【見つめる無哭】
——《訓練観察記録の補助人員》
【依頼内容】
模擬戦訓練の観察記録補助。魔力感知、戦況の簡易記録、軽度の回復補助が主な内容。
【目標】
・魔力流の観察と記録
・模擬戦の流れの記述
・軽傷者の回復補助
【報酬】
銀貨四十五枚(記録の正確性に応じ追加報酬あり)
【備考】
市内訓練場での日帰り依頼。継続参加も可能
冒険者ギルド、セレス支部。
ギルドの大扉をくぐり、すぐ右手の壁にある、巨大な依頼掲示板。
その掲示板前では、今日も冒険者たちが、数多ある依頼書の群れを覗き込んでいる。
——がしかし、それも先ほどまでの話。
現在、依頼掲示板前は不自然なまでに人がはけ、淡紫と黒の影が二つ、立ち並んでいた。
「見てガルド、こういうものもあるんだね」
依頼書を指さして、淡紫の魔術師が、隣を見上げる。
すらりとした指が指し示すのは、討伐、護衛、採取、調査、そのどれにも当てはまらないもの。
物珍しくはあるが、人気があるわけでもない、Eランク相当の依頼だった。
その依頼書をガルドの赤い瞳が一瞥したところで、ちょうど背後から職員のひとりが声をかけてきた。
「——そっ、そちら、訓練観察の依頼をご検討ですか?」
「ああ?」
振り返ると、ギルド職員の若い男が、やや緊張した様子で立っている。制服の端を整えながら、書類の束を抱えていた。
「……あの、今日の午後にも訓練が予定されておりまして。記録係が足りていないので、もしご興味があれば……」
彼の視線がちらりとルシアンに向けられ、すぐに逸らされた。静かな空気が一瞬だけ走る。
「ま、魔力感知ができる方なら、大歓迎です。観察記録の補助として……軽度の回復も、お願いできればと」
丁寧ながらも、明らかに“期待を込めた勧誘”だった。
ガルドが横目でルシアンを見る。表情は変わらないが、意志を問うような沈黙。
最後に一礼して、職員は歩き去っていった。
「……やってみようかな?」
「……酔狂だな……」
ぼやくガルドに肩を揺らし、ルシアンがぺらりと依頼書を引き抜いた。その足で、ギルドホール奥の受付カウンターへ向かう。
カウンターでは、受付嬢がふたりを見て背筋を伸ばし、一礼をしていた。
「ガルドさん、ルシアンさん、おはようございます。——あの子、今朝目を覚ましたそうですよ」
依頼書を受け取り、受領の手続きを進めながら、受付嬢がにこりと笑う。
あの子——、星花の盆地で、ルシアンとガルドが崩落現場から救出した少年のことだ。
小さくガルドが鼻を鳴らし、ルシアンもまた、柔和に微笑んだ。
「それはなによりです」
……返した言葉は、ただ、それだけ。まるで、何も特別ではないような笑顔だった。
それを遠巻きに見る職員たちも、昨日とは違い、その表情に焦りはない。
あるのは、このふたりによって少年が救出されたという結果と、それを裏付ける調査団からの報告書。
間に合った、この人たちに頼んで間違いなかった、という実感が、ただただ職員らを包む。
「訓練記録のご依頼、承りました。訓練場はギルド裏手にございます。——それとこちら、星花の盆地での報酬です。ご確認ください」
受付嬢に革袋を手渡され、ルシアンがそれをガルドへ渡す。ガルドは袋の中を一瞥して、小さく頷いた。
受付嬢が手元の書類に素早くサインを入れ、控えを揃えて差し出す。
対応は丁寧で事務的だが、その目元には確かな敬意が宿っていた。
「訓練場には、記録官と教導担当の方が待機しています。途中までご案内しましょうか?」
ルシアンが軽く首を横に振ると、受付嬢は「かしこまりました」と深く頭を下げた。
それを見ていた周囲の職員も、手を止めることなく、だが一瞬だけ視線を送り合う。
ギルドの奥へと続く通路を、ふたり並んで歩き出す。
その背中に、再び誰かが息を呑む。けれど今は、焦りではない。
ただ、静かな敬意と——ほんの少しの羨望が、その場に残っていた。
訓練場は、ギルドの裏手、屋外にあった。
踏みしめられた土の地面。周囲は石塀で囲まれ、外周に沿うように打ち込み用の人型が並んでいる。
中央は大きく開いた広場となっており、模擬戦闘や集団訓練はこの広場で行うようだ。
集まった訓練生は、冒険者見習いや騎士・兵士見習い。
今日は、剣術や体術に特化した訓練のようだった。
「む、無哭だ……でけぇ」
「なんでいるんだ……」
「……こ、こえぇ……」
訓練生たちが、離れた場所に立つガルドを見て、ひそひそと顔を突き合わせる。
古傷の残る巨躯、赤い瞳、周囲を威圧する表情——残念ながら元からそういう顔なのだが、それが余計に訓練生を委縮させた。
隣で、ルシアンが小さく肩を震わせる。手に持った記録用の書板に、顔を隠している。
「ん、ふふっ、君は、どこに行っても怖がられるね?」
「……知るか」
淡紫の魔術師は、ガルドにしかわからない角度で、笑っていた。
「集合ーッ!」
訓練場の奥、指導教官と思しき壮年の男が鋭い声を張り上げた。訓練生たちは慌てて整列し、掛け声の主のもとへ駆け寄っていく。
一列に並んだ彼らを見て、教官がまたひとつ、声を張った。
「本日は、三人一組での対人訓練を行う。主に“足捌きと間合いの制御”を見直す構成だ。——観察記録の方々は、指示があるまで外周からの記録を頼む」
ふたりのもとへ、案内役の若い補助官が駆け寄ってくる。
「お待たせしました、こちらです、あの石棚の脇に席がありますので……」
示された場所は、訓練所の外周にある、控えのスペース。木製の腰掛けと簡素な記録台が設置されており、朝の陽光が差している。
ルシアンがひとつ目礼をして、補助官の後を歩く。その後ろを、ガルドが。訓練場がざわりとした。
補助官もまた、ルシアンよりも、その背後に控える”無哭”の圧に、汗が噴き出る思いだった。
「——っ本日は、初めての観察記録のご参加と伺っております。ま、魔力感知範囲や記録の書式など、お手元の資料をご確認ください……」
「なるほど、承知しました」
穏やかなルシアンの声に、補助官はやっと、意識がそちらへ向いた。
安堵したように息をついて、簡単な訓練構成図と魔力観測用の方眼シート、簡易筆記具をルシアンに差し出す。
何をどう記すかは任意だが、魔力流や熱量の変化、接触の瞬間などを重点的に観察してほしいという意図が伝わってくる。
「も……もし、なにか分からないことがあれば、いつでもお声がけを」
——そんなことが、あるのだろうかと思いながら、補助官はひとつ頭を下げる。その後、小走りで隊列へ戻っていった。
その間にも、訓練生たちはちらちらと視線を向けてきていた。
視線の先にあるのは、淡く揺れる髪と書板を構える華奢な魔術師。
そして、その傍らで腕を組み、それを無言で見下ろす巨躯の重戦士。
二人に向けられる視線は、もはや恐れと好奇、羨望が混ざったものだった。
乾いた砂地を蹴る音が、幾重にも重なって響いていた。
訓練場の中央、数組の訓練生が模擬戦形式で打ち合っている。
動きは素早く、気迫もある。だが——。
「……おせぇ」
ガルドが立つのは訓練場の石塀脇。
腕を組み、背を壁に預けるようにしていたが、その赤い目はじっと訓練生たちの動きを追っていた。
「踏み込みが甘い。……剣先ばっか見てんじゃねぇ」
低く押し殺した声が漏れる。
訓練生が転がり、起き上がる。
後衛が遅れて駆け寄る。咄嗟の防御が間に合わない。
「下がるな。前に出て詰めろ」
訓練生に指示を飛ばしているわけではない。独り言——だが、隣にいるルシアンにはしっかりと届いていた。
腕が組まれたまま、肩だけが小さく動く。イライラを押し殺すように、歯を食いしばる音がした。
「——前線、交代ッ!」
指導教官の声が飛び、転がった訓練生のひとりが肩を抑えながら引き下がる。
入れ替わりに控えていた別の組が走り込む。
息を整える間もなく、声を上げて駆け出した彼らの足取りは、さっきよりは幾分マシで。
だが、ガルドの目は鋭いままだ。
「……位置取りが浅ぇ。背中が空いてる。あれじゃ囲まれんのも時間の問題だろ」
小さく舌打ちが漏れる。
石塀に預けた背がわずかに浮き、足が一歩、無意識に地を踏む。
教えるつもりもないのに、身体が動きそうになっている。
「ビビんなら、剣置いて帰れ……やるんなら、踏み込みで黙らせろ」
届かないはずの声が、空気を震わせる。
けれどその隣、ルシアンの記録用紙に、さらさらと筆記の音が走った。
書いていたのは、魔力流の乱れではない。隣から否が応でも聞こえてくる、助言。口元が緩む。教えてあげればいいのにと。
斜線の隙間に描かれた図には、“動きの遅れと踏み込み不足の因果”が、丁寧に記されていく。
そして、端の余白。
そこには、確かに聞こえた言葉の断片が、誰にも見えぬように——静かに、筆で書き留められていた。
感知魔法を張る。魔力の流れを読む。訓練生の動きをみて、記録に起こす。
筆記具が走る音と、ルシアンの軽やかな動き。場内を半ば睨むような、ガルドの視線。
「なんであそこで切り込まねぇ……もったいねぇ……」
見えてる。隙も、動きも、流れも。
だけど——歯がゆい。手が出せない。
「ふふ、もう。ガルド、混ざってきたら?」
「ああ?」
不意にそう言われ、ガルドがルシアンを見下ろした。
何故俺が訓練を。そういう顔だ。
「受ける側じゃなくて、つける側だよ」
返事を待たず、ふわり、とルシアンが立ち上がる。
淡色の外套が揺れ、訓練を行っている教官のもとへ。笛の音とともに、訓練が一時的に止まる。
「記録補助員か、どうした」
不意に歩み寄ってきたルシアンに、教官が鋭く声をかけた。
その圧にも一切揺るがず、淡紫の魔術師はただ、柔和な笑みで小首をかしげた。
「教官殿。彼がうずうずしています」
「……彼?」
訓練生たちの視線が、一斉にルシアンの指先を追った。
指された先にいるのは、唖然とした顔で石塀にもたれていた大男——無哭。
何を——というような赤い瞳が光を受け、けれど確かに一瞬、訓練場の空気が強張った。
「えっ、……無哭が……」
「え、え、まって、え……嘘だろ……」
「やば……やばいって……やべぇだろっ」
ざわつく訓練生をよそに、教官が眉を上げる。
「——ほほう、無哭が……」
それきり、教官が押し黙った。すでに手は顎に添えられ、脳内では戦闘訓練の組み分けが行われてる。
そして、ルシアンの肩越しに見えたガルドの姿を、じっと見つめた。
「……頼んでもいいのか?」
ガルドは、応えない。ただ視線だけで教官と交差する。
「これから訓練は後半戦に入る。……さすがに無哭殿が相手では、怪我は免れまい。……手加減してやってくれるか」
その言葉を合図に、見習いたちの顔色が次々と変わっていく。主に青く、白く。
「お、おい待てよ、あれとやるのか……!?」
「いや無理無理、殺されるだろ……!」
「ていうか、”無哭”って……人嫌いなんじゃ……!?」
武器を持つ手が強張り、足元がわずかに震える者もいる。
惜しい、命が。けれど、間違いなく、二度とない機会だった。
——そんな中。
ガルドは無言のまま、ゆっくりと石塀から背を離した。
カチャリ、と音がしたのは、背の大剣を、石塀に立てかけた音。
砂を踏む重い足音が、訓練場の中心へと響いていく。
一歩、一歩と進むごとに、訓練生の視線が、足が、後退る。
——ザッ——、と押し迫る巨躯の気配と入れ替えに、する、と場外へ引いていく、柔らかな気配。
ルシアンの記録用紙が、さらりと音を立てて捲られた。
ふふ、と喉の奥で笑う気配。まるで舞台の見物でも始まるかのような優雅さ。
この空間が、一体誰を楽しませるための場なのか。——それを知る者は、ほとんどいないのかもしれなかった。
……ガツ、ガツ、と重たい足音が訓練場中央の土を踏みしめる。
赤い瞳が一掃するように訓練生を見回すと、息を呑んで空気が固まった。
「ああ、そうだ、よろしいでしょうか」
怖気づく訓練生たちに、ルシアンが軽やかに声をかけた。
すでに遠巻きにいる。火種を放るだけ放って、すっかり満足したような顔。
「私、回復魔法の心得がありまして」
ざわり、と空気が波立った。片手をあげ、涼しげな声が、訓練場に響く。
優しげで、柔和で、麗しい微笑み。——それだけで、訓練生たちが少し、ほっと緊張を解いた。
回復魔法が使える者がいるならば、無哭に挑んでみようか——そんな空気が漂う。
が。
「……ですので、万一死にかけても大丈夫ですよ。訓練頑張って?」
——容赦のない微笑みと、細められた銀の瞳。
——容赦のない睨みと、修羅のような赤い瞳。
……あ、俺ら死ぬんだ……。
訓練生たちの心が、残念ながら、ひとつになった。
——【見つめる無哭】




