らす。


「……焼き物の匂いだな。魚か」

「こっちかい?」


銀の瞳がゆるりとそちらを向き、ガルドの言葉に応えるように、けれど穏やかに、足取りがそちらへ向かう。


「行くのかよ」

「君が言うなら間違いないよ」

「……そっかよ」


小さな声は、半ば呆れたような声だったが、——足音は、隣から離れなかった。


一日の終わり。

それぞれの時間を過ごし、また合流して、あたりまえのように“ふたり”に戻る。

それが、今の旅の形だった。




「……ん、こっちだな」


ガルドが片手で道を示す。

夜の喧騒の中、賑やかな大衆食堂ではなく、灯火の落ち着いた小さな店へ。

ルシアンの銀の瞳が細くなり、まるで「いいね」とでも言いたげに揺れる。


ガルドは何も返さず、ただ扉を引き開けた。

香ばしい匂いが流れ出し、二人の影が店内へと吸い込まれていく。




食堂の、壁際のテーブル席。

ガルドの赤い瞳は、——ずっとルシアンを見ていた。


街を歩くときも、背後から。腰かける時に外套を少し浮かせるときも。

注文を取りにきた店員に、少し体をひねって応対するときも。


(……まずいな)


表向きは、なんでもないように、書庫の話なんかをしていたが。

一度意識してしまうと、何をどうしても、——腰を見てしまう。

あれもこれもそれもどれも、境界線を示すメモを渡されてしまったため。


(——変態か俺は……)


と、——ガルドが水のグラスに視線を落とすのを見て、ルシアンもまた、視線を落としていた。


——ガルドにものすごい見られている。わりとしっかりと。

護衛をしてくれるにあたり、必要と思ったから魔力核の位置などを教えた。


その”腰の弱点”は自分だけ、などではなく、全ての魔術師が押しなべて”そう”だ。

魔術について少し調べればわかる情報。何も特別な情報ではなかったはずだった。

この護衛、よほど今まで、魔法や魔術師と縁遠い世界で生きてきたのだろう。

そこまで意識されると、こちらも気まずくなる。かといって、下手に隠すのもガルドに失礼か。


——両者、沈黙である。




「……はぁ……くそ、わりぃ……変なとこ見てるつもりはねぇ」


ぽそりと零れた言葉に、ルシアンの眉がわずかに動いた。

苦しい言い訳と自覚しつつ、それでも言わずにはいられなかった。そうでもしないと、どこを見ても「そこ」に視線が引っ張られる。


——下腹部奥に魔力核。腰部背面に魔力溜まり。


知識として得た以上、それを護るのが役目だと自分に言い聞かせても、思い出すのは二度も触れた記憶。事故だ、どっちも。だが触れた。

理屈ではなく、もう、がっつりと記憶に新しい。取扱説明書すらある。忘れようったって無理なのだ。


「……待ってろ、そのうち慣れる……」

「……ええと、……すまないね」


いつの間にか、運ばれてきている料理。

視線をその皿に落とし、煮込み料理を無言で口に運ぶ。味は悪くない。むしろ、魚のダシが身体に沁みる。


向かいで、ルシアンもそっと手を伸ばし、湯気の上がる皿へと匙を入れた。

ひと口食べて、目を細める。やがて、店内の灯りを受けて微笑みを浮かべた。


それだけで、ガルドの肩からわずかに力が抜ける。

何も咎められていない。けれど、銀の瞳はあまりに落ち着いていて、見透かされている気分にさせる。


食事を進める。沈黙は戻るが、もう先ほどのそれとは違う。


温かな食事と、少しの気まずさと、ふたりだけの空間にしかない——静かな余白だった。




んん、と、沈黙の食卓に流れる、ガルドの咳払い。

対面のルシアンは、手元のグラスを傾けていた。水が唇に触れる動きは、穏やかで優雅。

その目元には、外向けの仮面ではなく、ごく柔らかな、笑み。

一拍を置いて、——ふふ、と喉の奥で笑う気配が、赤い瞳にだけ届いた。


「……んだよ」

「いや、うん、……そこまで意識しなくとも、私もある程度、自衛はしているよ?」


それは、ひどく穏やかな声音だった。


ガルドがそちらを見やると、他の客席からは見えない角度で、ルシアンが街着のシャツを少したくし上げている。

そこから覗くのは、ただのズボンではなく、——みぞおち辺りまである、前面編み上げのハイウェストだった。


「んっ、お、おう……」


——ガードの固そうな男が、自ら服をまくり上げる。

まったく予想外の視覚からくる暴力に、ガルドは思わず数ミリ身を引いた。


「魔術師は基本的に腰を守る服を着てるんだ。一見すると腰の位置がわからないような、ゆるいローブなんかがその筆頭格だよ」

「……っ、そう、か……」


骨盤からみぞおち辺りまでを広く守る装備。

接触時の反応の程度に差はあれど、魔術や魔法を使うものであれば、自衛は徹底されている。


「さすがに鷲掴みにされたら話は変わるけど、装備があるから、多少支える程度なら大丈夫だよ」

「……お、う」

「……あ、ちなみに一般的に魔術師は、腰に触れようとすると半殺しにされかねないから、他の魔術師には気を付けてね」


ふふ、とその口元が、笑った。

するん、とシャツの裾が戻される動きは、ちょっとめまいがする思いだった。


「……なん、だ、じゃあ、俺は特別ってわけか」


ガルドの声は、いつもより少しだけ低かった。音量も、視線も、伏せ気味に。

湯気の向こうで、グラスを持つ指先に目を逸らしながら——けれど、はっきりとそう言った。


「……うん?君ならいいと言ったはずだよ」


——はっきりと、そう返ってくる。

喉が詰まる。確かに言われたが、それは確かに言われたが……。


(他の魔術師が”半殺し”にするような場所を、俺はいいって、そりゃあ、……)


……詰まる。真正面から目を合わせることはしない。いや、できない。

だがそれは、否定ではなく、自覚だった。


魔術師の、腰に触れれば、”半殺し”。

けれど今、目の前の男は、わざわざ自分で見せてきた。

自衛の工夫を。構造の秘密を。そして——それを許容してくれている事実を。


「まぁ……前に一回、さすってるしな」

「うん、そうだね」


かろうじて、軽口を叩く。しかし、思い出しただけで、こめかみが熱くなる。

あの夜の宿。酒場帰り。柔らかな背と、ローブ越しに伝わる震え。

地底の星の中、抱えあげた身体。跳ねるように震えた反応も。


あれらが偶然だったとしても——あれはもう、普通じゃない。


「……他の魔術師に、手ェ出す気はねぇけど、覚えとく。気を付ける」


短くそう言って、ガルドは煮込みの皿へ視線を戻した。匙を持つ手が、わずかに汗ばんでいた。

けれど、言葉の端にはかすかな硬さと、曖昧に誤魔化せない色が残る。


対面のルシアンは、グラスを置いて、そっと微笑んでいた。一言も返さない。

けれど、頬をなぞる店の魔法灯と、その銀の瞳の揺れが——“ちゃんと聞いていた”ことだけは、確かに伝えていた。




——が、しかし。


ガルドの中に、一つの興味が——湧いてしまった。

とてもゲスな興味。好奇心。目の前の美麗な男にはとても話せない。

だが、……この男、聞けば答えてくれそうですらある。


ダメだ。無理だ。やめろ。呪いのように、それを繰り返す。

煮込みを口に運びながら、——しかし確実に、思考が占拠されていく。


——ダメだった。好奇心には耐えられない。


「……ゲスなこと……聞くけどよ」

「うん?」

「……腰がダメなんだよな」

「そうだね。特に掴まれるとね」

「……魔術師の、女は……」


そこまで言って、最後の理性が働く。……ダメだ、やはり——下品だ。

食事の席だし、目の前の男は優雅な貴族然とした男だ。

きょとん、とした顔でこちらを見ている。まるで何もわかっていないような——


「すごいらしいよ?」

「…………」


——ガルド——沈黙……。


何が、とまでは……さすがに聞けなかった。

けれど思考は進んでいく。すごいのか——それはどっちの視点でだ。

額を押さえる。指先が震える。

己の過去の経験を遡ったが、魔術師の女はヒットしなかった。

未知である。


「だって中に入った時点で魔力核に直だもの」


——まさかの、追撃……。


頭を抱えた。抱えざるを得ない。

そりゃそうか。そりゃそうだ。ちょっと考えればわかる。

ということは、される側がすごいという話か。なるほど。——いやなるほどじゃねぇんだわ。


「自分じゃなくなるって」

「ぐっっもういい……!わるかった!」


ガルド、ギブアップ——、ルシアンの勝利である。


わかっている。目の前の男は下品な話を楽しんでいるわけではない。

あくまでそれを聞いて百面相をする、”護衛の反応”をみて楽しんでおられる。


だがだからといって、こうも、なんというか、お前、そういうやつじゃねぇだろうがと、ガルドが眉間を揉む。

——いや、待てよ、この男、そういえば学者気質なきらいがある……ということは、学者のモードで喋っていた可能性も——


「ふふ、他に聞きたいことは?」

「っ……!!」


目の前の笑みは、なんでも答えるよ?というような、悪魔的な微笑だった。


——ガルドは、……両手で顔を覆い、しばらく動けなかった。

食事の席で繰り広げられるには破壊力がありすぎた。

煮込みの湯気が、むしろ冷や汗のように背を流れる。


「……お前……たちわりぃ……」


小声で呟きながら、グラスの水を一気に煽る。口の中が火照っていた。いや、口だけではない。

耳の裏まで熱い。視線を向けられない。けれど対面の男は、まるで何事もなかったように笑っていた。

それがまた、腹立たしいほどに“楽しそう”だった。


「他に……じゃねぇよ……もういい……聞かねぇ……!」


そう言いながら、顔を伏せたまま皿の縁を拭うようにして、食事を無理やり再開する。

けれど、何を口にしても味がしない。頭の中でずっと、“入った時点で核に直”というワードがリフレインしていた。


(……中ってお前……いや、まぁ、そりゃ、……くそ!)


腹が熱かった。女の話だ。あくまでも。魔術師の女。


じろりと睨むように見やれば、淡紫の魔術師は、ひと匙をすくい上げ——銀の瞳を細めて、にこりと笑った。

まるで、“またひとつ知識を渡してしまったね”とでも言いたげに。


その笑顔に、ガルドは皿の中へ顔を突っ込む勢いで俯いた。

しばらく、そこから上がってくることはなかった。






——【魔術師の腰装備】

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